2014年11月9日日曜日

心得 第七十二 「家族の病気で欠勤は許されるか」

奉公はその日限り、寸前は暗闇の一項で、「遅刻常習武士の生態」を受けたものである。
《さてまた、自分の両親などが病気になり、目が離せぬ状態であるならば、届を出して番を外してもらうというのは、当然そうあってよいことである。
子供の病気の場合については、その親の身分、暮らし向きによって決まってくる。なぜならば、子供の病気を心配でならないのは大身小身の別なく、親として当然のことではあるが、自分に代って看病をしてくれる家来が一人なり二人なりいるならば、どうしても自分で看病してやなねばならぬこともなく、当番を欠勤することは望ましくない。
しかし、小身の武士で看病を任せられるようなしっかりした家来もいないものの場合には、子供の看病のための欠勤も、特に許されてよいであろう。
大身はいうまでもなく、小身の武士にあってもとりわけ認められないのは、自分の女房が病気だからと看病のために欠勤を申し出、主君へのご奉公を欠くことであって、極めてよろしからぬ行為といえよう。
但し、妻の病気が重く、やむを得ない場合には、自分が病気にかかったと届け出て家にこもり、看病をしてやるというのが妥当なやり方なのである。》


最後の件は興味深い。
この項を読み解くにあたり、念頭に置くべきことは「主君に奉公するのが第一である」ということ、そのために「家を斉(ととのえ)る」ということである。「修身斉家治国平天下」(大学)である。〈斉家〉の前には〈修身〉があり、「自分(身内)の問題は自分(身内)で処置する」という考えが基本に置かれている。

そもそも、心身が虚弱で、勤めに後れること、支障が出ることを恥とする傾きがあった。所謂《役に立たず》であった。武士は奉公が第一である。病気は、気の弛みから罹るものであり、奉公の敵である。それは平生の養生不足、不用心から起きると考えることを常識とした。従って、家族の病気の場合もやむを得ない場合を除いて、基本的には欠勤は許されないのである。
止むを得ない場合とは、自身で対処する力のない子供が病気にかかり、身内に面倒を見るものがいない場合、および大人である女房が自身で対処することができないほどの重い病気になった場合である。但し、後者の場合は、自分が病気だと届け出て、看病するのが妥当だという。
なぜ、女房の病気だと正直であってはならないのであろうか。
それは、「女房の病気」と「主君への奉公」を天秤にかけるようなことをしては恥の上塗りになるからである。そこでこのような見苦しい行動を慎むことを説いたと考えられる。

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