「大口はたたいても悪口はいうな」の一項で、「陰口には怒るのが当然」へと続くものである。
《昔の武士のことばとして「武士として身を立てようとするものは、世間の大名方の噂と医者の噂をする時は悪口はいうものでない」と言い伝えられている。何故かといえば、ある大名の悪口をいった場合、その大名の家に、自分はともかくとして身近な親類の一人などが奉公するということもあり得ないことではない。そのような時、周囲の人の見る目として、「あのように悪口をいっていた家へ自分の身近なものが奉公に上がるというのに、それをやめさせもしないのはどういうわけか。筋が通らない」といった批判や軽蔑を受けずにはいられないからである。また、医者の悪口を言ってはならぬと言うのは、その医者に自分の家の者はかからぬにしても、親類や友人の中には、重い病気にかかってその医者の治療を受け、全快する者が出てこないとは限らない。その場合には、かつて自分が悪口をいった医者に対して、「此のたびは、あなたのお骨折りによって重い病人を治療していただき、我々もたいへんありがたく存じております」などと、厚く礼を言わねばならぬことも起こりうるのである。
このように、万事気をつけていさえすれば、物事に後悔するということも、さしてないはずであるが、一般にはそこをよく考えようとせず、何事もとっさの判断だけできめてしまう者が多い。思いつくままを口から出まかせに喋りまくって、口にすべきでない人の噂もかまわずいい立て、自分とは何の関係もない人の悪事をかぞえあげては非難嘲笑して、口が悪いことで有名になるなどというのは、結局のところ、武士道というものがわかっていないところから出てきた失敗である。》
「時宜辞儀に、節度を重んじ、放縦に振る舞うことを戒めた」のである。
《後悔する》ことのないよう《万事気をつけて》行動すること、《何事もとっさの判断だけできめてしまう》ことのないよう、《自分とは何の関係もない人》にも深謀遠慮するよう誡めた。
変法においては、思慮分別を差し挟んでは、後れを取ることになる。
《後悔する》ことのないよう《万事気をつけて》行動すること、《何事もとっさの判断だけできめてしまう》ことのないよう、《自分とは何の関係もない人》にも深謀遠慮するよう誡めた。
変法においては、思慮分別を差し挟んでは、後れを取ることになる。
《間髪を入れず》行動することが求められた。
しかし、常法の時においては、思慮分別する余裕がある。余裕を生かす深謀遠慮が求められる。
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