この国の成り立ち(毎日小学生新聞)

この国のなりたち:/1(その1) 外宮、内宮の順でお参り

毎日小学生新聞 2013年02月05日
 11にち建国記念けんこくきねん奈良時代ならじだい歴史書れきししょ日本書紀にほんしょき」によると、日本にっぽんはじめて統一とういつして大和朝廷やまとちょうていきずいた神武天皇じんむてんのう即位そくいしたとされるです。今年秋ことしあきには天皇家てんのうけがあがめるかみ皇祖神こうそしんをまつる伊勢神宮いせじんぐう三重県伊勢市みえけんいせし)で、やく1300年続ねんつづく「式年遷宮しきねんせんぐう」という行事ぎょうじが20ねんぶりにおこなわれます。建国記念けんこくきねんにちなみ、「このくにのなりたち」をてみましょう。

 ◇式年遷宮しきねんせんぐうは20ねんに1かい

 式年遷宮しきねんせんぐうとは20ねんに1かい神様かみさまをまつる建物たてものや、おそなえするかたな衣類いるいなどの宝物ほうもつあたらしくするおまつりです。はじめておこなわれたのは、西暦せいれきあらわすと690ねん以降いこう戦国時代せんごくじだい第二次世界大戦時だいにじせかいたいせんじなど、社会しゃかいみだれたときのぞき、やく1300ねんものあいだつづいてきました。
 伊勢神宮いせじんぐうたずねました。伊勢神宮いせじんぐうには天照大神あまてらすおおみかみをまつる皇大神宮こうたいじんぐうと、豊受大神とようけのおおみかみをまつる豊受大神宮とようけだいじんぐうというふたつの正宮しょうぐうがあります。天照大神あまてらすおおみかみ皇室こうしつ祖先そせんかみ皇祖神こうそしん)といわれています。豊受大神とようけのおおみかみ衣食住いしょくじゅうまもがみです。
 皇大神宮こうたいじんぐう内宮ないくう豊受大神宮とようけだいじんぐう外宮げくうともばれます。このふたつを中心ちゅうしんに、別宮べつぐう摂社せっしゃ末社まっしゃなど125のおやしろから伊勢神宮いせじんぐうっています。
 外宮げくう内宮ないくうじゅんでおまいりするのがただしい作法さほうということで、まず外宮げくうへ。外宮げくう御正殿ごしょうでん唯一神明造ゆいいつしんめいづくりという日本古来にほんこらい建築様式けんちくようしきでした。バスで内宮ないくう移動いどうすると、聖界せいかい俗界ぞっかいけているといわれる宇治橋うじばしわたります。したながれるのは五十鈴川いすずがわ。このも、たくさんの参拝客さんぱいきゃくおとずれていました。

 ◇ねん千数百せんすうひゃくのおまつ

 伊勢神宮いせじんぐう大切たいせつなのが、ねん千数百せんすうひゃくあるおまつりです。おまつりは恒例祭こうれいさい臨時祭りんじさい遷宮祭せんぐうさいけられます。恒例祭こうれいさい毎年決まいとしきまった月日つきひおこなわれるおまつりで、このうち神嘗祭かんなめさいと6、12がつ月次祭つきなみさい三節祭さんせつさいといわれ、とく重要じゅうようなおまつりです。
 さらに祈年祭きねんさい新嘗祭にいなめさいふたつをくわえて、五大祭ごだいさいばれます。外宮げくうでは毎日朝夕まいにちあさゆう天照大神あまてらすおおみかみをはじめ神々かみがみ食事しょくじすおまつりもおこなわれています。
 臨時祭りんじさい皇室こうしつなどに重大じゅうだいなことがあったとき臨時りんじおこなわれるおまつり。遷宮祭せんぐうさいは20ねん一度いちど、おみやえ、あたらしくするおまつりです。それがちょうどいまおこなわれています。
 内宮ないくう門前もんぜんには、江戸時代えどじだい雰囲気ふんいきのこす「おはらいまち」や「おかげ横丁よこちょう」がひろがっており、おみやげをったり、食事しょくじをする参拝客さんぱいきゃくでにぎわっていました。

◇「お白石しらいし」を正殿せいでん

 「お白石持行事しらいしもちぎょうじ」は三重県みえけんながれる宮川みやがわからひろあつめた「お白石しらいし」とばれるしろいしを、あたらしい正殿せいでん敷地しきちきつめる行事ぎょうじです。
 「お白石しらいし」は伊勢いせ人々ひとびとはこぶことになっており、地域ちいきごとのやく80の奉献団ほうけんだんが「お白石しらいし」を奉曳車ほうえいしゃぞりにせ、いさましいかけごえ木遣音頭きやりおんどとともに沿道えんどうかわすすみます。
 岡本町おかもとちょうどもたちが練習れんしゅうしているのは、この木遣音頭きやりおんどです。どもたちを指導しどうする土谷健一つちやけんいちさん(56)によると、えらばれるのは小学しょうがく年生ねんせいから4年生ねんせいまでの6にんおとこ。この学年がくねんめているのは、変声期へんせいきこえいきひくくなってしまうのをけるためだそうです。
 昨年さくねんがつごろから毎週土曜日まいしゅうどようびよる練習れんしゅうはじめ、現在げんざい木遣きやり音頭おんど文句もんくおぼえているところです。本番ほんばんでは3にんずつにかれて披露ひろうするため、練習れんしゅうわりばんこにおこなわれました。「もっとゆっくりと」「あきらめずに最後さいごまで」など、土谷つちやさんがこえをかけます。今月こんげつからはけの練習れんしゅうはじまりました。
 岡本町おかもとちょうまれそだった土谷つちやさんは、10さいときに「お木曳きひ行事ぎょうじ」のども木遣きやりを、30さいとき青年木遣せいねんきやり経験けいけんしました。木遣音頭きやりおんど楽譜がくふはなく、すべてくちづたえでおしえます。このため、土谷つちやさんのような体験者たいけんしゃ存在そんざいかせません。

 ◇人集ひとあつめには苦労くろう

 しかし、毎年まいとしある行事ぎょうじならともかく、式年しきねん遷宮せんぐうは20ねん期間きかんくため、人集ひとあつめは大変たいへんだそうです。「40年前ねんまえはやりたいおおかったので、オーディションのようなかんじでうた上手じょうずえらんだものですが、いまはどんながどこにんでいるかもあまりよくわからないので、いのつてをたよってさがすことがおおいのです」と土谷つちやさん。やりたくても、かいさいとし自分じぶん年齢ねんれいのタイミングがわないというケースもすくなくないそうです。

 ◇20年後ねんごおしえるがわ

 それでも岡本町おかもとちょう白石しらいし奉献団長ほうけんだんちょう片岡康かたおかやすしさん(69)は、参加さんかする意義いぎについて、「伝統でんとう継承けいしょうすること。これにつきますね」とはなします。「この行事ぎょうじ参加さんかしたひと今度こんどは20年後ねんごおしえるがわにまわって、岡本町おかもとちょうささえていってくれるといいですね」【井上志津いのうえしづ

◇「国譲くにゆず神話しんわ

 出雲地方いずもちほう島根県しまねけん)にちなむ神話しんわは、「古事記こじき」「日本書紀にほんしょき」と、ほぼおな時代じだい地域ちいき歴史れきし特性とくせいをまとめた書物しょもつ出雲国風土記いずものくにふどき」にしるされています。
 スサノオが大蛇だいじゃのヤマタノオロチを退治たいじする伝説でんせつ有名ゆうめいですが、出雲神話いずもしんわ代表だいひょうするかみはスサノオのむすめむすばれた大国主大神おおくにぬしのおおかみ大国主大神おおくにぬしのおおかみかわをはがされたうさぎをたすける物語ものがたり因幡いなばしろうさぎ」でおなじみです。
 大国主大神おおくにぬしのおおかみ地上ちじょうくにおさめるかみとして登場とうじょうします。そこで重要じゅうようなのが「国譲くにゆず神話しんわ」。古事記こじきのあらすじをいます。
    ◇   ◇
 高天原たかまのはらから出雲いずもにやってかみたちが大国主大神おおくにぬしのおおかみくにゆずるようせまりますが、1度目どめ、2度目どめ失敗しっぱい。3度目どめ交渉こうしょうで、大国主大神おおくにぬしのおおかみども2ふたり判断はんだんにまかせます。1ひとり同意どういし、もう1ひとり力比ちからくらべをいどんだもののけてしまいます。大国主大神おおくにぬしのおおかみ国譲くにゆずりにおうじ、わりにまいとなるおおきなおやしろつくることをのぞみました。
    ◇   ◇
 この立派りっぱなおやしろが、「出雲大社いずもたいしゃ」(島根県出雲市しまねけんいずもし)です。平安時代へいあんじだいにはたかさ48メートルもの巨大神殿きょだいしんでん現在げんざいたかさのやくばい)であったとつたえられます。2000ねん出雲大社いずもたいしゃ境内けいだいから当時とうじのものとされる直径ちょっけい1メートル以上いじょう大木たいぼくを3本束ぼんたばねたはしらつかり、注目ちゅうもくあつめました。
 「出雲神話いずもしんわ敗者はいしゃ美学びがくかんじませんか」といかけるのは、島根県立大学短期大学部名誉教授しまねけんりつだいがくたんきだいがくぶめいよきょうじゅで、松江歴史館館長まつえれきしかんかんちょう藤岡大拙ふじおかだいせつさんです。出雲地方いずもちほう神話しんわ主要しゅよう舞台ぶたいであるということは、いにしえの時代じだい、このおおいに発展はってんしていたともかんがえられます。神話しんわえがかれるように、古代こだい出雲地方いずもちほうおおきな勢力せいりょくめられ、領土りょうどゆずったのかもしれません。藤岡ふじおかさんは「あらそいにけた敗北感はいぼくかんかかえながら、しずかにこのつづけたひとびとの記憶きおくが、いま出雲いずもきざまれているようにかんじるのです」とはなします。

 ◇「天孫降臨てんそんこうりん物語ものがたり」へ

 地上ちじょうくに天照大神あまてらすおおみかみまごのニニギノミコトを高千穂たかちほ派遣はけんします。かみ地上ちじょうつ「天孫降臨てんそんこうりん物語ものがたり」です。日向国ひゅうがのくに舞台ぶたいに3だい物語ものがたりつづき、カムヤマトイワレヒコ、のち神武天皇じんむてんのう誕生たんじょうかみ人間にんげん時代じだいがつながります。
 ここで神話しんわまくじます。神武天皇じんむてんのう日向ひゅうがからひがしかい、大和地方やまとちほう現在げんざい奈良県ならけん)を征服せいふくして、そこを本拠ほんきょにした大和朝廷やまとちょうていきずきます。「古事記こじき」「日本書紀にほんしょき」では、その天皇家てんのうけへと出来事できごとがつづられていきます。【小丸朋恵こまるともえ

 ◇130年前ねんまえ製法せいほう再現さいげん

 「平成へいせい大遷宮だいせんぐう」では、ある先人せんじんわざがよみがえりました。大屋根おおやね使つか銅板どうばんに、まつヤニやエゴマあぶら石灰せっかいなどをぜた「ちゃん」をって保護ほごする技術ぎじゅつです。2010ねん出雲大社いずもたいしゃ銅板どうばん塗料とりょうつかったことがきっかけで調査ちょうさはじまりました。
 「ちゃんり」は、現在げんざい本殿ほんでんてられた江戸時代えどじだい記録きろくのこりますが、製法せいほうまではかりませんでした。現代げんだい職人しょくにんたちが試作しさくかさねてできた塗料とりょうは、その後発見のちはっけんされた製法せいほう記述きじゅつとほぼおなじでした。昭和しょうわ遷宮せんぐう(1953ねん)では使つかわれていない技術ぎじゅつですが、明治めいじ遷宮せんぐう(1881ねん)ではほどこされているため、今回こんかい改修かいしゅうで130年前ねんまえ御本殿ごほんでん姿すがた再現さいげんされたことになります。
 あたらしい御本殿ごほんでんには、東日本大震災ひがしにほんだいしんさい被害ひがいった岩手県釜石市いわてけんかまいしし木材もくざい使つかわれています。釜石かまいし製材屋せいざいや震災前しんさいまえ出荷準備しゅっかじゅんびをしていた木材もくざいが、地震じしん津波つなみをまぬがれ、倉庫そうこのこっていました。木材もくざいは2011ねんがつ31にちまでにとどけられる予定よていでした。出雲大社御遷宮奉賛会事務局いずもたいしゃごせんぐうほうさんかいじむきょくは「震災直後しんさいちょくご混乱こんらんのなか、製材屋せいざいやさんが遷宮せんぐうのために、期日きじつまでにとどけてくださいました」とかえります。
 大国主大神おおくにぬしのおおかみあたらしい御本殿ごほんでんにおもどりになったあともしばらく、境内けいだいのステージではおいわいの神楽かぐらのうなどがおこなわれます。この「奉祝行事ほうしゅくぎょうじ」の演目えんもくには東北とうほく伝統芸能でんとうげいのうならび、5がつ19にちには、福島県浪江町ふくしまけんなみえまち請戸地区うけどちく江戸時代えどじだいからつたわる「田植踊たうえおどり」が披露ひろうされる予定よていです。同地区どうちく津波つなみ全世帯ぜんせたいがほぼ壊滅かいめつし、福島第ふくしまだい原発事故げんぱつじこによりいま警戒区域けいかいくいきになっています。

 ◇いたおどりから復興ふっこうおどりへ

 奉祝行事ほうしゅくぎょうじおどとなる10にんどもたちはいま県内外けんないがいはなればなれでらしています。あつまって練習れんしゅうする時間じかんがほぼとれないまま、本番ほんばんのぞむことになりそうです。請戸芸能保存会うけどげいのうほぞんかい渡部忍わたなべしのぶさんは、「大遷宮だいせんぐう行事ぎょうじおどれることは、震災しんさいくなったかたいたおどりから、復興ふっこう後押あとおしするおどりへとわる節目ふしめになるでしょう」とはなします。
 おど柴綾花しばあやかさんといもうと優花ゆうかさんは、この春高校はるこうこう中学ちゅうがく進学しんがくします。あたらしい学校生活がっこうせいかつ日程にってい調整ちょうせいして出雲いずも予定よていです。綾花あやかさんは「60ねんぶりの行事ぎょうじおどれて光栄こうえいです。一生懸命踊いっしょうけんめいおど姿すがたおおくのひとてもらいたい」、優花ゆうかさんは「仲間なかまひさしぶりにえるのもたのしみ。おきゃくさんに笑顔えがおになってもらいたいです」とかたります。
 60ねんぶりの出雲大社いずもたいしゃ一大行事いちだいぎょうじには、現代げんだいきるわたしたちのあらゆるいのりがめられているのです。【小丸朋恵こまるともえ
 ◇国家神道こっかしんとう問題視もんだいし
 第二次世界大戦だいにじせかいたいせん敗戦後はいせんご連合国軍総司令部れんごうこくぐんそうしれいぶ(GHQ)は天皇てんのう国家こっか神聖化しんせいかされていることを問題視もんだいしし、神社じんじゃ民間みんかん宗教団体しゅうきょうだんたいになりました。明治政府めいじせいふさだめた大日本帝国憲法だいにっぽんていこくけんぽう廃止はいしされました。信教しんきょう自由じゆううばわれた歴史れきし反省はんせいから、あたらしい憲法けんぽうではだい20じょうもうけられました。
 しかし、島薗しまぞのさんは「規模きぼちいさくなっていますが、国家神道こっかしんとういま完全かんぜんになくなっているとはえません」といます。たとえば、現在げんざい伊勢神宮いせじんぐう民間みんかん施設しせつで、天皇てんのうくに象徴しょうちょうとみなされてはいますが、皇太子こうたいし結婚式けっこんしきをはじめ、天皇家てんのうけ祭祀さいしふく事柄ことがら国家行事的こっかぎょうじてき性格せいかくびており、伊勢神宮いせじんぐうかかわりがあるからです。
 明治時代めいじじだい戦死せんしした兵士へいしをまつる神社じんじゃとして位置いちづけられた靖国神社やすくにじんじゃもまた、国家的こっかてき施設しせつになりえます。戦後せんご極東国際軍事裁判きょくとうこくさいぐんじさいばん東京裁判とうきょうさいばん)で戦争せんそう責任者せきにんしゃとして有罪ゆうざいとなった「A級戦犯きゅうせんぱん」をまつっていることもあって、首相しゅしょう靖国神社やすくにじんじゃ公式参拝こうしきさんぱいすることにたいして、毎年夏まいとしなつになると国内外こくないがい問題視もんだいしするこえがってきます。
 「いつのにかふたた国民こくみん宗教しゅうきょうとして強制きょうせいされることのないように、歴史れきしまなんでおかなければいけません」(島薗しまぞのさん)

 ◇意味いみ歴史れきしまなぼう

 では、わたしたちは宗教しゅうきょうたいして、どのようにせっしていくのがいいでしょう。島薗しまぞのさんはまず、まわりでちいさなほこらやお地蔵じぞうさんなど、宗教しゅうきょうかかわるものをかけたら、いつからあったのか、どんなひとおがんだのか、かんがえてほしいといます。そして、おてら神社じんじゃ行事ぎょうじ意味いみ歴史れきしについてまなぶことの大切たいせつさを指摘してきします。
 「宗教しゅうきょうにはどうしても、うちそと区別くべつするめんがあります。たとえば、日本にっぽん特別とくべつ神聖しんせいすぐれているというかんがかた強調きょうちょうしすぎると、外国がいこくひとたちには違和感いわかんたれてしまいますよね。かべつくらないようにをつけて、ことなる宗教しゅうきょうかんがかた尊重そんちょうする姿勢しせい大事だいじです」。島薗しまぞのさんはそうおしえてくれました。
 東日本大震災ひがしにほんだいしんさいあと獅子舞ししまいやお神楽かぐらなどの伝統的でんとうてき民俗芸能みんぞくげいのうは、被災者ひさいしゃ元気げんきづけました。地域ちいき神社じんじゃむかしいま人々ひとびとあいだんでいることが、証明しょうめいされた一例いちれいかもしれません。一方いっぽう日本にっぽんには沖縄おきなわ文化ぶんかやアイヌの文化ぶんかなど、地域ちいきによってもさまざまな文化ぶんかがあります。
 ことなる文化ぶんか尊重そんちょうする姿勢しせいにつけながら、多様たよう文化ぶんかしたしむことが大切たいせつなのではないでしょうか。【井上志津いのうえしづ】=おわり

0 件のコメント:

コメントを投稿