
本書は以下の三点を捉えている。(まえがきより)
日本は経済他国として、アジア世界における経済的リーダーとしての役割を戦後一貫して煮立ってきたのである。いや、十九世紀の明治維新以来一貫してのことであったという方が、より正確であろう。しかしながら、このような栄光の地位はまさに「失われた十年」の間の失われていってしまった。このポスト・バブル期に失ったものは、そして現在もなお失いつつるものは、これまで考えられてきたよりもはるかに大きく深刻であることを直視しなければならない。(中略)
このような観点に立って執筆された本書であるが、そこにはいかに掲げるような三つの主要な議論の柱があることを前もって述べておきたい。
一つには、個人と組織との関係をめぐる議論である。
武士道の中核に忠義、忠誠の観念があることは、言うまでもないことであろう。問題はこの武士道における忠義という観念の捉え方なのであるが、それは一般的には、滅私奉公として、己を殺して主君やお家のために尽くすことと見做されており、そこから武士道や忠義の世界というのは個人が組織の中に埋没していく集団主義としての性格のものと受け止められがちであった。「会社に対する忠誠』などというスローガンが強調されるときに、引き合いに出される武士道精神なるものに込められている観念は、まさにそのようなものであったろう。
しかし本書に於いて、このような通年の誤りを正していくことに勤めている。武士道における忠義の観念とは、滅私奉公でもなく、絶対服従を意味するものでもなくて、剛直の精神に貫かれた個人の自律性を包含したものであること、むしろ個人の自立性を欠いては忠義の精神と行動とは成り立ちえないものであったということ、この点を明らかにしていきたいと思っている。
二つ目には、徳川時代の武士の社会における能力主義的な組織改革の問題である。
徳川時代の武士社会は、身分制度の厳格な社会であったという通念は、右の忠義をめぐる観念以上に遙かに強固であるかに見える。所謂士農工商の身分差別も歴然としておれば、武士身分の中でも下級武士は、ごく少数の主君の恩寵などの僥倖に恵まれて出世した例外を別にするならば、一般的には生涯にわたって下級身分、下級役職の地位に甘んじて過ごさねばならないものであったというのが、今日でも常識としてまかり通っている。
精々のところ、幕末の違い危機を迎えて、それへの対応として能力主義的な人材抜擢が盛んに行われるようになり、その流れの中で明治維新と近代的な官僚制が形成されていくといった形の理解であろう。
これは次の三番目の問題と深くかかわる問題であるが、もし徳川時代の武士社会が封建制度的な身分秩序の縛られたままに推移していたとするならば、徳川時代は単に停滞の中で無為に二百六十年を過ごしていたことになるのであろう。
確かにこれまで、そのような封建的な隷属と地帯に負って描かれた徳川時代の歴史像が人々の間に受け入れられて来たかもしれないが、近年お歴史学の斉家は、徳川時代のこのような停滞イメージを打破して、徳川社会の中に見られた社会経済的な発展と、ペリー来航以前において既に引き起こされていた内発的な近代化の動向を各方面で明らかにしている。
三つ目には、日本の近代化達成に果たした武士の役割に関する問題である。
日本は東アジア世界に於いて十九世紀の中に近代化を達成した唯一の国である。のみならず全世界的規模で見渡してみても、非白人国で十九世紀のうちに近代化を達成した唯一の国なのである。何故に日本だけが急そうな近代化に成功したのであろうか。アジア以外の地域は言うまでもなく、アジアにおいてもインド、インドネシア、インドシナそして中国が、欧米列強の世界進出の中で独立を失い、併合され、植民地化の道を歩んでいるときに、日本だけがその趨勢に巻き込まれることなく、独立を堅持して急速な近代化を達成し得たのはなぜであろうか。
これは歴史学、政治額、経済学、社会学等々の学問分野において古くるから問いかけられてきた重要問題の一つである。そして日本の近代化の問題は、ただに日本の問題であるだけではなく、もし日本もまた他の諸国と同様に国家分裂と植民地化の途をたどっていたとしたならば、果たしてアジアにおいて近代化が生起するということはありえたのだろうか、という根本的な疑問を投げかけることによって、現代世界の全体に関わる文明論的問題となっているのである。
本書はこの問題をめぐる究明を課題の一つとしている。もとより書著が、このような巨大な問題に対して全面的に応うべくもないが、その重要な要因の一つに、前述の十八世紀に実現していた、武士社会における能力主義的な組織改革があることを明らかにしたいと思っている。
0 件のコメント:
コメントを投稿