次の時代をつくる「志」の研究

高潔な日本人はどこへいった


一五四九年十一月というから、当時のわが国の年号でいえば天文十八年ということになる。戦国時代のことだ。徳川家康が竹千代といって、今川氏と織田氏の間を、人質として送ったり送られたりしていたころのことである。
このとき、はるばるとヨーロッパの国からわが国に来た耶蘇会の宣教師フランシスコ・ザビエルは、その時の日本人について、絶賛の手紙を記している。彼は、先ずヨーロッパの国を出て以来の諸民族との交わりの中で、「日本人より優れたる者を発見すること当たらざるべし」と記したあとで、
「国民はよく交はり、一般に善良にして悪心を抱かず、驚くべき名誉の民にして、他の何者よりも名誉を大切とす。(中略)国民は互いに礼儀を尽くし、武器を珍重視、甚だこれを信頼せり。(中略)十四歳より既に剣及び短剣を帯し、彼らは少しも侮辱または軽蔑の言を許さず。(中略)多くの人読み書きを知りこれに依り祈祷及びデウスのことを得。(中略)此の如く盗を憎むところを見たるなし云々」
と、その国民性について述べている。
これを見ると、その頃の日本人がいかに人格においても道徳性においても他国の人を驚かせるものをもっていたかを知ることができるだろう。それから約二百年後、すなわち一七七五年に長崎の出島に来たツンベルグも、同じように日本語及び日本人をたたえて、
「気が利いていると同時に懸命であり、従順であると同時に正義を愛し、またある程度までは自由を主張する。活動的で、質素で、経済的で、誠実で、且つ勇気に富んでいる」

というように本国へ書き送っている。二百年の経過が、外国人の日本人観をほとんど変えていないのである。確かに、その頃の日本人がすべて、一人残らずこのようであったとは言い切れないであろう。

「貴穀・賤金」の時代が士農工商の身分差別をつくった

幕末の志士の「狂」を学ぶ


(前略)
そうして近代主義が主流になってゆくのだが、しかしその近代主義が根本から問い直されなければならない時代がやってきている。かつて、「貴穀・賤金」の時代に主流をなしていた朱子学的合理主義が、その現実的基盤を失って形骸化してしまっているのが現状だ。
(中略)
しかし、外圧に屈し、事なかれ主義が横行するというのが政治の世界である。それを見極めなければ日本に前途はあるまい。転換期の歴史がそれを教えている。あの幕末に、植民地化の危機を憂えて、理ではなく狂に走った志士たちの言動に学ぶべきことが多い
陽明学が、今日息を吹き返して来たのも時代の要請であろうか。

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