「古手の役人はよごれた白小袖」の一項で「汚職役人の手口はこれだ」へ続くものである。
《「白無垢小袖と役人とは、新しいうちがよい」ということばは、軽いことわざながら、なかなかもっともなことと思われる。白小袖の新しいうちというものは、たいへんきれいなものでも長いこと着ている間には、襟のあたりや袖口から汚れ始めて、そのうちにねずみ色のようになってしまうと、まことに見苦しく、汚らしいものである。
また、役人が何かの職務についた場合も、最初のうちは万事について新鮮な心構えを持ち、主君のおおせつけを大切に守り、ちょっとしたことについても真剣に考え、とりわけ、その職務についての規定罰則に心を刻んで、少しもそむくことがないようにと慎重に勤めるから、すべてについて不足するところがない。こうして、家中の一同から、まことに無欲正直なよい役人とほめられたほどの者であっても、その職務を長らく勤め、さまざまな筋道が理解できるようになってくると、次第に要領がよいだけの仕事ぶりとなって、新任のころには決してしなかったような失敗をしたりするものである。》
慣れると、緊張感がなくなり、人間の性、本性が現れる。気ままにせず、常に改める必要を説く。
〈改める〉とは《新しいものに変える》意であり、新しいうちは自然に刻まれることも〈なれて〉くると刻めなくなる。それが人間なのである。新鮮な気持ちを保ち真心をこめて仕えることを説く。
〈なれる〉が《為れる、生れる、成れる、馴れる、慣れる、熟れる、狎れる》と多様に表記されるのも現れるものの違いを表現する必要からであろう。
経験が増すことに拠って成長するか、退化するか、人それぞれである。
《克己復礼》と謂う。その意は《《「論語」顔淵から》自制して礼儀を守るようにすること。》とある。
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