「殉死にまさる大忠節とは」の一項で「奸臣を除くため一身を捨てよ」へと続くものである。
《奉公を勤める者として、一つの目のつけどころということがあるので、以下に述べよう。
大身大家には、必ず古くからの怨霊というものがとりついているものである。その怨霊とは、十のうち九つまでが、下の者が上を恨んでたたりをするものであるから、必ずしも主君に対して直接にたたりをするわけではない。そのたたりのあり方には、二つの姿がある。
その第一は、お家代々の家老、年寄といった家柄の者で、忠、義、勇を兼ね備え、将来は必ずや主君のお役に立ち、家中の人々のためにもなるものと見なされ、ほめられているような若い有能な武士が、思わぬ怪我をして果てたり、または季節の流行病などにかかったりして若死にし、主君に御損失をさせるという場合である。たとえば、武田信玄の侍大将であった甘利左衛門が馬から落ちて若死にを遂げたとき、高坂弾正が、「これは武田の家に古くからある怨霊のしわざ」と惜しんだというのがその例である。
第二には、主君のお気に召して出世した家臣の心の中に怨霊が入れ代わり、主君のお心を惑わせて、さまざまな不義非道の行いをさせるというものである。そのお家の家老、年寄、用人、その他近習の侍などの中で、
主君のお気に入り、並ぶ者もないように出世した侍の心に入れ代わって、
さまざまな悪逆をさせる怨霊の手口には、おおよそ六つのやり方がある。
第一には、主君のお耳、お目をふさぐ工夫をして、自分以外の者からは、たとえ自分とは同役、同職であっても、主君にその考えを申し上げることができないようにし、たとえ申し上げてところで、お取り上げにならぬよう仕向け、お家の大事小事のすべてを自分一人だけが承るようにして、主君がなにごともこの者がいなくてはとお考えになるようにするのである。
第二には、主君のお側近くに仕える侍の中で、少しでも気骨があり、主君のお役に立ちそうな者を、何かと理由をこしらえて役職を替え、出先の職務につけてお側から遠ざけ、自分に縁故のある者、または自分に心を寄せて世辞追従ばかりをして、自分の言いつけには決していやとはいわぬような者ばかりを便宜をはからって側近の役人に据え、自分が勝手なことをしては私腹を肥やしていることを主君のお耳に入れぬようにするのである。
第三には、主君のお心をとろけさせるためと、また縁故を有利にするために、主君に対してご子孫の繁盛が何より大切・・・などと申し上げて、女色に迷わせることである。誰の娘かなどということは問題にせず、みめかたちさえよければと女たちをかき集め、さらに琴や三味線をひくもの、舞妓、踊り子といった連中を集めては「ご身分の高下を問わず、ときおりの気晴らしはなくてはならぬものでございます」などとおすすめすれば、もともとお知恵の足りぬ主人はいうまでもなく、才知に優れた賢いお生まれつきで人々からほめられていたご主人であっても、とかく色の道には迷いやすく、たちまちお考えが変わって、その遊楽をおもしろく思われるようになり、次第に止めどがなくなって極端となり、しまいには昼夜のけじめもなく、乱舞のあとでは必ず酒宴といったありさまとなる。こうなっては、主君は絶えず奥にばかりはいっておられるため、表向きの家中の用事、ご領内の処置などについては、まるきりよそごとのようにお思いになって、いっこうにお気が入らず、その者以外の家老、年寄などが少しでもご前へ出ようとすることをいやがられ、すべてのことについて、その者一人に決着をつけさせるようになるから、その威勢は日増しに盛んとなり、それ以外の家老、年寄は、いてもいなくても同然の様子で、肩身をすぼめて小さくなり、万事についてよからぬ家風となってしまうのである。
第四には、右のような有様であるから、人にはいわれぬような出費も多く、収支が引き合わないので、そのお家の先代からのしきたりに背いた新規の法令を作り出し、そちこちへ勢子やら狩人やらを入れて鳥獣を駆り立てるように、民衆から厳しく取り立てて、しかも家中の人々へは渡すべきものも渡さず、下々の人々がどれほど苦しもうとも、それに対する配慮などは少しもせず、主君のなさることについては、したい放題の出費をさせておくのであるから、家中の大小の奉公人たちは誰一人として納得することがなく、口には出さずとも、みな心のうちに不満を抱き、心から忠義をつくすような者は一人としていなくなってしまうのである。
第五には、現在、大名となっているそれぞれのお家は、その先祖の時代に幕府に対し戦場での忠節を尽くし、手柄をあらわしたことによって相続を許されているのであるから、たとえ現在が天下太平の御代であるからといって、先祖代々から受け継いできた弓矢の道をおろそかにしてよい道理はないにもかかわらず、例の一人の者が武道への心がまえがなく、このようにめでたい太平の世にあっては、軍備の用意などは不必要などというので、もともとがその心がけの弱い家中の人々も、それをよいことに武芸の修行をもせず、武器装備の用意をもせず、何事も目の前のことに間に合えばよいとの家風になってしまうのである。このようになっては、その主君のご先祖の中に、世に知られた名将などもおられたお家柄にふさわしいところなど少しもなくて、もしや明日にでも非常の時代でも起こったならば、ただ、うろたえ騒ぎ回るばかりで、何一つとして解決することはできまいと心細く思われるようになるのである。
第六には、主君が遊興酒色にふけり続けておられるため、次第にわがままがつのり、さてはお体もこわしてしまう状態となれば、家中の武士たちの気持ちもふさいで積極性がなくなり、その日暮らしのありさまとなってしまう。こうなっては世間の評判、幕府の思し召しもよいはずがなく、とどのつまりは、主君の上にも災厄がふりかかってくるのではないだろうか。》
前項を投稿してから、一年を過ぎた。70にして、激動の一年であった。人口爆発で世界の人口が70億を超える一方で、成熟期を迎えた日本は、人口減少社会となり、世界とは異なった独自の対応が必要になる。武道で、身体を鍛え、情報システム企業で合理的科学思考を学び、戦後70年を生きた日本人として、今考えることは 日本人として生きるということだ。これが私の忠節だ。
この一年で学んだことをまとめてみる。
まずは、1月にK社の顧問になったことだ。そしてこの9月で顧問契約は終了した。
僅か8か月という短期間に、多くのことを学んだ。見えているものが違うのだ。
時間感覚が全く異なる。計画らしきものがない。それでも動けるのである。まさに現場で生きているという感じだ。
的確な対応をするには、今彼らが何を感じ、何を期待しているのかを聴くことだ。
私は、どうしても客観的な視線を注ぐ結果となった。
私の目に映る彼らは疲れ、思考停止に陥っている。目の前の仕事に無我夢中である。現状分析する余裕もない。こうした時期があっていいこともわかる。しかし、これだけでは切れてしまう。
そう思い、対応したが、感覚(間隔)のずれは埋まらなかった。
私はコンサルタントとして、先ず彼らの問題を明らかにしようとした。
問題が認識されなければ、解決できない。
しかし彼らが求めていたのは、猫の手である。現状分析し、問題を見つける時間が惜しまれた。
彼らの仕事ぶりはこの半年で変わったのだろうか?疑問である。
これが今日の先端を走る職場の姿だとすれば、将来が危ぶまれる。
しかし、考えてみれば、アベノミックス、経済的競争力最優先で、科学的合理性、経済的合理性だけで、思考停止、視野狭窄に陥っているかに見える、日本の姿も同然である。
このような思考停止のままで、第四次産業革命に対応できるのであろうか。
3月から3ヶ月介護の勉強をし、ヘルパー2級の資格を取った。
身体の仕組みを知るにつれ、人間を生きるには、身体(心)の手入れが不十分であることを痛感する。中枢神経だけが重要なのではない。体を真に支えているのは末梢神経、自律神経なのだ。
中枢神経それをコントロールする脳は進化の最後に現れた最も後れた存在なのだ。動脈は静脈によって支えられているのだ。
また、「国際障害分類」(1981)から「国際生活機能分類」(2001)へと障害者福祉にかかわる思想と支援の考え方の変化があったことを知った。
特に,「1981年の国際障害者年以降,障害者運動による当事者主体,エンパワメント,自己選択と自己決定といった考え方が支援の中心的な位置を占めるようになってきました。」という。
ノーマライゼーションやインクルージョンはそうした情勢に基づく対応で、障がい者の捉え方もそれに伴い変化したのである。
人口が増え、先進国と発展途上国が自由市場で対等に競争していくためには、規制緩和をし、基準を緩やかにしなければ市場への参加が不可能になる。
世界は、義務よりも権利を求め、また認める時代に大きく変わろうとしている。
一方、従来身体的には健常者とみられていた高齢者や子供たちの中には、社会的参加という側面で、多くの障害を抱える者が現れ、障害者に区分される方が適切と考えられるようになっている。障害の概念が、身体的機能の欠損を言うのではなく、社会的参加への障害を捉えるものとなったのである。
こうした趨勢の中で、自由市場の経済的合理性を追究するだけでは不十分である。
社会生活における人間的合理性を追究しなければならない。
そこで問題となるのが人間観である。西欧的人間観と東洋(日本)的人間観とは根本的に異なる。
今、勃興しつつある第四次産業革命といわれるものは、西欧(アングロサクソン)的人間観、キリスト教的人間観に基づく。その人間観で仕切られた時、我々は介護の問題、人生観に関わる問題を抱えることになる。
今、求められるのは、ライフ・キャリア・コンサルティングである。