「能力主義と精勤主義」の一項である。
《主君を持って奉公する武士のうちに三つの種類がある。第一が忠節の侍、第二が忠功の侍、第三が忠節忠功の侍である。
まず、忠節の侍というのは、どのようなことであれ、一生のうちに一度は、主君の御ために他の同僚たちにはできぬような立派な仕事ぶりを見せて大きな貢献を行っているために、主君や重臣の人々からも重んじられ、たとえ日頃の勤務ぶりについては、至らぬ点があろうとも大目に見られて、気楽に過ごしている侍のことをいうのである。
次に忠功の侍というのは、何か特別に大きな貢献を行っいるというのではないが、何はともあれ主君のおんためということを大切に考えてて、御用のこととさえなれば昼夜の区別なく真剣に打ち込み、自分の本来の役目に励むことは勿論、同僚の病気や事故による臨時の勤務であろうとも、進んで手落ちなく勤めるといった、誠実な武士をいう。
次にまた忠節忠功の侍というのは、一方では誰にもまねのできぬようなご奉公をしてお役に立ちたいという積極性を持つとともに、日頃の勤めにおいても誠実な努力を重ねている侍であって、一頭の馬が二つの鞍をつけているように、二つの面でともに優れている者をいうのである。右に述べた忠節一方、忠功一方のどちらも、それではだめだというわけではないが、忠節と忠功の二つを兼ね備えた武士と引き比べてみれば、はるかに劣っているといわねばなるまい。
こうした点をよくよく考えて、どうせ奉公人となったからには、人からあれこそ忠節忠功を兼ね備えた武士よといわれるようにはげむ意欲を持ちたいものである。なお、ここに述べた三つの種類の、どのひとつにも当てはまらないような武士をさして、武家奉公の縠つぶしというのである。》
武士には三種類ある。能力主義者と精勤主義者と能力・精勤主義者である。
武闘派と文治派と文武派ということである。
武士道は文武両道を説く。つまり、文武派を目指せということである。
これは武士の立場と役割の問題でもある。力の源泉をどこに見出すかということと重なってくる。
武士道は文武両道を説く。つまり、文武派を目指せということである。
これは武士の立場と役割の問題でもある。力の源泉をどこに見出すかということと重なってくる。