2014年11月8日土曜日

心得 第七十 「士気を高める”一日限り”の覚悟」

奉公はその日限り、寸前は暗闇の一項で、「遅刻常習武士の生態」へと続くものである。
《主君を持つ武士が、僅かな暇もない毎日の厳しいご奉公を勤めるにあたって、第一に心得ておかなければならぬことがある
それは、決していつまでも勤めていられるものとは思わぬように、その日一日だけの奉公であると心に決めるべきだということである。
この無常の世界に生きる人間として、身分の如何に拘わらず、誰一人、明日のことを知っている者はおらぬ道理であり、主従の間についても、いつどのような不測の事態が起こるか予想もつかぬものなのである。
もし、何事もなければ何年でも続くものではあるが、その保証はないのだから、奉公は今日一日だけのことと覚悟して勤めるのが宜しい。
そうすれば、勤めに飽きることもなくなり、万事をいい加減にせぬようになり、すべてはその日のうちに・・・と思うため、仕事への意欲も増し、自然とものも忘れず、失敗することもなくなるものである。
ところが、いつまでも変わることなく奉公を続けられるものと思ていると、その為に仕事に飽きがきて、心もゆるみ、急がぬ用事はもとよりのこと、たとえテキパキと相談して始末をつけねばならぬ主君のご用向きまでも、それは明日にしておけ、これは今度やれば・・・などと投げ出しておく、また同僚同士で、あちらに回し、こちらへなすりつけるといった様子で、誰一人、責任を持て処理をする者もいない状態で、すべてがますます重なり、つかえて、不都合なことだらけという結果となる。こうしたことは、すべてあてにならぬ将来の月日をあてにして、武士の奉公は一日区切りという心掛けを知らぬところから生じた油断、欠陥といえよう。武士として最も警戒せねばならぬことである。》



「今」というときは、考えるものではない。「今」を考えた時、「今」はすでに過去のものになっている。「今」は生きるものである。「今、ここ」で生きることを説いているのだ
「生きる」とは、己を表すことである。つまり本分を発揮することである。
奉公する武士にとっては、その日その日の奉公を勤めることになる。
当てにしないで当たることである。当ての先延ばしをすると結局、後れを取ることになる。
先の項で論じられた〈臆病〉に通じるものである。
「いつか、どこかで、誰かが」を当てにするのではなく、「今、ここで、私が」と心に決め生きることを勧めている。
いわゆる《人事を尽くして天命を待つ》に通じることである。
聖書にも「明日のことを思い煩うな、今日のことは今日一日にて足れり」という。


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