『日本の道』 その源流と展開

自然のみちとあるべき道

(前略)
話は飛躍しますが、武士道という言葉は近世になってからできたもので中世まではもののふの<みち>とか、つわものの<みち>です。武士道の滅私奉公の思想は、近世――幕藩体制成立以後――のもので、本来のもののふの<みち>は「御恩あっての奉公」ですね。主人が土地や俸禄をくれるからはじめて奉公するという考え方。承久の乱(一二二一)の時でも、北条政子が頼朝の御恩を押し売りしたというエピソードがあります。にもかかわらず、後鳥羽上皇に肩入れした武士がいっぱいいる。健康なというか、ドライなというか、ギブ・アンド・テイクみたいな精神です。ところが近世になると、どんな暴君にでも仕えねばならない。「君君たらずとも臣臣たれ」という考え方が出てくる。武士道といっても、つわものの<みち>と、いわゆる武士道の<どう>には、違いがあるわけですな。
(中略)
私は<道>というものの対極に、共同体というものを置いて考えています。共同体があると、そこにどうしても規範が必要になる。特定の倫理体系なり道徳の体系なりができあがる。ナニナニ<どう>と名のつくものになってしまうのですが、その共同体規範ができる前に、ヨーロッパでいえばシンポジウムみたいなものがある。つまり人間がひと所に集まって飲み食いしているうちに、人間を越えるなにものかに接触する。その接触によって人間同士が結び合う。そういう精神的な創造集団みたいなものがあった。日本ではそれに相当するものが、歌仙をまくこと、つまり、芭蕉の連歌=俳諧の集まりみたいなものだと思うのです。
華道とか茶道とか、芸能に<みち>ができてくるが、最初の<みち>は、一味同心といいますか、一か所に集まって精神的な創造行為をする、そういう集まりにできるものでしょうね。その<みち>が不幸なことに日本では<どう>になってしまった。だからお茶でもお花でも本来持っていたクリエーティヴな面が、共同体の規範という方へ、<みち>が<どう>へひっくりかえされていく。私は<どう>に反対して原初的な<みち>の方へ復活したい考えです。





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