2014年11月4日火曜日

心得 第六十七 「決闘の心得」

武士ほど高くつくものはないの一項で、喧嘩口論は身を亡ぼす大不忠」から続くものである。

《しかしながら、家中の数多くの同僚の中には、気違い同然の馬鹿者もいる場合がある。こうした馬鹿者は、道理にもならぬことを言って、人がきかぬふりをし、相手にならないと、さては恐れているなと思い込み、ますますかさにかかって、様々な悪口を言い散らし、しまいには誰しもそのまま聞き捨てにすることができぬような雑言を言いかけてくることがあるものである。
これは武士として最大の不運、災難と言わねばならない。
万一、そのような成り行きとなってしまったならば、その雑言を受けながらも、きっぱりと決意を固め、できる限り気を落ち着け、その時と場所柄から判断して、その場で決着をつけるのは差しさわりがあると思えば、一旦宿所に帰って、公私ともに大切な用事などがあればそれぞれ始末をつけて、もはやこの世には心に残ることは何もないようにしておく。次に右の口論のいきさつを、その場に居合わせてよく事情を知っている同僚などを証人として、一通の書類に書き置くのである。
こうしておいて、機械を見て相手に挑み、従運な勝利を得て恨みを晴らしてから、直ちに自殺しようとも、あるいは検使をお招きして切腹を遂げようとも、それは各人お思いのままでよろしい。
この様にすれば、同僚たちも、まことに適切な態度と感心するであろうし、主君のお心にも、立派なやり方であったとお考えいただくことができよう。
こうして、不忠の罪のお詫びも、いくらかはできようというものである。
ところが、このような思慮にかけた若い連中は、その時の怒りに心を奪われて、馬鹿者といきなりぶつかって切り合いとなり、軽率至極な犬死同然の死に方をするものだが、これは右に述べたような、奉公する武士の身命は、既に主君に奉ったもので、我がものではないという認識が欠けているためというよりほかはない。よくよく心にとどめておくべきことである。》


唐突に、決闘の心得が説かれる。「恥知らずと呼ばれるよりは死を選んだ強烈な”恥”の意識、それは内面的な信念よりも世間の目に左右されがちな他人志向のもろさをもっていたにしても、封建の世を支える筋金となっていたことは否定できない。」と吉田氏は解説で指摘する。
理不尽に対しては、見栄を張ることで、筋を通したのである。見栄、それは日本人の美意識である。この美意識によって「節操が守られた」と謂われる。ただし、あくまでも武士の作法に従って・・・
・・・。

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