「学問、風流もときに大害」の一項で「我が国の伝統を見失うな」に続くものである。
《次に歌道のことであるが、和歌の道は我が国特有の文化であって、公家の間は言うに及ばず、武士たちの中においても、古今の名将勇士のうちにその道の名人が数多くいたものである。従って、小身の武士であっても、歌道を学び、折に触れてはつたないながらも一首を詠むほどの心がけは好ましいことといえよう。しかしながら、この道も悪く凝り固まるのは困ったもので、古来の歌の名人と呼ばれた人でさえ簡単には作れなかったような名歌を、なんとしても詠んでみたいと思い込むようになり、他のすべてをなげうち、ひたすら歌の道だけに専念するようになると、いつしか心も形も公家やら武士やらわからぬように軟弱となって、武士本来の姿を失ってしまうものである。
とりわけ、近頃世間にはやっている俳諧などに凝りすぎると、同僚たちのまじめな談話の席にあっても、ともすれば冗談、軽口、だじゃれなどを口に出してしまう。その場をおもしろくすることはできるかもしれないが、武士としては、のべつしゃれを口にすることは昔から好ましくないこととされており、こうした点に気をつけた方がよろしい。》
「歌舞音曲」は芸の幅を広げる上では由とされたが、その本道から外れてはならないとする。
芸事には〈守破離〉の三段階があるといわれるが、〈破〉も〈離〉も、〈守〉があってこそ成立する。
心を学ぶためのものであって、心を失ってはならないというのである。
《口は災いのもと》、無駄口を「分に過ぎる」と警戒したと考えられる。
〈常〉に流され〈変〉を忘れることのないよう、常に心に刃をあて、慢心・増長することを警戒した。
いつでも〈潔く〉行動できるように、心が「汚されないように」行動を慎んだのである。
〈凝り〉が〈懲り〉に転じないように、「洒落」が字のごとく、酒で身を滅ぼすことのないように・・・。
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