2015年8月18日火曜日

心得 第百十 「身命をなげうつ決意こそ」

殉死にまさる大忠節とはの一項で「お家に伝わる怨霊の手口」へと続くものである。
以前には世間において殉死ということが数多く行われていたが、寛文年間に全国にわたって、これを禁制とする旨がおおせ出されて、それ以来、追い腹ということは世間から姿を消したのである。
現在においても諸家の多くの武士たちの中には、主君の深いご温情をいただきながら、それをお返しすることができないので、せめて殉死のお約束をしたいものと考えている人もあるであろうが、公儀のお達しが出されたからには、そのような行動をとれば、亡くなられた主君に傷をつけ、お跡継ぎのご子息も公儀より不届きと思われる結果となって、かえって非常な不忠となるのでそれもできない。それだからといって、畳の上の奉公で人並みのことをするばかりで一生を終わるだけでは残念至極というので、「よし、なにごとにせよ同僚たちの手にあまるようなご奉公はないものであろうか。身命なげうって、ぜひ一度は人並み外れた奉公をせずにはおくまい」と堅く心に決意しているという人もいるに違いない。このような決意を固めて奉公するならば、それは殉死に比べて百倍もすぐれた忠節であり、主君のおんためになるばかりでなく、家中の大小の奉公人にとっても頼もしく、忠、義、勇の三つの徳を兼ね備えた、末世の武士の手本というべき存在となるのである。


武士道の仕来りが変わった。《寛文年間に全国にわたって、これを禁制とする旨がおおせ出されて、それ以来、追い腹ということは世間から姿を消したのである。》
殉死によって忠を現わしたいと願っても公儀から禁制とする旨が出されては、《公儀より不届きと思われる結果》が御子息に及び、反って不忠になる。
武士道の仕来りに従うことができない。こうした場合、どうすればよいのか。友山は次のように
《「よし、なにごとにせよ同僚たちの手にあまるようなご奉公はないものであろうか。身命なげうって、ぜひ一度は人並み外れた奉公をせずにはおくまい」と堅く心に決意しているという人もいるに違いない。このような決意を固めて奉公するならば、それは殉死に比べて百倍もすぐれた忠節であり、主君のおんためになるばかりでなく、家中の大小の奉公人にとっても頼もしく、忠、義、勇の三つの徳を兼ね備えた、末世の武士の手本というべき存在となるのである。》
殉死という行為に代えて、《堅く心に決意》して内面化することを勧める。それが《忠、義、勇の三つの徳を兼ね備えた、末世の武士の手本》として現れるというのである。
少し苦しい言い訳に聞こえる。

2015年8月17日月曜日

心得 第百九 「敗戦の際は討死でつぐないを」

戦略進言の責任は重大の一項で「勝敗の責任を一身に負う」から続くものである。
《もしも、そのような不首尾となって味方先陣の第一陣、二陣も崩れ、指揮に当たっていた武将も何人かは討死して、敵は勝ちに乗じて大将の本陣目がけて押し寄せたか、ご本陣の前の旗、指物なども揺れ動き今は大将のご安否も分らぬといった事態に立ち至った時には、もはや合戦の指揮は断念し、兜の緒を堅く締めて二度と脱がぬ決意を示し、馬からも再び降りぬ態度を見せて、たとえ味方が退却することがあっても、敵にうしろは見せぬとの覚悟を決めて出撃し、敵の鎗玉にあげられて最期を遂げるのである。これこそが、日頃、そのお家の軍師として口をきき、特にその日は戦況の判断役を仰せつかって大将に申しあげ、合戦のご相談の中心を勤めながらことを仕損じた武士の討死の姿として、古来から定められたものなのである。
かつて、信州川中島の合戦において、山本勘助入道鬼斎がこの方式を守って討死を遂げたことは、お家の軍師を勤めようとする武士にとって、末世末代までのよい手本である古人の言葉にも、「人のために軍を謀りて破るる時は死す」といわれているとのことである。
ところが、そのような決意とてもなく、普段は、そのお家随一の軍法者などといわれて大きな口をきき、非常の際となれば、大将のお前で戦略決定に当たってはほかに人もおらぬように自分一人で喋り捲り、いざ一戦となればなおさらのこと、人の意見を聞こうともせず、自分勝手な独断で戦略の道理から外れたことばかりを大将におすすめして、誤った指揮をさせてしまい、負けるはずのない戦いを総崩れにしてしまって、大身小身の味方の武士が数多く討死を遂げる中にも、なお自分だけは死に損なってうろたえまわり、顔をふきふき大将のお側にやってきて、「十分に考えた末のことでありましたが、すっかり見通しがはずれ、このような次第となって非情な失態、まことに困却しております」などと、言い訳をしているようでは、そのお家の軍師といわれる身として、武士の一分が立つものとは思えない。



前項の問いに対する答えがある。それは《敵の鎗玉にあげられて最期を遂げる》のである。
それが《仕損じた武士の討死の姿として、古来から定められたもの》なのである。そのよい手本を山本勘助入道鬼斎が示したといい、《「人のために軍を謀りて破るる時は死す」》と古人の言葉を挙げる。
「想定外」等との言訳は、論外で、《武士の一分が立つものとは思えない》とある。

2015年8月16日日曜日

心得 第百八 「勝敗の責任を一身に負う」

戦略進言の責任は重大の一項で「敗戦の際は討死でつぐないを」へと続くものである。

《武芸の道の修行に熱心な武士が兵法を学んで、軍法、戦法の奥義までも学びつくし、主君、大将のおほめに預り、お取り立てを頂いて、そのお家の軍師となって日頃からそのような口をきいているうちに、いざ不慮の変事ということとなり出陣となった時、家老、年寄、そのほか多くの人々もいる中から、兵法については最も熟達しているとの評判によって、大将より今回の戦の作戦一切をその方に任せるとの仰せをいただくようなことがあれば、その光栄、武士の本望、これにまさるものはないであろう。
しかしながら、これがどれほど重大で、大切なお役かということも、またこの上ないものなのである。それは、小さくは味方の人々の生死を左右し、大きくはお国の存亡にもかかわることだからである。
そこで、自分が考え付いた戦略を大将に申しあげ、その配備によって一戦に及んだ結果、味方の勝利となったならば、その名誉は自分一人の上に輝くのであるから、比べもののない大手柄ということができる。しかし、もしも敵に我が方の戦略を悟られて先手を打たれ、味方の備えが裏目に出たような場合には、どれほどの大敗となるかもしれない。それであるから軍師とはきわめて重大なお役であるというのである。》


「勝敗の責任を一身に負う」軍師の役割について説く。
軍師は、不慮の変事の際に、戦略を上申し、その配備により、闘いに及ぶ、勝敗を左右する戦略・配備がことを決することになり、国の存亡・味方の人々の生死を左右する重要な役目である。
勝利によって名誉は軍師の上に輝くことになる。
では、大敗した場合には軍師の上に下される処遇は何であろうか。
図式化し対比すれば数のようになる。

2015年8月15日土曜日

心得 第百七 「戦国のころのご奉公とは」

骨折り損を嘆くは不忠の一項で「功績を評価されぬ不満」から続くものである。

《天下戦国の時代の武士は、主君のお供をして戦場におもむけば、平地の一戦にのぞんでは一番鎗を合わせ、敵城を責める時には一番乗り、もしも味方が退却するとあればしんがりをつとめるなど、とにもかくにも同輩たちには真似のできぬ働きをと心掛けて働く。もしも運がつきて敵に打たれてもやむを得ない、それが武士の役目であると覚悟を決めて、たび重なる武勇の手柄を立て、数々の感状、証文をもいただいて、その家中は言うまでもなく他家にまでもあっぱれの者として名を知られるほどになりながら、なおそれに満足せず、どうせ、いつまでもこのように生きていられる身ではなし、何とかして主君のお役にたって討死を遂げたいものと、心の底から願うというのが、武士本来の姿である。
これに対して、泰平の世に生まれた武士は、たとえ戦場で主君に忠節を尽くしたいと深く願っていようとも、そのような機会は与えられないから、いつも何もせずに日を送り、自分も同僚たちも畳の上の奉公ばかりをしているうちに無駄に年をとって、主君のご厚恩をいただいたばかりで死んでいくよりほかはないのである。そこで、同じ畳の上の奉公とは言いながらも、主君のおんため、お家のおんためになるようにと、ひときわ目立った立派なご奉公をと思い立ち、それを成し遂げることができたならば、泰平の世の武士として見れば、なるほどお手柄を立てたように思われる。
しかしながら、右に述べたような戦国の武士で、一生の間に何度となく戦場に立って、主君、大将のおんために身命をなげうち、度々の手柄、功名を極めたという者の前に出ては、とうてい口をきくこともできぬ程度のことではないだろうか。
なぜなら、何といっても太平の世の奉公というものは、畳の上をはい回って、手の甲をさすりながら舌先三寸で勝負を争うのが上手かどうかという程の事で、身命をかけての働きなどということはあり得ないのである。それを、どれほど見事な奉公をしたからといって、それを自分でたいしたことのように思い込み、主君のおほめが厚いの薄いのといったっことを気にかけて、愚痴や不満を抱くなどとは、もってのほかといわねばならない。
なぜかといえば、およそ戦場に出て主君のおんために忠義を尽くそうと駆け巡る武士の心には、後々の恩賞の計算などは毛頭もしてはいられないのが当然だからである。
このように考えるならば、主君にご奉公をして生きていく武士は、主君のお為にさえなれば・・・と、ただ一筋に思い込んで、ひたすら勤めるのがその役目なのである。
それを、感心なことよとお褒めなさるのも、なさらないのも、すべては主君のお気持ち次第と覚悟して、ただ自分の任務を尽くしさえすればそれでよく、不満とか愚痴とかいったことは一切出てこないのが道理である。
それなのに、自分の努力の成果を自慢して主君のご恩をむさぼり願うというのは、はなはだ卑劣な心掛けであって、忠臣の道からはずれたものといわねばならない。》


戦国の武士は、《平地の一戦にのぞんでは一番鎗を合わせ、敵城を責める時には一番乗り、もしも味方が退却するとあればしんがりをつとめるなど、とにもかくにも同輩たちには真似のできぬ働きをと心掛けて働く。》とあるように、抜きんでることを第一とし、《主君のお役にたって討死を遂げたいものと》死を賭して奉公したのである。一意専心、余念なしなのである。
それに比べ、泰平の武士
働きは、畳の上のもので《身命をかけての働きなどということはあり得ない》、だから、余念が起きるのである。
《戦場に出て主君のおんために忠義を尽くそうと駆け巡る武士の心には、後々の恩賞の計算などは毛頭もしてはいられない。》する隙がないのである。
奉公は死を賭して行う一方的なもので、報われることは眼中にない。それが武士本来の姿である。
だから、《自分の努力の成果を自慢して主君のご恩をむさぼり願うというのは、はなはだ卑劣な心掛けであって、忠臣の道からはずれたものといわねばならない。》ということになる。


ここで考えたいのが、今日の行き過ぎた成果主義である
「短期に、どれだけ多くの利益を生み出すことができるか」が問われ、その為に短期成功報酬型の評価制度が導入され、煽動する。会社は従業員を、市場は企業を、社会は生活者を短期成功報酬型に教育しているのではないだろうか。
これが社会を進化させる原動力となっているとしたら、これでいいのかと思う。
何故なら、褒美(報酬、報奨)以上の働きは期待できないという事である。
社会が評価できるレベル、常識を超えたレベルの働きが時代の進化を支えてきたのである。
しかし、自然が教える成果主義は後世へ何を引き継ぐかを問うているのではないだろうか。
視点を替え、視界を拡げ、自分(限界)を知ることを我々に迫っているように思える。

心得 第百六 「功績を評価されぬ不満」

骨折り損を嘆くは不忠の一項で「戦国のころのご奉公とは」へと続くものである。

《主君にお仕えしている武士が、どのような事柄にせよ、主君の御為にひときわ目立ったご奉公をし遂げて、自分の心にも、見事ひと奉公を勤めたものと考え、家中や他家の人々も、その事情を知る者は、なかなかできないことをよくも成し遂げたものだ、と感心してほめているにもかかわらず、ご主人のお気持ちとしては、さほどのことともお考えにならないのか、またはお心の中では感心して居られても、何かのお差支えがあってのことか、格別のご恩賞ということもなく、労して功なしといった結果に終わることがある。
そうした場合、さてもお情けのないなされ方よなどといって、主君をお恨みし、心の奥に不満を抱いて、口たらたらに毎日を過ごし、心のこもらぬ勤務ぶりを続けるなどという者は、もってのほかの了簡違いというものである。その理由を述べよう。》

自己評価と他者(上司)評価との違いがあることと、その場合の対応について述べている。
これは今日でも、よく職場で見られる風景である。
当然の働きに対する、当然の評価基準の問題である。
当然の持つ意味が、TPOによって異なるのである。
働きの場と、評価の場では、物事を見る視点、視野、視界が異なる。
当然、評価する目も異なってくる。
一般に、働きの場では、短期・限定的になるが、評価の場では、長期・非限定的になる。
しかし、それによって、武士の本分が変わるわけではない。
そのそも、自己評価に自信があれば、他者評価によって、気分を惑わされる必要はないのである。
気分を損なうという事は、自分の信念を疑うという事、自信がないという事なのだ。
「四知〈天知る、地知る、我知る、人知る〉」の故事がある。
事は善悪に関わらず、顕れるものなのである。
一意専心、正々堂々、我が道をゆく。

2015年8月14日金曜日

心得 第百五 「二度とお手をかけさせぬが作法」

お手討に立ち会う心得の一項である。

《主君のお側近く奉公する武士は、もし同僚の中で、主君に対し奉り非常な無礼を働いてご機嫌を損じ、万一お手討になるような者が出た場合には、ただちに取り押さえて、「もはや息絶えております。とどめは私に仰せ付けられますよう」と申し上げ、そのまま刺し殺すのである。もし、その者が傷を負って次の間へと行こうとするならば、直ちに組み倒して表の方へは行かせぬようにする。そこへご主人が来られて、「その者を放せ、斬る」と仰せある時は、「大切な罪人を放すわけには参りませぬ。私もろともお斬り下さい」と申し上げ、それでもなお放せと言われたならば、「最初の御太刀ひどく弱り、既に相果てております。とどめは私に仰せ付けられますように」と申し上げて、直ちに刺し殺し、二度とご主人のお手にかけるものではないということが、古来から言い伝えられている。しかしながら、一国一郡の大名ともなられる重いご身分の方が、お手討などということを軽々しくなさることは、千万にひとつもありえないことであるから、このようなことは後学のためになるとも思えない。ただし、武士道や歌道の修行においては、乞食袋のように何事をも身につけておくべきだというから、初心の武士の心得として申したまでである。》

《一国一郡の大名ともなられる重いご身分の方が、お手討などということを軽々しくなさることは、千万にひとつもありえない》としながらも、《武士道や歌道の修行においては、乞食袋のように何事をも身につけておくべきだ》としてお手討ちの場合の対処の仕方を説いている。
「お手討」自体、生ずることが、家の名折れである。家督、家徳が問題になる。
有る間敷き「お手討」によって、主の身が穢れることを防ぐのが臣下の務めである。
成敗と決断されたことを主に替り貫徹する。それが武士の務めという事である。



2015年8月13日木曜日

心得 第百四 「大名同士の喧嘩口論」

主君のお供で騒動に遭ったときの一項である。

《昔から今に至るまで、大名方が出合わされた場所で喧嘩口論が起こったという例はあまりないのであるが、将来とても決してあり得ないということではない。不安に思うところである。
たとえば、道中の川越え、舟渡し等の場所で大名と大名とが出合われたとき、双方の家来同士が口論を起こして言いつのり、お互いの味方が増えてきて喧嘩が始まってしまえば、その時の事情によっては、主人と主人同士の争いとなってしまうこともある。もし、双方の主人と主人との争いとなれば、必ずや大きな事件となるであろう。なぜならば、道中において大名と大名との争いとあっては、これを仲裁することのできる者はおらず、決着のつく見通しはないからである。
それであるから、災難は下から起こるということをよく心得、主君のお供をしての道中においては、とりわけ万事に慎重を期し、自分はもとより同僚たちにも注意して、下々の者が理不尽な振る舞いをすることがないよう、よくよく申しつけることが大切である。
また、江戸表において武家屋敷町や町中を主君のお供をしている際、他の大名とすれ違った時に、双方の供の小者たちが口論を起こし、喧嘩となった場合には、ただちにその様子を見て取り、道具もちの手元から主君のお槍を受け取ってお側近くに控え、ことの成り行きを見守る。いよいよ騒ぎが鎮まらず、お供の武士たちも残らず抜刀する状況に至ったならば、お駕籠の側へ御馬を引き寄せてただちにお乗せし、お鎗の鞘を外して主君にお渡しして自分も抜刀して戦うというのが正しい態度である。
次にまた、主君がどこかへご招待を受けてお越しになるというので、お供として従って行った時、お座敷の中で何か不測の事態が起こって騒がしい様子と見えた時には、刀を手に持って玄関に上がり、取次の者に向かって、「自分は誰某の家来、なに某と申す者ですが、何かお座敷の様子が騒がしいようでありますので、主人のことを心もとなく存じ参りました」というのである。これに対し、取次の者は「いや、そのようなことではありませんが、ご心配は御尤もと存じます。そちらのご主人様につきましては、何事もございませんので、一切、ご心配なさることはない旨、ご同僚の方々へもそのようにお伝え下さい」などというであろう。

そのときには、「それは喜ばしい事でございます。それでは主人をお呼び出し頂き、拙者にもお会わせ下さいますように」と要請して、主君にお目に掛かったうえで退出することが望ましいのである。》

騒動が起きた時は、最終的には闘いによって決着すると覚悟することが必要であるという
災難は下から起こるということをよく心得、主君のお供をしての道中においては、とりわけ万事に慎重を期し、自分はもとより同僚たちにも注意して、下々の者が理不尽な振る舞いをすることがないよう、よくよく申しつけることが大切である。》というが、家風の事なる大名同士の騒動では、他家の振る舞いが理不尽に映ることは大いにあり得る。だから騒動が始まると《大名と大名との争いとあっては、これを仲裁することのできる者はおらず、決着のつく見通しはないからである。》と闘いは必至である。
騒動が起きた時には、主の采配に従うのが基本であり、指示・命令を視認し、確認し、行動することが求められたのである。
危機管理の問題である。危機(変の時)には、家風や武士の節操が露わになる。
常に、死と隣り合わせの覚悟をすることで、武士は節操を正したといえる。
今日、我々は、いざとなったら戦う覚悟を持っているだろうか。
面倒に巻き込まれることを避けるために、保険をかけ、代替サービスを利用し、自ら事に当たることを避ける、当事者意識は重く、煩わしいと避ける傾向はないだろうか。
対人関係において相互理解、相互信頼を育むことが重要であるが、特に信頼なる者は、相手の覚悟を見極めることにあり、そこに素敵を感じればこそ、信頼が生まれるのである。
敵に相対して障害を克服した時、信頼が生まれる。信頼は、迎合によって生まれるものではない。

2015年8月12日水曜日

心得 第百三 「生兵法は大害をもたらす」

兵法の修行は徹底的にの一項で「他日を期して戦略戦術を学べ」から続くものである。

《また、兵法の学問を好んで学びさえすれば、知識と才能の二つが育っていくから、もともと賢い者はますます賢くなり、多少鈍い方の生まれつきの者も兵法を長年学んでいけば、その効果が出てきて、それほど間の抜けたことはいわぬ程度にはなれるのである。そこで、武士の学問としては、兵法以上のものはないと思われるのである。
しかしながら、兵法の修行をし損なって、悪い方に道を外してしまうと、上達すればするほど、自分の知恵を誇って周囲の人を見下し、役にも立たぬ高尚ぶった理屈ばかりをいって、修行未熟な若者に誤った知識や心がけを植え付ける。口には正しい道理のような身分不相応な言葉をはくが、心の中は至って貪欲で、どんなときにも自分の損得を計算するのが第一であるから、その人格も次第に悪くなっていき、しまいには、武士としての意気合いさえも失うようになってしまうものである。これはすべて、兵法の修行が中途半端であったことからくる失敗である。
どうせ兵法を学ぼうというのであれば、こうした中途に足を止めるのではなくて、なんとしても、その奥義を究めて、次に再び最初の「愚」に立ち返る、その境地に安住するような修行をすることが大切である。

ところが、お互い様に、兵法の中途に日を過ごし、奥義を学び損ねてはまごつき、自分ばかりでなく他人までをも指導し損なっているというのは、まことに残念なことだが、やむをえぬことではある。
ここでいう「愚に返る」というのは、まだ兵法を学んだことのない当時の心に返るという意味である。およそ、味噌の味噌くさいのと兵法者の兵法くさいのとは、鼻もちならぬものだと古来からいわれているところである。》


「生兵法は怪我の元」の諺と重なる内容である。
《兵法の学問を好んで学びさえすれば、知識と才能の二つが育っていく》、そうすれば誰でも《
間の抜けたことはいわぬ程度にはなれる》という。
しかし、その学びが《中途半端であった》場合、古来、《味噌の味噌くさいのと兵法者の兵法くさいのとは、鼻もちならぬもの》と云うように、他人に迷惑をかけ、本人も《意気合いさえも失うように》なるという。
だから《その奥義を究めて、次に再び最初の「愚」に立ち返る、その境地に安住するような修行をすることが大切である。》と説く。
今日、上述の「鼻もちならぬもの」がはびこっているように思える。それは愚に立ち返る事を忘れ、「功業」に勤しむ故ではないか。
司馬遼太郎『明治という国家』は「功業」と「大事」について、次のように謂っている。

大事ということと功業――手柄を立て後世に名を残したり、現世で栄達したりすること――とは全く別物です。大事と功業は、幕末の沸騰期には、奔走する人々によく使われていた言葉です。長州の思想家吉田松陰も――この人は幕末の動乱の初期に刑死するのですが――このことばをつかいました。小利口で打算的命を惜しもうとする弟子たちを皮肉って、"諸君は功業をなしたまえ、僕は大事をなすのだ"というわけで、西郷というのは、"大事"を担いで、空というもので歩いている古今類を見ない一大専門家でした。
「功業」と「大事」の違いを理解することが肝要であろう。




「意気合い」とは、意気を合わせるしぐさです。

2015年8月11日火曜日

心得 第百二 「他日を期して戦略戦術を学べ」

兵法の修行は徹底的にの一項で「生兵法は大害をもたらす」へと続くものである。

《武士の心がけとして、たとえ小身の者であろうとも、しかるべき軍学の師を選んで兵法の教授を受け、軍法戦法の奥義に至るまでを詳しく心得ておくことが大切である。人によっては、小身の武士が軍学を学ぶなど不相応なことなどというかもしれないが、それこそ非常な心得違い、考え違いというものである。なぜならば、古来から一国、一群の大名と仰がれ、名将と呼ばれた人たちの中には、いやしく貧しい境涯から身を起こして、大業を遂げられた方がいくらもおられるのである。してみれば、今後といえども、小身の武士の中から立身して、一方の将となるほどに出世する者がないとはいえない。それであるから、現在は小身であっても、大身にふさわしい智と徳とを身につけておきたいものだというのである。》

名誉ある働きをすることと、立身出世することは表裏一体である。
今は小身の武士であってもやがて大身となって応分の働きが求められるようになる。
だから《小身の者であろうとも、しかるべき軍学の師を選んで兵法の教授を受け、軍法戦法の奥義に至るまでを詳しく心得ておくことが大切である。人によっては、小身の武士が軍学を学ぶなど不相応なことなどというかもしれないが、それこそ非常な心得違い、考え違いというものである。》という。
要するに、智と徳は分を越え、求めらるものということである。
智徳を積むと功徳が顕れると考えた。

2015年8月10日月曜日

心得 第百一 「武士にもまさる下人あり」

従卒の装備に心づかいをの一項である。

《小身の武士としては、不慮の変事が起こった時にも、多くの家来を召し連れて出陣することはできず、鎗一筋だけを持ていかねばならない。そこで、もしその鎗が折れてしまえば、自分の持つ鎗にことかく次第となってしまう。それであるから、日頃からそこを考えて、袋穂の鎗の身を用意して、陣中にはこれを持って行き、もしもの時には柄には竹をすげてでも、さしあたりの間に合うようにしておくことが望ましい。
次に、非常の場所に召し連れていく下人のためには、多少のきずはあっても、頑丈なつくりで寸法の大きめの刀を脇差にして準備しておいて、各人にこれを差させ、腹には胸がけ、頭には鉢金、鎖笠、鎖鉢巻などをつけさせて連れて行くようにするものである。その理由を述べよう。
およそ一人前の武士であれば、長年の主君の恩を感じ、武士の本分を守り、いかに危険なところであろうと避けることなく、進みがたい所にも進み、持ちこたえにくい所にも踏みとどまって戦うものである。
それにひきかえ、下々の者たちは、日頃の恩といっても大したこともなく、それに感じるというほどのことはない。また義理ということも心得ていない。それが下々というものなのである。そして、身には季節の衣類をつけ、銹び腐った脇差一本を持たされただけで、歴々の武士が甲冑を身に付け、長鎗をふるって勝負を争う場所にのぞむのであるから、持ちこたえることができないのも当然である。しかし、そこをよく踏みとどまって、たとえ十人の中の一人でも、主人の側を離れぬ者がいたとすれば、その根性は下々の者のようとはいえず、武士にもまさった立派なものである
それであるから、若党には胴丸の鎧、鉢金の兜、小者、中間には胸かけ、鉢巻、鉄笠といった軽い防具をつけさせ、敵の骨を斬れるほどの脇差を一振りずつは差させて召しつれるというのが、小身の武士の正しい道、あるべき態度というものである。
次に、小身の武士の出陣に際しては、予備の太刀を持参したり、差し替えの刀をもった従者を連れて行くわけにもいかない。だが、戦場での太刀の打ち合いとなれば、刀が甲冑に当たるのを避けるどころではないから、刀の刃を打ち折って、その替りに事を欠く場合も生ずる。そこで、自分の差替え用の刀を若党に差させ、若党の刀を草履取り、馬の口取り、中間などに差させて召し連れて行くようにするとよい。非常の場合には、普段とは違って、小者や中間までもが大小の刀を差していようとも、誰も見咎めることもないからである。》


ここで述べられていることは、主従は「一心同体」であり、働きは皆で成就するものであるという事である。
そのために、非常時に備え、応分の配慮を隅々まで至らせることを説いている。
吉田氏も【解説】において、《ろくな装備も与えられずに戦場へ駆り出される従者たちの立場を考え、せめては、ふさわしい支度をしてやるのが主人のつとめと説いている。》と云う。
ここで思い当たるのは次の詞である。
「塔組みは木組み、木組みは木の性組み、木の性組みは人組み、人組みは人の心組み、人の心組みは棟梁の工人への思いやり、工人の非を責めず己の不徳を思え」 ――西岡常一『現場の匠 宮大工三代』――
棟梁の「思い遣り」、「配慮」が肝心なのである。


2015年8月9日日曜日

心得 第百 「甲冑新調の際は小道具一式をも」

武具の用意は日ごろからの一項で「いつ何時の点検にもあわてぬよう」から続くものである。

《ところで、小身の武士が新しく鎧、兜を用意するという場合、それについての心得というものがある。
たとえば、黄金三枚の代金で具足一領の支度をする計画であるとすれば、そのうちの三分の二を甲冑の代金にあて、残った金子によって肌着、股引、下着、下袴、上帯、下帯、上着、鞭、軍扇といった軍装一式、それから腰桶、腰苞、面桶、打ちがえ袋、水筒、水呑といった食料飲料用具などのこまごまとした小道具類に至るまで、一人前の武士の装備として何一つ不足するものがないように、品の善し悪しにかかわらず甲冑と同時にひととおり用意してしまうことが大切である。
そのわけはといえば、一般に甲冑については、だれしも持たねばならぬものと承知しているために、身分以上の出費をしても仕立てさせて所持するものだが、そのほかの小道具類については、いつでも用意できるものと思って油断しているために、いつまでも放っておいて、いざというときになくてはならぬ小道具類を、同時に支度しておく心掛けが大切だというのである。
次に、もしも年若く、力量にすぐれた武士であっても、厚い金物を用いた重い甲冑や、大きな指物、立物、といった装備をすべきではない、なぜならば、小身の武士においては、甲冑を度々作り替えるなどということはできないから、若い盛りの力量に合わせて用意した甲冑では、年をとってからの役には立たなくなるからである。また、いかに若いときとはいっても、陣中で病気に掛かったり、負傷したりすれば、たとえ薄い金物の甲冑であろうとも肩に食い込み、苦労をするものである。こういうわけで、重い甲冑は好ましくないというのだ。
また、大きな指物や立物についても、若い時分から出陣のたびにこれを使用して、世間の人たちから知られてしまえば、年をとって重く、苦労になってきたからといって使うのをやめるというわけにはいかないから、見合わせよというのである。最後に、甲冑を作らせるについて、一つの心得がある。それは甲冑というものは、籠手と兜さえ念入りに作っておけば、それ以外は普通の仕立てであっても、一段と見ばえのよいものである。とりわけ兜については、鉢もおどし毛も、立派なものを用いるようにしたい。なぜならば、戦場では勝負は時の運であり、討死を遂げる場合もあり、そうなれば兜も自分の首と一緒に敵の手にわたることとなる。そして敵方では、子孫に至るまでもこれを持ち伝え、語り草とするものであるから、わが武勇の誉れを末永く世間の目に見せ、口にのぼせる器として、兜はただ一つのものとなるからなのである。》


具足一揃いを支度するに計画を具体的に教えている。
その場合、三分の二を甲冑の代金にあて、残りを軍装一式、食料飲料用具等、いざというときになくてはならぬ小道具類を品の善し悪しにかかわらず甲冑と同時にひととおり用意するよう説く。
その際、年若く、《力量にすぐれた武士であっても、厚い金物を用いた重い甲冑や、大きな指物、立物、といった装備をすべきではない》という。年をとってからの役には立たなくなり、病気に掛かったり、負傷したりすれば、苦労をすることになるからだという。
《甲冑というものは、籠手と兜さえ念入りに作っておけば、・・・》《兜については、鉢もおどし毛も、立派なものを用いるようにしたい。》という。何故なら《兜も自分の首と一緒に敵の手にわたること》があり、《わが武勇の誉れを末永く世間の目に見せ、口にのぼせる器として、兜はただ一つのものとなる》という。
働きに必要で、分に応じた装備を調えることが求められた。分に過ぎた華美重装備は負担になるから慎むという事だ。常に、死後何を残すかを考え、将来に配慮し行動していたという事である。
果敢ない人生ではなく、武士として果敢に生き抜いた証を残すことを名誉としたということである。

2015年8月8日土曜日

心得 第九十九 「いつ何時の点検にもあわてぬよう」

武具の用意は日ごろからの一項で「甲冑新調の際は小道具一式をも」へと続くものである。

《奉公を勤める武士としては、大身、小身を問わず、その身分、財力に相応しい武器、装備を所持しておくという心掛けがなくてはならない。とりわけ、そのお家、お家によって戦時における仕来りというものがあり、家中の武士たちの用いる部隊標識用の指物、一人一人の装備、兜の前立て、鎗や鎧の袖につける標識、荷物につける標識といったたぐいのものが、日頃から主君より定められているが、こうしたものは、つねに油断なく用意しておかねばならない。危急の変事というものは、たとえば明日起こるかもしれぬものである。その時に当たって、こうした用意というのは、にわかにできるものではないし、たとえできたとしても、日頃の油断振りが露顕して、人々の軽蔑を受けるに違いあるまい。御家中で定められている標識をいい加減にしていたために、同士討ちにされても、それは討たれた者の討たれ損となることは、武家の古い掟にも記されているほどで、標識とはきわめて大切なものなのである。
また、主君が家中の軍備についての御関心が深ければ、いつ何時、家中の武士たちの武具を点検させたり、あるいはご自身でご覧になりたいと言われることがあるかもしれない。そうした場合、同格の同僚たちが、自身の装備はいうまでもなく、召使の道具類や、その他軍陣に使用する各種の物品に至るまで、何一品として不足するということもなく飾り立ててお目にかけ、主君をはじめ奉り、家老、年寄の人々からも褒めそやされる者もあるであろう。その中にあって、あれも不足、これも不足といった有様では、ほかの場合の失敗とはわけが違って、武士道の根本にかかわる問題であり、武士としての立場を失うような失態である。これでは主君に置かれても、その場ではお見逃しになり、お叱りを受けることはないにしても、お心の中では、さてさて呆れた禄盗人よと、いつまでも愛想をつかされることは疑いない。
武士というものは、たとえ主君からのお改めということがない場合にも、自分の財力相応の武具、装備の用意を怠るようなことがあってはならない。もしも自分の召使いの中に、自分は人を斬ることはないからといって、刀や脇差の中身を竹や木で済ましていたり、尻を端折ることがないからといって、褌を締めずにいたりする心掛け悪い者がいた場合、それを知っていながら、そのままにしておくことはできないであろう。もっとも、そうしたことは、いたって身分の軽い若党とか中間風情のことであるから、それほど重い罪とも言えまい。それに反して、一人前の武士としての身分につき、それにふさわしい禄を頂戴して居りながら、いざ戦陣の際にこれでよいであろうかという思慮を日頃からしておくこともなく、いかに太平の時代とはいえ、武士として持っておかねばならぬ武器、装備の用意もできていないという始末では、若党、中間が刀、脇差に木や竹を用いたり、褌を締めずにいたりするのと比べても、百倍も劣った心がけの悪さと言わねばならない。もしこれが主君のお耳に入った時、どのようにお思いになるか、どれほどのお蔑みを受けるかということをよく考えて、日頃から油断なく武具の用意を心掛けておかねばならない。》


分相応に、常に用心し、危急の時に備えよという。
財力に相応しい武器、装備を所持しておくという心掛けがなくてはならない
そのように油断なく用意していなければ、危急の変事に対処できないことになる。
標識の仕来りを間違うと同士討ちを招くことさえある。
武士道の仕来りを疎かにすると、結局、他に後れを取ることになる。
それは、武士道の根本にかかわる問題であり、武士としての立場を失うような失態である
武士の本分に悖ることは、その俸禄に値しない禄盗人と呼ばれて当然である。

2015年8月7日金曜日

心得 第九十八 「先ず避難の場所を確かめよ」

お供の心得の一項である。
《奉公を勤める武士が、主君のご旅行のお供をして、その日の宿泊地へ到着した時には、主君のご宿舎のどちらの方向には、どのような広い場所があり、そこへ行く道筋はどうか・・・といったことについて、日が暮れる前に確認しておき、よく心に止めておくことが大切である。なぜならば、夜中、急の出火などがあって風向きが悪く、ご宿舎が危ないというので、主君がその場を立ち退かれるような場合、先に立ってご案内するための用意である。
また、日が暮れてから、土地の人に尋ねて近所に見える山や林、神社仏閣などを目印にして東西の方向を知り、覚えておくというのも、これまた夜中に何かのことが起こり、主君のお尋ねがあった時には、早速申し上げられるようにとの心掛けである。
また、徒歩で主君のお供をする時には、上り坂の時は先を行き、下り坂の時は後から行くものだが、こうしたことは小さいながらも奉公する武士の心がけの一つである。右のような諸点をヒントとして、いろいろと思案、工夫を重ね、どうせご奉公をするからには、何か一つでも主君に対し奉ってお役にたてることがなかろうかと、朝に晩に心掛けて努力を重ねるのが武士本来の心構えである。》


近世武家社会では、生活は自然に密着したものであった。自然に依存し、天変地異に左右された。陰陽五行説などに見えるように物事の吉凶は、方位・方角と関連付けられていた。
したがって、旅行の御供をする時には、宿舎の配置、方角を確認するなど用心し、火急の事態に備え、用意を怠らない様に心がけることである。そうした心掛けの努力を重ねることで心構えができるという。
ここで考えてみたいことは次のことである。
《徒歩で主君のお供をする時には、上り坂の時は先を行き、下り坂の時は後から行くものだが、こうしたことは小さいながらも奉公する武士の心がけの一つである。右のような諸点をヒントとして、いろいろと思案、工夫を重ね・・・》とある。
どうして「上り坂の時は先を行き、下り坂の時は後から行く」ことが定式となったのか。その理由は何であろうか?
上方からの襲来者・落下物を身を挺して防ぐためであろうか?

2015年8月6日木曜日

心得 第九十七 「定石を踏めば非難を受けぬ」

公用の旅は安全第一の一項である。
《主君をもった武士が、主君のご用のお使いを命じられて、たとえば江戸から上方へで出むく道中をするときは、大井川はいうまでもないが、その他の川についても、少しでも水勢が増しているときには、その場所の川越人足を雇って河を越すべきである。わずかな費用を惜しみ、あるいは川越上手を自慢にして自力で川を越そうとして、川の中で馬を倒す、荷物を濡らす、または従者に怪我をさせるなどというのは、非常なる失態である。
また、旅行の経路についても、距離が近いからといって(桑名―熱田の便船ではなしに)、四日市から船に乗ったり、または粟津からの便船で琵琶湖を横断したりすることは、とんでもない無分別である。なぜならば、世間一般において乗るものとされている桑名からの便船に乗っていれば、もしも風波のために日程が遅れたとしても、その言い訳が成り立つものである。それに反して、余計な算段をして失敗した場合には、一言の申し開きもできないものだからである。そこで古人の歌にも、
  もののふの矢橋のわたり近くともいそがばまわれ瀬田の長はし
といっている。
このような心掛けは、何も道中のことだけではなく、武士の身として、何事につけても忘れてはならぬことである。武士道の古い教訓にも、このことは教えられているところである。》



常に、正々堂々である。
分に応じて、定石を踏んで行動するのが、武士である。
「安全第一」を旨とする公用の場合は、定石を踏むことが肝心である。そうすれば非難されることはない。何故なら、言い訳が認められるからである。分別のある行動をとっていれば、たとえ間違いが起こったとしても、分を弁えた行動として、弁解、或いは言訳ができるのである。
定石を踏むという事は、定式、定まった作法、やり方に倣うことである。
にも拘らず、うまくやろうと、余計な算段をする事は、無分別であるという。
武士道の古い教訓にもそう教えられているのである。
ここで、「瀬田の橋を渡った人々と渡らなかった人々を見ることにより、琵琶湖の東西を巡る交通がどのように位置づけれれていたかがわかります」という面白い記事を見つけたので紹介する。

2015年8月5日水曜日

心得 第九十六 「家来の恥は主君の恥」

乗馬のたしなみの一項である。
《奉公をする武士が旅行の際には、小身者は宿場の貸し馬などにも乗らねばならない。そうした時には、もし落馬などしても、大小の刀が鞘からはずれぬよう、しっかりと差してから乗らねばならない。
ところが、刀の柄を手ぬぐいなどでぐるぐる巻きにしっかりと結んだり、鎗の鞘をおさえるために太い縄でしばりつけたりするのは(万一の場合、不覚をとるもとであるから)、自分一人が不心得者と見られるだけではすまぬことである。荷物につけた印や、荷札の文字からでも、誰殿の家来かということは人々に知られるのであるから、他国の人々にお家の家風が軽薄であるかのように評判される結果となるであろう。
また、近年の習慣として、旅行中、馬子同士の相談によって馬を交換するということがある。こうした場合、相手の馬の乗り手が武士であれば、馬子のことばによって馬からおりる様子を見届けてから、こちらもおりるのがよい。なぜならば、こちらが馬子のいうとおりに馬からおりてしまったのに、もし相手が馬を替えたくないといった場合には、どうしても替えよというわけにもいかず、結局は、折角おりた馬にまた乗らねばならぬからである。また、江戸表などに滞在中、公私の用事で馬に乗って歩く場合には、たとえ老年であっても、馬に乗れる状態であるならば、自分で手綱を取って乗るようにしなければならぬ。ましてや年若い武士が、中間に両側から手綱を持たせ、自分は馬上で懐手をしているなどは、まことに見苦しく思われるものである。


「馬に乗る」ことは目立つことであり、外聞を憚る武士としては、その振る舞いには十分注意することが求められた。なぜなら、外での振る舞いは、一個人の振る舞いではなく、その家風が評価されることになるからである。
近年の習慣として、旅行中、馬子同士の相談によって馬を交換するということがある。こうした場合、相手の馬の乗り手が武士であれば、馬子のことばによって馬からおりる様子を見届けてから、こちらもおりるのがよい。なぜならば、こちらが馬子のいうとおりに馬からおりてしまったのに、もし相手が馬を替えたくないといった場合には、どうしても替えよというわけにもいかず、結局は、折角おりた馬にまた乗らねばならぬからである》とあるように、新たな慣習に従うにも分相応の対応をすることを求めている。だからとくに相手が武士である場合には、「面子を大事にして対等の関係を崩さないように・・・」ということであろうか。
馬子のいう事に唯々諾々と従い、手間を掛けさせられるのは「間抜け」と映る恥ずかしいことであった。
江戸表などに滞在中、公私の用事で馬に乗って歩く場合には、たとえ老年であっても、馬に乗れる状態であるならば、自分で手綱を取って乗るようにしなければならぬ。》とは、特に江戸のように人目につく所では、不格好は恥さらしになる。だから、臨機応変の活動が封じられた状態を公衆に晒すのは、敵に隙を見せることになり、恥じたのである。

2015年8月4日火曜日

心得 第九十五 「主君をやりこめるのは大の非礼」

無理なおことばにも逆らうなの一項である。
《奉公を勤める武士としては、自分が仕える主君から、たとえどれほど理屈に合わぬ事を言われ、どのようなお叱りを受けようとも、ひたすら恐縮して仰せを承り、ただただ困り果てた様子でいることが、第一に大切な心掛けである。
もしも、主君の方から、「その方に誤りがないというのならば、申し開きをせよ」などといわれることがあろうとも、主君のお言葉に対して申し開きをすることは、お言葉を返す、といって主従の礼儀に反した非常な無礼の大罪であるから、そのようなことはかたくつつしむことである。しかしながら、それが武士道にもとるような性質の事柄であれば、やむを得ぬことであるから、家老、年寄、用人といった人々に対し、後刻、「主君よりお見限りを受けぬよう申し開きを致したいので、なにとぞ、お取次ぎの程を」とお願いするといったことは、当然あるべきことである。
こうした点について、主君のお言葉を無視もせず、また自分の立場をも失わぬように、見事な受け答えをした昔の武士の物語を、初心の武士への教訓として記しておこう。
慶長年間のこと、福島左衛門大夫正則の家来に佃又右衛門という大剛の武士がいた。ある出陣中のこと、夜中、正則の陣中で不意の騒動が起こり、家中の武士たちが残らず本陣に駆けつけたということがあった。その翌朝、正則は又右衛門に対して、「その方は、昨夜の騒動の際、鎗にさやをかけたままで持っていたのはどういうわけか」と尋ねられた。又右衛門は、これを承って、「お疑いは最もでございますが、昨日は夕方から空が大変曇っておりましたために、夜は鎗に雨鞘をかけ、そのまま持って出たのでございます。したがって、鞘をかけたまま持って出たものとご覧になったのは当然のことでございました」と申し上げたので、正則は、「なるほど、わかった」といわれ、ことは落着した。
その後、同僚たちが又右衛門の所へ来て、「昨夜、あなたが鎗の鞘をはずしてもって出られたことは、誰もがよく見ており、証人もあるというのに、今朝のお尋ねに対して、雨鞘をかけてあったとお答えになったことは、どうも納得がいきませんが」と尋ねた。又右衛門は、「雨鞘というものは、あなた方もご存じのように、油紙一枚のもので、実質的には抜身の鎗と同じことです。小さなことながら、大将が見間違いをなさったというのは重大なことですので、それを表沙汰にせぬため、右のようなお答えをしたものです」と答えたので、人々は又右衛門の心がけの程に感心したということである。現代においても、主君のお側近くに奉公仕る武士としては、このような心掛けが必要なのである。》


奉公を勤める武士の心掛けとして大事なことは、「イエ」社会の秩序を守ることである。
従って、主君がらどんな理不尽なことを要求されようと、武士道に悖るものでない限り、唯々諾々と従えというのである。
人権意識が高い今日では、考えにくいことであるが、当時はこうするように理を説いたのである。
それは何故か、主君に対して、意見を言うことは、主君の間違いを指摘することになり、そのことが表沙汰になれば、主君の名を汚すことになる。それは分を弁えない、間違いであり、そうすると「イエ」の秩序が崩れる、それは不忠となるというのだ。
今日の市民社会において我々は「身分制度」から解放され、「忠孝仁義」の伝統的な考え方から解放されたというが、
内聞よりも外聞を重んじ、意図的に、営為を以て行動することを是とする今日、現代的な「忠孝仁義」はどのようなものか、一考する価値はあるように思える。
新渡戸稲造著『武士道』はどのように説明しているのだろうか。


2015年8月3日月曜日

心得 第九十四 「評価をさげる消極的な応対」

むずかしい命令こそきっぱりと受けよの一項で「受けるときの態度が肝心」から続くものである。
《およそ武士としての誇りを持つ者は、どのような場合にも、消極的な態度をとって相手にひけを取ることがないよう心掛けるべきである。
たとえば、人から無心を受け、援助を頼まれたりした時、これはできることか、できぬ事かを前もって繰り返し検討して判断を下し、協力はできないという結論の場合はともかく、もし、いやとは言えぬ事情で承知するというのならば、できるだけ気持よく引き受けるようにすれば、相手の側も誠に有り難いと感じるものである。ところが、承諾の返事がはっきりせず、何か不承不承のように思われてしまうと、相手側の感謝の気持ちも薄れ、「できることなら、この人のところへは無心をいいに行きたくはないが、ほかとの関係もあるからそうもできない。やれやれ残念なことになってしまった」などと、口惜しく残念に思わずにはいられないであろう。
このような者をさして「気性がいさぎよくない」とか、「きっぱりとしたところがない」とかいうが、結局は、その為に損の上に損を重ねるともいわれるのである。このところをよくよく考えるべきであろう。》

武士道は、「後れること」を嫌った。臆病として恥としたのである。そうした後れを生ずる一因が「消極的な態度」にある。
また武士道は、「吉凶を転ずる力」を期待した。それを〈勇〉と称したのである。
状況を転じて、生気、活気を養い、育むことを求められたのである。
「機転(気転)を利かす」力、それは積極的でなくては発揮できない。
その為に、求められたのが「潔さ」であった。未練があると機転が利かないのである。
「潔さ」で連想されるのは、「清廉潔白」である。

〈清廉〉とは、《心が清らかで私欲がないこと》とある。また〈潔白〉とは、《心や行いがきれいなこと。真っ白なこと》とある。「無欲無心」である様を云う。

今、世情を「東芝」問題が賑わしている。
東芝には、土光敏夫氏が居た。「行革の顔」として活躍された。「廉直の士」であったように思う。
どうしてこうなったのだろう。日本の企業の行く末が案じられている。

2015年8月2日日曜日

心得 第九十三 「受けるときの態度が肝心」

むずかしい命令こそきっぱりと受けよの一項で「評価をさげる消極的な応対」へと続くものである。
《奉公を勤める武士として、主君から大切な上意討ちなどを仰せつけられた時には、「ご家中に多くの人々がおられる中から、私にこの度のご用を仰せ付けられましたこと、一生の名誉、武士の冥利につき、本望のいたり、かたじけなきしだいにございます。」などと、きっぱりと申し上げてお受けすることが望ましいのである。これに反して、そのような心がけもなく、煮え切らない態度をとることは、もってのほかの不都合である。
なぜならば、内心では大いに勇気を奮い起こし、見事にし遂げてお目にかけようと決意していても、勝負は時の運であるから、十分に仕とげることがあるかと思えば、また討ち損じた上に返り討ちになる場合さえもあるのである。どのような結果となっても、後日、同僚たちの間で様々な批評が出てくるであろう。
その際、お受けした時の態度がよかった場合には、首尾よく仕とげれば、「お受けしたその時から、なるほどあれなら仕とげずにはおかぬという様子に見えたが、その通りに見事仕とげたものである」と、人々からほめられるであろう。また、たとえ仕損じて返り討ちにされたとしても、「お受けした時の態度から見て、まさか仕損じることはあるまいと思われたのに、どうして打ち損じたのであろうか」と、悔やみ惜しんでくれるものである。
ところが、お受けする時に少しでも煮え切らぬような態度をとていた場合には、たとえ首尾よく仕とげても、「あれは運がよかっただけのこと」といわれて、誰もほめてもくれず、また、もしも仕損じるようなことがあれば、「どうもお受けする時から、なにやら頼りなく思われたが、はたせるかな仕損じてしまった」と、人々から非難されるものである。それであるから、お受けする時には、何としてもきっぱりとした態度を示せというのである。


その成行きは時の運に左右される。首尾よく事が成就することもあれば、運悪く、不首尾に終わる事もある。致し方のないことである。
武士道は、運命に左右されない「至誠一貫」した心のあり方に実を求めた。

難しい命令は、忝き誉である。何故か、頼り甲斐があると見込まれたという事である。
その信頼に応えるかどうかが評価の基準となったと考えられる。
事の成就はその成行きによって決まる。時々の運によるのである。
事の正否、勝負の結果は大事であったが、それより大事なものは、受命者の態度である。
その評価は、成果主義ではなく、誠意主義で行われたのである。
信頼に足るものかどうか、その基準は、その時々に変わる事ではなく、常に変わらぬ心に置かれたということであろう。事の首尾ではなく、心の終始なのである。
終始一貫した誠意が問われたのである。そこに「頼もしさ」が生まれたのである。

2015年8月1日土曜日

心得 第九十二 「死ぬときの苦痛は同じこと」

つねに功名手柄を志すことの一項で「小心者でも歴史に名を残せる」から続くものである。
《このように、その姓名さえ残らぬような討死を遂げるにせよ、あるいは末代にまで名を残す名誉の討死をするにせよ、敵に首を取られる苦しみにおいては、別に相違はないはずである。ここのところをよくよく考え、どうせのことに捨てる命であるならば、人々にすぐれた働きをして討死を遂げて敵味方の耳目を驚かせ、主君にも惜しまれ、子孫にまで長くその名誉を伝えたいものと心がけてこそ、武士にふさわしい決意といえよう。
ところが、そうした判断もつかずに醜い根性をさらけ出す者は、平地での戦闘になれば攻めるときには人の後から、退くときには人より先になることばかりを考え、敵の城を責めるときに弓矢、鉄砲玉が激しければ同僚を楯のかわりにして、そのかげにかがみこんでいるが、そのようにしても運命からは逃れられず、敵の矢に当たって伏し倒れ、そのうえ、味方の人々から踏みにじられて犬死の最期を遂げ、大事な命を失うこととなる。これでは誠に残念至極、口惜しい次第で、武士としてこれ以上の不覚はあるまい。
こうした点をよくよく考えて、武士として戦場に赴き、どうせ命を捨てるからには、敵味方の見ている前で、この上ない手柄を立て、あっぱれの討死を遂げて名を後世にまで残すことを期して、朝に夕に鍛錬を重ねることこそ、武士本来の務めといえよう。


この項の内容が意味することは既に、前項で触れた。
「取捨選択」という事について考えてみる。
武士道は、生きる上で最も大事な、命を捨てることを前提として、大事の決定・判断をするということになる。
欲に囚われることなく正しい判断ができるとするのである。
死に切っていれば、恐れなく、危険な場にも対面でき、物事の処理を的確に行えるとするのだ。
瀬戸際に立つ、危機に直面しても動ずることはなく、正々堂々と活動できるとするのである。
翻って、今日、我々は、どのように考えて、「取捨選択」をしているだろうか。
「人の命は地球よりも重い」と謂い、命を捨てることは論外であり、命は取り上げられ、「安全第一」で守られるものとされる。そのため、昨今、人口に膾炙する「利他的利己主義」を、実践する覚悟はなく、空論と化しているのではないか。こうして我々は、人に会うチャンス、人を知るチャンス、それを逃しているように思う。
人を最もよく知ることができるのは、戦場のような、危機において、その脱出のために共働する時である。そのことを、後藤健二さんは教えてくれる。その時世界は動いたのである。
危機を回避し、自分を大事にする、自分らしく生きることは当然であるが、自分に固執することによって、大事に向かうチャンスを逃していないだろうか。
自分を捨てた時、自我を超えた本来の我が顕れるという。
公正な選択・判断は、「捨てる」ことから始まるということを銘記したい。

2015年7月31日金曜日

心得 第九十一 「小心者でも歴史に名を残せる」

つねに功名手柄を志すことの一項で「死ぬときの苦痛は同じこと」へと続くものである。
《奉公する武士としての第一の心がけは、たとえ天下泰平の時代ではあっても、何かという時には主君の御為に、他の同僚たちの手には負えぬような仕事を成し遂げてお役にたちたいと、日頃から思案工夫を重ねることであり、これこそ武士本来の精神である。
ましてや非常の事態に臨んでは、神仏に誓いをかけても、この度の戦場においては敵味方の目を驚かせ、末代までも名誉を残すほどの大忠義の働きを遂げずには二度と故郷へは帰るまいとの決意を固めて、武勇に励む覚悟は当然のことである。
この場合、武士としては、つねに古い戦記などを広げて、わが身の覚悟を新たにすることが望ましい。たとえば、世間の人々がもてはやす『甲陽軍鑑』『信長記』『太閤記』などという書物には、その時代の合戦のいきさつが記されているが、その中に、たとへ小身の武士であっても際立った名誉の働きを遂げた者については、なんのだれそれと姓名が記されており、それ以外のものは、ただ討死何千、何百などと記録されている。この何千何百といううちには大身の武士がいくらもあるのだが、格別のお働きもなかったため、その名前までは記録されず、一方、たとえ小身ではあっても、武勇にすぐれた働きの武士については、姓名を書き記してあるのである


『儚くも 一期一会の世の中で家を立てんと、一所懸命』
が武士の生き方であった。
立身出世、名誉の戦死、それを覚悟して生きる。大身・小身の別なく、名誉の働きをした者の名は、書き記され、末代まで名を残すのである。
死線を越えて義を貫く武士にとって、大事なのは、形あるものではなく、その働きである。その証拠として名誉、名を残すことを誉とし、汚名は恥とし、注ぐことに一生懸けたのである。

ここで注意したいことは、次の様に記されていることである。
ましてや非常の事態に臨んでは、神仏に誓いをかけても、この度の戦場においては敵味方の目を驚かせ、末代までも名誉を残すほどの大忠義の働きを遂げずには二度と故郷へは帰るまいとの決意を固めて、武勇に励む覚悟は当然のことである》
「敵味方の目」と、内面評価だけでなく、外面評価の目線があるということ、それが公正であった。
このことは何を意味するのか? 「天の目線」を常に意識していたと思われる。
栄枯盛衰、勝敗は時の運である。敵味方に分かれ戦うのも運命である。正々堂々とした生き方を基本とした武士道は、天に恥じないこと、天の目によって最終的に評価されるものであった。

心得 第九十 「歯をくいしばって倹約を」

減俸されても苦情はいうなの一項で「主君のご難儀はわが難儀」から続くものである。
《このような大事な事態から考えても、主君におかれては、前もってこうした場合を予期されて藩の財政を立て直され、人馬、武具馬具などのご用意はもちろん、その他のご費用についても、さしてご苦労なさらぬようになさるのが、武将として当然至極のお心がけといえよう。そうであれば、家中の大小の武士たちに給わる俸禄の切符の中から、分に相応の額を差し上げたいと考えるのは、新参古参を問わず、およそ主君のご恩をお受けした武士としては決まりきったことである。
したがって、俸禄の額が減っている間は、できる限り節約に努め、主君の仰せ次第で養う人馬をも減らし、わが身や妻子は冬は紙や木綿の衣服、夏は麻の帷子を着て、朝夕の食事は玄米飯に糠味噌汁と覚悟を決め、自ら水をくみ、薪を割り、妻子に炊事をさせて、力の及ぶ限りの苦労をしても、主君のお家の財政を何とか立て直そうと決意するというのが武士としての本心といえよう。
もし、何かの事情があって永のお暇を戴き、浪人の身になりたいと考えていた場合にも、家中の俸禄が削減されている間はそのことを思いとどめ、やがて元通りの俸禄をお返しいただけるようになってから、お暇を願うというのが正しい道である。
また、このように俸禄をお貸しして苦労している期間においても、時と場合によっては、主君のご用を勤めるための費用を必要とすることがないともいえない。そうした場合には、自分の差替えの刀や女房の手箱を質に入れてでも、何とかして必要なだけの金子をつくり、お上から拝借するなどのことは決してこちらからお願いすべきではない。
なぜならば、たとえ主君のお耳には入らぬまでも、番頭、組頭、家老、年寄といった人々から見て、俸禄が削られたことを恨みに思って主君に対し奉り、武士らしくもないねだり事をしているなどと思われ、軽蔑されることとなっては、二度とまともな口はきけなくなるから、武士として、そのようなことは慎むべきである。》


心得 第八十九 「主君のご難儀はわが難儀」

減俸されても苦情はいうなの一項で「歯をくいしばって倹約を」へと続くものである。
《奉公を勤める武士として、ご奉公する主君におかれて、何か大きな出費が重なり、藩の経営が行き詰って、どうにもならぬ状態となったために、日頃家中の者に給わる俸禄の切符のうち、いくらかずつを何か年かにわたって借り上げられるというのも、あり得ることである。このような場合には、その額の多少にかかわらず、謹んでお引き受けすることはもちろん、他人はもとより女房子供との雑談の中ででも、「これはひどいことになった。迷惑な次第・・・」などと、たとえことばの端にでも出すのは、武士の道に外れたこととして恥じつつしむということが大切である。
なぜならば、昔から今に至るまで、主君が難儀をされれば、家来たちが寄り集まってお助けし、家来が難儀の時には、主君のお力によって救って下さるというのが、武家における掟である。

まして、ご奉公申し上げる主君のお手元が行き詰ってお困りとあっては、公のご用にも差支え、大名の身として当然なさるべきことまでも取りやめられ、万事を辛抱なさって、ご大身というのは名ばかりのお暮らし向きとなっているのを拝見しては、家来の身として、お気の毒とも口悔しいとも思わずにはいられまい。
もっとも平時の場合は、そうした状態でも何とかなっていくものである。ところが、一旦、世の中に思わぬ騒動が起こるなど非常の場合となった時には、日頃定められている軍勢をとりそろえ、近くかの地へ出発せよとの公儀のご指示があり、いざ、その支度ということになると、まず必要なものは金銀である。
では、その工面ということになっても、日頃出入りしていた町人どもには、すでに何度もの無心をしては放っておいて、ひどい目に合わせているので、役人たちが何を言っても承知しない。また世の中が騒がしい折には、担保を取って金を貸す町人とてもいないから、まるで大石に手を挟まれたように、にっちもさっちもいかぬ有様である。そうしているうちにも、わがお家と同格の諸大名方におかれては、すでに用意もととのって、来る何日には必ず出発と、約束の時日も決まった。こうなっては、普段の時とは違って日取りを動かすわけにもいかず、不足だらけの支度ながらも出陣しないわけにはいかない。
泰平の世にあっては、出陣の有様は珍しい見物とあって、人々は市中の家々を借り切り、野山までも満ち溢れて貴賤入り混じって眺める中を、軍勢をそろえての出発とは実に晴れがましいことながら、家中の人馬の様子はどの部隊に比べても見苦しいとあっては、主君の御身にとって一生を通じ、これほどのご恥辱はないであろう。


身分にふさわしい格好というものがある。それが世間の常識である。それから外れることは分を弁えない、無礼な、恥ずべき行為となった。
そのような恥辱を主君が蒙ることのないように奉公するのが武士の勤めである。

心得 第八十八 「悪いやつほど大きい顔」

禄盗人の罪は重いの一項で「盗人にも三分の理」から続くものである。
その理由を述べよう。世間の盗人というものは人の物を取れば深くそれを隠し置く。また、たいていは見ず知らずの人の巾着や紙入れを盗むものである。それにひきかえ、武士の盗人とは、御恩を受けていいる主君の物を盗み取って平気でおり、身分不相応の贅沢をして勝手放題なことをするものであり、同役同僚たちを、目なし、耳なしの馬鹿者扱いにするばかりか、つまりはご主人までをも馬鹿にしている道理である。だからこそ、世間にはびこる盗人に比べて十倍もの罪人だというのだ。
ところが、このような不届き者にかぎって、悪智恵が発達しているものだから、主君に対しては気のきいたご奉公をして、そのお気に入りの家老や重臣の中から欲の深いものを一人見つけ出して鼻薬をかがせ、誰にも気づかれぬようにその者の歓心を買って自分の後ろ楯とし、その権力をかさに着て公式の決裁の場でも同僚には口もきかさない。自分の職分について自覚することもなく、何事につけても出しゃばって、自分よりほかに人はいないかのような口をきいて、ややもすれば、依怙贔屓の沙汰を行う。同僚の人々からは、まことに傍若無人の態度と見限られながらも、現在、その者の羽振りがよく、また有力な後ろ楯があることを恐れ、また自分たちにもこれに逆らうほどの力量がないため、誰一人として進み出て批判をする者とてもない。このため、後には一同の指導者のような立場となってしまい、人々はみなこの者に口を合わせるようになり、そのままの状態が続いてしまうので、それ以外の同僚たちは、あたかも有名無実の有様となり、国の政治についても大きな支障が生じてくるのである。
足利将軍家の時代に、京都所司代職に選ばれていた多賀豊後守という人は、土佐将監という絵師に命じて、かつて自分が新左衛門と名乗って江州佐々木家の平侍を勤めていたころの姿を絵に画かせ、これを居間の床に掲げて自らの戒めとし、役人たちと語り合う時にも、人は幸運な境界にある時ほど卑賤の昔を忘れぬことが大切であるとつねにいっていたとのことである。


世間の盗人と違い、士農工商の最上位にある武士の盗人の罪は十倍深いものになるという。
《武士の盗人とは、御恩を受けていいる主君の物を盗み取って平気でおり、身分不相応の贅沢をして勝手放題なことをするものであり、同役同僚たちを、目なし、耳なしの馬鹿者扱いにするばかりか、つまりはご主人までをも馬鹿にしている道理である。だからこそ、世間にはびこる盗人に比べて十倍もの罪人だというのだ。》
その理由は、武士が盗むのは、家の物であり、それは主命、主恩に反する「イエ」制度、そのものを破壊する行為となるからだ。
世間の盗人は人目を憚るが、禄盗人は分を弁えず、領分を拡大し、大きな顔をするようになる。
それは武士道に反する大罪であるが、避けがたいものである。好事魔多しである。
人は幸運な境界にある時ほど卑賤の昔を忘れぬことが大切である》と戒め、昔の武人の例を挙げ、賞賛している。

2015年7月30日木曜日

心得 第八十七 「盗人にも三分の理」

禄盗人の罪は重いの一項で「悪いやつほど大きい顔」へと続くものである。
世間にはびこる盗人というものは、人の家の家尻(家の裏の戸や壁)を切り取って中へ侵入し、あるいは人の腰にさげている巾着を切り取り、そのほかさまざまな盗みをして、それを仕事としているのであるから、不道徳なことの上ない存在といえよう。しかしながら、古人の言葉にも「恒産なければ恒心なし」(人として安定した資産がなければ、安定した思慮を持つことはできない)といわれているように、その日の生活に窮してどうすることもできず、心の弱いために「たとえ人の物を盗んででも、さしあたりの飢えと寒さをしのがなけれはならない。もしも見つけられて首を切られようともやむをえない」と覚悟を決めて盗みをするというのであれば、それは不届きなこととは言いながら、いくらかはもっとものことのように思われる。
人間の貧富貴賤というものは、すべて天命であり、これに苦しむことはない、正しくない手段で富を求めることをせず、たとえ飢えと凍えのために直ちに死のうとも、何とも思わないなどということは、口では言うものの、実際には武士以上の身分の者であってもそうそうできることではない。それであるから、盗人の仕業についても、少しはもっともだというのである。
ところで、主君を持って奉公する武士については、大身の者は言うまでもないが、たとえ小身者であろうとも、苗字を持ち、刀を差しているからには、ただの庶民とは言えない。また奉公人というからには、それ相当の俸禄をも頂いているのだから、「恒産なし」ということもできない。そうであるならば、主君のご判断によって会計出納のお役をお受けするような場合にも、少しも私欲を考えることなく、ただひたすら主君の御為になるようにと心がけ、真っ正直に勤めることが武士の正しい道である。ところが、ややもすれば、役目を利用して私欲を満たす悪事を働き、手を変え品を変えては主人の物をかすめ取って自分の手元へ持ち込む工夫を重ねる。しかも自分一人の考えだけでは自由にならないために、部下の秘書役などをはじめ、家来たちにも盗みを働かせるのである。こうして部下の批判、同僚たちの軽蔑にも恥じる心もなく、身分不相応な家の普請や道具集め、ご馳走道楽などに耽り、召使も数多く抱えて、自分と同じ身分の同僚たちにはできぬような生活をするなどは、右に述べた盗人などよりも十倍も劣った大悪人である。


「恒産なければ恒心なし」と言われるように、「人として安定した資産がなければ、安定した思慮を持つことはできない」から止むを得ず、道から外れることはあり得る。だから「覚悟を決めて盗みをする」というのは、私欲に駆られ、悪事を働くだけでなく、他人まで巻き込んで徒党を組んで盗みを働かせ、分にすぎる暮らしをする大悪人に比べれば、三分の利があるというのである。
人間の貧富貴賤というものは、すべて天命であり、自分の裁量で左右することはできない。
「正しくない手段で富を求めることをせず」と口でいうことは易いが、武士以上の者でも中々できないことなのである。それほど当時の士分の暮らしは貧しいものであった。
《身分不相応な家の普請や道具集め、ご馳走道楽などに耽り、召使も数多く抱えて》贅沢な生活をしないように戒めているのである。
「耐乏により待望を遂げる」のが武士の習い、活路となった。
「臥薪嘗胆」の気を養ったと考えられる。

心得 第八十六 「御奉公をおろそかにする妻子狂い」

小身者は妻子を持つべからずの一項である。
緊急の場合に、自分の槍を担がせて出ていく中間の一人をも召し抱える余力のないような小身の武士が、そのような状態で妻子を養うことは大きな考え違いと知るべきである。
多くの親類、友人の中にはいろいろなものもいて「人間には病気ということもあり、洗濯や勝手の仕事もある。第一、子孫を残すためにも・・・」などと、言葉巧みに進めるのをなるほどと思って、将来のことも考えずに人の娘を貰い受け、妻と定めて家に置いておけば、なるほどその当座は朝夕の支度も安心で、普段の用事も片づいて喜んでいるうちに、間もなく小さい子供たちが何人も生まれては、そのたびごとに出費がかさみ、やがて家計に穴をあけ、たった一人だけ召し抱えていた中間にも暇を出して子守女と取り替え、留守番をする男さえおらぬ始末となって、妻子が病気にでもなれば看病を理由に勤めを休んで大切なご奉公を怠り、家計はますます逼迫して、にっちもさっきもゆかず、同じような身分の同僚の真似も出来ぬようになってしまうが、それも自分の好みで不必要な妻子をもったことから起こった苦労にほかならない。ところが、その原因を考えもせず、主君の責任ででもあるかのようにお恨みし、不満を持つというのが十人のうち九人までで、世間によく見るところである。
ここのところを十分に考えて、小身の武士としては、年齢も若く気力も盛んなうちには、昼夜の別なくひたすら奉公の勤めに精を出し、主君の思し召しによって、それ相当の出世も遂げ、もうこれならば妻子を持っても養育に事欠くことはあるまいという判断をつけてから、子孫相続のことについて考えればよろしいのである。

将来の見通し、判断を付けてからことに対処せよという戒めである。
《小心者は妻子を持つべからず》とは、「人権無視である」と当世では聞える。「イエ」社会の近世においては妥当な言い分であった。それは次のように考えるからである。
小身であろうと大身であろうと奉公を第一として考えるのが武士である。
それを《将来のことも考えず》、《朝夕の支度も安心》と当座の都合だけを考え、《自分の好みで不必要な妻子をもったことから》、本来の備えができなくなるというのは恥である。
先述した様に「修身斉家治国平天下」が「イエ」社会における武士道の精神の基底にあった。
奉公し、家を立てることを第一とし、立身出世することで我が身を立てたのである。
さらに言えば、《主君の思し召しによって、それ相当の出世も遂げ》とあるように、主君の配慮により、相応の場が用意されるというのである。
主の思量により、「イエ」を中心に秩序が保たれている。だから自分の子孫相続のことについては、《もうこれならば妻子を持っても養育に事欠くことはあるまいという判断》、つまり「余裕ができてから考えろ」というのである。

心得 第八十五 「こらえ性のないのは憶病の証拠」

長生きも忠義のうちの一項である。
《武士として身を立てようとする者は、大身の者はもとより、たとえ小身の武士あっても、一日でも長生きをし、その身を全うして時節を待ち、いつかは立身出世を遂げて先祖から受け継いだ家を起こし、わが身の誉れを長く子孫に伝えたいと願うのが本来の念願である。まして主君に奉公してその深い御恩を受け、わが身はもとより妻子から召使までも養っていただいている者としては、自分の一身をいつかは主君のお役に立てずにはおかぬという決意を固めているようでなければ、真の武士の志ということはできない。
そうであるならば、自分の体をまず大切にすることを考えるべきである。大食、大酒、淫乱といった不摂生も、若いうちにはそれほど影響があるとも思えぬものだが、やがては、その為に脾臓や胃を痛め、貧血、内臓障害といった病気にかかって若死を遂げる連中が世間にはいくらもいるものだ。その点に気を配って、まだ年齢も若く血気盛んで、無病息災の間から保健衛生に心をかけて、大食、大酒、淫乱などをつつしむならば、七十、八十歳までも長生きをして手足も達者、壮年の者と比べても、さしてひけをとらぬようになれるのである。ところが、そのような配慮もせずに不養生を重ねる者は、四十、五十前後の寿命をようやく保つ程度で、たまにはそれ以上に生き延びても、どうにもならぬ病人となって、生きている甲斐もないという始末となる
とりわけ五十歳以上の年齢ともなれば、益々心身の健康に注意し、飲食物を自制し、もちろん色欲については大いにこれをつつしまなければならないものであるのに、まったく話にならぬほどの無分別、この上ない不始末というほかはない。これはすべて武士道の心がけが弱く、主君に奉公して忠義を尽くそうとする意志が不明確なところから生じた過ちというべきである。その本質を突きつめてみると、結局は、物事をこらえるという意志が薄弱なのである。こらえる気持ちが弱いといえば、いくらかましに聞こえるが、つまりは、臆病者の根性というべきものであって、最も警戒すべきことなのである。

「恩と奉公」で結ばれる「イエ」制度において、真の武士の志は《自分の一身をいつかは主君のお役に立てずにはおかぬという決意を固めている》ものである。だから、養生し、保健衛生に努めれば、七十、八十までも壮年のものと同じように活躍できるという。
不養生は、無分別でこの上ない不始末であるという。それは義を尽くすという意志が不明確であるから起こることで、「その本質は臆病という最も警戒すべきことにある」という。
つまり、武士の精神としての元気が欠けると身体も壊れるということであろうか。
今日、我々は、健全な生活を保障するために保険を掛けるが、保健に欠けることにならないことを祈る。

2015年7月29日水曜日

心得 第八十四 「人事への不当な介入を許すな」

下っぱのときの心を忘れるなの一項で、「使う身、使われる身の相違」から続くものである。
《こうした場合、自分の組の部下の中で、取り立ててすぐれた人柄でもなく、また奉公の勤め振りもどうということはないが、お家の家老、年寄、重臣といった人の親類であったり、特別な人間関係があったりするために、裏からそのものを取り立てるようにしてほしいとの働きかけが行われることがあるものだ。そうした際の返答としては、「主君の御意によって指名されるというのならばとにかく、それ以外の縁故関係によって、組の中で検討した以外の者を昇進させることは決してできません。番頭の身として、組の運営に依怙贔屓があってはならぬということは、お上からの堅い御指示であります。それにもかかわらず、あなたのご意向に従うことは、お家の大法に背き、極めて不明朗なやり方となってしまいます。しかも、この者一人のために、私の部下の侍たちの士気を傷つけ、ひいては主君のおんためにもならぬ結果となりましょう。他の組のことはいざ知らず、自分の組においては、組頭の人々と相談したうえで、一人一人の素質と勤務ぶりの二つを十分に検討して、ふさわしいものを選び出し、推薦申し上げるだけでありますので、そのようにご承知ください」と、たとえ相手が誰であろうとも、きっぱりと言い切って拒否することが、士大将や番頭を勤める武士にふさわしい態度である。
これに反して、そうした言葉を一言も言うことができず、相手の言いなりになって事を処理し、自分の部下の者たちからも見放されるようでは、まことにだらしのない始末で、非常な醜悪といわねばならない。
これもすべて、小身の時の気持ちを忘れ果てて、自分が幸運になればなるほど、出世欲を起こし、上にへつらう心情になりさがったためというよりほかはない。もっとも、いやとは言えぬような相手の指図に逆らって、筋道の立った返答をしたために悪い結果を招き、自分の身の上に障害が出るような場合には、どうしたらよいであろうか。もし、たとえ鼻が曲がろうとも、息さえできればそれで結構というのならば、それはその人の気持ち次第であって、今更議論をしても始まるまい。


初心を忘れ、奉公の身であることを忘れると、公正であるべき人事が人に阿ること、媚びる、諂うことによって曲げられる事を戒めている。
阿る、諂う、媚びるというのは適応するのではなく、順応する姿勢である。適切に対応するのではなく、従順に対応するから、諂いや媚びる態度が生まれる。自分の志がないのである。
これは、いわゆる変説である。人は、「経験に学ぶことによって成長する」とは今日の謂いである。我々は状況によって、人間関係が変わり、考え方を変えることを当然とする。
しかし、目的を明確にし、主旨を貫徹することは今日も変わりないことである。
仕来りを慣習・制度として、家の格式を高めるこれが武士の勤めである。出世することは働き処を得ることであり、武士の誉れであるが、「出世欲」に駆られて、公正さを欠いてはいけないという。
変説は、変節による。それは「貪欲」や「臆病」によっておこるものであり、節操を正すことによって避けることは先の章で既に述べられている。
吉田氏は【解説】で、次のように謂う。
組織体の中に身を置くものとして、地位の昇進が最大の関心事となることは昔も今も変わるまい。身分制度が厳しければ厳しいほど、地位への執着は強烈なものとなる。何の権限もないヒラの時代の理想主義的な正義感が、昇進と共に磨滅していって、かつては自分が軽蔑し反発していた上司と同じように変身していく道程は、よく見受けるところである。

2015年7月28日火曜日

心得 第八十三 「使う身、使われる身の相違」

下っぱのときの心を忘れるなの一項で、「人事への不当な介入を許すな」へと続くものである。
《番頭、支配頭の下で奉公している小身の武士は、上司の人々の心掛け、部下の使い方などについて、自分の日頃の経験からよく判断ができるものであり、もしも我々が立身出世をとげて組を預かるような身分になったならば、部下の者たちをいたわり、なつかせて主君のお役にたつようにしたいものだと考えているものだ。そうした場合には、依怙贔屓などということは絶対にすべきではないと考えるに違いない。
しかしながら、自分がだんだんに出世して、番頭、支配頭といった重い役目につくようになると、かつて人の部下として勤めていたころの心がけとは変わってきて、部下をいたわり、なつかせて主君のお役に立てたいなどという気持ちはなくなってしまうものである
もし幸運にも、主君のお気に入ってお取り立てを頂き、どれほど立派な地位に昇ろうとも、小身の時のことを少しも忘れることなく、人間の幸福とは得難く、失いやすいものだという謙虚な心を持ち続けるならば、自然と物事をいい加減にしないようになる。そのようであれば、我身に災いを招くこともあり得ない。
ところが十人のうち九人までが、自分に運が向いてくると、それにつれて高慢な心になってくるというのが古今の人情の常である。
織田家の佐久間(盛政)、羽柴家の魚住(景固)といった人々は、小身の時代には大変優れた武士であったのだが、大身となってからは考え違いをして、主君から見放され、家を滅ぼしてしまったものである。このようなことは、奉公している小身の武士として心すべき先例である。
小身の武士が、人の部下として奉公していううちに、同僚の中で転勤となる武士があった場合、その武士が役目の上での貢献も少なく、また素質といっても別にすぐれていないにもかかわらず、他の先輩を飛び越えて意外な栄転を遂げたとすれば、それは上司である番頭、組頭の検討が不十分だったためか、または依怙贔屓が行われたのであろうと、人々が内内に非難するのも当たり前である。
もし、わが身が立身出世して、番頭、組頭の役に付くようになったならば、このような点を忘れることなく、部下の人々の人柄の善悪、奉公の年功などに十分に注意して、かりそめにも依怙贔屓の心を起こすことなく公正妥当な組の運営を行うというのが武士の正しい姿である。》


《部下の者たちをいたわり、なつかせて主君のお役にたつようにしたいものだと考えているものだ。そうした場合には、依怙贔屓などということは絶対にすべきではないと考えるに違いない。》
という。当然のことである。当たり前のことを説いているように思えるが、限定合理的、自己中心的な考え方に傾くのは人間の性であろうか。きつく戒めている。
小身から大身になるし従い、衆目の集まる処となる。見るもの感じるものも異なってくる。その状況に惑わされ、本来を失うことの内容に戒めているのだ。
武士道精神は「修身斉家治国平天下」で貫かれている。最終目的は治国平天下にある。
奉公とは、私心を働かせないことである。常に公に奉ずることを旨として励めというのである。
要するに、公僕となれというのである。成りきれるだろうか。非常に難しいことである。
例えば、世上では、「電力の温暖化対策、つばぜり合い激しく 経産省と環境省」が伝えられている。そこには、上述で懸念された「依怙贔屓」や「我田引水」が横行し、自論に固執した縄張り争いに終始している姿が映る。
今日、我々が成すべきは、「自立」もさることながら、「公」の確立が喫緊の課題である。
「公共」を図ることである。公を共有すること、それは、一つには「国柄」を考えることである。しかしどこまでを国として捉えるべきか?今日、「国柄」に対する話題に欠けるのは、安保次第で国柄が左右される、「国柄」を考えることの虚しさを先取りしている帰結?

2015年7月27日月曜日

心得 第八十二 「中途半端な助言は大害あり」

安請け合いは身を滅ぼすの一項で、「引き受けたことには最後まで責任を」から続くものである。
《また人に対して自分の考えを述べ、または批判を加えるといったことも、親切心から起こることであって、好ましいように思われるが、これについても、よくよく考えることが必要である。なぜならば、親、師匠、兄、叔父といった立場の者が、子供、弟子、弟、甥などに対してのことならば、どのような批判や意見を述べようとも差し支えはないのが、その場合にしても、武士の口からものを言うことには慎重な配慮がなくてはならない
ましてや、友人同僚などに対して批判がましいことを言うのは、極めて重大なことだと自覚することが必要である。
ただし、親類他人に拘わらず、日頃から親密な関係にあるものが、何か判断のつかぬことができて、このことはどうしたらよかろうか・・・などと打ち明けて相談を持ちかけてきたときには、自分にもさっぱり判断がつかぬと、最初から相談に乗らなかったのならばとにかく、一旦、相談相手となったからには、たとえ相手の考えと違っていて喜ばれぬようなことであっても、少しも遠慮することなく、道理に基づいて自分の判断のすべてを残らずのべるというのが、武士としてもっとも頼もしい気性のあらわれである。
是に反して、このように行ったら感情を傷つけはしないか、気分を害しはしないかといった、つまらぬ遠慮をして、行き当たりばったりの意見を述べ、その人に言うべきでないことを言わせ、又は物事を失敗させたりして、人々から非難嘲笑されるような目に合わせるようであっては、人の相談相手になる資格もない。これは結局のところ、頼りにならぬ弱々し性格から生じた失敗である。
およそ、自分を男と見込んで相談を持ち込んで来られたからには、正しい道理に照らして相談に応ずるべきである。そうではなしに、自分の気分次第の意見を述べて、物事を失敗させるような思慮のない者とは、もはや親密に付き合うべきではないというのも当然のことである。
すでに相談に応じていながら、相手の気持ちに気を使って、物事の道理に背き、筋に外れたことまでも、それはもっとも、そのとおりなどというのは、武士の本道を外れたものである。そのうえ、あとになってから、これについては誰それも相談に乗っているなどと、人々の評判にもなるということも考えておく必要があろう。》


親切心から忠告や助言をすることも控えた方がいいという。
いずれも武士の口から出ることであるから、失言は許されないのだ。
しかしながら、止むを得ず,相談相手となった上では、道理に基づいて自分の判断のすべてを述べることが信頼に応えることになる。《自分を男と見込んで相談を持ち込んで来られた》のであるから応分の働きを以て応えるのが本筋であるというのだ。
要すれば、武士は、本分に一意専心せよという事である。
余念を捨て、余計なことはせず、余裕をもって武士道に励めという事である。

ここで、〈要領〉という事について考えてみたい。
「要領を得る」とは、ことバンクによれば、《どこが大事かどんな筋道かがはっきりしている》こととなる。これは「自分が管理すべき範囲とその方法を知っている」という事になる。
特に武士にとって領地を安堵されることが誉であり、安堵された領地を首尾よく管理することが最重要課題である。「ようりょう」は、「容量」「用量」とも表記される。安堵された土地を開墾し、その容量を拡大し、器量を高めれば、自ずとそこから産出される用量は定まってくることになる。容量を超えた、用量を期待することは分を過ぎたことになる。器量を磨き、容量を貯え、用量に合わせた配分をする。それが要領を得た振る舞いであり、応分の働きをすることになる。
このようなまとめは如何か?
1980年代、要領を得た熟練技能はエキスパートシステムとしてシステム化された。今日の人工知能ブームも、高度化、複雑化したシステムを要領よく機能させることが難しくなり、「要領を得る」ことはシステム化され、機構化された。容量を得ることがAI無しでは不可能であることの現われである。システム、機構によって「要領を得る」ことが代替された。
問題は、「要領を得る」という経験によって我々は分を弁え、「自覚」「覚悟」することができたのである。その経験がなくなった時、何を代替物として、採り入れる必要があるのだろうか?
「要領を得る」という経験を具象化し、なぞり、掘り起こすことが自立の上で重要なことではないだろうか。それは素養を磨くことになる。
我々はその制御だけをただ単に数個のボタンを押すだけで可能にする

2015年7月26日日曜日

心得 第八十一 「引き受けたことには最後まで責任を」

安請け合いは身を滅ぼすの一項で、「中途半端な助言は大害あり」へと続くものである。
《武士においては、人から大いに頼りにされる気性の持ち主であるということは武士道の精神にも合致し、たいへんに結構なことである。しかしながら、意味もなく物事を受け合い、できもせぬことにまで手を出し、自分が苦労する必要のないことまでも背負いこむような者は出しゃばりものとか、ちょっかい好きとか呼ばれて、非常によくないものである。若い人々はこのところを注意するがよい。
このことは、少し手を出してもよいと思うほどのことであっても、人からぜひといって頼まれたのでないかぎり、構うことはないのである。なぜならば、細かなことは言うまでもないが、たとえ、どんなに困難な事柄であろうとも、武士の身として、頼む、頼まれると言い交したからには、自分が責任を取って苦労をし、心配していかなければならない。ことの成り行きによっては、主君や親兄弟のためにさえ簡単には捨てられぬ一命をも、その問題に関係してしまったためにやむなく棄てねばならぬという場合さえあるのだ。それであるから、意味もない安請け合いは無用だというのである。
昔の武士においては、人にものを頼まれたときには、これはできることか、できぬことかという点を検討して、これはできることではないと考えたことは最初から引き受けない。また、これは可能なことと判断した場合でもその実行の方法についての筋道をよく考えた後で、そのことをきっぱりと引き受けたものであるから、引き受けるほどのことについては、だいたいにおいて成功し、計画が狂うようなことはあまりなかったものである。それであるから、人々からもよく解決したとほめられたのであった。
ところが、そのような思慮もなしに、人から頼まれさえすれば簡単に引き受け、計画が外れても、それを何とも思わぬような態度でいるならば、何もできぬやつといわれても仕方があるまい。


頼りにされることは結構であるが、分を越えた振る舞いをするなと戒めている。
できないことを約束すれば、結局裏切ることになる。それは武士道が最も嫌うものである。
だから一旦約束をしたならば命を賭してそれを果たすことでなければならないというのである。
武士道は「修身斉家治国平天下」を精神の支柱とした。
小事に感け大事を怠ることのないように戒めている。
武士の働きは本来変の時にある。従って常の時には、無用となり、暇が多くなるのである。常にその備えをするのが本筋であるが、飽き足らなくなる。
それを単に頼りにされるからといい気になって、約束などをすると、突然のお家の大事に遅れることにもなる。要するに忙殺されることになるのである。
過分な約束は、違うことが必定であるから、するなということである。
分を弁える。覚悟することによって、自分を弁えれば、安請け合いはしないということであろう。

心得 第八十 「悪政と腐敗を告発する」

経理、財務のお役は敬遠せよの一項で、「国を危うくする「聚斂の臣」」から続くものである。
《もっとも、孔子の居られた時代にあっては、聚斂の臣と盜臣とは別々の存在であった。それだからこそ、聚斂の臣よりは盜臣・・・という御意見も出たのである。
ところが近頃になると、聚斂の臣として下々の人々が難儀迷惑するようなことばかりを工夫するかと思えば、一方では盜臣の行為をも行い、自分のお役の威光によって人々から重んじられるのを良いことに、さまざまな策略をめぐらして、何としてでも自分の手元に人のものをかき集めることを第一に考えて、身分不相応なぜいたくな暮らしをした上に、人には貯えることのできない金銀までもたくさんにためこんでいる。これは外でもない、表面では主君の御為につくすふりをしながら、実際には自分の自由になるようにと、さまざまな手段を弄してつくりあげた不義の富というものである。
これを名付けて聚斂、盜臣の二つを合わせた大賊と呼ぶのである。

この様な大罪人に対しては、どのような思い刑罰をもってのぞめばよいものか、判断に苦しむほどである。
以上のことを考えるならば、武士たる者は、たとえ神仏の御力にすがってなりとも、主君の御勝手向きのお役は仰せ付けられることがないようにと願うのが正しい道である。
ところが、もしそおにょうな役目の部署が空席にでもなっていれば、一度、勤めてみたいなどという気持ちを起こすものがあれば、これこそ武運のつきる前兆であって、泥仏が水遊びをするたとえの通り、身の程知らずの考えである。よくよく心に戒めるように。以上、武士道に初心の武士のための注意として申すものである。


特集ワイド:狙われる?貧困層の若者 「経済的徴兵制」への懸念 - 毎日新聞
以前『貧困大国アメリカ』を読み、貧困ビジネスの存在を知った。
そこでは、次のような説明で、「愛国心」が調達できるとする。徴兵制度のない理想郷アメリカには多種多様な人々が集まる。その中には不法滞在者、浮浪者・経済的難民などが居る。そうした人々に社会復帰へのチャンスとして、その価値を証明するチャンスとして兵役を貸すのである。そうすれば、アメリカ社会への入国や復帰を願う人々から、相応の愛国心を取り付けることができるというのである。経済的困窮によって、愛国心を刈り取ろうというのである。

徴兵制廃止(1973)⇒経済的徴兵⇒不法移民対策⇒徴兵対策⇒素晴らしい愛国心?
こうしたビジネス機構を生み出すコーポラティズム、その背後にあるのは、貪欲という病であり、節操を欠いた、理不尽な論理・思考・志向である。
これは、「税制の仕組み」と同じではないだろうか。
科学的志向で、「欲望」を原動力として、物質機械化する社会の収奪システムの構図は次のようなものと考えられる。
〈悦び〉は体を脱け出て言葉となり、〈説〉となって(節操が説となって実り、身の利となって現れる)〈税〉の根拠を明らかにする。
鋭利にすればするほど、益々有利となり、力が益すのである。
それが資本主義の仕組みであると教えられている。

心得 第七十九 「国を危うくする「聚斂の臣」」

経理、財務のお役は敬遠せよの一項で、「悪政と腐敗を告発する」へと続くものである。
《右に述べた盜臣というのも、もちろん不届き極まる不義のものではあるが、主君の物を盗むという武士にあるまじき行為を働いて天罰を受け、事が露顕して身命を失い、自滅してしまえば、それで事が落着し、人々の難儀迷惑ということもさしてなく、お家の運営の妨げ、国の災いとなることは、さほどないものである。それにひきかえ、聚斂の臣というものは、広く人々を苦しめるよなことを考え出し、二度とやり直しのきかぬような国の政道を妨げるような行政を行うものであるから、たとえ自分の私腹を肥やすような横領などの行為がなくとも、この上ない大罪人に違いないのである。それだからこそ、中国の聖人のお言葉にも、「聚斂の臣あらんよりはむしろ盜臣あれ」といわれているのであろう。
そもそも武士の身として、盜臣と呼ばれるより以上の悪事はないかのように考えるものであるが、この聖人のお言葉に「聚斂の臣あらんよりは」といわれているところを見ると、武士の犯罪として最大のものは聚斂の罪であるということになる。とすれば、盜臣の刑罰として首を切るものであれば、聚斂の臣は、はりつけにでもかけるべきものであろう。


ここでは「盜臣」と比較し、「衆斂の臣」大罪を説いている。刑罰で測れば、「斬首」と「磔」の違いである。
「盜臣」の不義は、その身一個に及ぶだけのものあるが、「衆斂の臣」の不義は、国民や国家に及ぶ。だから、中国の聖人も「聚斂の臣」が居るよりも「盜臣」が居る方が益しだという。

今日、我々は民主主義を謳い国政に参加すること、権勢を揮うことを大望とする者もいる。しかし、その中に多くの「聚斂の臣」を見つけることができる。
「原子力村」や「安保村」が公然と問われているにもかかわらず、それが社会機構として再構成されているのは「聚斂の臣」の増殖であり、日常化といえる。

2015年7月25日土曜日

心得 第七十七 「あちらを立てれば、こちらが立たず」

経理、財務のお役は敬遠せよの一項で、「貪欲の病には勝ち難し」へと続くものである。
奉公を勤める武士は、主君のお考えによってさまざまなお役を仰せ付けられるのだが、この中でお勝手向き(経理・財務関係)のお役については、何としてでもこれをお受けせずにすむようにすることが望ましい。なぜならば、御勝手向き御役人として、その家中の大小の奉公人をはじめ、城下の町人、村々の百姓たちに至るまでをも少しも苦しめることなく、しかも御主人の御力になるように財政を取り仕切ることができれば、これこそお家のためになる大切なお役人と呼ばれることであろう。しかし、そのようなことは、なみたいていの能力や才能でできることではない。ひたすら主君のおんためになるようにと心がければ下々の者たちの苦労が増し、下々のものの悦ぶようにとすれば、お家の財政が苦しくなるというように、どちらか一方には必ず支障が生じるものである。それであるから、そのようなお役目には、できるだけかかわりあわないのがよろしいというのだ。
安藤昌益や石田梅岩などが出てくるのは後の事である。
商業力は新しく興隆した力であり、その原動力は貪欲にある。
そもそも武士道では、貪欲を病とみなしている。それは避けるものであって、その成敗は武士の分にはないとする。士農工商の身分制度を設け、安分することを求めたのは、職分・気分に惑わされないことを避け、それぞれの分を尽くすことで、理を尽くすことを可能にしたと考えられる。
利を勘定する経理・財務の仕事には、理不尽な場面に遭遇することも多くなり、武士として合理的な判断が状況に陥ること、避けるべき貪欲の病に罹患する可能性が高い。
権理が権利へと変化する以前の節操である。勘定に関わる事は、感情の板挟みにあい、善悪の判断のつかない、両成敗という状況も出来する。要するに、分に過ぎた大役には就かないようにする用心することを求めている。
ここで偶然「徳 川 思 想 史 にお け る 「心 」・「気 」・「物」 の思 想」という論文を見つけた。この論文では、徳川 時代 の思想 を 「心、 「気 」、 「物」の 三つ のカテゴ リーに分 け、心 の思想 (1603~1663)・気 の思想 (1663~1717)・ (三)物 の思想(1717~1790)と理 の観念 との関係 を明 らかにしている。
この設定に従えば、大道寺友山(1639~1730)が説く武道は「気」の時代のものであり、石田梅岩(1685~1744)が石門心学を提唱した「気」・「物」の時代を経て武道も進化していく。(江戸時代の武士道の系譜を下掲した)
されど「お金」を賤しいものとして避けたことは新渡戸稲造の『武士道』も伝える処である。

心得 第七十八 「貪欲の病には勝ち難し」

経理、財務のお役は敬遠せよの一項で、「国を危うくする「聚斂の臣」」へと続くものである。
そのうえ、いかに才能に恵まれた武士であっても、貪欲という病気には冒されやすいものである。主君の御勝手向きを取り仕切って人々から重んじられ、金銀のやりくりも自由自在ということであれば、やがては思い上がった心となり、幅をきかせたい気持ちが出てきて、自然と身分不相応な生活をするようになる。そうなると、いつか心にもない依怙贔屓をして、家計の辻褄が合わなくなれば私腹を肥やし、横領を働くようになる。そして、ついにはそれが露顕して恥をさらし、家をつぶして困り果てることは目に見えている。これを名付けて盜臣と呼ぶのである。
かと思えば、一方では、本人はさして欲が深いわけでもなく、依怙贔屓や横領といったことをするのではないが、ひたすら主君の御為を思ってさまざまな工夫をこらし、お家のこれまで空の仕来りとは違った新しい法令などを考え出しては、家中の大小の奉公人の迷惑となることをも考えずに、城下の商人には、重税、村々の百姓には高い年貢を吹きかけ、あるいは将来、お家の運営に支障をきたすのではないかという配慮も忘れて、ただ目前の利益だけを追った方策を編み出す。これらを実行に移すためには、思慮の足りない家老、年寄り、重臣の人々などをだまし、そそのかして承知させ、推し進めておいて、まことに立派な貢献をしたということで根拠のない加増、褒美などを頂戴しようとする。
若しも、その新政策が失敗して、やり直しのきかぬ損失を生じたときには、それは右の家老、年寄りたちの指示、命令のやり方が間違っていたためということにして、自分はその人の影に隠れ、罪を逃れて被害をこうむらぬように工夫をする・・・。こうした者を名付けて聚斂の臣と呼ぶのである。


貪欲が聚斂の臣を生むという。今、世上は「新国立競技場」問題でにぎわっている。
日本という国が「貪欲」をいう病気に冒されていると言える。
爰にいう「聚斂の臣」がなんと多いことであろうか。スポーツの祭典が、芸術の彩りを添え、華やかな「おもてなし」を演出する。しかし、すべてが「経済力」に絡め取られ、貪欲へと収束する。
具体例は「現代の聚斂の臣たち 貪欲という病」にまとめることにした。
「貪欲 ⇒ 過分 ⇒ 横領 ⇒ 盜臣」というアルゴリズムが機構として社会に組み込まれているようだ。人々はそれを「コーポラティズム」と呼んでいる。
要領を得る》ことの意味は重要である。〈要領〉で、〈容量〉が決まり、また〈用量〉も自ずから定まる。《要領を得る》ことは、本領を発揮するうえで欠かせない。しかし、領分を越え横領に傾いてはいけない。応分に働く、「知足安分」なのである。
現代は、「拙速」の傾きがある。〈拙速〉の対義語は〈巧遅〉である。「こうち」は、〈緻〉、〈狡知〉とも表記する。〈狡知〉には「貪欲」が見え隠れする。「好事魔多し」、「時間」という「すき間」に「魔」がさすのである。
利巧者が便利を生み出し、人々は便利に絡め取られる。
貪欲が満たされることを好運として、幸運を喜ぶ。社会的な洗脳が行われ、社会的に認知症が創り出され、囲い込みが進んでいる。
「コンビニエンス」が「幸せ」の代名詞になったようだ。

2015年7月24日金曜日

武道初心集を読み終えた!

大道寺友山著『武道初心集』吉田豊訳 をなぞり終えた。写経である。
多くの言葉を学んだ。これから一つ一つ噛み締めたい。「要領を得る」とは何かを考えた。
初心とは、「一に止まる、本来を覚悟すること」と知った。
からだは宇宙のメッセージ》とはわが師の言葉である。
身体が精神である。精神と身体は、同一の現実につけられた二つの名前にほかならない。》と市川浩著『精神としての身体』は謂う。
我々の〈からだ〉には『日本のDNA』が育まれている。日本の風土に根ざし、日本語を生み出した。
日本人の深層は宇宙の進化の産物である。奇跡の産物である。奇貨である。
体感、体解、体現、体得だ!
〈数奇〉という言葉は、〈好き〉の意味であったと云う。
好奇心旺盛なのが日本人であり、そこに「数寄心」が生まれた。
また〈数奇〉は「さっき」と訓ずると、《「すうき(数奇)」に同じ》とある。
「すき」ではなく、「すうき」と訓ずる場合には《運命のめぐりあわせが悪いこと。運命に波乱の多いこと。》と否定的・消極的な意味合いを捉えているが、それを「数奇」と訓ずることで、好奇の対象として観象、観想する姿勢を生んだのだろうか?
「さっき」は〈殺気〉と同音異字である。
「数寄心とは、日本人の覚悟の観相ではないか」など、勝手よみして、同じようなことを考えた人はいないかとウェブ検索し、『徳川思想史における「心」・「気」・「物」の思想』なる論文を見つけた。これでまた、伊藤仁斎やベルグソンとつながることができた。

2015年7月21日火曜日

心得 第七十六 「三民を苦しめる当節の武士」

農工商を守るのが武士の務めの一項で、「武士階級の起こりは盗賊退治」から続くものである。
してみれば、武士という身分は、三民の人々に安らかな思いをさせることを任務とするものにほかならない。そうであれば、大身の武士はもちろんのこと、たとえ小身者であろうとも、武士の身分にある者は、三民の人々に対して、決して無理、非道な行為をしてはならぬ道理でである。ところが現実には少しもそうではなく、農民に対しては無理な年貢を課し、そのうえにさまざまな税を押しつけて破産させ、職人に物をあつらえてはその工事代、手間代も払わず、商人から品物を買い上げておきながら代金を放っておき、金銀を借用しても知らぬ顔をして借り取りにしてしまうなどは、すべて武士の本道を外れた大不義といわねばなるまい。
こうした点をよくよく考えるならば、領内の百姓をもいたわり、町人商人からの買い掛り金、借金などについても、一度に返済はできぬまでも、だんだんに少しずつでも返していって、迷惑をかけぬようにしてやるだけの配慮は、是非ともなくてはならない。盗賊を防ぐ役を果たすべき武士が盗賊のまねをするようなことは決してあってはならぬ、という心がけは、きわめて大切なのである。
以上、初心の武士として、よくよく肝に銘じておくべきことである。


我々はこの章をどう受け止めるべきであろうか。この章の解釈は非常に難しい。
武家社会では、武士は国士として、国、藩、庶民を守るように定められていた。

武士は、「守られる」のではなく、「守る」のである。死命を賭して初志を貫く、それが武士であった。それは「心に道を、形に法を」で説いたところである。
功を立てる場が少なくなった武士に、心を形にして行動することを求めたのである。
余力を貯え、結集し、敵の力よりも勝る余分な力が勝ちを制したのである。余分は、余力となり、安心・余裕を生んだのであった。知足安分であったのである。是が謀議の帰結であった。
時代が変わり、余分が、余計となると排除されることになる。
余念、余心、余勢、余情が切断されるとき、世の中は貧相になる。

余で始まることばを味わっては如何?)
身分制度が定着する過渡期においては、それぞれの世間を越えた交流・協業も成立したであろうが、制度の確立と共に、世間が固定化し、分断されると、武士階級は経済的には、孤立・困窮していくことになる。それが現実であった。
しかし、武士は、一に止まる事、本末転倒せぬこと、節操を正し、気品を保つようにと説いている。
これが後に、「勤勉革命」を生むことになったのである。

2015年7月19日日曜日

昨日、吉見俊哉『「親米」と「反米」』を読んでの感想

吉見俊哉『「親米」と「反米」』を読んで、アンビバレントな日本人の心象(深層)を思った。
我々が、戦後復興したものは何だったのか。
我々は、今どこに行こうとしているのか、改めて道を辿ってみたい。
辿ることによって、紆余曲折しながら、ここまで「臥薪嘗胆」で来た思いがあることを知り、その心理構造の克服が、新しい時代の心理構成となるのではないだろうか。
要するに、編成替えをしなければならないのである。
和式の生活が、洋式の生活になった時、我々はそのスタイルを変えるだけでいいと思った。
意識まで、変える必要はないと考えていた。いや変わらないと思っていた。
座敷の生活が、イス・テーブルの生活になるだけだと思った。
変化に合わせ、要領よくやれば、対応できると考えた。
「占領」という一時的な体制も、時がたてば同化し、克服できると思っていた。
構造変化とは、形だけでなく、その性質も変え、構成要素に、変化を求めるものである。社会構造が変化すれば、当然のことながら、その構成要素にも変化が求められる。
不適合であれば、代替物が用意され、排除される。適合するには要素そのものの組成変化が必要になる。自然に新たな道がそこに生まれる。
しかし、今日の道は、「利」に傾くおもむきがある。
「新国立競技場」事件は、その象徴的な実態を示している。
行き過ぎた商業化、サービス経済化が生活環境を破壊する。

2015年1月13日火曜日

心得 第七十五 「武士階級の起こりは盗賊退治」

農工商を守るのが武士の務めの一項で、「三民を苦しめる当節の武士」へと続くものである。
《ある人の説によると、大昔には武士というものは世の中になく、農、工、商の三つの身分だけで治まっていたのだが、やがて、その中から盗賊が生じて人々を苦しめ始めたという。しかし、農工商三民の力によっては、盗賊を防ぐことができないのでいろいろと相談の結果、農民の中から、家系、人柄のよいものを選び出して士(さむらい)と名付け、農業をやめさせ、衣食住ともになんの不足もないようにして、三民を盗賊の害から守る役割を与えた。そして三民の上の身分とし、お侍と呼んでこれを敬ったのである。
そこで、この侍たちも鋤鍬を手にすることをやめ、盗賊を征伐するための弓矢、乗馬、槍や太刀の使い方などの鍛錬に励んだので、盗賊どもも恐れをなして深山に逃げ込み、要害を構えて、自分たちも似合いの武器を用意し、簡単には撃ち殺されぬような体制を作り上げた。そこで、各地に点在する武士たちが互いに寄り集まって軍勢を整え、そのうちの一人を大将と定めて、その者の命令、指図によって、さまざまな戦術を用いて盗賊の本拠を襲い、これを退治したのである。三民の人々はこれを大いに喜び、侍とは頼りになるものだとますます考えるようになり、ここから、士農工商の四民の制度ができあがっていった。これが武家のはじまりだとのことである。
私は学問の道にはきわめて浅いため、この説が正しいかどうかの判定はつけかねるが、考えてみると、現在の世間においても、農業をやめて武士となった者は武士の中でも別に嫌われることがなく、また武士をやめて農業につくことによっては、武士としての身分に傷がつくことなく、再びまた武士となることができるようになっている。ところが職人、商人の身分から武士になることはできず、また武士をやめて一日たりとも職人、町人となった者は、二度と武士になることはできないようになっている。
こうして考えると、右の説にも、もっともな理由があると思われるのである。》

武士が誕生した由来が語られる。武士は農から選抜された者で、その威力、権威を創出・維持するためにルールが定められ、新たな四民制度として、封建社会に定着したのであった。
武士という集団が、封建社会の差別的な身分制度を維持した元凶の様に、現在は言われているが、当初は三民の共同謀議により成立し、《侍とは頼りになるものだとますます考えるようになり、ここから、士農工商の四民の制度ができあがっていった》のである。
李登輝著『武士道解題』は次のように謂う。
「武士とは、武力を持って地方を支配し、公権力に使えていたものを言う」といった独特の意味を持つようになったのは、平安時代も中期の十世紀以降のことでしょう。つまり、日本の社会が十世紀に差し掛かったころから、「合戦」をもって生業とする人々のことを「つわもの」(兵)と呼び、官人や貴人に仕えて家政や警護の役割を受け持つものを「さぶらい」(侍)、そして武力を持って公に奉仕するものを「もののふ」(武者)と呼ぶようになったのです。
徳川三百年の封建社会が維持できたのは、上からの圧力よりも、下からの支えがあった故であろう。封建社会では、身分と職分を一体化させ、政治・経済活動の安定を図った、つまり身分間の移動を禁じたのである。侍が工商の身分に移ることを禁じたのは農としての労働力を維持する為であったと考えられる。
社会の発展と共に職分は多様化し、標準化、単純化、専門化が進む。組織の階層化が進み、専門化は閉鎖された関係、差別意識を産む。権力構造が形成・強化され、それが身分にも反映されることになる。四民制度は、大きく四つの世間を形成することになる。封建社会の住人は被差別の当事者以外はそれほどに不平等は感じていなかったであろう。現在、我々が感じているように・・・。

現在は、身分制度が廃止され、身分と職分が結びつくことはない。一方で、職分は資格と結びつき、職分の中で、職掌として細分化され、専門化が進む。結果として医者と看護師の様に職分による差別化が進んでいる。そしてそれは経済的格差に帰結する。
セクハラやパワハラはその基底に差別が存在することの現れである。