2014年5月15日木曜日

心得 第四十四 「汚れを洗う三つの妙薬」

古手の役人はよごれた白小袖の一項で「汚職役人の手口はこれだ」に続くものでる。

《ところで、白小袖も、よごれっ放しにしておかず、ときおり洗濯さえしておけば、いつも白く、見苦しくなくできるものである。
役人についても同様で、自分で自分の心の汚れに気を付け、絶えずこれに洗うようにさえするならば、汚らしくよごれ果てるようなことはない道理である。
尤も、白小袖っがよごれたのは、人間の垢やまわりのほこりできたなくなっただけであるから、質のよい灰汁で洗いさえすれば、垢もしみも落ちて、あとはきれいになるものである。
それにひきかえ、人の心には、種々さまざまなものがしみこんで、そのよごれ方もはなはだしいから、ただ、ざっと洗った程度ではきれいにはなりにくい。そのうえ、白小袖ならば年に一度か二度、洗いさえすればよいのだが、人の心の洗濯は、一日四六時中居ても立っても、またさまざまなことに心を動かすたびごとに、あるときはもみ洗い、あるときはふりすすいで、少しの油断もなく洗い続けていても、たちまち、そのあとからよごれけがれてしまうものである。
もっとも、白小袖にかぎらず、垢を落とす灰汁にはいろいろな種類があり、垢をそっくり落とす薬などもあるということである。それと同じように、武士の心の洗濯をするには三つの灰汁を使うのがコツとされている。
その灰汁とは、忠、義、勇の三つである。
心に染みついて垢の性質によって、忠誠心によって落とす場合もあり、また正義感によって落とすべき垢もある。その上に、もう一つの秘訣がある。もし、忠で洗い、義で洗ってみても、そのよごれがひどくて落ちにくい場合には、はげしい勇気の灰汁を少し加えて、全力を尽くしてしゃにむにもみ洗いしてから、さっぱりとすすぎあげるのだということである。これが武士の心の洗濯についての秘伝とされているのだ。》


世の中で生きていく限り、垢が身に付き、汚れるのは当然である。
染みついた汚れは時宜に応じ、除染すればよいのである。除染の特効薬がある。それは忠誠心と正義感と勇気の三つであるという。勇気について、武士道は人知を超えたものとする。
力を仁に見せかけるもの。それは知謀である。仁を力あるものにするもの。それは勇気である。戦国覇道としての武士道は、、このようにして、無道の中から道をつくり、出して、無道を一つの道にまで高めてゆくために知恵と勇気が血みどろに戦う虚々実々の世界である。虚構も真実なら、真実にもいつわりがある。根本は力が正義だからである。(『武士道の歴史Ⅱ』「山名細川の道」より)

〈義〉は、〈偽〉ではなく、それを超えたものである。
〈偽〉「人の為すこと」、つまり〈なれる〉ことで達することができるものではない。

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