2015年7月31日金曜日

心得 第九十一 「小心者でも歴史に名を残せる」

つねに功名手柄を志すことの一項で「死ぬときの苦痛は同じこと」へと続くものである。
《奉公する武士としての第一の心がけは、たとえ天下泰平の時代ではあっても、何かという時には主君の御為に、他の同僚たちの手には負えぬような仕事を成し遂げてお役にたちたいと、日頃から思案工夫を重ねることであり、これこそ武士本来の精神である。
ましてや非常の事態に臨んでは、神仏に誓いをかけても、この度の戦場においては敵味方の目を驚かせ、末代までも名誉を残すほどの大忠義の働きを遂げずには二度と故郷へは帰るまいとの決意を固めて、武勇に励む覚悟は当然のことである。
この場合、武士としては、つねに古い戦記などを広げて、わが身の覚悟を新たにすることが望ましい。たとえば、世間の人々がもてはやす『甲陽軍鑑』『信長記』『太閤記』などという書物には、その時代の合戦のいきさつが記されているが、その中に、たとへ小身の武士であっても際立った名誉の働きを遂げた者については、なんのだれそれと姓名が記されており、それ以外のものは、ただ討死何千、何百などと記録されている。この何千何百といううちには大身の武士がいくらもあるのだが、格別のお働きもなかったため、その名前までは記録されず、一方、たとえ小身ではあっても、武勇にすぐれた働きの武士については、姓名を書き記してあるのである


『儚くも 一期一会の世の中で家を立てんと、一所懸命』
が武士の生き方であった。
立身出世、名誉の戦死、それを覚悟して生きる。大身・小身の別なく、名誉の働きをした者の名は、書き記され、末代まで名を残すのである。
死線を越えて義を貫く武士にとって、大事なのは、形あるものではなく、その働きである。その証拠として名誉、名を残すことを誉とし、汚名は恥とし、注ぐことに一生懸けたのである。

ここで注意したいことは、次の様に記されていることである。
ましてや非常の事態に臨んでは、神仏に誓いをかけても、この度の戦場においては敵味方の目を驚かせ、末代までも名誉を残すほどの大忠義の働きを遂げずには二度と故郷へは帰るまいとの決意を固めて、武勇に励む覚悟は当然のことである》
「敵味方の目」と、内面評価だけでなく、外面評価の目線があるということ、それが公正であった。
このことは何を意味するのか? 「天の目線」を常に意識していたと思われる。
栄枯盛衰、勝敗は時の運である。敵味方に分かれ戦うのも運命である。正々堂々とした生き方を基本とした武士道は、天に恥じないこと、天の目によって最終的に評価されるものであった。

心得 第九十 「歯をくいしばって倹約を」

減俸されても苦情はいうなの一項で「主君のご難儀はわが難儀」から続くものである。
《このような大事な事態から考えても、主君におかれては、前もってこうした場合を予期されて藩の財政を立て直され、人馬、武具馬具などのご用意はもちろん、その他のご費用についても、さしてご苦労なさらぬようになさるのが、武将として当然至極のお心がけといえよう。そうであれば、家中の大小の武士たちに給わる俸禄の切符の中から、分に相応の額を差し上げたいと考えるのは、新参古参を問わず、およそ主君のご恩をお受けした武士としては決まりきったことである。
したがって、俸禄の額が減っている間は、できる限り節約に努め、主君の仰せ次第で養う人馬をも減らし、わが身や妻子は冬は紙や木綿の衣服、夏は麻の帷子を着て、朝夕の食事は玄米飯に糠味噌汁と覚悟を決め、自ら水をくみ、薪を割り、妻子に炊事をさせて、力の及ぶ限りの苦労をしても、主君のお家の財政を何とか立て直そうと決意するというのが武士としての本心といえよう。
もし、何かの事情があって永のお暇を戴き、浪人の身になりたいと考えていた場合にも、家中の俸禄が削減されている間はそのことを思いとどめ、やがて元通りの俸禄をお返しいただけるようになってから、お暇を願うというのが正しい道である。
また、このように俸禄をお貸しして苦労している期間においても、時と場合によっては、主君のご用を勤めるための費用を必要とすることがないともいえない。そうした場合には、自分の差替えの刀や女房の手箱を質に入れてでも、何とかして必要なだけの金子をつくり、お上から拝借するなどのことは決してこちらからお願いすべきではない。
なぜならば、たとえ主君のお耳には入らぬまでも、番頭、組頭、家老、年寄といった人々から見て、俸禄が削られたことを恨みに思って主君に対し奉り、武士らしくもないねだり事をしているなどと思われ、軽蔑されることとなっては、二度とまともな口はきけなくなるから、武士として、そのようなことは慎むべきである。》


心得 第八十九 「主君のご難儀はわが難儀」

減俸されても苦情はいうなの一項で「歯をくいしばって倹約を」へと続くものである。
《奉公を勤める武士として、ご奉公する主君におかれて、何か大きな出費が重なり、藩の経営が行き詰って、どうにもならぬ状態となったために、日頃家中の者に給わる俸禄の切符のうち、いくらかずつを何か年かにわたって借り上げられるというのも、あり得ることである。このような場合には、その額の多少にかかわらず、謹んでお引き受けすることはもちろん、他人はもとより女房子供との雑談の中ででも、「これはひどいことになった。迷惑な次第・・・」などと、たとえことばの端にでも出すのは、武士の道に外れたこととして恥じつつしむということが大切である。
なぜならば、昔から今に至るまで、主君が難儀をされれば、家来たちが寄り集まってお助けし、家来が難儀の時には、主君のお力によって救って下さるというのが、武家における掟である。

まして、ご奉公申し上げる主君のお手元が行き詰ってお困りとあっては、公のご用にも差支え、大名の身として当然なさるべきことまでも取りやめられ、万事を辛抱なさって、ご大身というのは名ばかりのお暮らし向きとなっているのを拝見しては、家来の身として、お気の毒とも口悔しいとも思わずにはいられまい。
もっとも平時の場合は、そうした状態でも何とかなっていくものである。ところが、一旦、世の中に思わぬ騒動が起こるなど非常の場合となった時には、日頃定められている軍勢をとりそろえ、近くかの地へ出発せよとの公儀のご指示があり、いざ、その支度ということになると、まず必要なものは金銀である。
では、その工面ということになっても、日頃出入りしていた町人どもには、すでに何度もの無心をしては放っておいて、ひどい目に合わせているので、役人たちが何を言っても承知しない。また世の中が騒がしい折には、担保を取って金を貸す町人とてもいないから、まるで大石に手を挟まれたように、にっちもさっちもいかぬ有様である。そうしているうちにも、わがお家と同格の諸大名方におかれては、すでに用意もととのって、来る何日には必ず出発と、約束の時日も決まった。こうなっては、普段の時とは違って日取りを動かすわけにもいかず、不足だらけの支度ながらも出陣しないわけにはいかない。
泰平の世にあっては、出陣の有様は珍しい見物とあって、人々は市中の家々を借り切り、野山までも満ち溢れて貴賤入り混じって眺める中を、軍勢をそろえての出発とは実に晴れがましいことながら、家中の人馬の様子はどの部隊に比べても見苦しいとあっては、主君の御身にとって一生を通じ、これほどのご恥辱はないであろう。


身分にふさわしい格好というものがある。それが世間の常識である。それから外れることは分を弁えない、無礼な、恥ずべき行為となった。
そのような恥辱を主君が蒙ることのないように奉公するのが武士の勤めである。

心得 第八十八 「悪いやつほど大きい顔」

禄盗人の罪は重いの一項で「盗人にも三分の理」から続くものである。
その理由を述べよう。世間の盗人というものは人の物を取れば深くそれを隠し置く。また、たいていは見ず知らずの人の巾着や紙入れを盗むものである。それにひきかえ、武士の盗人とは、御恩を受けていいる主君の物を盗み取って平気でおり、身分不相応の贅沢をして勝手放題なことをするものであり、同役同僚たちを、目なし、耳なしの馬鹿者扱いにするばかりか、つまりはご主人までをも馬鹿にしている道理である。だからこそ、世間にはびこる盗人に比べて十倍もの罪人だというのだ。
ところが、このような不届き者にかぎって、悪智恵が発達しているものだから、主君に対しては気のきいたご奉公をして、そのお気に入りの家老や重臣の中から欲の深いものを一人見つけ出して鼻薬をかがせ、誰にも気づかれぬようにその者の歓心を買って自分の後ろ楯とし、その権力をかさに着て公式の決裁の場でも同僚には口もきかさない。自分の職分について自覚することもなく、何事につけても出しゃばって、自分よりほかに人はいないかのような口をきいて、ややもすれば、依怙贔屓の沙汰を行う。同僚の人々からは、まことに傍若無人の態度と見限られながらも、現在、その者の羽振りがよく、また有力な後ろ楯があることを恐れ、また自分たちにもこれに逆らうほどの力量がないため、誰一人として進み出て批判をする者とてもない。このため、後には一同の指導者のような立場となってしまい、人々はみなこの者に口を合わせるようになり、そのままの状態が続いてしまうので、それ以外の同僚たちは、あたかも有名無実の有様となり、国の政治についても大きな支障が生じてくるのである。
足利将軍家の時代に、京都所司代職に選ばれていた多賀豊後守という人は、土佐将監という絵師に命じて、かつて自分が新左衛門と名乗って江州佐々木家の平侍を勤めていたころの姿を絵に画かせ、これを居間の床に掲げて自らの戒めとし、役人たちと語り合う時にも、人は幸運な境界にある時ほど卑賤の昔を忘れぬことが大切であるとつねにいっていたとのことである。


世間の盗人と違い、士農工商の最上位にある武士の盗人の罪は十倍深いものになるという。
《武士の盗人とは、御恩を受けていいる主君の物を盗み取って平気でおり、身分不相応の贅沢をして勝手放題なことをするものであり、同役同僚たちを、目なし、耳なしの馬鹿者扱いにするばかりか、つまりはご主人までをも馬鹿にしている道理である。だからこそ、世間にはびこる盗人に比べて十倍もの罪人だというのだ。》
その理由は、武士が盗むのは、家の物であり、それは主命、主恩に反する「イエ」制度、そのものを破壊する行為となるからだ。
世間の盗人は人目を憚るが、禄盗人は分を弁えず、領分を拡大し、大きな顔をするようになる。
それは武士道に反する大罪であるが、避けがたいものである。好事魔多しである。
人は幸運な境界にある時ほど卑賤の昔を忘れぬことが大切である》と戒め、昔の武人の例を挙げ、賞賛している。

2015年7月30日木曜日

心得 第八十七 「盗人にも三分の理」

禄盗人の罪は重いの一項で「悪いやつほど大きい顔」へと続くものである。
世間にはびこる盗人というものは、人の家の家尻(家の裏の戸や壁)を切り取って中へ侵入し、あるいは人の腰にさげている巾着を切り取り、そのほかさまざまな盗みをして、それを仕事としているのであるから、不道徳なことの上ない存在といえよう。しかしながら、古人の言葉にも「恒産なければ恒心なし」(人として安定した資産がなければ、安定した思慮を持つことはできない)といわれているように、その日の生活に窮してどうすることもできず、心の弱いために「たとえ人の物を盗んででも、さしあたりの飢えと寒さをしのがなけれはならない。もしも見つけられて首を切られようともやむをえない」と覚悟を決めて盗みをするというのであれば、それは不届きなこととは言いながら、いくらかはもっとものことのように思われる。
人間の貧富貴賤というものは、すべて天命であり、これに苦しむことはない、正しくない手段で富を求めることをせず、たとえ飢えと凍えのために直ちに死のうとも、何とも思わないなどということは、口では言うものの、実際には武士以上の身分の者であってもそうそうできることではない。それであるから、盗人の仕業についても、少しはもっともだというのである。
ところで、主君を持って奉公する武士については、大身の者は言うまでもないが、たとえ小身者であろうとも、苗字を持ち、刀を差しているからには、ただの庶民とは言えない。また奉公人というからには、それ相当の俸禄をも頂いているのだから、「恒産なし」ということもできない。そうであるならば、主君のご判断によって会計出納のお役をお受けするような場合にも、少しも私欲を考えることなく、ただひたすら主君の御為になるようにと心がけ、真っ正直に勤めることが武士の正しい道である。ところが、ややもすれば、役目を利用して私欲を満たす悪事を働き、手を変え品を変えては主人の物をかすめ取って自分の手元へ持ち込む工夫を重ねる。しかも自分一人の考えだけでは自由にならないために、部下の秘書役などをはじめ、家来たちにも盗みを働かせるのである。こうして部下の批判、同僚たちの軽蔑にも恥じる心もなく、身分不相応な家の普請や道具集め、ご馳走道楽などに耽り、召使も数多く抱えて、自分と同じ身分の同僚たちにはできぬような生活をするなどは、右に述べた盗人などよりも十倍も劣った大悪人である。


「恒産なければ恒心なし」と言われるように、「人として安定した資産がなければ、安定した思慮を持つことはできない」から止むを得ず、道から外れることはあり得る。だから「覚悟を決めて盗みをする」というのは、私欲に駆られ、悪事を働くだけでなく、他人まで巻き込んで徒党を組んで盗みを働かせ、分にすぎる暮らしをする大悪人に比べれば、三分の利があるというのである。
人間の貧富貴賤というものは、すべて天命であり、自分の裁量で左右することはできない。
「正しくない手段で富を求めることをせず」と口でいうことは易いが、武士以上の者でも中々できないことなのである。それほど当時の士分の暮らしは貧しいものであった。
《身分不相応な家の普請や道具集め、ご馳走道楽などに耽り、召使も数多く抱えて》贅沢な生活をしないように戒めているのである。
「耐乏により待望を遂げる」のが武士の習い、活路となった。
「臥薪嘗胆」の気を養ったと考えられる。

心得 第八十六 「御奉公をおろそかにする妻子狂い」

小身者は妻子を持つべからずの一項である。
緊急の場合に、自分の槍を担がせて出ていく中間の一人をも召し抱える余力のないような小身の武士が、そのような状態で妻子を養うことは大きな考え違いと知るべきである。
多くの親類、友人の中にはいろいろなものもいて「人間には病気ということもあり、洗濯や勝手の仕事もある。第一、子孫を残すためにも・・・」などと、言葉巧みに進めるのをなるほどと思って、将来のことも考えずに人の娘を貰い受け、妻と定めて家に置いておけば、なるほどその当座は朝夕の支度も安心で、普段の用事も片づいて喜んでいるうちに、間もなく小さい子供たちが何人も生まれては、そのたびごとに出費がかさみ、やがて家計に穴をあけ、たった一人だけ召し抱えていた中間にも暇を出して子守女と取り替え、留守番をする男さえおらぬ始末となって、妻子が病気にでもなれば看病を理由に勤めを休んで大切なご奉公を怠り、家計はますます逼迫して、にっちもさっきもゆかず、同じような身分の同僚の真似も出来ぬようになってしまうが、それも自分の好みで不必要な妻子をもったことから起こった苦労にほかならない。ところが、その原因を考えもせず、主君の責任ででもあるかのようにお恨みし、不満を持つというのが十人のうち九人までで、世間によく見るところである。
ここのところを十分に考えて、小身の武士としては、年齢も若く気力も盛んなうちには、昼夜の別なくひたすら奉公の勤めに精を出し、主君の思し召しによって、それ相当の出世も遂げ、もうこれならば妻子を持っても養育に事欠くことはあるまいという判断をつけてから、子孫相続のことについて考えればよろしいのである。

将来の見通し、判断を付けてからことに対処せよという戒めである。
《小心者は妻子を持つべからず》とは、「人権無視である」と当世では聞える。「イエ」社会の近世においては妥当な言い分であった。それは次のように考えるからである。
小身であろうと大身であろうと奉公を第一として考えるのが武士である。
それを《将来のことも考えず》、《朝夕の支度も安心》と当座の都合だけを考え、《自分の好みで不必要な妻子をもったことから》、本来の備えができなくなるというのは恥である。
先述した様に「修身斉家治国平天下」が「イエ」社会における武士道の精神の基底にあった。
奉公し、家を立てることを第一とし、立身出世することで我が身を立てたのである。
さらに言えば、《主君の思し召しによって、それ相当の出世も遂げ》とあるように、主君の配慮により、相応の場が用意されるというのである。
主の思量により、「イエ」を中心に秩序が保たれている。だから自分の子孫相続のことについては、《もうこれならば妻子を持っても養育に事欠くことはあるまいという判断》、つまり「余裕ができてから考えろ」というのである。

心得 第八十五 「こらえ性のないのは憶病の証拠」

長生きも忠義のうちの一項である。
《武士として身を立てようとする者は、大身の者はもとより、たとえ小身の武士あっても、一日でも長生きをし、その身を全うして時節を待ち、いつかは立身出世を遂げて先祖から受け継いだ家を起こし、わが身の誉れを長く子孫に伝えたいと願うのが本来の念願である。まして主君に奉公してその深い御恩を受け、わが身はもとより妻子から召使までも養っていただいている者としては、自分の一身をいつかは主君のお役に立てずにはおかぬという決意を固めているようでなければ、真の武士の志ということはできない。
そうであるならば、自分の体をまず大切にすることを考えるべきである。大食、大酒、淫乱といった不摂生も、若いうちにはそれほど影響があるとも思えぬものだが、やがては、その為に脾臓や胃を痛め、貧血、内臓障害といった病気にかかって若死を遂げる連中が世間にはいくらもいるものだ。その点に気を配って、まだ年齢も若く血気盛んで、無病息災の間から保健衛生に心をかけて、大食、大酒、淫乱などをつつしむならば、七十、八十歳までも長生きをして手足も達者、壮年の者と比べても、さしてひけをとらぬようになれるのである。ところが、そのような配慮もせずに不養生を重ねる者は、四十、五十前後の寿命をようやく保つ程度で、たまにはそれ以上に生き延びても、どうにもならぬ病人となって、生きている甲斐もないという始末となる
とりわけ五十歳以上の年齢ともなれば、益々心身の健康に注意し、飲食物を自制し、もちろん色欲については大いにこれをつつしまなければならないものであるのに、まったく話にならぬほどの無分別、この上ない不始末というほかはない。これはすべて武士道の心がけが弱く、主君に奉公して忠義を尽くそうとする意志が不明確なところから生じた過ちというべきである。その本質を突きつめてみると、結局は、物事をこらえるという意志が薄弱なのである。こらえる気持ちが弱いといえば、いくらかましに聞こえるが、つまりは、臆病者の根性というべきものであって、最も警戒すべきことなのである。

「恩と奉公」で結ばれる「イエ」制度において、真の武士の志は《自分の一身をいつかは主君のお役に立てずにはおかぬという決意を固めている》ものである。だから、養生し、保健衛生に努めれば、七十、八十までも壮年のものと同じように活躍できるという。
不養生は、無分別でこの上ない不始末であるという。それは義を尽くすという意志が不明確であるから起こることで、「その本質は臆病という最も警戒すべきことにある」という。
つまり、武士の精神としての元気が欠けると身体も壊れるということであろうか。
今日、我々は、健全な生活を保障するために保険を掛けるが、保健に欠けることにならないことを祈る。

2015年7月29日水曜日

心得 第八十四 「人事への不当な介入を許すな」

下っぱのときの心を忘れるなの一項で、「使う身、使われる身の相違」から続くものである。
《こうした場合、自分の組の部下の中で、取り立ててすぐれた人柄でもなく、また奉公の勤め振りもどうということはないが、お家の家老、年寄、重臣といった人の親類であったり、特別な人間関係があったりするために、裏からそのものを取り立てるようにしてほしいとの働きかけが行われることがあるものだ。そうした際の返答としては、「主君の御意によって指名されるというのならばとにかく、それ以外の縁故関係によって、組の中で検討した以外の者を昇進させることは決してできません。番頭の身として、組の運営に依怙贔屓があってはならぬということは、お上からの堅い御指示であります。それにもかかわらず、あなたのご意向に従うことは、お家の大法に背き、極めて不明朗なやり方となってしまいます。しかも、この者一人のために、私の部下の侍たちの士気を傷つけ、ひいては主君のおんためにもならぬ結果となりましょう。他の組のことはいざ知らず、自分の組においては、組頭の人々と相談したうえで、一人一人の素質と勤務ぶりの二つを十分に検討して、ふさわしいものを選び出し、推薦申し上げるだけでありますので、そのようにご承知ください」と、たとえ相手が誰であろうとも、きっぱりと言い切って拒否することが、士大将や番頭を勤める武士にふさわしい態度である。
これに反して、そうした言葉を一言も言うことができず、相手の言いなりになって事を処理し、自分の部下の者たちからも見放されるようでは、まことにだらしのない始末で、非常な醜悪といわねばならない。
これもすべて、小身の時の気持ちを忘れ果てて、自分が幸運になればなるほど、出世欲を起こし、上にへつらう心情になりさがったためというよりほかはない。もっとも、いやとは言えぬような相手の指図に逆らって、筋道の立った返答をしたために悪い結果を招き、自分の身の上に障害が出るような場合には、どうしたらよいであろうか。もし、たとえ鼻が曲がろうとも、息さえできればそれで結構というのならば、それはその人の気持ち次第であって、今更議論をしても始まるまい。


初心を忘れ、奉公の身であることを忘れると、公正であるべき人事が人に阿ること、媚びる、諂うことによって曲げられる事を戒めている。
阿る、諂う、媚びるというのは適応するのではなく、順応する姿勢である。適切に対応するのではなく、従順に対応するから、諂いや媚びる態度が生まれる。自分の志がないのである。
これは、いわゆる変説である。人は、「経験に学ぶことによって成長する」とは今日の謂いである。我々は状況によって、人間関係が変わり、考え方を変えることを当然とする。
しかし、目的を明確にし、主旨を貫徹することは今日も変わりないことである。
仕来りを慣習・制度として、家の格式を高めるこれが武士の勤めである。出世することは働き処を得ることであり、武士の誉れであるが、「出世欲」に駆られて、公正さを欠いてはいけないという。
変説は、変節による。それは「貪欲」や「臆病」によっておこるものであり、節操を正すことによって避けることは先の章で既に述べられている。
吉田氏は【解説】で、次のように謂う。
組織体の中に身を置くものとして、地位の昇進が最大の関心事となることは昔も今も変わるまい。身分制度が厳しければ厳しいほど、地位への執着は強烈なものとなる。何の権限もないヒラの時代の理想主義的な正義感が、昇進と共に磨滅していって、かつては自分が軽蔑し反発していた上司と同じように変身していく道程は、よく見受けるところである。

2015年7月28日火曜日

心得 第八十三 「使う身、使われる身の相違」

下っぱのときの心を忘れるなの一項で、「人事への不当な介入を許すな」へと続くものである。
《番頭、支配頭の下で奉公している小身の武士は、上司の人々の心掛け、部下の使い方などについて、自分の日頃の経験からよく判断ができるものであり、もしも我々が立身出世をとげて組を預かるような身分になったならば、部下の者たちをいたわり、なつかせて主君のお役にたつようにしたいものだと考えているものだ。そうした場合には、依怙贔屓などということは絶対にすべきではないと考えるに違いない。
しかしながら、自分がだんだんに出世して、番頭、支配頭といった重い役目につくようになると、かつて人の部下として勤めていたころの心がけとは変わってきて、部下をいたわり、なつかせて主君のお役に立てたいなどという気持ちはなくなってしまうものである
もし幸運にも、主君のお気に入ってお取り立てを頂き、どれほど立派な地位に昇ろうとも、小身の時のことを少しも忘れることなく、人間の幸福とは得難く、失いやすいものだという謙虚な心を持ち続けるならば、自然と物事をいい加減にしないようになる。そのようであれば、我身に災いを招くこともあり得ない。
ところが十人のうち九人までが、自分に運が向いてくると、それにつれて高慢な心になってくるというのが古今の人情の常である。
織田家の佐久間(盛政)、羽柴家の魚住(景固)といった人々は、小身の時代には大変優れた武士であったのだが、大身となってからは考え違いをして、主君から見放され、家を滅ぼしてしまったものである。このようなことは、奉公している小身の武士として心すべき先例である。
小身の武士が、人の部下として奉公していううちに、同僚の中で転勤となる武士があった場合、その武士が役目の上での貢献も少なく、また素質といっても別にすぐれていないにもかかわらず、他の先輩を飛び越えて意外な栄転を遂げたとすれば、それは上司である番頭、組頭の検討が不十分だったためか、または依怙贔屓が行われたのであろうと、人々が内内に非難するのも当たり前である。
もし、わが身が立身出世して、番頭、組頭の役に付くようになったならば、このような点を忘れることなく、部下の人々の人柄の善悪、奉公の年功などに十分に注意して、かりそめにも依怙贔屓の心を起こすことなく公正妥当な組の運営を行うというのが武士の正しい姿である。》


《部下の者たちをいたわり、なつかせて主君のお役にたつようにしたいものだと考えているものだ。そうした場合には、依怙贔屓などということは絶対にすべきではないと考えるに違いない。》
という。当然のことである。当たり前のことを説いているように思えるが、限定合理的、自己中心的な考え方に傾くのは人間の性であろうか。きつく戒めている。
小身から大身になるし従い、衆目の集まる処となる。見るもの感じるものも異なってくる。その状況に惑わされ、本来を失うことの内容に戒めているのだ。
武士道精神は「修身斉家治国平天下」で貫かれている。最終目的は治国平天下にある。
奉公とは、私心を働かせないことである。常に公に奉ずることを旨として励めというのである。
要するに、公僕となれというのである。成りきれるだろうか。非常に難しいことである。
例えば、世上では、「電力の温暖化対策、つばぜり合い激しく 経産省と環境省」が伝えられている。そこには、上述で懸念された「依怙贔屓」や「我田引水」が横行し、自論に固執した縄張り争いに終始している姿が映る。
今日、我々が成すべきは、「自立」もさることながら、「公」の確立が喫緊の課題である。
「公共」を図ることである。公を共有すること、それは、一つには「国柄」を考えることである。しかしどこまでを国として捉えるべきか?今日、「国柄」に対する話題に欠けるのは、安保次第で国柄が左右される、「国柄」を考えることの虚しさを先取りしている帰結?

2015年7月27日月曜日

心得 第八十二 「中途半端な助言は大害あり」

安請け合いは身を滅ぼすの一項で、「引き受けたことには最後まで責任を」から続くものである。
《また人に対して自分の考えを述べ、または批判を加えるといったことも、親切心から起こることであって、好ましいように思われるが、これについても、よくよく考えることが必要である。なぜならば、親、師匠、兄、叔父といった立場の者が、子供、弟子、弟、甥などに対してのことならば、どのような批判や意見を述べようとも差し支えはないのが、その場合にしても、武士の口からものを言うことには慎重な配慮がなくてはならない
ましてや、友人同僚などに対して批判がましいことを言うのは、極めて重大なことだと自覚することが必要である。
ただし、親類他人に拘わらず、日頃から親密な関係にあるものが、何か判断のつかぬことができて、このことはどうしたらよかろうか・・・などと打ち明けて相談を持ちかけてきたときには、自分にもさっぱり判断がつかぬと、最初から相談に乗らなかったのならばとにかく、一旦、相談相手となったからには、たとえ相手の考えと違っていて喜ばれぬようなことであっても、少しも遠慮することなく、道理に基づいて自分の判断のすべてを残らずのべるというのが、武士としてもっとも頼もしい気性のあらわれである。
是に反して、このように行ったら感情を傷つけはしないか、気分を害しはしないかといった、つまらぬ遠慮をして、行き当たりばったりの意見を述べ、その人に言うべきでないことを言わせ、又は物事を失敗させたりして、人々から非難嘲笑されるような目に合わせるようであっては、人の相談相手になる資格もない。これは結局のところ、頼りにならぬ弱々し性格から生じた失敗である。
およそ、自分を男と見込んで相談を持ち込んで来られたからには、正しい道理に照らして相談に応ずるべきである。そうではなしに、自分の気分次第の意見を述べて、物事を失敗させるような思慮のない者とは、もはや親密に付き合うべきではないというのも当然のことである。
すでに相談に応じていながら、相手の気持ちに気を使って、物事の道理に背き、筋に外れたことまでも、それはもっとも、そのとおりなどというのは、武士の本道を外れたものである。そのうえ、あとになってから、これについては誰それも相談に乗っているなどと、人々の評判にもなるということも考えておく必要があろう。》


親切心から忠告や助言をすることも控えた方がいいという。
いずれも武士の口から出ることであるから、失言は許されないのだ。
しかしながら、止むを得ず,相談相手となった上では、道理に基づいて自分の判断のすべてを述べることが信頼に応えることになる。《自分を男と見込んで相談を持ち込んで来られた》のであるから応分の働きを以て応えるのが本筋であるというのだ。
要すれば、武士は、本分に一意専心せよという事である。
余念を捨て、余計なことはせず、余裕をもって武士道に励めという事である。

ここで、〈要領〉という事について考えてみたい。
「要領を得る」とは、ことバンクによれば、《どこが大事かどんな筋道かがはっきりしている》こととなる。これは「自分が管理すべき範囲とその方法を知っている」という事になる。
特に武士にとって領地を安堵されることが誉であり、安堵された領地を首尾よく管理することが最重要課題である。「ようりょう」は、「容量」「用量」とも表記される。安堵された土地を開墾し、その容量を拡大し、器量を高めれば、自ずとそこから産出される用量は定まってくることになる。容量を超えた、用量を期待することは分を過ぎたことになる。器量を磨き、容量を貯え、用量に合わせた配分をする。それが要領を得た振る舞いであり、応分の働きをすることになる。
このようなまとめは如何か?
1980年代、要領を得た熟練技能はエキスパートシステムとしてシステム化された。今日の人工知能ブームも、高度化、複雑化したシステムを要領よく機能させることが難しくなり、「要領を得る」ことはシステム化され、機構化された。容量を得ることがAI無しでは不可能であることの現われである。システム、機構によって「要領を得る」ことが代替された。
問題は、「要領を得る」という経験によって我々は分を弁え、「自覚」「覚悟」することができたのである。その経験がなくなった時、何を代替物として、採り入れる必要があるのだろうか?
「要領を得る」という経験を具象化し、なぞり、掘り起こすことが自立の上で重要なことではないだろうか。それは素養を磨くことになる。
我々はその制御だけをただ単に数個のボタンを押すだけで可能にする

2015年7月26日日曜日

心得 第八十一 「引き受けたことには最後まで責任を」

安請け合いは身を滅ぼすの一項で、「中途半端な助言は大害あり」へと続くものである。
《武士においては、人から大いに頼りにされる気性の持ち主であるということは武士道の精神にも合致し、たいへんに結構なことである。しかしながら、意味もなく物事を受け合い、できもせぬことにまで手を出し、自分が苦労する必要のないことまでも背負いこむような者は出しゃばりものとか、ちょっかい好きとか呼ばれて、非常によくないものである。若い人々はこのところを注意するがよい。
このことは、少し手を出してもよいと思うほどのことであっても、人からぜひといって頼まれたのでないかぎり、構うことはないのである。なぜならば、細かなことは言うまでもないが、たとえ、どんなに困難な事柄であろうとも、武士の身として、頼む、頼まれると言い交したからには、自分が責任を取って苦労をし、心配していかなければならない。ことの成り行きによっては、主君や親兄弟のためにさえ簡単には捨てられぬ一命をも、その問題に関係してしまったためにやむなく棄てねばならぬという場合さえあるのだ。それであるから、意味もない安請け合いは無用だというのである。
昔の武士においては、人にものを頼まれたときには、これはできることか、できぬことかという点を検討して、これはできることではないと考えたことは最初から引き受けない。また、これは可能なことと判断した場合でもその実行の方法についての筋道をよく考えた後で、そのことをきっぱりと引き受けたものであるから、引き受けるほどのことについては、だいたいにおいて成功し、計画が狂うようなことはあまりなかったものである。それであるから、人々からもよく解決したとほめられたのであった。
ところが、そのような思慮もなしに、人から頼まれさえすれば簡単に引き受け、計画が外れても、それを何とも思わぬような態度でいるならば、何もできぬやつといわれても仕方があるまい。


頼りにされることは結構であるが、分を越えた振る舞いをするなと戒めている。
できないことを約束すれば、結局裏切ることになる。それは武士道が最も嫌うものである。
だから一旦約束をしたならば命を賭してそれを果たすことでなければならないというのである。
武士道は「修身斉家治国平天下」を精神の支柱とした。
小事に感け大事を怠ることのないように戒めている。
武士の働きは本来変の時にある。従って常の時には、無用となり、暇が多くなるのである。常にその備えをするのが本筋であるが、飽き足らなくなる。
それを単に頼りにされるからといい気になって、約束などをすると、突然のお家の大事に遅れることにもなる。要するに忙殺されることになるのである。
過分な約束は、違うことが必定であるから、するなということである。
分を弁える。覚悟することによって、自分を弁えれば、安請け合いはしないということであろう。

心得 第八十 「悪政と腐敗を告発する」

経理、財務のお役は敬遠せよの一項で、「国を危うくする「聚斂の臣」」から続くものである。
《もっとも、孔子の居られた時代にあっては、聚斂の臣と盜臣とは別々の存在であった。それだからこそ、聚斂の臣よりは盜臣・・・という御意見も出たのである。
ところが近頃になると、聚斂の臣として下々の人々が難儀迷惑するようなことばかりを工夫するかと思えば、一方では盜臣の行為をも行い、自分のお役の威光によって人々から重んじられるのを良いことに、さまざまな策略をめぐらして、何としてでも自分の手元に人のものをかき集めることを第一に考えて、身分不相応なぜいたくな暮らしをした上に、人には貯えることのできない金銀までもたくさんにためこんでいる。これは外でもない、表面では主君の御為につくすふりをしながら、実際には自分の自由になるようにと、さまざまな手段を弄してつくりあげた不義の富というものである。
これを名付けて聚斂、盜臣の二つを合わせた大賊と呼ぶのである。

この様な大罪人に対しては、どのような思い刑罰をもってのぞめばよいものか、判断に苦しむほどである。
以上のことを考えるならば、武士たる者は、たとえ神仏の御力にすがってなりとも、主君の御勝手向きのお役は仰せ付けられることがないようにと願うのが正しい道である。
ところが、もしそおにょうな役目の部署が空席にでもなっていれば、一度、勤めてみたいなどという気持ちを起こすものがあれば、これこそ武運のつきる前兆であって、泥仏が水遊びをするたとえの通り、身の程知らずの考えである。よくよく心に戒めるように。以上、武士道に初心の武士のための注意として申すものである。


特集ワイド:狙われる?貧困層の若者 「経済的徴兵制」への懸念 - 毎日新聞
以前『貧困大国アメリカ』を読み、貧困ビジネスの存在を知った。
そこでは、次のような説明で、「愛国心」が調達できるとする。徴兵制度のない理想郷アメリカには多種多様な人々が集まる。その中には不法滞在者、浮浪者・経済的難民などが居る。そうした人々に社会復帰へのチャンスとして、その価値を証明するチャンスとして兵役を貸すのである。そうすれば、アメリカ社会への入国や復帰を願う人々から、相応の愛国心を取り付けることができるというのである。経済的困窮によって、愛国心を刈り取ろうというのである。

徴兵制廃止(1973)⇒経済的徴兵⇒不法移民対策⇒徴兵対策⇒素晴らしい愛国心?
こうしたビジネス機構を生み出すコーポラティズム、その背後にあるのは、貪欲という病であり、節操を欠いた、理不尽な論理・思考・志向である。
これは、「税制の仕組み」と同じではないだろうか。
科学的志向で、「欲望」を原動力として、物質機械化する社会の収奪システムの構図は次のようなものと考えられる。
〈悦び〉は体を脱け出て言葉となり、〈説〉となって(節操が説となって実り、身の利となって現れる)〈税〉の根拠を明らかにする。
鋭利にすればするほど、益々有利となり、力が益すのである。
それが資本主義の仕組みであると教えられている。

心得 第七十九 「国を危うくする「聚斂の臣」」

経理、財務のお役は敬遠せよの一項で、「悪政と腐敗を告発する」へと続くものである。
《右に述べた盜臣というのも、もちろん不届き極まる不義のものではあるが、主君の物を盗むという武士にあるまじき行為を働いて天罰を受け、事が露顕して身命を失い、自滅してしまえば、それで事が落着し、人々の難儀迷惑ということもさしてなく、お家の運営の妨げ、国の災いとなることは、さほどないものである。それにひきかえ、聚斂の臣というものは、広く人々を苦しめるよなことを考え出し、二度とやり直しのきかぬような国の政道を妨げるような行政を行うものであるから、たとえ自分の私腹を肥やすような横領などの行為がなくとも、この上ない大罪人に違いないのである。それだからこそ、中国の聖人のお言葉にも、「聚斂の臣あらんよりはむしろ盜臣あれ」といわれているのであろう。
そもそも武士の身として、盜臣と呼ばれるより以上の悪事はないかのように考えるものであるが、この聖人のお言葉に「聚斂の臣あらんよりは」といわれているところを見ると、武士の犯罪として最大のものは聚斂の罪であるということになる。とすれば、盜臣の刑罰として首を切るものであれば、聚斂の臣は、はりつけにでもかけるべきものであろう。


ここでは「盜臣」と比較し、「衆斂の臣」大罪を説いている。刑罰で測れば、「斬首」と「磔」の違いである。
「盜臣」の不義は、その身一個に及ぶだけのものあるが、「衆斂の臣」の不義は、国民や国家に及ぶ。だから、中国の聖人も「聚斂の臣」が居るよりも「盜臣」が居る方が益しだという。

今日、我々は民主主義を謳い国政に参加すること、権勢を揮うことを大望とする者もいる。しかし、その中に多くの「聚斂の臣」を見つけることができる。
「原子力村」や「安保村」が公然と問われているにもかかわらず、それが社会機構として再構成されているのは「聚斂の臣」の増殖であり、日常化といえる。

2015年7月25日土曜日

心得 第七十七 「あちらを立てれば、こちらが立たず」

経理、財務のお役は敬遠せよの一項で、「貪欲の病には勝ち難し」へと続くものである。
奉公を勤める武士は、主君のお考えによってさまざまなお役を仰せ付けられるのだが、この中でお勝手向き(経理・財務関係)のお役については、何としてでもこれをお受けせずにすむようにすることが望ましい。なぜならば、御勝手向き御役人として、その家中の大小の奉公人をはじめ、城下の町人、村々の百姓たちに至るまでをも少しも苦しめることなく、しかも御主人の御力になるように財政を取り仕切ることができれば、これこそお家のためになる大切なお役人と呼ばれることであろう。しかし、そのようなことは、なみたいていの能力や才能でできることではない。ひたすら主君のおんためになるようにと心がければ下々の者たちの苦労が増し、下々のものの悦ぶようにとすれば、お家の財政が苦しくなるというように、どちらか一方には必ず支障が生じるものである。それであるから、そのようなお役目には、できるだけかかわりあわないのがよろしいというのだ。
安藤昌益や石田梅岩などが出てくるのは後の事である。
商業力は新しく興隆した力であり、その原動力は貪欲にある。
そもそも武士道では、貪欲を病とみなしている。それは避けるものであって、その成敗は武士の分にはないとする。士農工商の身分制度を設け、安分することを求めたのは、職分・気分に惑わされないことを避け、それぞれの分を尽くすことで、理を尽くすことを可能にしたと考えられる。
利を勘定する経理・財務の仕事には、理不尽な場面に遭遇することも多くなり、武士として合理的な判断が状況に陥ること、避けるべき貪欲の病に罹患する可能性が高い。
権理が権利へと変化する以前の節操である。勘定に関わる事は、感情の板挟みにあい、善悪の判断のつかない、両成敗という状況も出来する。要するに、分に過ぎた大役には就かないようにする用心することを求めている。
ここで偶然「徳 川 思 想 史 にお け る 「心 」・「気 」・「物」 の思 想」という論文を見つけた。この論文では、徳川 時代 の思想 を 「心、 「気 」、 「物」の 三つ のカテゴ リーに分 け、心 の思想 (1603~1663)・気 の思想 (1663~1717)・ (三)物 の思想(1717~1790)と理 の観念 との関係 を明 らかにしている。
この設定に従えば、大道寺友山(1639~1730)が説く武道は「気」の時代のものであり、石田梅岩(1685~1744)が石門心学を提唱した「気」・「物」の時代を経て武道も進化していく。(江戸時代の武士道の系譜を下掲した)
されど「お金」を賤しいものとして避けたことは新渡戸稲造の『武士道』も伝える処である。

心得 第七十八 「貪欲の病には勝ち難し」

経理、財務のお役は敬遠せよの一項で、「国を危うくする「聚斂の臣」」へと続くものである。
そのうえ、いかに才能に恵まれた武士であっても、貪欲という病気には冒されやすいものである。主君の御勝手向きを取り仕切って人々から重んじられ、金銀のやりくりも自由自在ということであれば、やがては思い上がった心となり、幅をきかせたい気持ちが出てきて、自然と身分不相応な生活をするようになる。そうなると、いつか心にもない依怙贔屓をして、家計の辻褄が合わなくなれば私腹を肥やし、横領を働くようになる。そして、ついにはそれが露顕して恥をさらし、家をつぶして困り果てることは目に見えている。これを名付けて盜臣と呼ぶのである。
かと思えば、一方では、本人はさして欲が深いわけでもなく、依怙贔屓や横領といったことをするのではないが、ひたすら主君の御為を思ってさまざまな工夫をこらし、お家のこれまで空の仕来りとは違った新しい法令などを考え出しては、家中の大小の奉公人の迷惑となることをも考えずに、城下の商人には、重税、村々の百姓には高い年貢を吹きかけ、あるいは将来、お家の運営に支障をきたすのではないかという配慮も忘れて、ただ目前の利益だけを追った方策を編み出す。これらを実行に移すためには、思慮の足りない家老、年寄り、重臣の人々などをだまし、そそのかして承知させ、推し進めておいて、まことに立派な貢献をしたということで根拠のない加増、褒美などを頂戴しようとする。
若しも、その新政策が失敗して、やり直しのきかぬ損失を生じたときには、それは右の家老、年寄りたちの指示、命令のやり方が間違っていたためということにして、自分はその人の影に隠れ、罪を逃れて被害をこうむらぬように工夫をする・・・。こうした者を名付けて聚斂の臣と呼ぶのである。


貪欲が聚斂の臣を生むという。今、世上は「新国立競技場」問題でにぎわっている。
日本という国が「貪欲」をいう病気に冒されていると言える。
爰にいう「聚斂の臣」がなんと多いことであろうか。スポーツの祭典が、芸術の彩りを添え、華やかな「おもてなし」を演出する。しかし、すべてが「経済力」に絡め取られ、貪欲へと収束する。
具体例は「現代の聚斂の臣たち 貪欲という病」にまとめることにした。
「貪欲 ⇒ 過分 ⇒ 横領 ⇒ 盜臣」というアルゴリズムが機構として社会に組み込まれているようだ。人々はそれを「コーポラティズム」と呼んでいる。
要領を得る》ことの意味は重要である。〈要領〉で、〈容量〉が決まり、また〈用量〉も自ずから定まる。《要領を得る》ことは、本領を発揮するうえで欠かせない。しかし、領分を越え横領に傾いてはいけない。応分に働く、「知足安分」なのである。
現代は、「拙速」の傾きがある。〈拙速〉の対義語は〈巧遅〉である。「こうち」は、〈緻〉、〈狡知〉とも表記する。〈狡知〉には「貪欲」が見え隠れする。「好事魔多し」、「時間」という「すき間」に「魔」がさすのである。
利巧者が便利を生み出し、人々は便利に絡め取られる。
貪欲が満たされることを好運として、幸運を喜ぶ。社会的な洗脳が行われ、社会的に認知症が創り出され、囲い込みが進んでいる。
「コンビニエンス」が「幸せ」の代名詞になったようだ。

2015年7月24日金曜日

武道初心集を読み終えた!

大道寺友山著『武道初心集』吉田豊訳 をなぞり終えた。写経である。
多くの言葉を学んだ。これから一つ一つ噛み締めたい。「要領を得る」とは何かを考えた。
初心とは、「一に止まる、本来を覚悟すること」と知った。
からだは宇宙のメッセージ》とはわが師の言葉である。
身体が精神である。精神と身体は、同一の現実につけられた二つの名前にほかならない。》と市川浩著『精神としての身体』は謂う。
我々の〈からだ〉には『日本のDNA』が育まれている。日本の風土に根ざし、日本語を生み出した。
日本人の深層は宇宙の進化の産物である。奇跡の産物である。奇貨である。
体感、体解、体現、体得だ!
〈数奇〉という言葉は、〈好き〉の意味であったと云う。
好奇心旺盛なのが日本人であり、そこに「数寄心」が生まれた。
また〈数奇〉は「さっき」と訓ずると、《「すうき(数奇)」に同じ》とある。
「すき」ではなく、「すうき」と訓ずる場合には《運命のめぐりあわせが悪いこと。運命に波乱の多いこと。》と否定的・消極的な意味合いを捉えているが、それを「数奇」と訓ずることで、好奇の対象として観象、観想する姿勢を生んだのだろうか?
「さっき」は〈殺気〉と同音異字である。
「数寄心とは、日本人の覚悟の観相ではないか」など、勝手よみして、同じようなことを考えた人はいないかとウェブ検索し、『徳川思想史における「心」・「気」・「物」の思想』なる論文を見つけた。これでまた、伊藤仁斎やベルグソンとつながることができた。

2015年7月21日火曜日

心得 第七十六 「三民を苦しめる当節の武士」

農工商を守るのが武士の務めの一項で、「武士階級の起こりは盗賊退治」から続くものである。
してみれば、武士という身分は、三民の人々に安らかな思いをさせることを任務とするものにほかならない。そうであれば、大身の武士はもちろんのこと、たとえ小身者であろうとも、武士の身分にある者は、三民の人々に対して、決して無理、非道な行為をしてはならぬ道理でである。ところが現実には少しもそうではなく、農民に対しては無理な年貢を課し、そのうえにさまざまな税を押しつけて破産させ、職人に物をあつらえてはその工事代、手間代も払わず、商人から品物を買い上げておきながら代金を放っておき、金銀を借用しても知らぬ顔をして借り取りにしてしまうなどは、すべて武士の本道を外れた大不義といわねばなるまい。
こうした点をよくよく考えるならば、領内の百姓をもいたわり、町人商人からの買い掛り金、借金などについても、一度に返済はできぬまでも、だんだんに少しずつでも返していって、迷惑をかけぬようにしてやるだけの配慮は、是非ともなくてはならない。盗賊を防ぐ役を果たすべき武士が盗賊のまねをするようなことは決してあってはならぬ、という心がけは、きわめて大切なのである。
以上、初心の武士として、よくよく肝に銘じておくべきことである。


我々はこの章をどう受け止めるべきであろうか。この章の解釈は非常に難しい。
武家社会では、武士は国士として、国、藩、庶民を守るように定められていた。

武士は、「守られる」のではなく、「守る」のである。死命を賭して初志を貫く、それが武士であった。それは「心に道を、形に法を」で説いたところである。
功を立てる場が少なくなった武士に、心を形にして行動することを求めたのである。
余力を貯え、結集し、敵の力よりも勝る余分な力が勝ちを制したのである。余分は、余力となり、安心・余裕を生んだのであった。知足安分であったのである。是が謀議の帰結であった。
時代が変わり、余分が、余計となると排除されることになる。
余念、余心、余勢、余情が切断されるとき、世の中は貧相になる。

余で始まることばを味わっては如何?)
身分制度が定着する過渡期においては、それぞれの世間を越えた交流・協業も成立したであろうが、制度の確立と共に、世間が固定化し、分断されると、武士階級は経済的には、孤立・困窮していくことになる。それが現実であった。
しかし、武士は、一に止まる事、本末転倒せぬこと、節操を正し、気品を保つようにと説いている。
これが後に、「勤勉革命」を生むことになったのである。

2015年7月19日日曜日

昨日、吉見俊哉『「親米」と「反米」』を読んでの感想

吉見俊哉『「親米」と「反米」』を読んで、アンビバレントな日本人の心象(深層)を思った。
我々が、戦後復興したものは何だったのか。
我々は、今どこに行こうとしているのか、改めて道を辿ってみたい。
辿ることによって、紆余曲折しながら、ここまで「臥薪嘗胆」で来た思いがあることを知り、その心理構造の克服が、新しい時代の心理構成となるのではないだろうか。
要するに、編成替えをしなければならないのである。
和式の生活が、洋式の生活になった時、我々はそのスタイルを変えるだけでいいと思った。
意識まで、変える必要はないと考えていた。いや変わらないと思っていた。
座敷の生活が、イス・テーブルの生活になるだけだと思った。
変化に合わせ、要領よくやれば、対応できると考えた。
「占領」という一時的な体制も、時がたてば同化し、克服できると思っていた。
構造変化とは、形だけでなく、その性質も変え、構成要素に、変化を求めるものである。社会構造が変化すれば、当然のことながら、その構成要素にも変化が求められる。
不適合であれば、代替物が用意され、排除される。適合するには要素そのものの組成変化が必要になる。自然に新たな道がそこに生まれる。
しかし、今日の道は、「利」に傾くおもむきがある。
「新国立競技場」事件は、その象徴的な実態を示している。
行き過ぎた商業化、サービス経済化が生活環境を破壊する。