《その御本心とは何か。主君におかれても、このように家中の大小の侍に毎年の俸禄を下されることが大きな出費となっているのをご存じないわけではない。しかし、主君には、もともと戦乱に際してのお役目というものがあり、万一非常の事態が生じたときには、大将のお支度をなさり、出陣されるわけで、その際はお家柄相応の軍勢をおそろえにならねばならない。たとえば十万石の知行であればば騎馬武者百七十騎、弓足軽六十人、鉄砲足軽三百五十人、槍武者百五十人、そして大将の旗本と、これだけは公儀の定めによる軍役である。それ以上の人数については、その大将のご力量なり、お考えによって決められるのである。また、こうして既定の軍勢を引き連れて出陣された後、お城をあけておいて不慮の事態を招いてはならないから、お城を守り固める必要なだけの人数も確保しておかなければならない。
このように考えてみると、普段は家中に多くの人々がいるように思われても、いざそのような場合となると、第一に不足するのが人というものなのだ。
現在は太平の世であって、世間には数多くの浪人がいるから、もしもの時には、これを召し抱えればよいとの考えもあろう。なるほど、そうすれば人を集めることはできよう。
だが、身分の高下に拘わらず、人はなじみというものに大きく左右される。
もちろん、ひとかどの武士であれば、臨時に召し抱えられた者であっても役に立たぬということはないであろう、だが、数代、数年にわたって主君の御恩を受け、日頃のお情けを頂いて、それが骨身にしみ、一度はあっぱれな奉公を勤めて日ごろのご恩にお報いしなければ・・・と固く決意しているような武士でなければ、いざ一大事というときのお役にたつことはできないものである。
主君、大将と呼ばれる方々は、このようなお考えをもっておられるからこそ、平生はさして必要ないにもかかわらず、大身小身、数多くの侍を抱えておかれるのである。家中に多くいる先祖代々の侍の中には、話にならぬ不出来なもの、生まれながらに五体不具なもの、あるいはいくらか馬鹿のように思われるものがいても、すべて大目に見て、決まりどおりの俸禄を賜り、召し抱えておられる。一旦、非常の事態が起こった時には、家中一同が日ごろの主君のご恩とお家へのなじみによって、身命をかえりみぬ働きをしてお役にたつに違いないと、それだけを心強いことと思召しておられるために他ならない。
これが家中の侍たちに対する主君、大将のご本心というものである。》
「分相応」は、当然、主君、大将にも求められる。
そして〈分〉は〈なじみ〉によって大きく左右されるという。
武家社会が人間関係によって、支えられていたことを示すものである。
そして〈分〉は〈なじみ〉によって大きく左右されるという。
武家社会が人間関係によって、支えられていたことを示すものである。
主従関係も、同様に日頃の〈なじみ〉から生まれるのである。
〈以心伝心〉、主君、大将の本心を理解できなければ「分相応の働きはできない」という。
〈以心伝心〉、主君、大将の本心を理解できなければ「分相応の働きはできない」という。
〈なじむ〉とは、「馴染む」と表記する。ことバンクによれば、《①環境などになれて違和感をもたなくなる。なれて親しむ。 ②調和する。ひとつにとけあう。》とある。
〈馴れ〉〈染む(染まる)〉ことである。
〈馴れ〉とは、《言いつけにおとなしく従う》こと、「動物の如く、私心なく、飼い主に従う」意である。
〈染む〉には、《心にしみじみと感じる》という意がある。
つまり、〈なじむ〉とは、「私心なく、言いつけに従い、真意を体感・体得する」ことである。
これは《一意専心》《一心同体》を表すものとなり、有機的な行動ができることになる。
この有機的なつながりの中で、いわゆる〈勇気なるもの〉も誘起されるのである。
〈馴れ〉〈染む(染まる)〉ことである。
〈馴れ〉とは、《言いつけにおとなしく従う》こと、「動物の如く、私心なく、飼い主に従う」意である。
〈染む〉には、《心にしみじみと感じる》という意がある。
つまり、〈なじむ〉とは、「私心なく、言いつけに従い、真意を体感・体得する」ことである。
これは《一意専心》《一心同体》を表すものとなり、有機的な行動ができることになる。
この有機的なつながりの中で、いわゆる〈勇気なるもの〉も誘起されるのである。
戦場での働きは、「一気呵成に攻める」など、気合で決まる。また軍陣、隊形によってその戦力は大きく影響される。与えられた役割を遂行するには、一糸乱れぬ行動が不可欠である。それは、他人を知り、己を知ること、互いに気心を知り、家風になじむことによって達成されるのである。
「身分、職分、気分を与えられて自分になる」と謂われるが、気分は気を分かつこと、〈なじむ〉ことによって獲得するものなのである。家風・流儀に〈なじみ〉、武家を支える働きができるのである。
そのような行動は日頃から生活を共にし、呼吸を合わせることなしには達成できないのである。
これは、現代においても、当てはまる。
社風、職場風土になじみ、雰囲気を分かつ時、気心が知れ、協働が生まれるのである。
社風、職場風土になじみ、雰囲気を分かつ時、気心が知れ、協働が生まれるのである。
《平生往生》との謂いにも思い至る。
余録:
〈家来〉とという言葉がある。
ことバンクによれば、《「家礼」を呉音(ごおん)読みにした語。「家頼」とも書く。ただし「家来」「家頼」は中世以降の用字である。本来、家において親や長上に礼を尽くし、そのように他人を敬う意であった。また、公事(くじ)の作法を習うため摂家(せっけ)などに出入りする者を称したが、中世以降、これが主従関係に転じて、公家や武家の主君に臣従すること、またその者(家臣)をさすようになり、さらに、一般に従者や手下を汎称(はんしょう)する語ともなった。》とある。
余録:
〈家来〉とという言葉がある。
ことバンクによれば、《「家礼」を呉音(ごおん)読みにした語。「家頼」とも書く。ただし「家来」「家頼」は中世以降の用字である。本来、家において親や長上に礼を尽くし、そのように他人を敬う意であった。また、公事(くじ)の作法を習うため摂家(せっけ)などに出入りする者を称したが、中世以降、これが主従関係に転じて、公家や武家の主君に臣従すること、またその者(家臣)をさすようになり、さらに、一般に従者や手下を汎称(はんしょう)する語ともなった。》とある。
「家来」が用いられるようになったのは、武家社会の興隆(中世)以降である。
また、《《吾妻鏡》1180年(治承4)の記事に〈源氏の人々は家礼とするのも憚るべきなのに服仕の家人として取り扱うのは以ての外のことだ〉とある。》というように、家来の資格は、礼式を弁えることが条件であった。
また、《《吾妻鏡》1180年(治承4)の記事に〈源氏の人々は家礼とするのも憚るべきなのに服仕の家人として取り扱うのは以ての外のことだ〉とある。》というように、家来の資格は、礼式を弁えることが条件であった。
これは、〈家来〉の〈来〉が、〈仕来り〉を表すものと考えれば、〈家来〉とは《家の仕来りに殉ずるもの》ということになる。さらに推論すれば、〈イエ〉を立てるとは、仕来り、家風、流儀を盛り立てていくこととなる。要するに「生き方の提案・提示」であったのだ。
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