確かに、武士が生きた場を人間関係から捉えれば、その基本は主従関係であったけれども、いわゆる”主従のモラル”が武士の精神的生命のすべてではなかった。例えば、武士も一個の人間として死に対面していた。武士の死に対する姿勢は、彼らの主従のモラルを全く別個のものではないとしても、死の覚悟・死のいさぎよさが求められたのはただ主従関係の場に限られるものではなかった。少なくとも、主従関係の場において望ましい生き方として自覚された徳性は、他の人間関係の場にも、形を変えて、望ましいあり方として要請された。主従関係にとらわれることなく、関心を広く武士の生活全般にひらき、いかなる場に生きようとも、武士としてのあるべきあり方として常に要請されたもの、そして武士の身についたもの――今これを武士の道徳的気質と呼べば、このような武士の気質をこそここでは問題にしたい。このような武士気質は、また主従関係が崩潰しても、新しい生活の場に、より容易に受け継がれていく。場を異にしても受け継がれ、容易に解消しないもの、それだけ深く、武士を通して日本人の内面に沈殿したものをここでは問題としたい。
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