「秘境」、訪れてみたい憧れの地である。
しかし、そこに至るには、人跡未踏の山道を歩かなくてはゆけない。
そうした場所、それが秘境であった。今、日本にはそうした場所はない。
どんなところにも人の足跡が記されている。
どんな山奥にも立て札が「危険、これより先へは行けません」と制限を加えている。
最近では、人が訪れることの少ない場所を「秘境」と呼び、人寄せの代名詞となっている。
われわれは、そうしたところでも都会の喧噪を離れ、訪れてみたいと感じる。
そして、もう少し便利であれば行くことができるのにと思うのである。
又その一方で、その地を訪れた際には、周りに観光客が多いことを嘆く。
他人は排除したいのである。景勝の地を自分で独り占めにしたいのである。
そして、便利になったことによって、秘境が秘境でなくなったことを嘆くのである。
敢行が事業化され、事業が拡大すると秘境には多くの人が訪れるようになる。
需要が多くなれば、新たな道ができ、道が完備すればさらに多くの人が訪れる。
秘境が一大行楽地に早変わりするのである。
風景は何とか昔日の佇まいを保てているかも知れないが、
そこに集う人々の身体の、心の佇まいは如何なものか。
人を寄せ付けない秘境は、そこに至るまでに、人の佇まいを整えているのではないだろうか。
そのためには、歩まなければならない道があった。それが今は消えてしまっている。
日本にはそうしたやさしい自然が多く残されていた。アフリカのように、猛獣がいるわけではない。
そうした自然が温泉街、リゾート地として開発され、あるいはゴルフ場にと、
人工のアスファルトやコンクリートで固められ、道脈硬化(これは造語)していっている。
そして道にはクルマが溢れ、人が道の端を歩いている。
人の道が消えてゆき、クルマの道が優先されている。
かつて、山には多くの獣道があり、その間に人の道が出来上がってきた。
人が平地を占有し、その範囲が拡大するにつて、獣は山に追いやられ、獣道が消えていった。
今は、多くの高速道路、一般道路が完備され、日本中至る所に自由に行けることになった。
そしてクルマによって人は自由に移動することができるようになったことを喜んでいる。
そして、行きたいところには、どんな山奥でも、例えばアマゾンの密林の中でも、
道を造り、クルマを走らせる。
そして蜘蛛の巣のように道路網を作り上げ、常に移動を繰り返している。
何処に行こうとしているのか?
人の歩むべき道は何処にあるのだろうか?