大森曹元著 『剣と禅』

大森曹元著「剣と禅」によって、剣に生きる禅の心を見る

剣は剣刃上における禅であり、禅は心法上における剣である。
道元禅師が「生を極め死を極むるは仏家一大事の因縁なり」といわれたように、禅が生死決定を第一義とすることはいまさら言うだけ野暮である。とすれば、「生死をもって二つにせず」(天狗芸術論)、「死に有りては死の道を尽くし、生に在りては生の道を尽くす」(剣術不識篇)ところの生死を決し、生死を明らめる剣の道と禅の道と、どこに相違するところがあろうか。だからこそ剣禅一如という言葉も出てくるわけだし、また一般に、剣は剣刃上における禅であり、禅は心法上における剣だともいわれるわけであろう。そうなると、剣禅は一如どころか「即」になってしまう。


柳生は剣術を兵法から治世の法にまで高めた。
家康は秀忠に向かって「小野流は剣術なれど柳生は兵法なり。大将軍たるものは須らく大将軍の兵法を学ばれよ」と諭したと言われ、また「大献公実紀」に 
「抑々宗矩ただ兵法に達せしのみならず、よく天下の大体を弁え、禅をかりて術をさとし、術をかりて政治をさとす。故に公の御信敬なみなみならず、常に吾れ、天下統御の道は宗矩に学び足りと仰せられき。」
今がなくては後先もない。今を生きることが永遠を生きることである。
只今を最高に充実して生きることが、時間を超えて永遠を生きる所以である。
気は心と技とを結びつけ、発動させる原動力である。
ここに心と技とに媒介となって両者を結びつけ、これを発動させる原動力としての気というものに着目する必要が生じてくる。
気と志とは一体であり、志を高邁にすることにより、気を拡大強化また純化できる。
志とは心指しで、目的意志とでもいうか、無形不動の心が発動して一定の方向を指し示したものである。その指示に従って気がいろいろな作用をする、という順序である。では心→志→気という一方交通かというと、孟子は「志一なれば即ち気を動かす、気一なれば即ち志を動かす」と、その交互作用的関係を明らかにしている。志、気はその意味では同じとも言えるが、他面からいうときは、ひきいるひきいられるという異なった位相を持っている。したがって、志を高邁にすることによって、気を拡大強化することもできれば、純化することもできるわけである。
「個性」の発現を妨げているのは「自我」である。
「自我」というものを「個性」だなどと錯覚して、それを伸ばすのが個性を尊重することだと考えているのは、とんでもない間違いである。そんな「個性」を「四つん這いになって息の切れ」るまで叩きのめした時、思わずそこに仏光燦然として本物の個性が現れてくるのである。
「自我」を否定して本当の自己を獲得する。
「自我」を否定しつくしたものこそ、逆に自己の根源に帰り、本当の自己が肯定されて絶対的主体に生き、マスターとなることができる。
剣術が生死をかけた術だから、生死を越えた絶対者との出会いがあり、そこへ至る道、人間完成の道が生まれた。
本当は殺し合いの術であればこそ、かえって生死無常のうちに生死を超えた絶対者を見出しやすいのかもしれない。剣を使う主体をそのような絶対者において見出しとき、ここに殺し合いの術は剣の道となる。同時に剣の道は即ち人間の道、あるいは人間完成の道と見なされるようにもなってくる。
武士道は「敵と我、戦争と平和というような、二元的、相対的立場を通り抜けたところに開かれた地平」を追求する。
勝海舟は「君子の剣」を体得した真の武士道の体現者である。
山田先生はそのような見地に立って、「幕府衰滅に際し百事を処理して遺憾なからしめ、江戸の地の焦土たるを免れしめしのみならず、その殷富をして今日あらしめた「ところの勝海舟翁こそ、「剣道の善用、極に達」したもので、「所詮引例には過ぎている」として口を極めて推奨している。
「勇から仁へ」。武士道は進化する。対立から共存へ、より大きな枠組みの中で新たな価値を実現する
禅の発展と比較して武士道(剣道)の進化を禅のほうで、六祖慧能の見と、荷沢神会の知と馬祖道一の用とが、臨済に至って端的に具体的に人として打ち出されたという展開は、剣道にも直心から君子への具体化において見られるのである。この直心影流の発展は、私は一刀流の一から無への掘り下げとともに、剣道史上の二大偉観だと思う。
対立の世界からの脱却がなければ仁(愛)は生まれないのである。対立の次元ではどんなものでも利己的なものに堕してしまう。「利己的な心」を夕雲は畜生心と言ったのである。
戦争と平和との対立する次元にあって、平和を望み戦争を嫌うなら、それは夕雲のいわゆる畜生心であり、似而非平和なのである。そういうものでは、たとい戦って勝ったところで「拉致もない畜生兵法」であるし、いくら声を限りに平和を叫んでみたところで、ただの弱者の悲鳴――畜生心的悲鳴に過ぎないのである。

武士道は、天命を知ること、つまり進化の過程の中に自分の価値を見つけ出すことである。
その邪悪に戦い勝ち、自己の生を守るために、最も能率的な方法を工夫鍛錬してゆくうちに、それは己の心身を正し、自らの非を絶って、絶対主体の命ずるままに任運の行動をすること以外にはないというところに気がつく。それまで対者に向けられていた眼は、ここに至って自己自身を凝視する眼となって、百八十度の転回をするのである。

戦国末期まで武士道は実戦のうちに育まれた。
少なくとも戦国の末期頃までは、「兵法さのみ世間にははやらず」で、一般はあまり剣法の稽古をしなかったものと見える。その理由は夕雲が説明しているように、戦場で実地に鍛錬したのと、乱世の武士には稽古を重ねている時間的余裕がなかったからであろう。
武士道が精神の安定不動を狙いとしたのは戦場での経験に基づくものであった。
剣法の要は撃刺の技よりも、精神の安定不動が狙いだったということは、戦場での幾多の経験の結果、勝敗の鍵がそこにあると考えられたからに違いない。


武士道が理論武装し、哲学的価値を高めていくのは時間的余裕のできた平穏な時代であり、しかも「暇ありの浪人」によるものであった。
織田、豊臣、徳川とだんだんと世の中が平穏になるにつれて、その効果ある実地鍛錬の機会がなくなってきた。そこで「暇ありの浪人ども」が剣の理合いに従って申し合わせ稽古をするようになり、専門の指導者即ち師範家が出現した。既に師範家ともなれば、もったいぶった一応の理論や心法も、ひとかどらしく構えなければなるまいし、また修行法も能率的な方法が工夫されなければならないであろう。

武士道(剣法)は応仁の乱前後から民衆の自衛上の必要に迫られて、急速に普及したとも考えられる。
戦国の末期頃までは武士は合戦に忙しくてとても剣法を教習している余裕がなかったから、その時代の職業的剣法者は主として浪人だったということになる。その意味では先師が「日本剣道史」で論じているように、剣法は応仁の乱前後から民衆の自衛上の必要に迫られて、急速に普及したと見る説も一理あると思われる。

江戸時代の初期まで、武士道は戦場における実戦でしか身につけられないものと考えられ、武士道修行は軽視されていた。
徳川初期の頃でさえ、戦場往来の古豪は、剣者または剣法を小手先のお座敷芸として軽視したばかりでなく、むしろ蔑視する傾向があったことは、多くの物語や書物などに現れている。「甲陽軍鑑」に高坂弾正の言葉として「戦場の武士は武芸知らずともことすむべし、木刀などにて稽古するは太平の代にては切るべきもの無きにより、その切様の形をおぼゆるまでのことなり」とあるなどは、その顕著な一つの例である。

修行の価値は技の向上よりも”息切れ”しなくなるという基礎体力の向上に見出された。
戦場で働く場合に息切れがしないという利点があることが、だんだんと一般に知られてきた。平生剣法を修行したからといって別に非力のものが大剛の士に必ず勝てるというわけでもあるまいが、戦場を縦横無尽に駈け回っても呼吸が乱れないということは武士たちにとって大きな魅力であったに違いない。

常に武士の魂を持って生きることが求められた。
朝起きるから夜寝るまでの行住坐臥の四威儀から、言論応対に至るまで、武士の魂がにじみ出ていなければ「士の威儀」とはいえない。威とは「はなはだ厳かにして人畏るべき形」であり、儀とは「その姿人々皆のっとり手本に仕るべきによろしき」ものだと素行は言う。


武士道は他力的・依存的なものから自力的・主体的なものへと進化していったのである。
その心的な面としては、他力的依存から自力的・主体的なものへというか、人間以上の威力への信仰あるいは依存から、人間の自らの本性の尊重へ――言い換えれば外から内へと心の眼が大きく転回されたことも見落としてはならない。

「道」について『中庸』では「天命これを性といい、性に従うこれを道といい、道を修むるこれを教という」と言っている。
武道・剣道などという、その「道」とは何であろうか。『中庸』に「天命これを性といい、性に従うこれを道といい、道を修むるこれを教という」とある。

“性”とは「生まれながらに持っている心」であり、その生まれつきの心のままに生きてゆくのが”道”である。
“性”の字は、今では専らセックスの意味に用いられるが、その本来の意義はそうではない。「生まれながらに持っている心」である。禅的にいえば、仏性といってよいであろう。その生まれつきの心のままに生きてゆくのが”道”である。その道の修行鍛錬が”教”である。(「剣と禅」大森曹元著)

従って道は、「魚が水から出ればすぐ死ぬ」ように、一時も離れられないものである。

従って道なるものは「須臾も離るべからず」で道を離れて我なく、我を離れた道はないのである。道と我とは本来一体である。「離るべきは道に非ず」、一瞬の間でも人は道を離れられないのである。古人は道と人との関係を、魚と水の間柄に譬えている。道元禅師も「現成公案」の巻の中で、「魚もし水を出れば、忽ちに死す。以水為命知りぬべし」と言っている。

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