「古手の役人はよごれた白小袖」の一項で「慣れるにつれて腐るのが常」に続くものである。
《それだけではない。新任のころには、人からの贈物などがあっても、それを禁じている規則に従ってきれいに送り返し、もし、どうしても受け取らねばならなかった時には、後日、その贈物にふさわしいお返しをするなどして、人々からも、いたって潔白なやり方とほめられていたような者でも、いつの間にかその心掛けが変わってきて、この職務を勤めているうちに少しでも多く握りしめておかなければ・・・という欲心が起こってくる。しかし、人からの贈物を受けてはならぬという規則があるからには、いまさら受け取るわけにはいかない。ところが、そうした心のうちというものは、言葉の端々にあらわれるものであるから、人もそれを敏感に察して、表面では一向にかまわぬふりをしておいて、裏から縁故をたずね、さまざまな関係をたどり、手段をつくして品物を送りつけるのである。こうして贈られた金品はいくらでも受け取り、さてその返礼には、お上の目をかすめて、えこひいきをするにきまっている。こうしたよごれ方というのは、右に述べた白小袖がねずみ色になっていくのと少しも変わりがない。》
慣れるが狎れる《親しみすぎて礼を失する》になってはならない。
礼節を正すこと、節義を守ることが重要である。
人は経験を重ね、資料が増え、思量が増えると、慮る、配慮することになる。
配慮することは悪いことではないが、慣れて、気が弛むと、節義を失うことになる。
思量を重ねることが必ずしもいいとは限らない。判断が重要なのである。
〈はかる〉にいろいろな表記がある。〈ためる〉も〈矯める、溜める、貯める〉と三つの表記がある。思量を重ねることが必ずしもいいとは限らない。判断が重要なのである。
外目には同じように映る〈腐る〉と〈熟す〉をどう判断するか、見極める力を養うことが必要である。
武士の身上である〈潔白〉〈潔さ〉を失うことのないよう志操を護れということである。
法の前に道理あり、思想の前に志操あり。
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