2016年10月1日土曜日

寄り道

ファミマ新社長 20年の寄り道をどういかすか」という記事に接した。

ファストリの社長就任を固辞して同社を去った沢田氏は企業再生に関わる会社を創業する。企業再生の最前線に立つだけでなくベンチャー経営者の顔を持つ。フランチャイズチェーンであるコンビニも各店が独立した経営母体であり、ベンチャーの集合体が巨大な流通企業となる。あるファミマの加盟店主(オーナー)は沢田氏の略歴を知ってこんな感想を述べた。「サラリーマン社長じゃないから我々、オーナーの気持ちもわかってくれることを期待したい」と語る。 
 再生に失敗した苦い経験も彼にはある。約20年におよぶ沢田氏の寄り道は決して無駄ではないだろう。
一年前の記事だ、改めて考えてみた。
気持ちは、経験した人にしか伝わらないのだろうか。
手伝うこと、手間をかけること、そこでサービス・商品が道具となって、気持ち、意図が伝わる。し
それがサービスだ。仕事の彼方には人がいる。また此方にも人がいる
人と人とが向き合って仕事は成立する。
仕事から人が排除された時、過剰生産が始まった。
不安・不満の解消が活動の原動力とする限り、過剰生産を生み、さらに不安・不満を募らせる。
自己中では問題は解決しないのである。「知足安分」これに尽きる。

心得 第百十二 「奸臣を除くため一身を捨てよ」 成果主義から成長主義へ

殉死にまさる大忠節とはの一項で「お家に伝わる怨霊の手口」から続くものである。
《このようになれば、例の一人は、まさしく大いなる妖怪であって、お家に害をなす悪魔、主君の敵であることが明らかとなり、家中一同がこぞってこれを憎み、もてあまし者にはするけれども、さて、誰一人として自分がそれを除くために進み出て苦労しようという者は現れない。そして十人中九人までの者が、その者の悪意を訴訟に持ち込み、自分は手を汚すことなく、舌先の勝負でことを決するのにはどうしたらよいかと相談するだけのことである。
そのような手段によっては、とうてい内々のうちに事を処理することはできず、その紛争の内容は、主君のご親戚一門のお耳にも入って、ご一族全体の問題となりさらには重大な成り行きにまで発展し、結局は公儀の御介入まで招かずにはすまなくなる。昔から今に至るまで、大名方のお身でお家の仕置きができかねて、公儀にご迷惑をおかけして、事が落着してからのち、主君のご身分がそのままですんだという例はない。してみれば、事を訴訟沙汰に持ち込むことは、角を矯めようとして牛を殺し、ほこらに住み着いたネズミを退治しようとして社を焼くというたとえのように、主君のお家はつぶれ、家中の大小の奉公人たちはすべて流浪の身となり、何代も続いた大切な名家を古い怨霊のために取りつぶされてしまうという結果となり、誠に無念至極、なんとすることもできぬ状態に陥るのである。
このような場合にこそ、先に述べた主君のご恩を深く受けて、公儀のご禁制さえなければ無益の事ながらも、せめて殉死をしてでもご恩に報いたいものと、一筋に思い詰めている武士が、身命を捨てるご奉公のしどころなのである。そのときは、例の大悪人をとって押さえ、同腹をえぐるなり、首を刎ねるなり、心ゆくばかりにし遂げて始末をつけ我が身は直ちに切腹を遂げ、乱心者の仕業ということにしてしまうのである。このようにすれば、お家騒動とか訴訟騒ぎとなることはまったくなく、主君のご身分に悪影響を及ぼさず、家中一同も安心して、お家は安泰となるのである。これこそは殉死に百倍にも勝る忠、義、勇の三つを兼ね備えた行為であり、末代の武士の手本ともなる大忠節ということができよう。このような決意を固めた武士が、大名方のお側にせめて一人ずつでもいて、我が身命を賭けて主君のおんためを思い、守護し奉っているならば、それは生きた鍾馗大臣と同じことで、悪鬼魔神のような奸智に長けた悪人どもといえども、大いに恐れをなして手を出さず、主君の御ためにならぬ悪逆非道の行為を働くことはできぬものなのである。
このことを、よくよく考えおく必要があろう。


そのような妖怪に対して、《舌先の勝負》を挑んでも、《とうてい内々のうちに事を処理することはできず》、《結局は公儀の御介入まで招かずにはすまなくなる》。そして《何代も続いた大切な名家を古い怨霊のために取りつぶされてしまうという結果と》なる。
この場合こそ、《主君のご恩を深く受けて、公儀のご禁制さえなければ無益の事ながらも、せめて殉死をしてでもご恩に報いたいものと、一筋に思い詰めている武士が、身命を捨てるご奉公のしどころなのである。》
《このような決意を固めた武士が、大名方のお側にせめて一人ずつでもいて、我が身命を賭けて主君のおんためを思い、守護し奉っているならば、それは生きた鍾馗大臣と同じことで、悪鬼魔神のような奸智に長けた悪人どもといえども、大いに恐れをなして手を出さず、主君の御ためにならぬ悪逆非道の行為を働くことはできぬものなのである。》
こうして殉死に勝る大忠節が成り立つというのである。

ここで考えたいのは、「怨霊」なるものである。
アーサー・ケストラー著「機械の中の幽霊」ではないが、社会機構の制度として、運営プログラムの中に組み込まれて、種々の収奪を行っているのがその「怨霊」ではないか。
最後の参考の内容と、『「親米」と「反米」』

今日、ビットコイン取引所社長が不正操作容疑で逮捕された。 

こうした事件が身近に起きている。我々の生活領域は、グローバルに拡大している。
そしてグローバル化によって汚染されている。
日本というイエを守るために、我々に必要な忠節とはどのようなものであろうか。
忠節を尽くす、領域をどこに求めるか、その領域における仕来りは何か、常識、定式は何か、明らかにしなければならないことは多い。