2014年11月14日金曜日

心得 第七十四 「古着のご定紋にも心して」

「主君のご紋章は大切に」の一項で、「小袖、裃ともご定紋付の着用は不作法のきわみ」から続くものである。
《また、このようにして拝領した小袖が古くなって、着用できぬようになったならば、その御紋を切り抜いて焼き棄てねばならない。
なぜならば、小身の武士の家においては、古小袖の洗濯を女房や召使などのさせ、また何かに使わせることとなるが、なにぶん女たちのことゆえ、何の考えもなしに御紋のついている古着を腰から下の裏地にしたり、下着や寝間着に使ったりして、大切な御紋を汚す恐れがある。そのようなことをすれば、必ずや主君の罰を受けて、尻の病、脛のできものなど、腰から下の病気にかかって大いに悩まされると言い伝えられている。
もし、そのような病気にはかからぬにしても、武士の義理ということから考えて、ぜひとも厳しく戒め、慎むべきことである。》

定紋は家法の表れであり、権威を示すものである。家臣が忠義を尽く家の格式が反映される。その定紋をおろそかに扱うことは不作法・愚かなことであることは前項で触れている。
もしもそのようなことをすると、主君の怒りに触れ、罰を受けることになる。
「因果応報」「自業自得」ということである。
その様なことが起きないように紋を切り抜き焼き捨てるという。

2014年11月13日木曜日

心得 第七十三 「小袖、裃ともご定紋付の着用は不作法のきわみ」

「主君のご紋章は大切に」の一項で、「古着のご定紋にも心して」へと続くものである。
《主君のお側近くにご奉公している武士は、時として主君の思し召しによってお家の定紋のついた小袖、裃などを拝領することがある。その場合御紋のついた小袖を着用する時には、裃は自分の紋のついたものを、またお家の御紋のついた裃を着用する時には、小袖は必ず自分の紋のついたものを着るように心得ねばならない。
もし、小袖も、共に同じ御紋の付いたものを着用していては、主君のお身近なご親類であるかのように見え、主君に対し奉って非常に無礼となるのである。また、家中の人々の目から見ては、「彼はいつからあのようなことを許される身分になったのか、そうでないとすれば、まことに不作法千万、愚かなことである」との非難を受けずにはいられまい。
”主君の御紋付の小袖と裃とをそろえて着用することは固く禁止する”との決まりのある家もあるほどなのである。》


威儀を正すことが求められ、儀礼が重んじられた。
〈服装〉とは、《服することを示す装い》である。意気地、生き様、〈意〉を表す装束に武士はこだわった。名は体を表す。家紋は家の象徴であり、御定紋を許されることは主君の覚えが目出度い
しかし、小袖も裃も同じ定紋入りのものを着てはならないという。
それは身内だけに許されるものであり、分を越えてはならないのであった。
今から考えれば、律義で、堅苦しいとも言えるが、こうした定めは今日的には標準化である。
かえって無駄がなくなり、余裕も生まれたととも考えられる。

2014年11月9日日曜日

心得 第七十二 「家族の病気で欠勤は許されるか」

奉公はその日限り、寸前は暗闇の一項で、「遅刻常習武士の生態」を受けたものである。
《さてまた、自分の両親などが病気になり、目が離せぬ状態であるならば、届を出して番を外してもらうというのは、当然そうあってよいことである。
子供の病気の場合については、その親の身分、暮らし向きによって決まってくる。なぜならば、子供の病気を心配でならないのは大身小身の別なく、親として当然のことではあるが、自分に代って看病をしてくれる家来が一人なり二人なりいるならば、どうしても自分で看病してやなねばならぬこともなく、当番を欠勤することは望ましくない。
しかし、小身の武士で看病を任せられるようなしっかりした家来もいないものの場合には、子供の看病のための欠勤も、特に許されてよいであろう。
大身はいうまでもなく、小身の武士にあってもとりわけ認められないのは、自分の女房が病気だからと看病のために欠勤を申し出、主君へのご奉公を欠くことであって、極めてよろしからぬ行為といえよう。
但し、妻の病気が重く、やむを得ない場合には、自分が病気にかかったと届け出て家にこもり、看病をしてやるというのが妥当なやり方なのである。》


最後の件は興味深い。
この項を読み解くにあたり、念頭に置くべきことは「主君に奉公するのが第一である」ということ、そのために「家を斉(ととのえ)る」ということである。「修身斉家治国平天下」(大学)である。〈斉家〉の前には〈修身〉があり、「自分(身内)の問題は自分(身内)で処置する」という考えが基本に置かれている。

そもそも、心身が虚弱で、勤めに後れること、支障が出ることを恥とする傾きがあった。所謂《役に立たず》であった。武士は奉公が第一である。病気は、気の弛みから罹るものであり、奉公の敵である。それは平生の養生不足、不用心から起きると考えることを常識とした。従って、家族の病気の場合もやむを得ない場合を除いて、基本的には欠勤は許されないのである。
止むを得ない場合とは、自身で対処する力のない子供が病気にかかり、身内に面倒を見るものがいない場合、および大人である女房が自身で対処することができないほどの重い病気になった場合である。但し、後者の場合は、自分が病気だと届け出て、看病するのが妥当だという。
なぜ、女房の病気だと正直であってはならないのであろうか。
それは、「女房の病気」と「主君への奉公」を天秤にかけるようなことをしては恥の上塗りになるからである。そこでこのような見苦しい行動を慎むことを説いたと考えられる。

心得 第七十一 「遅刻常習武士の生態」

奉公はその日限り、寸前は暗闇の一項で、「士気を高める”一日限り”の覚悟」を受け、「家族の病気で欠勤は許されるか」へと続くものである。
《また、月のうち何日ずつなどと定められている勤務に出るときの心構えとして、たとえばその日の暮六つ(午後六時)が交替の時間のすれば、主君のお館と、自分の宿所との距離、日の長さなどを考え合わせて、どのような場合も、自分がいる場所をいくらか早目に出るようにすべきである。
それを、どうせ出ねばならぬ勤務先へ出るのを嫌がって、茶を一杯、煙草を一服などとぐずぐずし、あるいは女房や子供との一言ずつの雑談に時を過ごして、遅くなってから宿を出発し、急にあわてだして、行き違う人の見分けもつかぬほどに道を急ぎ、汗をかきかき番所に駆けつけて、寒中にも扇子を使いながら、「ちょっと、やむを得ない用事があって遅くなりました」などと体裁のよいことを言ってみても、心ある人は必ず、なんと間の抜けた口上よと思うであろう。
そもそも、武士の勤番という勤めは、仮にも主君の御座所の警固の役であるから、武士の奉公としては第一に重い勤めである。
したがって、たとえどのような事情があろうとも私用のために遅参など、あってよいものではない。
また、自分が早く出勤していても、交代の時間に代りの同僚が遅れると、もう尻が落ち着かなくなり、大あくびをし、主君のお館の中に少しでも長くいるのは嫌だと、帰宅を急ごうとするのも、極めて見苦しいことであるから、慎むべきである。》


一言すれば、「〈本末転倒〉を戒めている」のである。
急ぐ姿は見苦しい。急ぐのは「心ここに非ず」、つまり「忙しい」「急(せ)く」姿である。呼吸は速くなり、乱れ、困惑・困窮につながる姿となる。
急ぐのは火急の時、変の時である。常の時には平常心を保つことである。
落着〉落ち着く、あるべきところに定まることが肝要であり、〈一事が万事〉、用心して、余裕を作り出すことが求められたのである。

2014年11月8日土曜日

心得 第七十 「士気を高める”一日限り”の覚悟」

奉公はその日限り、寸前は暗闇の一項で、「遅刻常習武士の生態」へと続くものである。
《主君を持つ武士が、僅かな暇もない毎日の厳しいご奉公を勤めるにあたって、第一に心得ておかなければならぬことがある
それは、決していつまでも勤めていられるものとは思わぬように、その日一日だけの奉公であると心に決めるべきだということである。
この無常の世界に生きる人間として、身分の如何に拘わらず、誰一人、明日のことを知っている者はおらぬ道理であり、主従の間についても、いつどのような不測の事態が起こるか予想もつかぬものなのである。
もし、何事もなければ何年でも続くものではあるが、その保証はないのだから、奉公は今日一日だけのことと覚悟して勤めるのが宜しい。
そうすれば、勤めに飽きることもなくなり、万事をいい加減にせぬようになり、すべてはその日のうちに・・・と思うため、仕事への意欲も増し、自然とものも忘れず、失敗することもなくなるものである。
ところが、いつまでも変わることなく奉公を続けられるものと思ていると、その為に仕事に飽きがきて、心もゆるみ、急がぬ用事はもとよりのこと、たとえテキパキと相談して始末をつけねばならぬ主君のご用向きまでも、それは明日にしておけ、これは今度やれば・・・などと投げ出しておく、また同僚同士で、あちらに回し、こちらへなすりつけるといった様子で、誰一人、責任を持て処理をする者もいない状態で、すべてがますます重なり、つかえて、不都合なことだらけという結果となる。こうしたことは、すべてあてにならぬ将来の月日をあてにして、武士の奉公は一日区切りという心掛けを知らぬところから生じた油断、欠陥といえよう。武士として最も警戒せねばならぬことである。》



「今」というときは、考えるものではない。「今」を考えた時、「今」はすでに過去のものになっている。「今」は生きるものである。「今、ここ」で生きることを説いているのだ
「生きる」とは、己を表すことである。つまり本分を発揮することである。
奉公する武士にとっては、その日その日の奉公を勤めることになる。
当てにしないで当たることである。当ての先延ばしをすると結局、後れを取ることになる。
先の項で論じられた〈臆病〉に通じるものである。
「いつか、どこかで、誰かが」を当てにするのではなく、「今、ここで、私が」と心に決め生きることを勧めている。
いわゆる《人事を尽くして天命を待つ》に通じることである。
聖書にも「明日のことを思い煩うな、今日のことは今日一日にて足れり」という。


2014年11月7日金曜日

心得 第六十九 「一緒に暮らすなら睦じく」

女房をなぐるは臆病武士の一項である。

《武士というものは、自分の妻について、どうも気に入らぬというようなことがあれば、その道理を説き聞かせ、十分に納得するように教えてやって多少のことであれば、こちらが我慢をし、許してやるのが妥当なやり方である。
但し、いたって性格が悪く、これは到底役には立たぬと思うほどであれば、はっきりと離縁をして親元へ送り返すというのも、やむを得ないことである。
ところが、そのようなこともせず、自分の妻と定めて、他人にも奥様とか、かみさまなどと呼ばせている者に対して大声で怒鳴り、さまざまな悪口雑言をするなどというのは市井の裏長屋に住む人足、日雇いなどの風情ならばともかく、一人前の武士のすることとしては決して許されぬ所行である。ましてや腰の刀をひねくり回し、げんこつの一つでも振うなどとあっては、全く言語道断の次第であるが、これはすべて臆病武士のすることである。
およそ武士の娘と生まれ、人の妻となる程の年齢になれば、男子であれば人からげんこつで撃たれて我慢できるものではあるまい。そこを女性の悲しさ、やむなく涙を流してこらえているのである。そもそも、自分に手向かいはできぬ相手と見て取って非道な行為をするというのは、勇気ある武士の決してせぬことである。勇気ある武士が嫌ってやらぬことを喜んでするようなものを臆病者というのだ。


「法の前に道理がある」。武家社会は自然法、道理を重んじた。
家も、主人も、その妻も道理に従って生きている。
従って、《どうも気に入らぬというようなことがあれば、その道理を説き聞かせ、十分に納得するように教えてやって多少のことであれば、こちらが我慢をし、許してやるのが妥当なやり方である。》と道理を納得させれば、ほぼ問題は解決すると説く。

それを暴力によって従わせようとするのは、その武士が〈臆病〉であるからだという。
なぜ、〈臆病〉に繫がるのだろうか。
それは「〈勇気〉ある武士がしない行為」だからと片づけているが、果たして、それが「〈勇気〉のない武士がする行為」であるといえるか。
「〈勇気〉のない武士」の中には、「しない者」もいるだろうし、「する者」もいるだろう。
「しない者」の中にも臆病者はいるかもしれない。
〈勇気〉がなく、「〈勇気〉ある者が嫌うこと(ここでは弱い者いじめ)」をする者は〈臆病〉であるというのであるが、「〈勇気〉がある者が嫌うこと」がすべて〈臆病〉ではない。たとえば、〈卑怯〉も「〈勇気〉ある者」が嫌うことである。とすれば〈卑怯〉と〈臆病〉とは同じであるか?
〈臆病〉は、ことバンクによれば、《ちょっとしたことにも怖がったりしりごみしたりすること。また、そのような人や、そのさま。》とある。《怖がる》《しり込みする》ことであるが、この項でいう〈臆病〉は〈しり込みする〉ことを指している。「躊躇する」「二の足を踏む」ことは「出遅れること」、闘いにおいては「敗け(死)」を意味する。結果として人前で恥をさらすことになる。その根本原因として「臆病」があることを指摘しているのである。「妻をなぐる」という卑劣な行為そのものは、「臆病」というよりも「弱み」に付け込む「卑怯」な振る舞いといえるが、その背後にある「臆病」を捉え、説いているのである。〈勇気〉〈臆病〉〈覚悟〉について考えてみるのも一興である。


2014年11月5日水曜日

心得 第六十八 「高笑、音曲をかたく禁ず」

近所の不幸につつしみを忘れるなの一項である。

《奉公を勤める武士が、わが屋敷なり、お上の長屋なりに住まっている時、近所の同僚の家に重病人ができたり、不幸でも起きたような場合には、たとえその同僚と親しい関係にはなくとも、大声で笑ったり、音曲などすることは固く慎み妻子や召使にも之を厳しく言いつけねばならない。
これは、相手の家のものへの配慮というだけではなく、他の同僚の目からも、無遠慮、不作法の至りとの軽蔑を受けぬためのつつしみである。
以上、初心の武士の心得として申すものである。》


近所に不幸が出た時には高笑、音曲を慎むことが礼儀であった。
そうでなければ、無遠慮、不作法として軽蔑を受けたのである。
思えば、昭和天皇が逝去されて大葬の礼が行われた。
閣議決定された「昭和天皇の大喪の礼当日における弔意奉表について」が文部科学省から通達され、「歌舞音曲を伴うものについては、これを差し控えること」が求められたのであった。

一部に反発の声が上がったことには隔世の感があり、価値観の変化が伺えた。
周囲への配慮が欠けた時、信頼の基盤は瓦解していくように感じられる。
思量を重ねたところに、〈慎み〉が、「心に真」が生まれるのである。

2014年11月4日火曜日

心得 第六十七 「決闘の心得」

武士ほど高くつくものはないの一項で、喧嘩口論は身を亡ぼす大不忠」から続くものである。

《しかしながら、家中の数多くの同僚の中には、気違い同然の馬鹿者もいる場合がある。こうした馬鹿者は、道理にもならぬことを言って、人がきかぬふりをし、相手にならないと、さては恐れているなと思い込み、ますますかさにかかって、様々な悪口を言い散らし、しまいには誰しもそのまま聞き捨てにすることができぬような雑言を言いかけてくることがあるものである。
これは武士として最大の不運、災難と言わねばならない。
万一、そのような成り行きとなってしまったならば、その雑言を受けながらも、きっぱりと決意を固め、できる限り気を落ち着け、その時と場所柄から判断して、その場で決着をつけるのは差しさわりがあると思えば、一旦宿所に帰って、公私ともに大切な用事などがあればそれぞれ始末をつけて、もはやこの世には心に残ることは何もないようにしておく。次に右の口論のいきさつを、その場に居合わせてよく事情を知っている同僚などを証人として、一通の書類に書き置くのである。
こうしておいて、機械を見て相手に挑み、従運な勝利を得て恨みを晴らしてから、直ちに自殺しようとも、あるいは検使をお招きして切腹を遂げようとも、それは各人お思いのままでよろしい。
この様にすれば、同僚たちも、まことに適切な態度と感心するであろうし、主君のお心にも、立派なやり方であったとお考えいただくことができよう。
こうして、不忠の罪のお詫びも、いくらかはできようというものである。
ところが、このような思慮にかけた若い連中は、その時の怒りに心を奪われて、馬鹿者といきなりぶつかって切り合いとなり、軽率至極な犬死同然の死に方をするものだが、これは右に述べたような、奉公する武士の身命は、既に主君に奉ったもので、我がものではないという認識が欠けているためというよりほかはない。よくよく心にとどめておくべきことである。》


唐突に、決闘の心得が説かれる。「恥知らずと呼ばれるよりは死を選んだ強烈な”恥”の意識、それは内面的な信念よりも世間の目に左右されがちな他人志向のもろさをもっていたにしても、封建の世を支える筋金となっていたことは否定できない。」と吉田氏は解説で指摘する。
理不尽に対しては、見栄を張ることで、筋を通したのである。見栄、それは日本人の美意識である。この美意識によって「節操が守られた」と謂われる。ただし、あくまでも武士の作法に従って・・・
・・・。

2014年11月3日月曜日

心得 第六十六 「喧嘩口論は身を亡ぼす大不忠」

武士ほど高くつくものはないの一項で、決闘の心得」へ続くものである。

《さて、このような決意を固めたからには、もはや我が身も我が命も、自分のものではない。いつなんどき、主君のご用に差し上げるか予測もつかない次第である。そう思えばこそ、ますます身命を大切にして、大食、大酒、淫乱などの不摂生をつつしみ、一日も長くこの世にとどまって、、なんとしても一度は主君のお役に立ってから命を捨てたいものと考えるべきである。
そうであれば、畳の上で病死することさえ残念に思われるのに、ましてや愚にもつかぬ喧嘩口論を起こして友人同僚を討ち果たし、自分もまた身命を失うなどということは、この上ない不忠、不義の振る舞いと知って、十分に自粛自戒しなければならない。
そのための第一の戒めといえば、まず軽々しい口をきかぬことである。
一体武士というものは、口数の多いのを嫌うものであるのに、それを心得ず、役にも立たぬ口を多くきくところから口論が起こり、それが募って喧嘩となり、喧嘩が起これば必ず雑言が飛び出してくるのである。
武士と武士との間で雑言が出てしまっては、それで無事におさまることは、万に一つもあり得ないことである。
それであるから、最初、口論になるより前に、そのことを心に決めて、わが身はかねてから主君に捧げ奉ったものであることを思い出し、怒りを押さえる者をさして、忠義の武士とも分別ある武士ともいうのである。》


「私心」でなく、「士心」つまり〈志〉を持つことが求められる。
それはいわゆる武士の本懐である。そして武士は何を本懐・本望としたかが問題となる。
心得とは、心を得るために必要なことであり、誰の心を得るのか、武家においては、主君の心が中心であった。そこに忠があり、その中心を体得、体現することこそ忠臣のつとめである。
一心同体の働きはそこに生まれる。

2014年11月2日日曜日

心得 第六十五 「いざという時の決意は日ごろから」

武士ほど高くつくものはないの一項で、喧嘩口論は身を亡ぼす大不忠」へ続くものである。

《そこで、ご家来の身としても、右に述べた主君のご本心を推察し、自らも奉公人としての決意をはっきりと決めなければならない。
その決意とは何か。日頃勤めている警固、お供、お使いといった役目は、泰平の世の武士が、ただそこに体を置いているという程度のご奉公であって、世間にありふれたことであり、きわだったご奉公とは言えぬものである。
しかし、もし明日にでも不測の変事が起こったならば、そのときこそは人に勝れた武勇をあらわし忠義を尽くさずにはおかぬという決意によって、日頃から武芸の鍛錬につとめ、分相応の家来や馬をもち、武具や馬具をも整えておくのである。そして、一旦、非常の事態となったならば、自分の属する隊の中に何十人の侍がいようとも、平地の合戦ならば一番槍、城攻めならば一番乗り、もしも味方が戦い利なく退くときは殿、以上三つの働きは軍神、摩利支天もご照覧あれ、他の者には決してさせぬと人に向かってはいわなくとも、心のうちにかたく思い定めておくのが、奉公を勤める武士としての決意なのである。》


武士の本分は、変の時にある。それはいつ起きるか予測はできない。だから日頃から武芸の鍛錬を怠らず、馬具や武具もいつでも使えるように整えることを説いている。そして変の時となれば、その働きの場を獲得することが最も重要になる。その場として三つがあるという。それは最も敵の力の強い時と所にある。つまり、一番槍、一番乗りであり、退却する時には殿に敵の力は集中するのである。そうした場所において臆することなく、十分なる働きをするのが武士である。

こうしたことを日頃から心のうちに思い定めておくのが武士の決意、つまり覚悟なのである。

矢面に立つ、窮地を切り抜けるなど、最も危険な場所に働きの場があるのである。

2014年11月1日土曜日

心得 第六十四 「恩に感じ、命を捧げることを期待」

武士ほど高くつくものはないの一項で、家臣を養う主君の本心は?」に続くものである。

《その御本心とは何か。主君におかれても、このように家中の大小の侍に毎年の俸禄を下されることが大きな出費となっているのをご存じないわけではない。しかし、主君には、もともと戦乱に際してのお役目というものがあり、万一非常の事態が生じたときには、大将のお支度をなさり、出陣されるわけで、その際はお家柄相応の軍勢をおそろえにならねばならない。たとえば十万石の知行であればば騎馬武者百七十騎、弓足軽六十人、鉄砲足軽三百五十人、槍武者百五十人、そして大将の旗本と、これだけは公儀の定めによる軍役である。それ以上の人数については、その大将のご力量なり、お考えによって決められるのである。また、こうして既定の軍勢を引き連れて出陣された後、お城をあけておいて不慮の事態を招いてはならないから、お城を守り固める必要なだけの人数も確保しておかなければならない。
このように考えてみると、普段は家中に多くの人々がいるように思われても、いざそのような場合となると、第一に不足するのが人というものなのだ。
現在は太平の世であって、世間には数多くの浪人がいるから、もしもの時には、これを召し抱えればよいとの考えもあろう。なるほど、そうすれば人を集めることはできよう。
だが、身分の高下に拘わらず、人はなじみというものに大きく左右される。
もちろん、ひとかどの武士であれば、臨時に召し抱えられた者であっても役に立たぬということはないであろう、だが、数代、数年にわたって主君の御恩を受け、日頃のお情けを頂いて、それが骨身にしみ、一度はあっぱれな奉公を勤めて日ごろのご恩にお報いしなければ・・・と固く決意しているような武士でなければ、いざ一大事というときのお役にたつことはできないものである。
主君、大将と呼ばれる方々は、このようなお考えをもっておられるからこそ、平生はさして必要ないにもかかわらず、大身小身、数多くの侍を抱えておかれるのである。家中に多くいる先祖代々の侍の中には、話にならぬ不出来なもの、生まれながらに五体不具なもの、あるいはいくらか馬鹿のように思われるものがいても、すべて大目に見て、決まりどおりの俸禄を賜り、召し抱えておられる。一旦、非常の事態が起こった時には、家中一同が日ごろの主君のご恩とお家へのなじみによって、身命をかえりみぬ働きをしてお役にたつに違いないと、それだけを心強いことと思召しておられるために他ならない。
これが家中の侍たちに対する主君、大将のご本心というものである。》


「分相応」は、当然、主君、大将にも求められる。
そして〈分〉は〈なじみ〉によって大きく左右されるという。
武家社会が人間関係によって、支えられていたことを示すものである。
主従関係も、同様に日頃の〈なじみ〉から生まれるのである。
〈以心伝心〉、主君、大将の本心を理解できなければ「分相応の働きはできない」という。

〈なじむ〉とは、「馴染む」と表記する。ことバンクによれば、《①環境などになれて違和感をもたなくなる。なれて親しむ。 ②調和する。ひとつにとけあう。》とある。
〈馴れ〉〈染む(染まる)〉ことである。
〈馴れ〉とは、《言いつけにおとなしく従う》こと、「動物の如く、私心なく、飼い主に従う」意である。
〈染む〉には、《心にしみじみと感じる》という意がある。
つまり、〈なじむ〉とは、「私心なく、言いつけに従い、真意を体感・体得する」ことである。
これは《一意専心》《一心同体》を表すものとなり、有機的な行動ができることになる。
この有機的なつながりの中で、いわゆる〈勇気なるもの〉も誘起されるのである。

戦場での働きは、「一気呵成に攻める」など、気合で決まる。また軍陣、隊形によってその戦力は大きく影響される。与えられた役割を遂行するには、一糸乱れぬ行動が不可欠である。それは、他人を知り、己を知ること、互いに気心を知り、家風になじむことによって達成されるのである。

「身分、職分、気分を与えられて自分になる」と謂われるが、気分は気を分かつこと、〈なじむ〉ことによって獲得するものなのである。家風・流儀に〈なじみ〉、武家を支える働きができるのである。
そのような行動は日頃から生活を共にし、呼吸を合わせることなしには達成できないのである。

これは、現代においても、当てはまる。
社風、職場風土になじみ、雰囲気を分かつ時、気心が知れ、協働が生まれるのである。
《平生往生》との謂いにも思い至る

余録:
〈家来〉とという言葉がある。
ことバンクによれば、《「家礼」を呉音(ごおん)読みにした語。「家頼」とも書く。ただし「家来」「家頼」は中世以降の用字である。本来、家において親や長上に礼を尽くし、そのように他人を敬う意であった。また、公事(くじ)の作法を習うため摂家(せっけ)などに出入りする者を称したが、中世以降、これが主従関係に転じて、公家や武家の主君に臣従すること、またその者(家臣)をさすようになり、さらに、一般に従者や手下を汎称(はんしょう)する語ともなった。》とある。
「家来」が用いられるようになったのは、武家社会の興隆(中世)以降である。
また、《《吾妻鏡》1180年(治承4)の記事に〈源氏の人々は家礼とするのも憚るべきなのに服仕の家人として取り扱うのは以ての外のことだ〉とある。》というように、家来の資格は、礼式を弁えることが条件であった
これは、〈家来〉の〈来〉が、〈仕来り〉を表すものと考えれば、〈家来〉とは《家の仕来りに殉ずるもの》ということになる。さらに推論すれば、〈イエ〉を立てるとは、仕来り、家風、流儀を盛り立てていくこととなる。要するに「生き方の提案・提示」であったのだ。

2014年10月3日金曜日

心得 第六十三 「家臣を養う主君の本心は?」

武士ほど高くつくものはないの一項で、「恩に感じ、命を捧げることを期待」へと続くものである。

《大身の武士は言うまでもないが、たとえ小身者の身であっても主君からそれ相応の俸禄を頂き、一人前の武士としてご奉公するほどの者であれば、わが身もわが命も、かりそめにも自分のものと考えてはならないのである。それはどういうわけか。
武家の奉公人の中には、大きく分けて二つの種類がある。
足軽以下、小者、中間といった身分の者たちは、小額の俸禄を頂いて、昼となく夜となく手足を働かす御奉公をしているが、その代わりに大切な一命を主君のために捧げねばならぬというきまりはない。従って、武士としての最高の働き場である戦場において、逃げ去ったとか、臆病な振る舞いがあったとか言っても、別段、不届きと呼ばれて追及されるおそれもない。いわば労力だけを売って暮らす奉公人ということができよう。
これにひきかえ、武士というものは、二つとない大切な命を捨てて主君につくすことを第一の約束として奉公する身分にほかならない。
従って、下々の分の者のように、日頃手足を働かせてご奉公することはないが、いざ対象のご用というときには、一歩も退かずにあっぱれの討死を遂げ、あるいは敵の放つ矢の前に立ちふさがって、主君、大将の身代わりを勤めるのが役である。したがって、主君もこれを大切に思し召され、日頃から多大の俸禄を下さり、目をかけておられるのであって、乱世においてはそれも当然のことだったと言えよう。しかし、泰平の世となって今日では、そのような必要もなくなっており、およそ武士ほど費用がかかり、高くつくものはなくなっているのである。
なぜならば、大身の武士は言うまでもないが、たとえわずか百石の縁であっても、十年の間には一千石の石高となる。これほどのものを親、祖父の代から何十年にわたって拝領しているのであり、それだけの米を金額に引き当てて考えれば、どれほどの金銀に当たるであろうか。
この様に思うならば、主君の御恩がいかに深いものであるかがわかるが、同時にそのようにしてご家来を養っておられる主君のご本心はどのようなものであるか、そのことをも考えることが大切である。》

武士は、恩と奉公という、主従関係の中で生きる存在であるということであった。その武士の本分は変の時の働きにある。従って、泰平の世において、足軽身分以下の人たちのように売れる労力を持たない武士を養うことは非常に高くつくものである。それだから、たとえわずかでも俸禄を頂く武士は主君の恩がいかに深く、その苦労がどれほどのものであるか慮ることが大切だという。
我々は、主従関係を下から批判する傾向をもっている。しかし、主君も武士であった。
主従一体となって守ったものは単に家だけであったのか。
わが身の保身だけでは三百年の太平を生き抜くことはできなかったはずである。
高くつく武士であっても養い育て、守ろうとしたものそれは何であったろうか。

2014年10月1日水曜日

心得 第六十二 「奉公は任務に忠実なのが第一」

口ごたえも迎合もともに不忠の一項である。

《主君のお側近くにご奉公していると、自分の役目について、あるいはその他のことについて、主君から直々に「こうしたことを、どう考えるか」などとお尋ねを受けることがあるだろう。
こうした場合には、まず自分の考えを一通り申し上げるのだが、これに対して主君が「いや、それはよろしくない。このようにすべきではないか」などと言われ、その御意見が道理に外れていると思った時には、これを謹んで承ったうえで、「それでは、私にも思い違いがあったかと存じます」と申し上げ、後は御機嫌のよい折を見て、またお話するようにすべきである。
そのようにすれば、そのうちにまたお考えが変わり、誤った御判断に陥らずに済むもので、結局は主君の御為にもなるのである。
これに反して、幾度も主君のおことばを返して、「いえ、決してそうではございません」などと遠慮もなく申し上げることは、その家来の立場にもよるが、よほど注意せねばならない。一般にお家の譜代でもない奉公人の場合には、こうした態度は非常に無礼とされているから、いかに主君の御為を思ってのことであろうと、許されぬことである。
そうかといって、主君大言葉が道理に外れていることを承知していながら、その場その場で御機嫌がよければよろしいと思い直して、「さきほど申し上げましたのは私の考え違いでございました。ただいま、よく考えてみましたところ、なるほど殿さまのお考えのとおりで結構と存じ上げます」などと申し上げるなどは、実にこの上ない大不忠、不届きの沙汰である。
およそ奉公を勤める武士としては、主君のお気に入り対などという気持ちを毛頭も持たないのが、第一に大切な心がけなのである。自分に与えられた任務を怠ることなく勤めていればよろしいので、もし、それでもお気に召さぬとあれば、わが身の不運とあきらめるのが奉公を勤める武士の本道というものである。》


主君が自ら気づくように、機が熟すのを待つのが奉公人の本分である。
分を弁え、迎合を避け、その場の雰囲気に左右されることなく、義を貫くことである。
機が熟さず、気に入られなければ不運とあきらめる。そのような自覚を持つことが武士の本道であるという。
侍はそのような自覚を持ち行動する人のことである。
時代が違うとはいえ、忙しく、状況適応を優先し、顧客に迎合している我々には耳の痛い話である。
〈待つこと〉〈自覚する〉ことが今求められているように思う。
〈寺〉という字を持つ、《侍、待、持》には共通するものはなにか?
吉田氏は【解説】で、《目上の人との応答は難しい。ともすれば迎合に走りがちだし、そうなるまいと意識しすぎると、不自然に我を張って悪印象を与え、裏目に出ることが多いものである。封建の身分制の下では、余計その危険が大きかったに違いない。》といっている。
〈義〉というものは、〈あきらめる・すてる〉ことによって、貫くことができる。
キリスト教でも「人その友のために命を捨てる、これより大いなる愛はなし」という。

2014年7月25日金曜日

心得 第六十一 「許されていた大口たたき」

大口はたたいても悪口はいうなの一項で、「陰口には怒るのが当然」から続くものである。
《ところで、大口をきく者と、悪口を言う者とは、よく似ているようだが、実は非常に違っているということを知っておく必要がある。昔の武士の中には、大口者として名を知られていた人がいくらもいたものである。幕府のお旗本の中でも、松平加賀右衛門、大久保彦左衛門といった人々は、たいへんな大口ききであった。その時代には、諸国の大名方のお家に大口者として知られた侍が三人五人と居ないところはなかったのである。
この大口者といわれる人は、いずれも度重なる武勇の手柄を立て、武道の心得についてはすべてに優れていたにもかかわらず、時として物事の判断を誤り、強情を張り通すので相談相手にすることができず、それが災いして、武勇の誉れが高い割には禄も身分もさほどではない。これを不足と思う所からひがみ根性となって、相手かまわず言いたい放題のことをいいまくるが、主君をはじめ重臣の人々も、その者については別扱いにして、何をいっても見逃し、聞き逃しているこのため、ますますわがままがひどくなって、他人の善悪を遠慮会釈もなく言い立てて、一生の間、大きな口を叩いて死んでいいったというのが、昔の大口者であった。
このような人々は若い時分には人には真似のできぬ武勇の手柄を立て、腕に覚えがある上での大口者だったのである。
現在のような天下泰平の世にあっては、どれほど勇気があろうとも、武勇の手柄を立てる機会などは全然ない。こういう時代に、ただの一度、鎧を身につけて戦場に出会経験さえもないものが、気のあった同僚と集まっては、主君のお家のやり方や、家老用人の誰彼についてあれこれと批判し、同僚たちの噂を好き勝手に言い散らして、自分だけで利口ぶっているなどは、昔の大口者とは天地雲泥の相異がある。
こういう連中を名付けて、悪口者とも、馬鹿口たたきとも呼ぶのである。》


大口者とは、《武勇の手柄を立て、武道の心得についてはすべてに優れていた》が《物事の判断を誤り、強情を張り通す》ので《武勇の誉れが高い割には禄も身分もさほどではない》者であった。
つまり、その働きが認められている者である。一方、悪口者、馬鹿者と呼ばれるのは、武功を立てる機会がないにもかかわらず、分を越えた口を叩く者のことをいったである。
要するに、実績主義である。功を遂げて資格が与えられるのである。
実績を上げる機会がない泰平の時には、誰にもその資格は与えられない。だから今、大口をたたくのを馬鹿者と呼ぶということである。

2014年7月17日木曜日

節操は見えなくなるかも

ノバルティスはコンタクトレンズを使い、糖尿病患者の涙から血糖値を測り続けて健康状態を把握したり、老眼の人がつけると自動的に焦点をあわせたりする技術を想定している》という。
そのために《グーグルの先端技術を活用し競合他社に先行する狙い》があるという。
先の臨床データの改ざんからすれば、その最終目的を「患者の健康の増進」に置いているとは思えない。

問題はやはり倫理に行き着く。
「ノバルティスと米IT、健康で提携(社説)  :日本経済新聞」は、
《身体に埋め込まれる機器や装置が増え、体の動きに影響を与えることを心配する声もある。人間と技術との関係は複雑で、互いに様々な影響を与える。(私たちの生活を)助けるために開発された機器が、知らずしらずのうちに、私たちに社会から外れた行動を強いることもあり得る。》と警告する。
「臨床試験データ改ざん」等、医薬業界の胡散臭さも漂うなかでは、ウェアラブル端末で、人体という商品を管理可能にし、薬漬け、生体肝移植等で臓器を最適移植する。
健康とは何か、単なるイメージ商品にすぎない? 
健康という付加価値を高めるために、健康を再定義し、洗脳が始まっているように思える。
ソイレントグリーンの世界が近づいているようである。いや、通り過ぎているのかもしれない。
まだ、人肉が薬材にはなっていないよね。

身の丈を知る

身上とは、「身丈」からか。
日本勢に希望、「飛ばない」マーティンの全英女子V  :日本経済新聞」は身の丈に合った道具を選ぶことを教える。これで大丈夫なのだ。大は必ずしも大きさの事ではない。〈丈夫〉であることだ。
《大男総身に知恵はまわりかね》、大きくなると血の巡りが悪くなり、運動能力は制限される。心臓への負担は大になることは確実だ。


2014年7月14日月曜日

子供を守れるか

幼児に小1学習内容 文科省方針、生活科を想定 」とある。
  • 現行の小学1年生の学習内容の一部を幼稚園や保育所での教育・保育内容に移行させる検討を始める。
  • 幼稚園・保育所から小学校へ接続を円滑に進めることや質の高い幼児教育が将来に好影響を及ぼすという研究成果もある
  • 早ければ2016年の改定を目指す。
  • 小学1・2年生の社会と理科を廃して1992年度から新設された教科「生活科」などを想定している。
  • 絵本などの普及で5歳児の識字率が上がっているため、国語のひらがなの読み書きのほか、算数の足し算、引き算も検討対象にする。
  • 小学1年生を巡っては、入学直後に「集団生活」や長時間座った授業になじめない「小1プロブレム」が問題化。
  • 文科省によると、5歳児の99%は幼稚園か保育所に通っているが、いずれにも通っていない5歳児が推計で約1万人いるとされる。こうした幼児への対応や幼稚園教諭、保育士への研修も必要になり、改定を議論する際の課題になりそうだ。
子供に選ぶ権利はあるのか?生れ落ちてから、すぐに保育器に入れられ、養成、養殖される。防水、防風、防衛のために植林されているイメージから、「プランテーション」という詞を想起し、植民地主義的発想が根源にと想った。プランテーショニズムではないかと調べた、英語訳は《colonialism》である。
植民ではなく食民だったのか?と考えて見た。食、職、植、色、蝕など、〈しょく〉には多種多様の表記がある。フロンティアを求め、浸食が進んでいることは確実である。
社会的抑圧が増加し、「自分を生きる」こと、「自分を発見する」ことが不可能になっているのではないか。だから〈レジリエンス〉なるものに焦点が当てられることになる。

2014年7月3日木曜日

心得 第六十 「陰口には怒るのが当然」

大口はたたいても悪口はいうなの一項で、「大名と医者の悪口は禁物」から続くものである。
《もしも自分が、人から悪いうわさを言いふらされているということをたしかに聞いたとしよう。その時には、「何とも承服できない。なにか恨みでもあれば他にやりようもあろうに、陰口を言って歩くとは、まことに侍らしくもないけがれはてた根性の奴だ」と愛想を尽かさずにはいられまい。さらに、いかに陰口とはいっても、こととしだいによっては聞き捨てにしておくわけにいかぬこともあろう。
たとえ聞き捨てにしておいたとしても、その恨みは長く心に残るのが当然である。そのように考えると、他人の陰口などというものは、自分の事を人がどのようにいって回ろうとも、一向に気にしないような馬鹿者でない限り、するものではないと承知しておくべきであろう。
わが身を振り返る、わが身に置き換えて考えることを説いている。
武士は面子を重んじた、名を惜しんだのである。その名がけがされることは最大の侮辱である。そうしたことを思わずしでかすことのないよう自制するに当たり自省をを求めた。

心得 第五十九 「大名と医者の悪口は禁物」

大口はたたいても悪口はいうなの一項で、「陰口には怒るのが当然」へと続くものである。
《昔の武士のことばとして「武士として身を立てようとするものは、世間の大名方の噂と医者の噂をする時は悪口はいうものでない」と言い伝えられている。
何故かといえば、ある大名の悪口をいった場合、その大名の家に、自分はともかくとして身近な親類の一人などが奉公するということもあり得ないことではない。そのような時、周囲の人の見る目として、「あのように悪口をいっていた家へ自分の身近なものが奉公に上がるというのに、それをやめさせもしないのはどういうわけか。筋が通らない」といった批判や軽蔑を受けずにはいられないからである。また、医者の悪口を言ってはならぬと言うのは、その医者に自分の家の者はかからぬにしても、親類や友人の中には、重い病気にかかってその医者の治療を受け、全快する者が出てこないとは限らない。その場合には、かつて自分が悪口をいった医者に対して、「此のたびは、あなたのお骨折りによって重い病人を治療していただき、我々もたいへんありがたく存じております」などと、厚く礼を言わねばならぬことも起こりうるのである。
このように、万事気をつけていさえすれば、物事に後悔するということも、さしてないはずであるが、一般にはそこをよく考えようとせず、何事もとっさの判断だけできめてしまう者が多い。思いつくままを口から出まかせに喋りまくって、口にすべきでない人の噂もかまわずいい立て、自分とは何の関係もない人の悪事をかぞえあげては非難嘲笑して、口が悪いことで有名になるなどというのは、結局のところ、武士道というものがわかっていないところから出てきた失敗である。》


「時宜辞儀に、節度を重んじ、放縦に振る舞うことを戒めた」のである。
《後悔する》ことのないよう《万事気をつけて》行動すること、《何事もとっさの判断だけできめてしまう》ことのないよう、《自分とは何の関係もない人》にも深謀遠慮するよう誡めた。
変法においては、思慮分別を差し挟んでは、後れを取ることになる。
《間髪を入れず》行動することが求められた。
しかし、常法の時においては、思慮分別する余裕がある。余裕を生かす深謀遠慮が求められる。
穏やかな時こそ油断が生じる。《蟻の一穴》を恐れたのである。


東京女子医大、禁止薬剤の投与について

東京女子医大病院:5年で小児12人死亡 禁止鎮静剤、因果関係調査 - 毎日新聞
東京女子医大病院[1](東京都新宿区)で今年2月、小児への使用が禁じられている鎮静剤を投与された2歳男児が死亡した医療事故で、死亡した男児と同様に禁止薬を投与された63人のうち、12人が死亡していたことが分かった。》と報じている。
友人が看護師の研修に長年携わっていたことを思いだし、「医師にまでは手が届かなかったか」と想いながら、記事を読んだ。医師の倫理はどのように教育されているのだろう。今回の医療ミスの問題はどこに原因があるのだろうと考えて見た。

2014年7月2日水曜日

大義とは何か

(社説)大阪の混乱 橋下維新に大義はない:朝日新聞デジタル
大阪維新の会[1]を率いる橋下徹[2]大阪市長[3]のことだ。大阪都構想[4]の設計図である協定書をつくる「法定協議会」から、異を唱える野党委員を排除した。維新で過半数を握り、今月中にも一挙に協定書をまとめる構えだ。》と「大義名分」を盾に、暴走する橋本氏に大義はないという。
「大義名分を語る」人に大義がなくなったのか、「大義名分を理解させる」リーダーシップの不足なのか。考えて見れば、〈大義〉は一人で成就できない。大義形成力が不足しているから橋本氏が登場したのであり、暴走するのである。《大義不足》はそもそも暴走する橋本氏を輩出した大阪市民にあることも指摘すべきであろう。

2014年6月30日月曜日

死の覚悟

「死の覚悟」を制度的に迫られているのが今の日本人である。「楢山節考」を想うを前に述べた。

「日本人と死の覚悟」「続・日本人年の覚悟」というブログを見つけた。
「同類が・・・」と考え、他人の「死の覚悟」評なるものを参照しながら、考えて見た。

日本人と死の覚悟

  • 総務省によると、昨年10月1日時点で、65歳以上の高齢者の人口は初めて3000万人を超え、総人口に占める割合(高齢化率)は24.1%と過去最高を更新した。1990年に12.1%だった高齢化率は12年間で倍になり、全都道府県で65歳以上の人口が14歳以下を上回っている。
  • 「今の日本人には『老・病・死』を自分で引き受ける覚悟がない」
  • 老いが受容できなければ、死が受容できるはずがない
  • 現代の価値基準は「健康」「若さ」「生産性」にあり
  • 生産に参加するから尊いのではなく、どのような状態でも、生きているということには使命があり、存在意義がある
  • 日本医師会はTPP[3](環太平洋連携協定)参加によって国民皆保険は崩壊すると訴える。
  • 病院に行って病名を付けてもらうと、そのうちなんとかなると考え、「お年寄りは医者の飯(メシ)のタネ」になっている。
  • 本人自身が治せないものは医療も治せない
  • 戦前の「鴻毛より軽い命」が戦後の「地球より重い命」へとコペルニクス的転回を経て、日本人は日常生活の場面から死を消し去った。
  • 「死の外注」が進み、死が日常の場面から追いやられた。
  • 「死が非日常化されたため、本来自然であるはずの現象が、今や不安や恐怖の対象になってしまっている」
  • 医療現場でも実際に「自然死」を見たことがない医者が増えている。
  • 医療への過剰期待も加わって、老も病も、場合によっては死もコントロールできるという幻想につながる。
  • ドゥフカ=思い通りにならないこと」を表す。
  • 「死を視野に置いて今を生きることの重要性」
  • 最期に目をつぶる瞬間、後悔することが減るだろう。
《老いが受容できなければ、死が受容できるはずがない》とは、まったく、その通り。「喜怒哀楽」の個別感情を味わうことが必要だ。〈濃く〉がどうとか判ったようなことをいうが、苦み、渋み、辛みなどの深さは年齢とともに、また弱さときに頓に感得できるものである。このチャンスを逃してはならない。
《死の外注》という現代を象徴するキーワードは、《仕合わせの外注》でもあり、外発的な死の受容は、一生に一度の苦しみを回避することである。それは最大の不仕合せだ。
最後に、《後悔することが減る》とあるが、「前向きであれば、後悔できない」と考えている

続・日本人と死の覚悟

  • 医療や介護に対する国民の意識が変わらない限り、根本的な改革はできないと、
  • 家庭の介護機能の低下とともに「生」のみが謳歌(おうか)されるようになった。
  • 医療(医療者、薬、技術)に対しては「信仰」にも似た過度な期待を持つようになった
  • 病気やケガを治す主役は、患者自身の「自然治癒力」であって、医師の腕や薬の力ではないと語る。自然治癒力は、年齢と共に衰える。
  • 諦めるのに時間とお金がかかることになる。
  • 本来は治すための医療を徹底するほど、死から穏やかさを奪い、死にゆく人に無用な苦痛を与え、悲惨な結果を招来することになる」と中村氏。
  • 「簡単に医療を受けられなかった以前のほうが、よほど安らかに死ねたのではないか」と同氏は問う。   
豊かさは、「意気地を無くす」ということだ。
自然に還る時には、借金は清算しなければならない。生きた分だけ借金は多くなっているのである。
年齢に応じでその都度支払うべき借金(例えば、病気にかかり、免疫抗体をつくる苦労)があったにもかかわらず、それを薬で誤魔化していた。そのつけがたまっているのである。人生の最期でこの借金を払うのは同党の覚悟が必要になるのである。

幸せは仕合わせとも表記する。
〈仕合う〉ことであり、それは年齢に応じ、与えられた生を、生きることが〈仕合わせ〉である。
「医療の充実」が「医療への過度の期待」を生み、「生の投資(医療費)」により、〈主体的な生〉ではなく、〈従属的な生〉により、仕合わせを実現しようとしているようだ。
《生老病死》を、医療は患者の主体的・主観的なものから、医療関係者の従属的・客観的なものに置き換えている。同時に〈仕合わせ〉を本人の内発的なものから、関係者の外発的なものに置き換えている。

〈死の覚悟〉にしてもそれが内発的なものか、外発的なものかでその意味は大きく変わる。
年とって、外発的〈死の覚悟〉をしなければならないのは最大の不幸である。
諦めるのに時間とお金がかかる》のだ、死ぬまで、間に合うかどうか常に不安に苛まれることになる。

2014年6月28日土曜日

心得 第五十八 「意志薄弱は憶病の証拠」

勇者、不勇者の鑑別法の一項で、「畳の上での勇気とは」から続くものである。
《これに対して不勇者はどうか。彼らは主君や親を敬うといっても表面だけのことで、本当に大切に思うまごころは持っていない。それだから、主君のお家の禁制や親たちの嫌がることはしまいという自制がなく、行くべきでない場所をうろつき、するべきでない行為にふける。万事に我儘が先に立ち、朝寝昼寝を好み、学問などは大嫌い、武士の天職である武芸を習うといっても、なにか一つを突き詰めて身に着けようとする気がなく、あの芸、この術といい加減にならって、実際の腕は立たないのに口先ばかりの芸自慢をしゃべりまくる。わずかばかりの知行をいただけば、それを前後の考えもなしに使いまくって、役にも立たぬ馬鹿騒ぎや食道楽には惜しげもなく金をかけるかと思えば、非諜なことには費用を惜しみ、親譲りの古い鎧のおどし毛は切れ、塗の剥げたのを修理しようともしない有様であるから、何よりの大切な武具や馬具が不足していてもそれを点検し新調することなど思いもよらない、もし病気にかかったときには主君への奉公もできず、親たちに心配、苦労を掛けることになるとの考えもないため、大食、大酒を過ごし、色の道にふけって、自分の寿命にやすりをかけるような真似をしている・・・。
これらはすべて、物事を耐え忍ぶということのできぬ柔弱未練の心から起こることであり、不勇者、臆病武士の証拠であると判断して、まず間違いはない道理である。
こうしたわけで、勇者と不勇者との区別は、泰平の世の畳の上においても、まぎれもなく見分けられるというのである。》

真心があれば物事に耐え、従弱未練を断ち切り、我儘に振る舞うことはなくなる。
そうであれば天職である武芸を怠ることはなくはずである。
要するに、勇者不勇者は初めから〈在る〉ものではなく、〈成る〉ものなのだ。
因果関係で物事を捉え、その因を心の置き方にあると考えた。
《平生往生》なのであり、《一事が万事》である。
従って、現在の姿の中に、将来を読み取ったのである。

心得 第五十七 「畳の上での勇気とは」

勇者、不勇者の鑑別法の一項で、「意志薄弱は憶病の証拠」へと続くものである。
《武士道を論ずるとき、最も重んじられているのが、忠、義、勇の三つの美徳である。この三つを一人で完全に兼ね備えている武士を、最高の侍というのである。
忠義勇の三字を続けて口で言うだけならば何の苦労もないが、この三つを心に刻み付け、身をもって実践し通すというのは極めて大変なことである。
従って、古来から百人、千人の武士の中にあっても、最高の侍というものはまれであるといわれているのである。
さて、忠節をつくす侍、義理を重んじる侍というものは、日ごろの行動を通じて判断がつくので、比較的、知られやすいということがいえる。それにひきかえ、勇気ある侍というのは、現代のような泰平安楽な時代には、ちょっと判別する機会がないのではあるまいかとの疑問もあるようだ。
しかしながら、そういうことはいっこうにない、よくわかるものである。
それというのは、武士の勇気というものは、甲冑を身に付け、鑓や長刀を手にして戦場に臨み、勝敗を争うときになって、はじめて発揮されるというものでは決してないからである。日頃の畳の上での勤めの中で、これは勇者、これは不勇者という見分けが、鏡に映すようにはっきりとできるものなのだ。


なぜならば、生まれつきの勇者とは、すべての善を積極的に行い、様々な悪をきっぱりと拒絶する者だからである。従って、主君や親に仕えても、人には真似のできぬような忠義、孝行をつくし、少しでも暇ができれば学問を学び、武芸を鍛錬し、贅沢を慎んで一銭の出費をも節約する。それでは吝嗇できたない根性かと思えばそうではなく、これは出さねばならぬものというときには、他人は出せそうにないほどの金銀を惜しげもなく出してしまう。主君から禁じられたことや親たちの嫌うことについては、どんなに行きたいところへも行かず、したいこともしないで、夫君や親の意向を大切にする。自分の健康をいつまでも保って、一度は大きな手柄を立て、お役にたちたいという執念を持っているから、摂生に心掛け、食べたいもの、飲みたいものもおさえ、人間として最大の迷いとされている色の道をも慎む。そのほか、すべてのことがらについて、困難や誘惑に負けぬ根性があるというのが、勇者である証拠である。》

武士に求められた忠、義、勇の三つの美徳を戦場ではなく、日常の生活の中で見分けることが出来るかということである。

2014年6月24日火曜日

心得 第五十六 「雨さえ漏らねば結構」

玄関は立派に、居間は粗末にの一項である。

《奉公を勤める武士が、主君からか家屋敷を頂戴し、普請などを行う際には、外側の長屋門、玄関の様子、座敷の有様などについては、身分相応に、いくらか立派にしておくことが、望まし。というのは、どこの城下においても、白の一番外側の一画にある武家屋敷のところあたりまでは、他国の人々も入り込み、眺めていくものであるから、そこにある武士たちの家々が立派であれば、なるほど城下も賑わい、家中も安定していると思うであろう。これは主君のお為にもなることである。
しかし、それ以外の奥座敷や妻子などの住む場所は、雨さえ漏らなければどんなに見苦しくとも我慢して、家の普請などにはできるだけ費用をかけないようにする心構えが必要である。何故なら、乱世の大名たちは城を構えるにあたって、常に籠城の覚悟をしていたから、城内二の丸、三の丸に奥屋敷であっても軒は低く、梁の間は狭くして、万事手軽なつくりとするよう定められていた。まして城下の外曲輪に住む武士たちの屋敷については、もしもの時には、すべて自ら火をかけて取り払うたてまえであったから、後々まで残すような普請などすることがなかったのである。
そこから、いたって手軽な工事のことを「根小屋〈城のまわりの家〉普請のようだ」などというのである。
こうして考えると、たとえ今のような太平の世であっても、立派な武士となることを志すものならば、家屋敷のつくりにいろいろと凝って、多額の費用をかけ、いつまでもそこに住もうなどと考えるのはあまり感心できない。また、思わぬ火事にでも会えば、焼け跡をそのままにしておくわけにはいかず、さっそく相当の小さな家でも建てねばならない。ところが、そうした考えもなしに、財力以上の家を立てて金を使い果たし、こんなに借金をしてしまったなどと喜んでいるなどは武士として誠に不心得至極のつまらぬ道楽というよりほかはない。》


家は仮の住処と考えていたかのようである。マイホーム主義の否定である。
吉田氏は【解説】で次のようにいう。
《文字通りのマイホーム主義への批判である。生活の近代化、合理化を唱える識者が、「日本人のすまいは玄関や座敷ばかりに金をかけて、主婦の居間や台所が一番冷遇されている」と説くようになってから久しい。その効果は大いにあがって、今や主婦にとって、まことに居心地の良い家が続々と建てられていることは歓迎してよいのだろう。だが、評論家書士が口を極めて避難した、外回りばかりに金をかける考え方が、かつては「主君の御為にも少しは罷り成る」、つまり忠義の心のあらわれであったとは、知る人は少ない。》

個人主義が標榜され、「公共の福祉」に反しない限り、「幸福の追求」が保障されている現代ではマイホーム主義も当然の成り行きであろう。しかし、問題は、「それで幸せになったか」ということである。

2014年6月23日月曜日

漱石はお坊ちゃんに語った!!

最後は金目」発言 石原環境相、きょう福島で謝罪 - 毎日新聞
漱石は、学習院で講演し、坊ちゃん嬢ちゃんに金力について語っている。
《金力についても同じことであります。私の考によると、責任を解しない金力化は、世の中にあってならないものなのです。そのわけを一口にお話しするとこうなります。金銭というものは至極重宝なもので、何へでも自由自在に融通が利く。例えば今私がここで、相場をして十万円儲けたとすると、その十万円で家屋を建てることもできるし、書籍を買うこともできるし、また花柳社界を賑わすこともできるし、つまりどんな形にでも変わっていくことができます。そのうちでも人間の精神を買う手段に使用できるのだから恐ろしいではありませんか。すなわちそれを振りまいて、人間の徳義心を買い占める、即ちその人の魂を堕落させる道具とするのです。》
金力によって、人は徳義心を失うという現実はあるのです。
そして、また『現代日本の開化』において、
《日本の現代開化の真相もこの話と同様で、分らない中こそ研究もしてみたいが、こう露骨にその性質が分って見るとかえって分らない昔の方が幸福であるという気にもなります。》
といっているのです。

経済力優先で、世の中すべて金次第という風潮の中で、〈フクシマ〉の災禍を現実として受け止め、何とか自分を誤魔化して「金の問題じゃないよね」と言い聞かせ、立ち上がろうとしていた。
そこに、「やっぱり金でしょう」といわれたら、これまでの辛労、煩悶を札束で簡単に吹き飛ばされたようで、「そんなもんじゃない!!」という意地が湧いてくるのは当然ですね。
この事が示すものは、世の中は「金目」ではないものを求めているということですね。
「勘定」という言葉を改めるチャンスですね。
《後悔先に立たず》ですが、自省が求められているのは、我々全ての日本人ですね。

2014年6月14日土曜日

法の前に道理あり

エジプト:セクハラに罰則…女性は疑問視「道徳観が…」
道徳は、素養の問題であり、三つ子の魂が密接に関係すると思われる。
付け焼刃な制度改革よりも、性根を叩きなおすこと、性根は歴史的な産物であるから、歴史を紐解き、現代生活を見直すことがどうしても必要になる。しかし、性根を叩きなおすことは人間性を作り直すことに近いものになる。それを良しとするか、節操なく現状のままに、自然にことが成就するのを待つか、待つとしても何を待つのか、具体的なイメージがないのではないか。それこそが問題である。
古い道徳観では現代的な生活(多様性を生かす)を制御できないことは、理解できても、それに代わるものは何か、が判別できないのである。それでは前にも、後ろにも行けない。

さて、これはエジプトの事であったが、この事例は我々にも当てはまらないであろうか?

2014年6月12日木曜日

心得 第五十五 「頼りになる友を探せ」

遊び友達は無用の一項である。
奉公を勤める武士というものは、多くの同僚の中から、勇気にすぐれ、義理を重んじ、思慮深く才能あり、言うべきことははっきりと述べるような武士を選んで、日頃から親密となり、公私ともに深い交わりを結んでおくことが大切である。
そのような武士というものは、家中の多くの同僚の中にもそうたくさんはいないものであるが、たとえ一人、二人であっても、その他の友人を何人も数多く持つのに匹敵し、なにかというときには非常に頼りになるものである。一般に、武士が友人を持つのに人をえらぶことをせず、誰とも彼とも親しくしては飲食の交際ばかりを頻繁にしているのはよろしくない。なぜなら、武士が親しい人間関係をむすぶためには、長い間に亙ってお互いの精神を見と
どけ合うことが必要なのである。それを、ちょっと付き合ってみて、あれは面白いぞ、話が合うぞといったことから、武士らしくもなくだらしのない交際をして、たがいにもたれあって小唄や浄瑠璃をうたっては夜を明かし、おれ、おまえといい合うほど仲良くなったかと思えば、つまらぬことからいい合いになって絶交し、誰も仲裁しない状態となる。そしてまた、いつの間にか仲直りをするなど、どこをとっても武士らしい一本筋の通ったところのない友達づきあいをしているものがある。こういう連中は、姿や形は武士であっても、その心は人夫、人足と変わるところがなく恥ずかしいしだいである。よくよくつつしむように。》
「朱に交われば紅くなる」のが、自然の道理である。自然に振る舞うことを理想としたが、義理を体解することを第一とした。義理を弁えない交際を恥じたのである。

2014年6月9日月曜日

心得 第五十四 「あれも知らぬ、それも許せぬ・・・では」

お家の歴史を知らぬは恥の一項である。
《奉公を勤める武士として、古参の者は勿論のこと、たとえ奉公して日の浅い新参であっても、主君のお家の起こり、代々のご先祖のこと、ご親類方の続柄、さらには家中の人々のうちでも、世間に名を知られているものの噂などについては、古老の人に問いただして、詳しく承知しておくことが必要である。なぜなら、他家の人々と同席して話し合った時、自分が奉公しているお家について尋ねられ、それも知りません。そのことも聞いておりませんなどといっていては、うわべは立派に見えていた者までも、なにか頼りなく思われてしまうものだからである。》

武士の本分は『忠孝仁義』にあり、それは、的確な判断によって達成される。判断の基準は仕来りにある。奉公する家の仕来りを知らないでは的確な判断は行えない。間違いは、一種の隙である。隙を見せることを恥じとしたのである。

2014年6月7日土曜日

心得 第五十三 「倹約とケチの相違」

「倹約もご奉公のため」の一項で、「小心者の浪費は身の破滅」から続くものである。

《そこで、小身の武士としては、平常からそのようなことを考えて、収入にふさわしい暮らしをし、少しでも不必要なことには金を使わぬよう心がけて、これはどうしても必要ということだけに金を使うようにするべきである。これが倹約の道というものだ。
ただし、倹約ということについては、一つの注意がある。それというのは、大身、小身ともに、倹約倹約といって出費を切り詰め、暮らしを質素にして節約に努めているうちに、まもなく家計が持ち直し、やがては手にしたことのない金銀がたまってくる。そうなると、ひたすら金が貯まることを喜び、減ることを惜しむ一方の卑しい根性となって、しまいには、出すべき出費もいやがり、出し惜しむような義理知らずとなってしまう。
このような者は、ただ金銀をため込むことばかりを考えているのであって、倹約ではなく吝嗇というものである。百姓町人ならばともかくとして、武士の吝嗇とあっては「三宝の捨て者(仏から見放された役立たず)」といって、最も嫌われるものなのだ。
なぜならば、人間として千金にも代えられぬ尊いものは我が命であるが、義理のためにはそれさえ捨てるのが武士である。それを、たかが金銀を、義理よりも大切にして使うのを惜しむようなきたない根性の持ち主がどうしててかけがえのない一命を惜しげもなく捨てることができるであろうか。
倹約の道を行うに当たって心得がいるといったのはこのところである。》

《質実剛健勤倹尚武》が武士の品格であった。倹約は武士の本分を尽くすために必要とされた。倹約が高じて、吝嗇に陥り、その覚悟を失うことのないように誡めているのである。
今日的に考えれば、「安全第一、リスク回避は重要である。しかし、リスクテイクしなければれて飛躍するチャンスは失われる」という誡めである。

心得 第五十二 「小心者の浪費は身の破滅」

「倹約もご奉公のため」の一項で、「倹約とケチの相違」へと続くものである。

《主人を持ち、奉公する武士というものは、大身小身の別なく、常に倹約を心がけ、家計を破綻させぬよう十分に考えることが大切である。もっとも、多くの俸禄をいただく武士の場合には、たとえつまらぬことに金銀を費やして一度は家計に穴を開けても、直ちに反省して、ここを切り詰め、あそこを削りというように万事節約につとめるならば、やがて家計を持ち直すことができる。これは暮らしに余裕があるからできることなのである。
ところが小身の武士が大身のまねをして無用なことに金をかけ、家計に穴を開けてしまった場合には、暮らしにゆとりがないために次から次へ赤字が尾を引いて、どれほど節約しても間に合わず、しまいには後にも先にも行けぬような破綻を招くことは目に見えている
しかし、家計が成り立っているかどうかは私事であり、奉公人として勤めているからには同僚との釣り合いということもあり、どうしてもやむを得ない出費があるものである。そうした場合には、仕方なしにさまざまな算段をこらし、いうべきでないことを口にしするべきでない真似もして、人々から不義理なやつだ、恥知らずだと呼ばれる結果となるのも、結局は、家計をうまく治められなかったための失敗から起こったことである。》

家計のようは倹約・節約にある。精錬潔白、正々堂々を旨とする武士は智謀・策略をめぐらすことを卑怯とする傾きがあった。常法の時には「家を斉える」が重要であり、武士がその節操を分け前るには節約、倹約が必要とされた。そこでも分に応じ、余裕を考えることを説いている。
【閑話休題】
勘定を合わせることが重要になる。現代では、勘定は「金銭的な帳尻合わせ」的な意味にだけ用いられるようになったが、語源は「いろいろ考えあわせたあげくの結論」を意味するものであり、「勘」の字が当てられた。当然感情も含まれたうえでの結論であり、「勘定=感情」で、結論されることもあった。
「家計と生活」を倹約・節約で感情を勘定に包み込んで、破綻を無くした。

2014年5月30日金曜日

心得 第五十一 「徳について」

後見人の心得」の一項として設けたものである。

「後見人の心得」の【解説】において、訳者吉田氏は次のように謂う。
《彼らにとって、家督こそは権威の保障であり、生活のよりどころであった。戦国乱世のころとは違って、すでに定まっている価格は容易なことでは動く可能性はなかった。武家社会の余計者とされていた二、三男育ちの浪人が、たまたま長兄の死によって本家後見人の地位を得たとすれば、なんとしてでもそれを手離したくないと考えたのは、むしろ当然であろう。後見人と嫡子との深刻な争いがしばしば起こったことは容易に想像される。ここで友山は、言葉をつくして後見人の取るべき態度を説いているが、封建の秩序を守る為には、彼らが節操を貫いたという名誉だけをもらって、再び一介の素浪人に戻らなければならなかったことは、どこか哀れというほかはない。》

教を実践する、教を身に着けることが教養であり、教養は生活を通して磨かれたのである。
実利を捨てて、事理を拾ったのである。利を制し、理に付くところに徳は備わるのである。
教養は利より、理を重んじ、利得ではなく、理徳を好んだのである。
公を支えるために、公徳が必要であり、それは私欲を慎むことから確保されたのである。
今日の成果主義、欲望を原動力とする社会では利巧であることを競っているようである。
そして、結局、人の和が乱れ、絶滅の瀬戸際に立つことになっている。
「天の時、地の利、人の和」は三位一体である。そして人は物理的制約の中で生きる存在である。
そこに守るべき定法がある。

徳に絡めて、日本語を考える。
〈とく〉には、「徳、得、篤、特、匿、説く、解く、溶く」などがある。発音が同じこれらの言葉には、共感的なものがあるように思う。

2014年5月29日木曜日

心得 第五十 「譲り渡しはきれいさっぱりと」

後見人の心得」の一項で、「亡兄の家督を預かるときは」から続くものである。
《次に、その子供が無事にして十五歳ともなったならば、主君に対し、「来年はこの子も十六歳となり、若年ながら武士一騎前のお役にたつようになりますゆえ、これまで自分に下されておりました知行をこの者に譲り渡して、ご奉公させたいと存じます」との旨を、書面をもってはっきりと申し上げるのである。
この際、主君から、その願いはもっともではあるが、まだ当人は若年の子とゆえ、なお二、三年の間は、そのほうが勤めるように・・・などとのおおせがあるかもしれないが、たとえ、どのように重いおいいつけがあろうとも、きっぱりとお断りしなければならない。
こうして願いがかなったならば、以前に調べておいた帳面の記録に基づいて、先代の諸道具をすべて甥に引き渡すことが大切である。なお、自分が陣代を勤めている間にととのえた家財についてはその限りではないが、そのうちからもふさわしい品を選び、帳面に記して甥に譲り与えるとよい。
さらにまた、主君より家督を定められる折に、例えば石高五百石として、このうち三百石は甥に下さり、残る二百石は陣代を勤めていた数年の間、よい奉公ぶりであったゆえ、そのほうに与えたいなどと仰せられることもありうる。こうした場合には、「身にあまる幸せとしてありがたく存じますが、そのために本家の知行が減ることは誠に迷惑、何卒、兄の知行はそのまま甥にお渡し頂き、私には永のお暇をくださいますように」と、たってお願いすることが、とりわけ大切なのである。このようであってこそ、陣代、番代として武士の本望をとげる態度といえよう。
これに反して、すでに初陣を勤めるほどの年齢に達した甥に、いつまでも家督を譲ろうとせず、喩え譲るにしても、自分が陣代を勤めていた間に兄の道具類はすべて紛失し、家屋敷は住み荒したまま修理もせず、兄の代にはなかった借金やら買掛金やらをこしらえて、これを甥に押し付け、さらには扶持米や金銭をねだって若い甥のすねをかじる算段をするなどというのは、陣代、番代を勤める武士としては、全く道から外れたものといわねばなるまい。》


《修身斉家治国平天下》を武士道の基本においた。
『大学』は次のように謂う。

家の主、頭領をいかに育てるかが第一の課題であった。
家を中心とした序列を整えることで秩序を保ってのである。
考え方としては、戦時には功を為す武士も、平時には負担をかける存在であることを弁え、極力負担軽減に勤め、迷惑をかけない算段をすることが武士に求められたのである。


2014年5月28日水曜日

心得 第四十九 「亡兄の家督を預かるときは」

後見人の心得」の一項で、「譲り渡しはきれいさっぱりと」へと続くものである。
《戦国のころ、合戦に臨んだ武士が見事な働きをして討死を遂げ、あるいは重傷を受けて傷の手当てが及ばず落命したといった場合、主君、大将といった方々は、その者をとりわけ哀れと思召され、男の子がいれば、まだ一歳であっても家督を継がせて下さるものである。しかしながら、その子供がまだ幼少で戦場のお役が勤まらないというときは、たとえば死んだ親の弟などで浪人している者でもいれば、当分の間はその者に兄の遺産を預けられ、子供が幼少の間は後見をするようにと、主君から仰せ付けられることがある。これを、その頃には陣代、現在では番代と呼んでいる。
この神代、番代を勤めるにあたっての武士の作法というものが昔から伝わっているのである。それは次のようなことだ
先ず、右のような事情で兄の家督を相続することになったならば、その子供は自分にとって甥ではあるが、真実の我が子として愛情をもって育てることは当然である。
次に兄の家督を引き継ぐにあたっては、武具、馬具の類はいうまでもなく、そのほかさまざまな家財類をすべて一か所に集め、一族のうちの誰かを立ち合わせてそれを点検し、すべてを帳面に記載することが大切なのだ。》



甥の後見人になる場合の心得が説かれている。
家督の相続、財産の管理は武家にとって一大事である。また主君にとってもその兵力、権威を維持する上で重大な関心事であり、「御恩と奉公」という封建制度の基盤を成すものである。
貞永式目に始まり、武家諸法度に至るまで、その仕来りが細かく定められていた。
間違いが起こらないように、いわゆる事務的に処理することを勧めている。
このように詳細に説かれているということは、こうした問題が多く見られたということである。
封建体制は、武士の道徳で維持されていた。

2014年5月22日木曜日

心得 第四十八 「昔の意地、いまはいずこに」

「武士は食わねど」の心意気」の一項である。

《五、六十年も昔のころまでは、出世を望む浪人たちの言葉に、「乗り換え馬の一匹も持てるようでなければ・・・」といえば、「五百石以上の知行でなければ・・・・」という意味であった。また、「せめてやせ馬の一匹も持てる程度」といえば「三百石程度なら」という意味、さらに「錆び槍の一本も持たせていただきたい」といえば、「知行取りの身分となれれば、たとえ知行は百石でも・・・・」ということばだった。
その頃までは、まだ昔の武士の気風が残っていたから、何百石ならば奉公いたしますなどと、自分の収入のことを数字をあげて口にしたくないという意地があり、こうした言葉となったものである。"武士は食わねど高楊枝"とか"鷹は飢えても穂を摘まず"などというのも、その頃のことわざである。当時は、年若い人は暮らし向きの損得、物の値段のことなどは口にせず、女色の話が出れば顔を赤らめるといった様子であった。
優れた武士を志す者は、及ばぬまでも、こうした昔の気風を慕い、それにならうようでありたいものである。鼻が曲がっても、(誇りを捨てても)息さえ出れば(暮らしに事欠かなければ)よろしい。といった根性に落ちぶれてしまったこと、まことに是非もないしだいである。》


能力判定の視点を戦場・戦陣に置いた会話で行った。
知行は日常の重要な糧であるが、距離を置く事で品位を保った。
間接的表現を察し、慮ることが尚ばれた。
器量により、身分が決まり、身分に応じた格式が定められる。

《質実剛健勤倹尚武》、気風・誇りを慕い、意地・根性を養うことを求めている。

2014年5月20日火曜日

心得 第四十七 「たとえ尋ねられてもはぐらかせ」

許されぬ転職先での旧主の悪口」の一項である。
《侍というものは、自分が奉公している主人の家に子々孫々まで勤めるつもりでいても、何かの事情によって、その家を離れることがある。
そして、前の主人との関係で差支えがなければもちろんのこと、もし、何かの制約でもあれば詫びを入れて自由な立場となり、ほかの主君に抱えられて奉公人となるというのが昔からの武士の仕来りである。もし、こうした事情から他家に奉公し、やがて、その家の古参の武士たちと親しくなり、朝夕に顔を合わせ雑談をするようになってからも、かつての主人の家のよからぬ噂などは、仮にも口に出してはならぬと決意することが、武士としての第一に必要な心がけである。
なぜならば、この広い世界において日本国の武士と生まれ、国の東西南北に大名、小名、城主などが数知れず居る中で、どのような過去の因縁によって主従の契りを結び、たとえしばらくでもその家に奉公していたとあれば、その間に自分の生活を支え、子供を育てることができただけでも、その恩を受けていなかったとはいえまい。そのように考えるならば、たとえ一日といえども主君と仰いだ人の悪い噂などということは、仮にも口に堕すべきものではない。
ところが、そうした判断もつかず、世間に知られていない旧主の噂までも、自分だけが知っているとばかり得意げに言いふらすなどというのは、あたかも小者、中間同然の根性と思われる。
かつてのご主人のことについては、それがたとえ不始末のために幕府のおとがめを受けた人であろうとも、噂すべきではない。もし人から尋ねられようと
、あれこれとはぐらかして、その人の悪事などは一言も口にしないというのが武士としての正しい道である。》

先に、《儚くも、一期一会の世の中で、家を立てんと一所懸命》が武士の生き方であったと述べた。《報恩》《忠孝仁義》が武士の思想の中核にあった。
《法の前に道理あり》と謂う。道理に基づく君臣関係は、世間の評判を超えたものである。
だから、噂などに加担し、尊ぶべき君臣関係を卑しめるなというのである。

吉田氏は《これは、ある意味では現在でも立派に生きる教訓である。》と言い、次のように続ける。
自分の出所進退を事情を知らぬ相手に語るとき、われわれは知らず知らずのうちに自己弁護をしているものだ。前の測場をなぜ山高について、自まんとも愚痴ともつかぬ話をくどくど聞かされれば、たいていの相手はうんざりするに違いない。それで自分の株を上げようなどと思っても、逆効果しか期待できないだろう。
人材の流動化が進んでいる最近の風潮から考えて、心にとめておきたい。
全くその通りである。

2014年5月19日月曜日

心得 第四十六 「慎重を要する舅の立場」

親族関係のけじめ」の一項で「なぜ本家を大事にするか」から続くものである。
《次に、自分の娘を他家に嫁がせ、男子が生まれてから後にその夫がなくなり、幼い孫が跡継ぎの立場となったため、これからのことを婿方の親類と相談するといった場合には、十のものならば八つ、九つまでを婿方の親類にまかせて、こちらはひかえ目にしている心掛けが大切である。
但し、娘の嫁ぎ先が、婿の生前から家計が苦しく、その始末で親類たちの負担となっているような状態であれば、苦労している我が娘の世話をしてやるのは当然のことであり、あれこれとしてやらねばなるまい。
婿が亡くなったあとでも、何の苦労もないほどの暮らしであるとか、たとえ少しでも財産があるようであれば、舅の立場から差し出がましいことはいっさいやらぬという慎重な態度をとることが武士の本道である。
そうでないと、「孫がまだ幼いうちに、わが娘の内々の相談をして後見役をしているのは、どうも納得がいかぬ」などと、他人の批判が出てくるに相違ない。
次に、一族の本家筋、または先祖の主人筋、かつての上役といった人々の家が衰えて、みるかげもなく落ちぶれてしまった時、これを少しも粗末に扱うことなく、昔からのつながりを重んじて何かと配慮をするというのは、これまた武士本来の精神である。その時々の相手の景気ばかりを気にして、威勢がよいと思えば敬うべきでない者をも敬い、衰えたとみればいやしんではならぬ相手をもいやしむようであっては、まるで町人百姓同然の心がけであって、武士本来のあり方とはいえない。》


続いて、親戚となった他家との関係・つきあいについて語る。
武士には歩むべき道がある。立場を重んじ、本来あるべき姿・形を整えることがそれであり、恩に報いることで筋を通した。つまり義を貫いたのである。体面を重んじ、面子を損ねることを慎んだのである。男系の血縁関係を中心に家族内の序列が決められ、他家との関係も整えられた。内外意識はこうして形成されたと考えられる。イエ制度については『イエとしての文明社会』に詳しい。


心得 第四十五 「なぜ本家を大事にするか」

親族関係のけじめの一項で「慎重を要する舅の立場」へと続くものである。
《世間では、自分の兄の子も、弟の子も同じく甥と呼び、また自分の姉や妹がよそへ嫁いで生んだ子をも甥と呼んで、どれも変わらぬように考えているが、これは百姓や町人の場合のことである。武士においては、心には義理を重んじ、形には作法を守るものであるから、こうした点についても農工商の身分のものとは違っていなければならない。
例えば、一族の嫡子である兄の家に生まれた子は、自分にとって甥であっても、本家を相続する立場にあり、わが目上に当たる親、兄の跡を継ぐ惣領家となるのであるから、兄が亡くなり甥の代となっても、自分の親、兄を敬うようにその者に対して礼をつくすのである。これは決してその甥個人を敬うのではなくて、わが家の先祖を敬う心のあらわれなのである。
しかし、兄弟の子供であっても、二男、三男或いは自分の弟の子供に対しては、世間一般の叔父甥のつきあいでさしつかえない。また姉妹の子供については、甥には違いないのだが、他家の姓を名乗る立場にあるのだから、普段のことばづかいや手紙の文章なども、やや他人行儀に、丁寧にすることがふさわしい
さらに、自分の甥、弟、あるいはわが子であっても他家へ養子にやった子供に対しては、すっかり他人となったものと心得るべきである。例えば、内輪の交際で顔を合わせた時などの言葉づかいなどはともかくとして、他人を交えての場においては、他人同様の態度をとらねばならない。
さもないと、養父方の親類や家来たちの目から見て「一旦、他人の子にしておきながら、相変わらず、わが子、わが弟のように扱っているが、そのくらいなら、最初から自分のところにおいておけばよいのに・・・」と軽蔑されるであろう。
もっとも、養父方の家にしっかりした者が誰一人おらず、家のまとまりもなくて相続もできぬという状態の場合においては、我が子、わが弟のことゆえ、放っておくわけにもいかぬということはあるであろうが・・・。》


《心には義理を重んじ、形には作法を守るものである》武士の生き方が、《これは決してその甥個人を敬うのではなくて、わが家の先祖を敬う心のあらわれなのである。》と〈祖先崇拝〉、〈家中心〉であることが説かれている。
家中心のルール(格式)に従った。格式ばって威を保ったのである。それが時代の要請であった。
情に流されることを知っていた故に、義理を強調し、他家の姓を名乗る甥に対しては《やや他人行儀に、丁寧にすることがふさわしい。》と行動に現わすことを強調したのである。
「儚くも、一期一会の世の中で、家を立てんと一所懸命」、が武士の姿であった。

2014年5月15日木曜日

心得 第四十四 「汚れを洗う三つの妙薬」

古手の役人はよごれた白小袖の一項で「汚職役人の手口はこれだ」に続くものでる。

《ところで、白小袖も、よごれっ放しにしておかず、ときおり洗濯さえしておけば、いつも白く、見苦しくなくできるものである。
役人についても同様で、自分で自分の心の汚れに気を付け、絶えずこれに洗うようにさえするならば、汚らしくよごれ果てるようなことはない道理である。
尤も、白小袖っがよごれたのは、人間の垢やまわりのほこりできたなくなっただけであるから、質のよい灰汁で洗いさえすれば、垢もしみも落ちて、あとはきれいになるものである。
それにひきかえ、人の心には、種々さまざまなものがしみこんで、そのよごれ方もはなはだしいから、ただ、ざっと洗った程度ではきれいにはなりにくい。そのうえ、白小袖ならば年に一度か二度、洗いさえすればよいのだが、人の心の洗濯は、一日四六時中居ても立っても、またさまざまなことに心を動かすたびごとに、あるときはもみ洗い、あるときはふりすすいで、少しの油断もなく洗い続けていても、たちまち、そのあとからよごれけがれてしまうものである。
もっとも、白小袖にかぎらず、垢を落とす灰汁にはいろいろな種類があり、垢をそっくり落とす薬などもあるということである。それと同じように、武士の心の洗濯をするには三つの灰汁を使うのがコツとされている。
その灰汁とは、忠、義、勇の三つである。
心に染みついて垢の性質によって、忠誠心によって落とす場合もあり、また正義感によって落とすべき垢もある。その上に、もう一つの秘訣がある。もし、忠で洗い、義で洗ってみても、そのよごれがひどくて落ちにくい場合には、はげしい勇気の灰汁を少し加えて、全力を尽くしてしゃにむにもみ洗いしてから、さっぱりとすすぎあげるのだということである。これが武士の心の洗濯についての秘伝とされているのだ。》


世の中で生きていく限り、垢が身に付き、汚れるのは当然である。
染みついた汚れは時宜に応じ、除染すればよいのである。除染の特効薬がある。それは忠誠心と正義感と勇気の三つであるという。勇気について、武士道は人知を超えたものとする。
力を仁に見せかけるもの。それは知謀である。仁を力あるものにするもの。それは勇気である。戦国覇道としての武士道は、、このようにして、無道の中から道をつくり、出して、無道を一つの道にまで高めてゆくために知恵と勇気が血みどろに戦う虚々実々の世界である。虚構も真実なら、真実にもいつわりがある。根本は力が正義だからである。(『武士道の歴史Ⅱ』「山名細川の道」より)

〈義〉は、〈偽〉ではなく、それを超えたものである。
〈偽〉「人の為すこと」、つまり〈なれる〉ことで達することができるものではない。

心得 第四十三 「汚職役人の手口はこれだ」

古手の役人はよごれた白小袖の一項で「慣れるにつれて腐るのが常」に続くものでる。

《それだけではない。新任のころには、人からの贈物などがあっても、それを禁じている規則に従ってきれいに送り返し、もし、どうしても受け取らねばならなかった時には、後日、その贈物にふさわしいお返しをするなどして、人々からも、いたって潔白なやり方とほめられていたような者でも、いつの間にかその心掛けが変わってきて、この職務を勤めているうちに少しでも多く握りしめておかなければ・・・という欲心が起こってくる。しかし、人からの贈物を受けてはならぬという規則があるからには、いまさら受け取るわけにはいかない。ところが、そうした心のうちというものは、言葉の端々にあらわれるものであるから、人もそれを敏感に察して、表面では一向にかまわぬふりをしておいて、裏から縁故をたずね、さまざまな関係をたどり、手段をつくして品物を送りつけるのである。こうして贈られた金品はいくらでも受け取り、さてその返礼には、お上の目をかすめて、えこひいきをするにきまっている。こうしたよごれ方というのは、右に述べた白小袖がねずみ色になっていくのと少しも変わりがない。》
慣れるが狎れる《親しみすぎて礼を失する》になってはならない。
礼節を正すこと、節義を守ることが重要である。
人は経験を重ね、資料が増え、思量が増えると、慮る、配慮することになる。
配慮することは悪いことではないが、慣れて、気が弛むと、節義を失うことになる。
思量を重ねることが必ずしもいいとは限らない。判断が重要なのである。
〈はかる〉にいろいろな表記がある。〈ためる〉も〈矯める、溜める、貯める〉と三つの表記がある。
外目には同じように映る〈腐る〉と〈熟す〉をどう判断するか、見極める力を養うことが必要である。
武士の身上である〈潔白〉〈潔さ〉を失うことのないよう志操を護れということである。
法の前に道理あり、思想の前に志操あり。

2014年5月14日水曜日

心得 第四十二 「慣れるにつれて腐るのが常」

古手の役人はよごれた白小袖の一項で「汚職役人の手口はこれだ」へ続くものでる。

《「白無垢小袖と役人とは、新しいうちがよい」ということばは、軽いことわざながら、なかなかもっともなことと思われる。
白小袖の新しいうちというものは、たいへんきれいなものでも長いこと着ている間には、襟のあたりや袖口から汚れ始めて、そのうちにねずみ色のようになってしまうと、まことに見苦しく、汚らしいものである。 
また、役人が何かの職務についた場合も、最初のうちは万事について新鮮な心構えを持ち、主君のおおせつけを大切に守り、ちょっとしたことについても真剣に考え、とりわけ、その職務についての規定罰則に心を刻んで、少しもそむくことがないようにと慎重に勤めるから、すべてについて不足するところがない。こうして、家中の一同から、まことに無欲正直なよい役人とほめられたほどの者であっても、その職務を長らく勤め、さまざまな筋道が理解できるようになってくると、次第に要領がよいだけの仕事ぶりとなって、新任のころには決してしなかったような失敗をしたりするものである。》


慣れると、緊張感がなくなり、人間の性、本性が現れる。気ままにせず、常に改める必要を説く。
〈改める〉とは《新しいものに変える》意であり、新しいうちは自然に刻まれることも〈なれて〉くると刻めなくなる。それが人間なのである。新鮮な気持ちを保ち真心をこめて仕えることを説く。
〈なれる〉が《為れる、生れる、成れる、馴れる、慣れる、熟れる、狎れる》と多様に表記されるのも現れるものの違いを表現する必要からであろう。
経験が増すことに拠って成長するか、退化するか、人それぞれである。
《克己復礼》と謂う。その意は《《「論語」顔淵から》自制して礼儀を守るようにすること。》とある。

2014年5月13日火曜日

心得 第四十一 「後輩いじめは最大の卑怯」

職務と私情を混同するなの一項で「絶交中の同僚とも仕事は仲良く」に続くものでる。

《ましてや、日頃から何のゆきがかりもない同僚と同役を勤めることになったときには、なおさら親密な関係をつくるようにするのが当然のことであろう。
それを、ややもすれば、同役との権力争いをする者や、また相手が新任で万事に不案内な時には、いろいろと気を使ってやって、手落ちなく勤めさせるという先輩らしい配慮もせず、不慣れなための失敗でもあれば、喜んで騒ぎ立てるものがあるが、まことに見苦しいともきたないとも、批判のしようもない次第である。このような心がけの武士は、いったん、変事が起こった場合には、必ずや味方がとった首を奪ったり、味方を売ったりといった卑怯きわまる大不義をやってのけるような者である。よくよく警戒してつつしまねばならない。
以上、初心の武士の心得として申すものである。》


公務、いわゆる職務があって、役割が与えられるのである。
義理を完成させるのが武士である。
私情に左右されず、理(事割り)に従い、判断を的確にするのが武士である。
味方を援け、勢力を増強することは忠義である。
味方を損ない、勢力を減退することは不忠である。
《強きを挫き、弱きを助ける》侠気を尊び、怯懦を警戒したのである。
私情ではなく、職務を判断の基準におくことを説いている。
吉田氏の【解説】は『職務と私情を混同するな』の講を次のようにまとめる。
武士の意気地を尊ぶ立場からすれば、藩中の傍輩同士が絶交状態に陥ることもあながち非難はできない。だが、ご奉公のために必要とあれば、わたくしごとの遺恨はしばらく棚上げにして、一致協力して主君に尽くせということである。

2014年5月12日月曜日

心得 第四十 「絶交中の同僚とも仕事は仲良く」

職務と私情を混同するなの一項で「後輩いじめは最大の卑怯」へ続くものでる。


《奉公する武士として、多くの同僚の中には、何かの事情で絶交中の者がいるというのはあり得ることである。ところが、主君の仰せによって、その絶交中のものと同役となった場合には、直ちにその相手の所に行き、次ぐのようにはっきりとのべるべきである。

「自分は、この度貴殿と同役となるよう仰せつけられ、ただちにお受けした。あなたと自分とは、日頃絶交の間柄ではあるが、いったん、同役を仰せつかったからには、少しでも私情をさしはさんでいては殿のおためにならぬことゆえ、今後は互いにこだわりを捨て、ひたすら御用をとどこおりなく勤めるようにしたいと考えるしだいである。ついては、あなたはこのお役については先輩のことであり、何かとご指導いただきたいと思うばかりである。ただし、明日にでも、あなたか、じぶんか、どちらかが、このお役を離れるようになったならばその節には再び絶交することになるかもしれないが、それまでは、ひたすら心を合わせていくことだけを考えていきたい」
このように申しのべて、互いに心を合わせて勤めにはげむのが武士の正道である。》

《知に働けば角が立つ、情に棹させば流される、意地を通せば窮屈だ、とかく人の世は住みにくい》と、漱石の「草枕」の冒頭にある。その意味は《理知的でいようとすると人間関係に角が立って生活が穏やかでなくなり,情を重んじれば,どこまでも感情にひきずられてしまう。》と謂う。
《心身一如》《知行一致》を意気地としたとき、角が立ち、絶交することもあり得るのである。人間関係に気を使い過ぎると情に流される。働きを第一とする武士の心がけを具体的に丁寧に説いている。
断る〉とは事情を知り、分を弁えた慎重な態度である。〈断り〉は(事割る・言割る)ことに始まり、断りを入れることは分別して、〈〉を通すことになる。それが挨拶であり礼法に適った仕儀であった。
「ことわる」は「断る」または「判る」と表記される。二つ合わせて判断となる。詳細はこちらから
〈唐変木〉は《気のきかない人物、物分かりの悪い人物をののしっていう語》の謂いであるが、武士の場合、「とうへん」は〈刀偏〉〈武偏〉であり、融通が利かなかった。
融通無碍〉は達道の極意であるが、初心者には分に過ぎるものである。

2014年5月11日日曜日

心得 第三十九 「風流のつもりが道具屋に転落」

学問、風流もときに大害の一項で「歌道のこりすぎは軟弱のもと」に続くものでる。

《次に茶の湯の道であるがこれは室町将軍の時代から武士のたしなみとされてきたものであるから、
自分の家においてはせぬまでも、人から茶席の招きを受け、身分高い人と同席する機会などもあり得ることである。そうした折りに、茶庭への通り方、茶室に入るときの作法、茶席での諸道具の見方、料理のいただき方、茶の飲み方など、いろいろな心得がいるものであるから、その道の師について、いくらかはその作法を知っておくことが望ましい。また茶道の精神というものは、世間の富貴栄華を離れて、簡素で静かな境地を重んじるものであるという。従って、繁華な町や城内に住んでいても、庭に木を植えて山林渓谷の風情をつくり、茶室といえば竹の垂木、皮付きの柱、萱葺きの軒、下地窓、粗いすだれ、簡素な木戸などのわびた有様を第一とし、さらに茶や会席料理の道具についても華麗なものをさけ、すべてについて俗世間を離れて清閑の境地を最高の宝とするのであるから、これは武士道の精神を養う助けともなるように思われる。そこで、たとえ小身の武士であっても、家の傍に茶をたてる場所をもうけ、新作の掛け軸、茶入れ、茶碗、土焼きのやかんなどの手軽な道具を使っての簡素な茶の湯を楽しむ程度ならば悪いことではない。
しかし、何事につけても、とかく軽いはずのものが深入りして重くなりやすいもので、次第に贅沢になってくると、たとえば茶釜にしても、人の持っている芦屋の釜を見て自分の土釜がいやになり、その他道具一切について、高価なものがほしくなる。さりとて小身の武士としては、ほしいと思うだけで、容易に手に入れることはできぬところから、掘り出し物をあさるようになってきて、目利きを習い、よい道具を安く手に入れる工夫を凝らす。あるいは、人の持つ道具の中にほしいものがあれば無理にねだる。このようになっては、何につけても自分が得をするように、損をせぬようにという計算ばかりが先に立って、まるで仲買か周旋をする商人同様の気風にまでなりさがって、武士の本道を見失い、大小を持つ価値のない人物になってしまうことは目に見えている。こうした風流人になってしまうよりは、いっそのこと茶道の心得などは少しもなく、濃茶とはどうして飲むものやらいっこうに知らぬという状態であっても結構で、それが武士道の障害となるものでは決してないのである。》

2014年5月10日土曜日

心得 第三十八 「歌道のこりすぎは軟弱のもと」

学問、風流もときに大害の一項で「我が国の伝統を見失うな」に続くものでる。

《次に歌道のことであるが、和歌の道は我が国特有の文化であって、公家の間は言うに及ばず、武士たちの中においても、古今の名将勇士のうちにその道の名人が数多くいたものである。従って、小身の武士であっても、歌道を学び、折に触れてはつたないながらも一首を詠むほどの心がけは好ましいことといえよう。しかしながら、この道も悪く凝り固まるのは困ったもので、古来の歌の名人と呼ばれた人でさえ簡単には作れなかったような名歌を、なんとしても詠んでみたいと思い込むようになり、他のすべてをなげうち、ひたすら歌の道だけに専念するようになると、いつしか心も形も公家やら武士やらわからぬように軟弱となって、武士本来の姿を失ってしまうものである。

とりわけ、近頃世間にはやっている俳諧などに凝りすぎると、同僚たちのまじめな談話の席にあっても、ともすれば冗談、軽口、だじゃれどを口に出してしまう。その場をおもしろくすることはできるかもしれないが、武士としては、のべつしゃれを口にすることは昔から好ましくないこととされており、こうした点に気をつけた方がよろしい。》

「歌舞音曲」は芸の幅を広げる上では由とされたが、その本道から外れてはならないとする。
芸事には〈守破離〉の三段階があるといわれるが、〈破〉も〈離〉も、〈守〉があってこそ成立する。
心を学ぶためのものであって、心を失ってはならないというのである。
《口は災いのもと》、無駄口を「分に過ぎる」と警戒したと考えられる。
〈常〉に流され〈変〉を忘れることのないよう、常に心に刃をあて、慢心・増長することを警戒した。
いつでも〈潔く〉行動できるように、心が「汚されないように」行動を慎んだのである。
〈凝り〉が〈懲り〉に転じないように、「洒落」が字のごとく、酒で身を滅ぼすことのないように・・・。