2014年6月28日土曜日

心得 第五十七 「畳の上での勇気とは」

勇者、不勇者の鑑別法の一項で、「意志薄弱は憶病の証拠」へと続くものである。
《武士道を論ずるとき、最も重んじられているのが、忠、義、勇の三つの美徳である。この三つを一人で完全に兼ね備えている武士を、最高の侍というのである。
忠義勇の三字を続けて口で言うだけならば何の苦労もないが、この三つを心に刻み付け、身をもって実践し通すというのは極めて大変なことである。
従って、古来から百人、千人の武士の中にあっても、最高の侍というものはまれであるといわれているのである。
さて、忠節をつくす侍、義理を重んじる侍というものは、日ごろの行動を通じて判断がつくので、比較的、知られやすいということがいえる。それにひきかえ、勇気ある侍というのは、現代のような泰平安楽な時代には、ちょっと判別する機会がないのではあるまいかとの疑問もあるようだ。
しかしながら、そういうことはいっこうにない、よくわかるものである。
それというのは、武士の勇気というものは、甲冑を身に付け、鑓や長刀を手にして戦場に臨み、勝敗を争うときになって、はじめて発揮されるというものでは決してないからである。日頃の畳の上での勤めの中で、これは勇者、これは不勇者という見分けが、鏡に映すようにはっきりとできるものなのだ。


なぜならば、生まれつきの勇者とは、すべての善を積極的に行い、様々な悪をきっぱりと拒絶する者だからである。従って、主君や親に仕えても、人には真似のできぬような忠義、孝行をつくし、少しでも暇ができれば学問を学び、武芸を鍛錬し、贅沢を慎んで一銭の出費をも節約する。それでは吝嗇できたない根性かと思えばそうではなく、これは出さねばならぬものというときには、他人は出せそうにないほどの金銀を惜しげもなく出してしまう。主君から禁じられたことや親たちの嫌うことについては、どんなに行きたいところへも行かず、したいこともしないで、夫君や親の意向を大切にする。自分の健康をいつまでも保って、一度は大きな手柄を立て、お役にたちたいという執念を持っているから、摂生に心掛け、食べたいもの、飲みたいものもおさえ、人間として最大の迷いとされている色の道をも慎む。そのほか、すべてのことがらについて、困難や誘惑に負けぬ根性があるというのが、勇者である証拠である。》

武士に求められた忠、義、勇の三つの美徳を戦場ではなく、日常の生活の中で見分けることが出来るかということである。

友山は、はっきりと見分けがつくという。
《日頃の畳の上での勤めの中で、これは勇者、これは不勇者という見分けが、鏡に映すようにはっきりとできるものなのだ。》
「いつでも、どこでも、誰とでも」とユビキタスは接続可能性、代替サービスを謳って、擬装を可能にする。
武士道は「いつでも、どこでも、だれとでも、なんにでも」怯まず対等に渉り合う〈心〉、性根の潔さを求めた。
似て非なるものである。林子平は「断」と表現した。
生まれつきの勇者はまれである。武士道は恥を知ること、臆病を習うことによって身に付けた。

0 件のコメント:

コメントを投稿