《奉公する武士としての第一の心がけは、たとえ天下泰平の時代ではあっても、何かという時には主君の御為に、他の同僚たちの手には負えぬような仕事を成し遂げてお役にたちたいと、日頃から思案工夫を重ねることであり、これこそ武士本来の精神である。
ましてや非常の事態に臨んでは、神仏に誓いをかけても、この度の戦場においては敵味方の目を驚かせ、末代までも名誉を残すほどの大忠義の働きを遂げずには二度と故郷へは帰るまいとの決意を固めて、武勇に励む覚悟は当然のことである。
この場合、武士としては、つねに古い戦記などを広げて、わが身の覚悟を新たにすることが望ましい。たとえば、世間の人々がもてはやす『甲陽軍鑑』『信長記』『太閤記』などという書物には、その時代の合戦のいきさつが記されているが、その中に、たとへ小身の武士であっても際立った名誉の働きを遂げた者については、なんのだれそれと姓名が記されており、それ以外のものは、ただ討死何千、何百などと記録されている。この何千何百といううちには大身の武士がいくらもあるのだが、格別のお働きもなかったため、その名前までは記録されず、一方、たとえ小身ではあっても、武勇にすぐれた働きの武士については、姓名を書き記してあるのである》
『儚くも 一期一会の世の中で家を立てんと、一所懸命』
が武士の生き方であった。
立身出世、名誉の戦死、それを覚悟して生きる。大身・小身の別なく、名誉の働きをした者の名は、書き記され、末代まで名を残すのである。
死線を越えて義を貫く武士にとって、大事なのは、形あるものではなく、その働きである。その証拠として名誉、名を残すことを誉とし、汚名は恥とし、注ぐことに一生懸けたのである。
ここで注意したいことは、次の様に記されていることである。
《ましてや非常の事態に臨んでは、神仏に誓いをかけても、この度の戦場においては敵味方の目を驚かせ、末代までも名誉を残すほどの大忠義の働きを遂げずには二度と故郷へは帰るまいとの決意を固めて、武勇に励む覚悟は当然のことである》
「敵味方の目」と、内面評価だけでなく、外面評価の目線があるということ、それが公正であった。
このことは何を意味するのか? 「天の目線」を常に意識していたと思われる。
栄枯盛衰、勝敗は時の運である。敵味方に分かれ戦うのも運命である。正々堂々とした生き方を基本とした武士道は、天に恥じないこと、天の目によって最終的に評価されるものであった。

