2014年7月25日金曜日

心得 第六十一 「許されていた大口たたき」

大口はたたいても悪口はいうなの一項で、「陰口には怒るのが当然」から続くものである。
《ところで、大口をきく者と、悪口を言う者とは、よく似ているようだが、実は非常に違っているということを知っておく必要がある。昔の武士の中には、大口者として名を知られていた人がいくらもいたものである。幕府のお旗本の中でも、松平加賀右衛門、大久保彦左衛門といった人々は、たいへんな大口ききであった。その時代には、諸国の大名方のお家に大口者として知られた侍が三人五人と居ないところはなかったのである。
この大口者といわれる人は、いずれも度重なる武勇の手柄を立て、武道の心得についてはすべてに優れていたにもかかわらず、時として物事の判断を誤り、強情を張り通すので相談相手にすることができず、それが災いして、武勇の誉れが高い割には禄も身分もさほどではない。これを不足と思う所からひがみ根性となって、相手かまわず言いたい放題のことをいいまくるが、主君をはじめ重臣の人々も、その者については別扱いにして、何をいっても見逃し、聞き逃しているこのため、ますますわがままがひどくなって、他人の善悪を遠慮会釈もなく言い立てて、一生の間、大きな口を叩いて死んでいいったというのが、昔の大口者であった。
このような人々は若い時分には人には真似のできぬ武勇の手柄を立て、腕に覚えがある上での大口者だったのである。
現在のような天下泰平の世にあっては、どれほど勇気があろうとも、武勇の手柄を立てる機会などは全然ない。こういう時代に、ただの一度、鎧を身につけて戦場に出会経験さえもないものが、気のあった同僚と集まっては、主君のお家のやり方や、家老用人の誰彼についてあれこれと批判し、同僚たちの噂を好き勝手に言い散らして、自分だけで利口ぶっているなどは、昔の大口者とは天地雲泥の相異がある。
こういう連中を名付けて、悪口者とも、馬鹿口たたきとも呼ぶのである。》


大口者とは、《武勇の手柄を立て、武道の心得についてはすべてに優れていた》が《物事の判断を誤り、強情を張り通す》ので《武勇の誉れが高い割には禄も身分もさほどではない》者であった。
つまり、その働きが認められている者である。一方、悪口者、馬鹿者と呼ばれるのは、武功を立てる機会がないにもかかわらず、分を越えた口を叩く者のことをいったである。
要するに、実績主義である。功を遂げて資格が与えられるのである。
実績を上げる機会がない泰平の時には、誰にもその資格は与えられない。だから今、大口をたたくのを馬鹿者と呼ぶということである。

2014年7月17日木曜日

節操は見えなくなるかも

ノバルティスはコンタクトレンズを使い、糖尿病患者の涙から血糖値を測り続けて健康状態を把握したり、老眼の人がつけると自動的に焦点をあわせたりする技術を想定している》という。
そのために《グーグルの先端技術を活用し競合他社に先行する狙い》があるという。
先の臨床データの改ざんからすれば、その最終目的を「患者の健康の増進」に置いているとは思えない。

問題はやはり倫理に行き着く。
「ノバルティスと米IT、健康で提携(社説)  :日本経済新聞」は、
《身体に埋め込まれる機器や装置が増え、体の動きに影響を与えることを心配する声もある。人間と技術との関係は複雑で、互いに様々な影響を与える。(私たちの生活を)助けるために開発された機器が、知らずしらずのうちに、私たちに社会から外れた行動を強いることもあり得る。》と警告する。
「臨床試験データ改ざん」等、医薬業界の胡散臭さも漂うなかでは、ウェアラブル端末で、人体という商品を管理可能にし、薬漬け、生体肝移植等で臓器を最適移植する。
健康とは何か、単なるイメージ商品にすぎない? 
健康という付加価値を高めるために、健康を再定義し、洗脳が始まっているように思える。
ソイレントグリーンの世界が近づいているようである。いや、通り過ぎているのかもしれない。
まだ、人肉が薬材にはなっていないよね。

身の丈を知る

身上とは、「身丈」からか。
日本勢に希望、「飛ばない」マーティンの全英女子V  :日本経済新聞」は身の丈に合った道具を選ぶことを教える。これで大丈夫なのだ。大は必ずしも大きさの事ではない。〈丈夫〉であることだ。
《大男総身に知恵はまわりかね》、大きくなると血の巡りが悪くなり、運動能力は制限される。心臓への負担は大になることは確実だ。


2014年7月14日月曜日

子供を守れるか

幼児に小1学習内容 文科省方針、生活科を想定 」とある。
  • 現行の小学1年生の学習内容の一部を幼稚園や保育所での教育・保育内容に移行させる検討を始める。
  • 幼稚園・保育所から小学校へ接続を円滑に進めることや質の高い幼児教育が将来に好影響を及ぼすという研究成果もある
  • 早ければ2016年の改定を目指す。
  • 小学1・2年生の社会と理科を廃して1992年度から新設された教科「生活科」などを想定している。
  • 絵本などの普及で5歳児の識字率が上がっているため、国語のひらがなの読み書きのほか、算数の足し算、引き算も検討対象にする。
  • 小学1年生を巡っては、入学直後に「集団生活」や長時間座った授業になじめない「小1プロブレム」が問題化。
  • 文科省によると、5歳児の99%は幼稚園か保育所に通っているが、いずれにも通っていない5歳児が推計で約1万人いるとされる。こうした幼児への対応や幼稚園教諭、保育士への研修も必要になり、改定を議論する際の課題になりそうだ。
子供に選ぶ権利はあるのか?生れ落ちてから、すぐに保育器に入れられ、養成、養殖される。防水、防風、防衛のために植林されているイメージから、「プランテーション」という詞を想起し、植民地主義的発想が根源にと想った。プランテーショニズムではないかと調べた、英語訳は《colonialism》である。
植民ではなく食民だったのか?と考えて見た。食、職、植、色、蝕など、〈しょく〉には多種多様の表記がある。フロンティアを求め、浸食が進んでいることは確実である。
社会的抑圧が増加し、「自分を生きる」こと、「自分を発見する」ことが不可能になっているのではないか。だから〈レジリエンス〉なるものに焦点が当てられることになる。

2014年7月3日木曜日

心得 第六十 「陰口には怒るのが当然」

大口はたたいても悪口はいうなの一項で、「大名と医者の悪口は禁物」から続くものである。
《もしも自分が、人から悪いうわさを言いふらされているということをたしかに聞いたとしよう。その時には、「何とも承服できない。なにか恨みでもあれば他にやりようもあろうに、陰口を言って歩くとは、まことに侍らしくもないけがれはてた根性の奴だ」と愛想を尽かさずにはいられまい。さらに、いかに陰口とはいっても、こととしだいによっては聞き捨てにしておくわけにいかぬこともあろう。
たとえ聞き捨てにしておいたとしても、その恨みは長く心に残るのが当然である。そのように考えると、他人の陰口などというものは、自分の事を人がどのようにいって回ろうとも、一向に気にしないような馬鹿者でない限り、するものではないと承知しておくべきであろう。
わが身を振り返る、わが身に置き換えて考えることを説いている。
武士は面子を重んじた、名を惜しんだのである。その名がけがされることは最大の侮辱である。そうしたことを思わずしでかすことのないよう自制するに当たり自省をを求めた。

心得 第五十九 「大名と医者の悪口は禁物」

大口はたたいても悪口はいうなの一項で、「陰口には怒るのが当然」へと続くものである。
《昔の武士のことばとして「武士として身を立てようとするものは、世間の大名方の噂と医者の噂をする時は悪口はいうものでない」と言い伝えられている。
何故かといえば、ある大名の悪口をいった場合、その大名の家に、自分はともかくとして身近な親類の一人などが奉公するということもあり得ないことではない。そのような時、周囲の人の見る目として、「あのように悪口をいっていた家へ自分の身近なものが奉公に上がるというのに、それをやめさせもしないのはどういうわけか。筋が通らない」といった批判や軽蔑を受けずにはいられないからである。また、医者の悪口を言ってはならぬと言うのは、その医者に自分の家の者はかからぬにしても、親類や友人の中には、重い病気にかかってその医者の治療を受け、全快する者が出てこないとは限らない。その場合には、かつて自分が悪口をいった医者に対して、「此のたびは、あなたのお骨折りによって重い病人を治療していただき、我々もたいへんありがたく存じております」などと、厚く礼を言わねばならぬことも起こりうるのである。
このように、万事気をつけていさえすれば、物事に後悔するということも、さしてないはずであるが、一般にはそこをよく考えようとせず、何事もとっさの判断だけできめてしまう者が多い。思いつくままを口から出まかせに喋りまくって、口にすべきでない人の噂もかまわずいい立て、自分とは何の関係もない人の悪事をかぞえあげては非難嘲笑して、口が悪いことで有名になるなどというのは、結局のところ、武士道というものがわかっていないところから出てきた失敗である。》


「時宜辞儀に、節度を重んじ、放縦に振る舞うことを戒めた」のである。
《後悔する》ことのないよう《万事気をつけて》行動すること、《何事もとっさの判断だけできめてしまう》ことのないよう、《自分とは何の関係もない人》にも深謀遠慮するよう誡めた。
変法においては、思慮分別を差し挟んでは、後れを取ることになる。
《間髪を入れず》行動することが求められた。
しかし、常法の時においては、思慮分別する余裕がある。余裕を生かす深謀遠慮が求められる。
穏やかな時こそ油断が生じる。《蟻の一穴》を恐れたのである。


東京女子医大、禁止薬剤の投与について

東京女子医大病院:5年で小児12人死亡 禁止鎮静剤、因果関係調査 - 毎日新聞
東京女子医大病院[1](東京都新宿区)で今年2月、小児への使用が禁じられている鎮静剤を投与された2歳男児が死亡した医療事故で、死亡した男児と同様に禁止薬を投与された63人のうち、12人が死亡していたことが分かった。》と報じている。
友人が看護師の研修に長年携わっていたことを思いだし、「医師にまでは手が届かなかったか」と想いながら、記事を読んだ。医師の倫理はどのように教育されているのだろう。今回の医療ミスの問題はどこに原因があるのだろうと考えて見た。

2014年7月2日水曜日

大義とは何か

(社説)大阪の混乱 橋下維新に大義はない:朝日新聞デジタル
大阪維新の会[1]を率いる橋下徹[2]大阪市長[3]のことだ。大阪都構想[4]の設計図である協定書をつくる「法定協議会」から、異を唱える野党委員を排除した。維新で過半数を握り、今月中にも一挙に協定書をまとめる構えだ。》と「大義名分」を盾に、暴走する橋本氏に大義はないという。
「大義名分を語る」人に大義がなくなったのか、「大義名分を理解させる」リーダーシップの不足なのか。考えて見れば、〈大義〉は一人で成就できない。大義形成力が不足しているから橋本氏が登場したのであり、暴走するのである。《大義不足》はそもそも暴走する橋本氏を輩出した大阪市民にあることも指摘すべきであろう。