2014年5月20日火曜日

心得 第四十七 「たとえ尋ねられてもはぐらかせ」

許されぬ転職先での旧主の悪口」の一項である。
《侍というものは、自分が奉公している主人の家に子々孫々まで勤めるつもりでいても、何かの事情によって、その家を離れることがある。
そして、前の主人との関係で差支えがなければもちろんのこと、もし、何かの制約でもあれば詫びを入れて自由な立場となり、ほかの主君に抱えられて奉公人となるというのが昔からの武士の仕来りである。もし、こうした事情から他家に奉公し、やがて、その家の古参の武士たちと親しくなり、朝夕に顔を合わせ雑談をするようになってからも、かつての主人の家のよからぬ噂などは、仮にも口に出してはならぬと決意することが、武士としての第一に必要な心がけである。
なぜならば、この広い世界において日本国の武士と生まれ、国の東西南北に大名、小名、城主などが数知れず居る中で、どのような過去の因縁によって主従の契りを結び、たとえしばらくでもその家に奉公していたとあれば、その間に自分の生活を支え、子供を育てることができただけでも、その恩を受けていなかったとはいえまい。そのように考えるならば、たとえ一日といえども主君と仰いだ人の悪い噂などということは、仮にも口に堕すべきものではない。
ところが、そうした判断もつかず、世間に知られていない旧主の噂までも、自分だけが知っているとばかり得意げに言いふらすなどというのは、あたかも小者、中間同然の根性と思われる。
かつてのご主人のことについては、それがたとえ不始末のために幕府のおとがめを受けた人であろうとも、噂すべきではない。もし人から尋ねられようと
、あれこれとはぐらかして、その人の悪事などは一言も口にしないというのが武士としての正しい道である。》

先に、《儚くも、一期一会の世の中で、家を立てんと一所懸命》が武士の生き方であったと述べた。《報恩》《忠孝仁義》が武士の思想の中核にあった。
《法の前に道理あり》と謂う。道理に基づく君臣関係は、世間の評判を超えたものである。
だから、噂などに加担し、尊ぶべき君臣関係を卑しめるなというのである。

吉田氏は《これは、ある意味では現在でも立派に生きる教訓である。》と言い、次のように続ける。
自分の出所進退を事情を知らぬ相手に語るとき、われわれは知らず知らずのうちに自己弁護をしているものだ。前の測場をなぜ山高について、自まんとも愚痴ともつかぬ話をくどくど聞かされれば、たいていの相手はうんざりするに違いない。それで自分の株を上げようなどと思っても、逆効果しか期待できないだろう。
人材の流動化が進んでいる最近の風潮から考えて、心にとめておきたい。
全くその通りである。

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