2016年10月1日土曜日

寄り道

ファミマ新社長 20年の寄り道をどういかすか」という記事に接した。

ファストリの社長就任を固辞して同社を去った沢田氏は企業再生に関わる会社を創業する。企業再生の最前線に立つだけでなくベンチャー経営者の顔を持つ。フランチャイズチェーンであるコンビニも各店が独立した経営母体であり、ベンチャーの集合体が巨大な流通企業となる。あるファミマの加盟店主(オーナー)は沢田氏の略歴を知ってこんな感想を述べた。「サラリーマン社長じゃないから我々、オーナーの気持ちもわかってくれることを期待したい」と語る。 
 再生に失敗した苦い経験も彼にはある。約20年におよぶ沢田氏の寄り道は決して無駄ではないだろう。
一年前の記事だ、改めて考えてみた。
気持ちは、経験した人にしか伝わらないのだろうか。
手伝うこと、手間をかけること、そこでサービス・商品が道具となって、気持ち、意図が伝わる。し
それがサービスだ。仕事の彼方には人がいる。また此方にも人がいる
人と人とが向き合って仕事は成立する。
仕事から人が排除された時、過剰生産が始まった。
不安・不満の解消が活動の原動力とする限り、過剰生産を生み、さらに不安・不満を募らせる。
自己中では問題は解決しないのである。「知足安分」これに尽きる。

心得 第百十二 「奸臣を除くため一身を捨てよ」 成果主義から成長主義へ

殉死にまさる大忠節とはの一項で「お家に伝わる怨霊の手口」から続くものである。
《このようになれば、例の一人は、まさしく大いなる妖怪であって、お家に害をなす悪魔、主君の敵であることが明らかとなり、家中一同がこぞってこれを憎み、もてあまし者にはするけれども、さて、誰一人として自分がそれを除くために進み出て苦労しようという者は現れない。そして十人中九人までの者が、その者の悪意を訴訟に持ち込み、自分は手を汚すことなく、舌先の勝負でことを決するのにはどうしたらよいかと相談するだけのことである。
そのような手段によっては、とうてい内々のうちに事を処理することはできず、その紛争の内容は、主君のご親戚一門のお耳にも入って、ご一族全体の問題となりさらには重大な成り行きにまで発展し、結局は公儀の御介入まで招かずにはすまなくなる。昔から今に至るまで、大名方のお身でお家の仕置きができかねて、公儀にご迷惑をおかけして、事が落着してからのち、主君のご身分がそのままですんだという例はない。してみれば、事を訴訟沙汰に持ち込むことは、角を矯めようとして牛を殺し、ほこらに住み着いたネズミを退治しようとして社を焼くというたとえのように、主君のお家はつぶれ、家中の大小の奉公人たちはすべて流浪の身となり、何代も続いた大切な名家を古い怨霊のために取りつぶされてしまうという結果となり、誠に無念至極、なんとすることもできぬ状態に陥るのである。
このような場合にこそ、先に述べた主君のご恩を深く受けて、公儀のご禁制さえなければ無益の事ながらも、せめて殉死をしてでもご恩に報いたいものと、一筋に思い詰めている武士が、身命を捨てるご奉公のしどころなのである。そのときは、例の大悪人をとって押さえ、同腹をえぐるなり、首を刎ねるなり、心ゆくばかりにし遂げて始末をつけ我が身は直ちに切腹を遂げ、乱心者の仕業ということにしてしまうのである。このようにすれば、お家騒動とか訴訟騒ぎとなることはまったくなく、主君のご身分に悪影響を及ぼさず、家中一同も安心して、お家は安泰となるのである。これこそは殉死に百倍にも勝る忠、義、勇の三つを兼ね備えた行為であり、末代の武士の手本ともなる大忠節ということができよう。このような決意を固めた武士が、大名方のお側にせめて一人ずつでもいて、我が身命を賭けて主君のおんためを思い、守護し奉っているならば、それは生きた鍾馗大臣と同じことで、悪鬼魔神のような奸智に長けた悪人どもといえども、大いに恐れをなして手を出さず、主君の御ためにならぬ悪逆非道の行為を働くことはできぬものなのである。
このことを、よくよく考えおく必要があろう。


そのような妖怪に対して、《舌先の勝負》を挑んでも、《とうてい内々のうちに事を処理することはできず》、《結局は公儀の御介入まで招かずにはすまなくなる》。そして《何代も続いた大切な名家を古い怨霊のために取りつぶされてしまうという結果と》なる。
この場合こそ、《主君のご恩を深く受けて、公儀のご禁制さえなければ無益の事ながらも、せめて殉死をしてでもご恩に報いたいものと、一筋に思い詰めている武士が、身命を捨てるご奉公のしどころなのである。》
《このような決意を固めた武士が、大名方のお側にせめて一人ずつでもいて、我が身命を賭けて主君のおんためを思い、守護し奉っているならば、それは生きた鍾馗大臣と同じことで、悪鬼魔神のような奸智に長けた悪人どもといえども、大いに恐れをなして手を出さず、主君の御ためにならぬ悪逆非道の行為を働くことはできぬものなのである。》
こうして殉死に勝る大忠節が成り立つというのである。

ここで考えたいのは、「怨霊」なるものである。
アーサー・ケストラー著「機械の中の幽霊」ではないが、社会機構の制度として、運営プログラムの中に組み込まれて、種々の収奪を行っているのがその「怨霊」ではないか。
最後の参考の内容と、『「親米」と「反米」』

今日、ビットコイン取引所社長が不正操作容疑で逮捕された。 

こうした事件が身近に起きている。我々の生活領域は、グローバルに拡大している。
そしてグローバル化によって汚染されている。
日本というイエを守るために、我々に必要な忠節とはどのようなものであろうか。
忠節を尽くす、領域をどこに求めるか、その領域における仕来りは何か、常識、定式は何か、明らかにしなければならないことは多い。

2016年9月30日金曜日

心得 第百十一 「お家に伝わる怨霊の手口」

殉死にまさる大忠節とはの一項で「奸臣を除くため一身を捨てよ」へと続くものである。
奉公を勤める者として、一つの目のつけどころということがあるので、以下に述べよう。
大身大家には、必ず古くからの怨霊というものがとりついているものである。その怨霊とは、十のうち九つまでが、下の者が上を恨んでたたりをするものであるから、必ずしも主君に対して直接にたたりをするわけではない。そのたたりのあり方には、二つの姿がある。
その第一は、お家代々の家老、年寄といった家柄の者で、忠、義、勇を兼ね備え、将来は必ずや主君のお役に立ち、家中の人々のためにもなるものと見なされ、ほめられているような若い有能な武士が、思わぬ怪我をして果てたり、または季節の流行病などにかかったりして若死にし、主君に御損失をさせるという場合である。たとえば、武田信玄の侍大将であった甘利左衛門が馬から落ちて若死にを遂げたとき、高坂弾正が、「これは武田の家に古くからある怨霊のしわざ」と惜しんだというのがその例である。
第二には、主君のお気に召して出世した家臣の心の中に怨霊が入れ代わり、主君のお心を惑わせて、さまざまな不義非道の行いをさせるというものである。そのお家の家老、年寄、用人、その他近習の侍などの中で、主君のお気に入り、並ぶ者もないように出世した侍の心に入れ代わって、
さまざまな悪逆をさせる怨霊の手口には、おおよそ六つのやり方がある。

第一には、主君のお耳、お目をふさぐ工夫をして、自分以外の者からは、たとえ自分とは同役、同職であっても、主君にその考えを申し上げることができないようにし、たとえ申し上げてところで、お取り上げにならぬよう仕向け、お家の大事小事のすべてを自分一人だけが承るようにして、主君がなにごともこの者がいなくてはとお考えになるようにするのである。
第二には、主君のお側近くに仕える侍の中で、少しでも気骨があり、主君のお役に立ちそうな者を、何かと理由をこしらえて役職を替え、出先の職務につけてお側から遠ざけ、自分に縁故のある者、または自分に心を寄せて世辞追従ばかりをして、自分の言いつけには決していやとはいわぬような者ばかりを便宜をはからって側近の役人に据え、自分が勝手なことをしては私腹を肥やしていることを主君のお耳に入れぬようにするのである。
第三には、主君のお心をとろけさせるためと、また縁故を有利にするために、主君に対してご子孫の繁盛が何より大切・・・などと申し上げて、女色に迷わせることである。誰の娘かなどということは問題にせず、みめかたちさえよければと女たちをかき集め、さらに琴や三味線をひくもの、舞妓、踊り子といった連中を集めては「ご身分の高下を問わず、ときおりの気晴らしはなくてはならぬものでございます」などとおすすめすれば、もともとお知恵の足りぬ主人はいうまでもなく、才知に優れた賢いお生まれつきで人々からほめられていたご主人であっても、とかく色の道には迷いやすく、たちまちお考えが変わって、その遊楽をおもしろく思われるようになり、次第に止めどがなくなって極端となり、しまいには昼夜のけじめもなく、乱舞のあとでは必ず酒宴といったありさまとなる。こうなっては、主君は絶えず奥にばかりはいっておられるため、表向きの家中の用事、ご領内の処置などについては、まるきりよそごとのようにお思いになって、いっこうにお気が入らず、その者以外の家老、年寄などが少しでもご前へ出ようとすることをいやがられ、すべてのことについて、その者一人に決着をつけさせるようになるから、その威勢は日増しに盛んとなり、それ以外の家老、年寄は、いてもいなくても同然の様子で、肩身をすぼめて小さくなり、万事についてよからぬ家風となってしまのである。
第四には、右のような有様であるから、人にはいわれぬような出費も多く、収支が引き合わないので、そのお家の先代からのしきたりに背いた新規の法令を作り出し、そちこちへ勢子やら狩人やらを入れて鳥獣を駆り立てるように、民衆から厳しく取り立てて、しかも家中の人々へは渡すべきものも渡さず、下々の人々がどれほど苦しもうとも、それに対する配慮などは少しもせず、主君のなさることについては、したい放題の出費をさせておくのであるから、家中の大小の奉公人たちは誰一人として納得することがなく、口には出さずとも、みな心のうちに不満を抱き、心から忠義をつくすような者は一人としていなくなってしまうのである。
第五には、現在、大名となっているそれぞれのお家は、その先祖の時代に幕府に対し戦場での忠節を尽くし、手柄をあらわしたことによって相続を許されているのであるから、たとえ現在が天下太平の御代であるからといって、先祖代々から受け継いできた弓矢の道をおろそかにしてよい道理はないにもかかわらず、例の一人の者が武道への心がまえがなく、このようにめでたい太平の世にあっては、軍備の用意などは不必要などというので、もともとがその心がけの弱い家中の人々も、それをよいことに武芸の修行をもせず、武器装備の用意をもせず、何事も目の前のことに間に合えばよいとの家風になってしまうのである。このようになっては、その主君のご先祖の中に、世に知られた名将などもおられたお家柄にふさわしいところなど少しもなくて、もしや明日にでも非常の時代でも起こったならば、ただ、うろたえ騒ぎ回るばかりで、何一つとして解決することはできまいと心細く思われるようになるのである。
第六には、主君が遊興酒色にふけり続けておられるため、次第にわがままがつのり、さてはお体もこわしてしまう状態となれば、家中の武士たちの気持ちもふさいで積極性がなくなり、その日暮らしのありさまとなってしまう。こうなっては世間の評判、幕府の思し召しもよいはずがなく、とどのつまりは、主君の上にも災厄がふりかかってくるのではないだろうか。

前項を投稿してから、一年を過ぎた。70にして、激動の一年であった。人口爆発で世界の人口が70億を超える一方で、成熟期を迎えた日本は、人口減少社会となり、世界とは異なった独自の対応が必要になる。武道で、身体を鍛え、情報システム企業で合理的科学思考を学び、戦後70年を生きた日本人として、今考えることは 日本人として生きるということだ。これが私の忠節だ。
この一年で学んだことをまとめてみる。
まずは、1月にK社の顧問になったことだ。そしてこの9月で顧問契約は終了した。
僅か8か月という短期間に、多くのことを学んだ。見えているものが違うのだ。
時間感覚が全く異なる。計画らしきものがない。それでも動けるのである。まさに現場で生きているという感じだ。
的確な対応をするには、今彼らが何を感じ、何を期待しているのかを聴くことだ。
私は、どうしても客観的な視線を注ぐ結果となった。
私の目に映る彼らは疲れ、思考停止に陥っている。目の前の仕事に無我夢中である。現状分析する余裕もない。こうした時期があっていいこともわかる。しかし、これだけでは切れてしまう。
そう思い、対応したが、感覚(間隔)のずれは埋まらなかった。
私はコンサルタントとして、先ず彼らの問題を明らかにしようとした。
問題が認識されなければ、解決できない。
しかし彼らが求めていたのは、猫の手である。現状分析し、問題を見つける時間が惜しまれた。
彼らの仕事ぶりはこの半年で変わったのだろうか?疑問である。
これが今日の先端を走る職場の姿だとすれば、将来が危ぶまれる。
しかし、考えてみれば、アベノミックス、経済的競争力最優先で、科学的合理性、経済的合理性だけで、思考停止、視野狭窄に陥っているかに見える、日本の姿も同然である。
このような思考停止のままで、第四次産業革命に対応できるのであろうか。

3月から3ヶ月介護の勉強をし、ヘルパー2級の資格を取った。
身体の仕組みを知るにつれ、人間を生きるには、身体(心)の手入れが不十分であることを痛感する。中枢神経だけが重要なのではない。体を真に支えているのは末梢神経、自律神経なのだ。
中枢神経それをコントロールする脳は進化の最後に現れた最も後れた存在なのだ。動脈は静脈によって支えられているのだ。
また、「国際障害分類」(1981)から「国際生活機能分類」(2001)へと障害者福祉にかかわる思想と支援の考え方の変化があったことを知った。
 特に,「1981年の国際障害者年以降,障害者運動による当事者主体,エンパワメント,自己選択と自己決定といった考え方が支援の中心的な位置を占めるようになってきました。」という。
ノーマライゼーションやインクルージョンはそうした情勢に基づく対応で、障がい者の捉え方もそれに伴い変化したのである。

人口が増え、先進国と発展途上国が自由市場で対等に競争していくためには、規制緩和をし、基準を緩やかにしなければ市場への参加が不可能になる。
世界は、義務よりも権利を求め、また認める時代に大きく変わろうとしている。
一方、従来身体的には健常者とみられていた高齢者や子供たちの中には、社会的参加という側面で、多くの障害を抱える者が現れ、障害者に区分される方が適切と考えられるようになっている。障害の概念が、身体的機能の欠損を言うのではなく、社会的参加への障害を捉えるものとなったのである。
こうした趨勢の中で、自由市場の経済的合理性を追究するだけでは不十分である。
社会生活における人間的合理性を追究しなければならない。
そこで問題となるのが人間観である。西欧的人間観と東洋(日本)的人間観とは根本的に異なる。
今、勃興しつつある第四次産業革命といわれるものは、西欧(アングロサクソン)的人間観、キリスト教的人間観に基づく。その人間観で仕切られた時、我々は介護の問題、人生観に関わる問題を抱えることになる。
今、求められるのは、ライフ・キャリア・コンサルティングである。


2015年8月18日火曜日

心得 第百十 「身命をなげうつ決意こそ」

殉死にまさる大忠節とはの一項で「お家に伝わる怨霊の手口」へと続くものである。
以前には世間において殉死ということが数多く行われていたが、寛文年間に全国にわたって、これを禁制とする旨がおおせ出されて、それ以来、追い腹ということは世間から姿を消したのである。
現在においても諸家の多くの武士たちの中には、主君の深いご温情をいただきながら、それをお返しすることができないので、せめて殉死のお約束をしたいものと考えている人もあるであろうが、公儀のお達しが出されたからには、そのような行動をとれば、亡くなられた主君に傷をつけ、お跡継ぎのご子息も公儀より不届きと思われる結果となって、かえって非常な不忠となるのでそれもできない。それだからといって、畳の上の奉公で人並みのことをするばかりで一生を終わるだけでは残念至極というので、「よし、なにごとにせよ同僚たちの手にあまるようなご奉公はないものであろうか。身命なげうって、ぜひ一度は人並み外れた奉公をせずにはおくまい」と堅く心に決意しているという人もいるに違いない。このような決意を固めて奉公するならば、それは殉死に比べて百倍もすぐれた忠節であり、主君のおんためになるばかりでなく、家中の大小の奉公人にとっても頼もしく、忠、義、勇の三つの徳を兼ね備えた、末世の武士の手本というべき存在となるのである。


武士道の仕来りが変わった。《寛文年間に全国にわたって、これを禁制とする旨がおおせ出されて、それ以来、追い腹ということは世間から姿を消したのである。》
殉死によって忠を現わしたいと願っても公儀から禁制とする旨が出されては、《公儀より不届きと思われる結果》が御子息に及び、反って不忠になる。
武士道の仕来りに従うことができない。こうした場合、どうすればよいのか。友山は次のように
《「よし、なにごとにせよ同僚たちの手にあまるようなご奉公はないものであろうか。身命なげうって、ぜひ一度は人並み外れた奉公をせずにはおくまい」と堅く心に決意しているという人もいるに違いない。このような決意を固めて奉公するならば、それは殉死に比べて百倍もすぐれた忠節であり、主君のおんためになるばかりでなく、家中の大小の奉公人にとっても頼もしく、忠、義、勇の三つの徳を兼ね備えた、末世の武士の手本というべき存在となるのである。》
殉死という行為に代えて、《堅く心に決意》して内面化することを勧める。それが《忠、義、勇の三つの徳を兼ね備えた、末世の武士の手本》として現れるというのである。
少し苦しい言い訳に聞こえる。

2015年8月17日月曜日

心得 第百九 「敗戦の際は討死でつぐないを」

戦略進言の責任は重大の一項で「勝敗の責任を一身に負う」から続くものである。
《もしも、そのような不首尾となって味方先陣の第一陣、二陣も崩れ、指揮に当たっていた武将も何人かは討死して、敵は勝ちに乗じて大将の本陣目がけて押し寄せたか、ご本陣の前の旗、指物なども揺れ動き今は大将のご安否も分らぬといった事態に立ち至った時には、もはや合戦の指揮は断念し、兜の緒を堅く締めて二度と脱がぬ決意を示し、馬からも再び降りぬ態度を見せて、たとえ味方が退却することがあっても、敵にうしろは見せぬとの覚悟を決めて出撃し、敵の鎗玉にあげられて最期を遂げるのである。これこそが、日頃、そのお家の軍師として口をきき、特にその日は戦況の判断役を仰せつかって大将に申しあげ、合戦のご相談の中心を勤めながらことを仕損じた武士の討死の姿として、古来から定められたものなのである。
かつて、信州川中島の合戦において、山本勘助入道鬼斎がこの方式を守って討死を遂げたことは、お家の軍師を勤めようとする武士にとって、末世末代までのよい手本である古人の言葉にも、「人のために軍を謀りて破るる時は死す」といわれているとのことである。
ところが、そのような決意とてもなく、普段は、そのお家随一の軍法者などといわれて大きな口をきき、非常の際となれば、大将のお前で戦略決定に当たってはほかに人もおらぬように自分一人で喋り捲り、いざ一戦となればなおさらのこと、人の意見を聞こうともせず、自分勝手な独断で戦略の道理から外れたことばかりを大将におすすめして、誤った指揮をさせてしまい、負けるはずのない戦いを総崩れにしてしまって、大身小身の味方の武士が数多く討死を遂げる中にも、なお自分だけは死に損なってうろたえまわり、顔をふきふき大将のお側にやってきて、「十分に考えた末のことでありましたが、すっかり見通しがはずれ、このような次第となって非情な失態、まことに困却しております」などと、言い訳をしているようでは、そのお家の軍師といわれる身として、武士の一分が立つものとは思えない。



前項の問いに対する答えがある。それは《敵の鎗玉にあげられて最期を遂げる》のである。
それが《仕損じた武士の討死の姿として、古来から定められたもの》なのである。そのよい手本を山本勘助入道鬼斎が示したといい、《「人のために軍を謀りて破るる時は死す」》と古人の言葉を挙げる。
「想定外」等との言訳は、論外で、《武士の一分が立つものとは思えない》とある。

2015年8月16日日曜日

心得 第百八 「勝敗の責任を一身に負う」

戦略進言の責任は重大の一項で「敗戦の際は討死でつぐないを」へと続くものである。

《武芸の道の修行に熱心な武士が兵法を学んで、軍法、戦法の奥義までも学びつくし、主君、大将のおほめに預り、お取り立てを頂いて、そのお家の軍師となって日頃からそのような口をきいているうちに、いざ不慮の変事ということとなり出陣となった時、家老、年寄、そのほか多くの人々もいる中から、兵法については最も熟達しているとの評判によって、大将より今回の戦の作戦一切をその方に任せるとの仰せをいただくようなことがあれば、その光栄、武士の本望、これにまさるものはないであろう。
しかしながら、これがどれほど重大で、大切なお役かということも、またこの上ないものなのである。それは、小さくは味方の人々の生死を左右し、大きくはお国の存亡にもかかわることだからである。
そこで、自分が考え付いた戦略を大将に申しあげ、その配備によって一戦に及んだ結果、味方の勝利となったならば、その名誉は自分一人の上に輝くのであるから、比べもののない大手柄ということができる。しかし、もしも敵に我が方の戦略を悟られて先手を打たれ、味方の備えが裏目に出たような場合には、どれほどの大敗となるかもしれない。それであるから軍師とはきわめて重大なお役であるというのである。》


「勝敗の責任を一身に負う」軍師の役割について説く。
軍師は、不慮の変事の際に、戦略を上申し、その配備により、闘いに及ぶ、勝敗を左右する戦略・配備がことを決することになり、国の存亡・味方の人々の生死を左右する重要な役目である。
勝利によって名誉は軍師の上に輝くことになる。
では、大敗した場合には軍師の上に下される処遇は何であろうか。
図式化し対比すれば数のようになる。

2015年8月15日土曜日

心得 第百七 「戦国のころのご奉公とは」

骨折り損を嘆くは不忠の一項で「功績を評価されぬ不満」から続くものである。

《天下戦国の時代の武士は、主君のお供をして戦場におもむけば、平地の一戦にのぞんでは一番鎗を合わせ、敵城を責める時には一番乗り、もしも味方が退却するとあればしんがりをつとめるなど、とにもかくにも同輩たちには真似のできぬ働きをと心掛けて働く。もしも運がつきて敵に打たれてもやむを得ない、それが武士の役目であると覚悟を決めて、たび重なる武勇の手柄を立て、数々の感状、証文をもいただいて、その家中は言うまでもなく他家にまでもあっぱれの者として名を知られるほどになりながら、なおそれに満足せず、どうせ、いつまでもこのように生きていられる身ではなし、何とかして主君のお役にたって討死を遂げたいものと、心の底から願うというのが、武士本来の姿である。
これに対して、泰平の世に生まれた武士は、たとえ戦場で主君に忠節を尽くしたいと深く願っていようとも、そのような機会は与えられないから、いつも何もせずに日を送り、自分も同僚たちも畳の上の奉公ばかりをしているうちに無駄に年をとって、主君のご厚恩をいただいたばかりで死んでいくよりほかはないのである。そこで、同じ畳の上の奉公とは言いながらも、主君のおんため、お家のおんためになるようにと、ひときわ目立った立派なご奉公をと思い立ち、それを成し遂げることができたならば、泰平の世の武士として見れば、なるほどお手柄を立てたように思われる。
しかしながら、右に述べたような戦国の武士で、一生の間に何度となく戦場に立って、主君、大将のおんために身命をなげうち、度々の手柄、功名を極めたという者の前に出ては、とうてい口をきくこともできぬ程度のことではないだろうか。
なぜなら、何といっても太平の世の奉公というものは、畳の上をはい回って、手の甲をさすりながら舌先三寸で勝負を争うのが上手かどうかという程の事で、身命をかけての働きなどということはあり得ないのである。それを、どれほど見事な奉公をしたからといって、それを自分でたいしたことのように思い込み、主君のおほめが厚いの薄いのといったっことを気にかけて、愚痴や不満を抱くなどとは、もってのほかといわねばならない。
なぜかといえば、およそ戦場に出て主君のおんために忠義を尽くそうと駆け巡る武士の心には、後々の恩賞の計算などは毛頭もしてはいられないのが当然だからである。
このように考えるならば、主君にご奉公をして生きていく武士は、主君のお為にさえなれば・・・と、ただ一筋に思い込んで、ひたすら勤めるのがその役目なのである。
それを、感心なことよとお褒めなさるのも、なさらないのも、すべては主君のお気持ち次第と覚悟して、ただ自分の任務を尽くしさえすればそれでよく、不満とか愚痴とかいったことは一切出てこないのが道理である。
それなのに、自分の努力の成果を自慢して主君のご恩をむさぼり願うというのは、はなはだ卑劣な心掛けであって、忠臣の道からはずれたものといわねばならない。》


戦国の武士は、《平地の一戦にのぞんでは一番鎗を合わせ、敵城を責める時には一番乗り、もしも味方が退却するとあればしんがりをつとめるなど、とにもかくにも同輩たちには真似のできぬ働きをと心掛けて働く。》とあるように、抜きんでることを第一とし、《主君のお役にたって討死を遂げたいものと》死を賭して奉公したのである。一意専心、余念なしなのである。
それに比べ、泰平の武士
働きは、畳の上のもので《身命をかけての働きなどということはあり得ない》、だから、余念が起きるのである。
《戦場に出て主君のおんために忠義を尽くそうと駆け巡る武士の心には、後々の恩賞の計算などは毛頭もしてはいられない。》する隙がないのである。
奉公は死を賭して行う一方的なもので、報われることは眼中にない。それが武士本来の姿である。
だから、《自分の努力の成果を自慢して主君のご恩をむさぼり願うというのは、はなはだ卑劣な心掛けであって、忠臣の道からはずれたものといわねばならない。》ということになる。


ここで考えたいのが、今日の行き過ぎた成果主義である
「短期に、どれだけ多くの利益を生み出すことができるか」が問われ、その為に短期成功報酬型の評価制度が導入され、煽動する。会社は従業員を、市場は企業を、社会は生活者を短期成功報酬型に教育しているのではないだろうか。
これが社会を進化させる原動力となっているとしたら、これでいいのかと思う。
何故なら、褒美(報酬、報奨)以上の働きは期待できないという事である。
社会が評価できるレベル、常識を超えたレベルの働きが時代の進化を支えてきたのである。
しかし、自然が教える成果主義は後世へ何を引き継ぐかを問うているのではないだろうか。
視点を替え、視界を拡げ、自分(限界)を知ることを我々に迫っているように思える。