《奉公を勤める武士として、古参の者は勿論のこと、たとえ奉公して日の浅い新参であっても、主君のお家の起こり、代々のご先祖のこと、ご親類方の続柄、さらには家中の人々のうちでも、世間に名を知られているものの噂などについては、古老の人に問いただして、詳しく承知しておくことが必要である。なぜなら、他家の人々と同席して話し合った時、自分が奉公しているお家について尋ねられ、それも知りません。そのことも聞いておりませんなどといっていては、うわべは立派に見えていた者までも、なにか頼りなく思われてしまうものだからである。》
武士の本分は『忠孝仁義』にあり、それは、的確な判断によって達成される。判断の基準は仕来りにある。奉公する家の仕来りを知らないでは的確な判断は行えない。間違いは、一種の隙である。隙を見せることを恥じとしたのである。
この事は、現代の我々にも当てはまる忠告である。
同じ日本人同士の交流だけでは、互いに分っているものとして慣習や歴史について、話題として取り上げない。新たな知識を学ぶ材料を外に求める傾向が生まれる。
外国に住み、外国人と話す時、語るものがないことを知り、自国についての知識が浅薄であることに初めて気づくということになる。我々は日本という国を外から眺めることに慣れていない。
歴史を辿り、日本という国を内から、外から、海から、山から川から、田んぼからいろいろな目線で眺めてみる必要がある。
そうすると「恥ずかしさ」が感じられるかもしれない。
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