「主君のご紋章は大切に」の一項で、「小袖、裃ともご定紋付の着用は不作法のきわみ」から続くものである。
《また、このようにして拝領した小袖が古くなって、着用できぬようになったならば、その御紋を切り抜いて焼き棄てねばならない。
なぜならば、小身の武士の家においては、古小袖の洗濯を女房や召使などのさせ、また何かに使わせることとなるが、なにぶん女たちのことゆえ、何の考えもなしに御紋のついている古着を腰から下の裏地にしたり、下着や寝間着に使ったりして、大切な御紋を汚す恐れがある。そのようなことをすれば、必ずや主君の罰を受けて、尻の病、脛のできものなど、腰から下の病気にかかって大いに悩まされると言い伝えられている。
もし、そのような病気にはかからぬにしても、武士の義理ということから考えて、ぜひとも厳しく戒め、慎むべきことである。》
定紋は家法の表れであり、権威を示すものである。家臣が忠義を尽く家の格式が反映される。その定紋をおろそかに扱うことは不作法・愚かなことであることは前項で触れている。
もしもそのようなことをすると、主君の怒りに触れ、罰を受けることになる。
「因果応報」「自業自得」ということである。
その様なことが起きないように紋を切り抜き焼き捨てるという。
2014年11月14日金曜日
2014年11月13日木曜日
心得 第七十三 「小袖、裃ともご定紋付の着用は不作法のきわみ」
「主君のご紋章は大切に」の一項で、「古着のご定紋にも心して」へと続くものである。
《主君のお側近くにご奉公している武士は、時として主君の思し召しによってお家の定紋のついた小袖、裃などを拝領することがある。その場合御紋のついた小袖を着用する時には、裃は自分の紋のついたものを、またお家の御紋のついた裃を着用する時には、小袖は必ず自分の紋のついたものを着るように心得ねばならない。もし、小袖も裃も、共に同じ御紋の付いたものを着用していては、主君のお身近なご親類であるかのように見え、主君に対し奉って非常に無礼となるのである。また、家中の人々の目から見ては、「彼はいつからあのようなことを許される身分になったのか、そうでないとすれば、まことに不作法千万、愚かなことである」との非難を受けずにはいられまい。
”主君の御紋付の小袖と裃とをそろえて着用することは固く禁止する”との決まりのある家もあるほどなのである。》
威儀を正すことが求められ、儀礼が重んじられた。
しかし、小袖も裃も同じ定紋入りのものを着てはならないという。
それは身内だけに許されるものであり、分を越えてはならないのであった。
今から考えれば、律義で、堅苦しいとも言えるが、こうした定めは今日的には標準化である。
今から考えれば、律義で、堅苦しいとも言えるが、こうした定めは今日的には標準化である。
かえって無駄がなくなり、余裕も生まれたととも考えられる。
2014年11月9日日曜日
心得 第七十二 「家族の病気で欠勤は許されるか」
「奉公はその日限り、寸前は暗闇」の一項で、「遅刻常習武士の生態」を受けたものである。
《さてまた、自分の両親などが病気になり、目が離せぬ状態であるならば、届を出して番を外してもらうというのは、当然そうあってよいことである。
子供の病気の場合については、その親の身分、暮らし向きによって決まってくる。なぜならば、子供の病気を心配でならないのは大身小身の別なく、親として当然のことではあるが、自分に代って看病をしてくれる家来が一人なり二人なりいるならば、どうしても自分で看病してやなねばならぬこともなく、当番を欠勤することは望ましくない。
しかし、小身の武士で看病を任せられるようなしっかりした家来もいないものの場合には、子供の看病のための欠勤も、特に許されてよいであろう。
大身はいうまでもなく、小身の武士にあってもとりわけ認められないのは、自分の女房が病気だからと看病のために欠勤を申し出、主君へのご奉公を欠くことであって、極めてよろしからぬ行為といえよう。
但し、妻の病気が重く、やむを得ない場合には、自分が病気にかかったと届け出て家にこもり、看病をしてやるというのが妥当なやり方なのである。》
最後の件は興味深い。
この項を読み解くにあたり、念頭に置くべきことは「主君に奉公するのが第一である」ということ、そのために「家を斉(ととのえ)る」ということである。「修身斉家治国平天下」(大学)である。〈斉家〉の前には〈修身〉があり、「自分(身内)の問題は自分(身内)で処置する」という考えが基本に置かれている。
《さてまた、自分の両親などが病気になり、目が離せぬ状態であるならば、届を出して番を外してもらうというのは、当然そうあってよいことである。
子供の病気の場合については、その親の身分、暮らし向きによって決まってくる。なぜならば、子供の病気を心配でならないのは大身小身の別なく、親として当然のことではあるが、自分に代って看病をしてくれる家来が一人なり二人なりいるならば、どうしても自分で看病してやなねばならぬこともなく、当番を欠勤することは望ましくない。
しかし、小身の武士で看病を任せられるようなしっかりした家来もいないものの場合には、子供の看病のための欠勤も、特に許されてよいであろう。
大身はいうまでもなく、小身の武士にあってもとりわけ認められないのは、自分の女房が病気だからと看病のために欠勤を申し出、主君へのご奉公を欠くことであって、極めてよろしからぬ行為といえよう。
但し、妻の病気が重く、やむを得ない場合には、自分が病気にかかったと届け出て家にこもり、看病をしてやるというのが妥当なやり方なのである。》
最後の件は興味深い。
この項を読み解くにあたり、念頭に置くべきことは「主君に奉公するのが第一である」ということ、そのために「家を斉(ととのえ)る」ということである。「修身斉家治国平天下」(大学)である。〈斉家〉の前には〈修身〉があり、「自分(身内)の問題は自分(身内)で処置する」という考えが基本に置かれている。
そもそも、心身が虚弱で、勤めに後れること、支障が出ることを恥とする傾きがあった。所謂《役に立たず》であった。武士は奉公が第一である。病気は、気の弛みから罹るものであり、奉公の敵である。それは平生の養生不足、不用心から起きると考えることを常識とした。従って、家族の病気の場合もやむを得ない場合を除いて、基本的には欠勤は許されないのである。
止むを得ない場合とは、自身で対処する力のない子供が病気にかかり、身内に面倒を見るものがいない場合、および大人である女房が自身で対処することができないほどの重い病気になった場合である。但し、後者の場合は、自分が病気だと届け出て、看病するのが妥当だという。
なぜ、女房の病気だと正直であってはならないのであろうか。
それは、「女房の病気」と「主君への奉公」を天秤にかけるようなことをしては恥の上塗りになるからである。そこでこのような見苦しい行動を慎むことを説いたと考えられる。
止むを得ない場合とは、自身で対処する力のない子供が病気にかかり、身内に面倒を見るものがいない場合、および大人である女房が自身で対処することができないほどの重い病気になった場合である。但し、後者の場合は、自分が病気だと届け出て、看病するのが妥当だという。
なぜ、女房の病気だと正直であってはならないのであろうか。
それは、「女房の病気」と「主君への奉公」を天秤にかけるようなことをしては恥の上塗りになるからである。そこでこのような見苦しい行動を慎むことを説いたと考えられる。
心得 第七十一 「遅刻常習武士の生態」
「奉公はその日限り、寸前は暗闇」の一項で、「士気を高める”一日限り”の覚悟」を受け、「家族の病気で欠勤は許されるか」へと続くものである。
《また、月のうち何日ずつなどと定められている勤務に出るときの心構えとして、たとえばその日の暮六つ(午後六時)が交替の時間のすれば、主君のお館と、自分の宿所との距離、日の長さなどを考え合わせて、どのような場合も、自分がいる場所をいくらか早目に出るようにすべきである。
それを、どうせ出ねばならぬ勤務先へ出るのを嫌がって、茶を一杯、煙草を一服などとぐずぐずし、あるいは女房や子供との一言ずつの雑談に時を過ごして、遅くなってから宿を出発し、急にあわてだして、行き違う人の見分けもつかぬほどに道を急ぎ、汗をかきかき番所に駆けつけて、寒中にも扇子を使いながら、「ちょっと、やむを得ない用事があって遅くなりました」などと体裁のよいことを言ってみても、心ある人は必ず、なんと間の抜けた口上よと思うであろう。
そもそも、武士の勤番という勤めは、仮にも主君の御座所の警固の役であるから、武士の奉公としては第一に重い勤めである。
したがって、たとえどのような事情があろうとも私用のために遅参など、あってよいものではない。
また、自分が早く出勤していても、交代の時間に代りの同僚が遅れると、もう尻が落ち着かなくなり、大あくびをし、主君のお館の中に少しでも長くいるのは嫌だと、帰宅を急ごうとするのも、極めて見苦しいことであるから、慎むべきである。》
一言すれば、「〈本末転倒〉を戒めている」のである。
急ぐ姿は見苦しい。急ぐのは「心ここに非ず」、つまり「忙しい」「急(せ)く」姿である。呼吸は速くなり、乱れ、困惑・困窮につながる姿となる。
急ぐのは火急の時、変の時である。常の時には平常心を保つことである。
〈落着〉落ち着く、あるべきところに定まることが肝要であり、〈一事が万事〉、用心して、余裕を作り出すことが求められたのである。
《また、月のうち何日ずつなどと定められている勤務に出るときの心構えとして、たとえばその日の暮六つ(午後六時)が交替の時間のすれば、主君のお館と、自分の宿所との距離、日の長さなどを考え合わせて、どのような場合も、自分がいる場所をいくらか早目に出るようにすべきである。
それを、どうせ出ねばならぬ勤務先へ出るのを嫌がって、茶を一杯、煙草を一服などとぐずぐずし、あるいは女房や子供との一言ずつの雑談に時を過ごして、遅くなってから宿を出発し、急にあわてだして、行き違う人の見分けもつかぬほどに道を急ぎ、汗をかきかき番所に駆けつけて、寒中にも扇子を使いながら、「ちょっと、やむを得ない用事があって遅くなりました」などと体裁のよいことを言ってみても、心ある人は必ず、なんと間の抜けた口上よと思うであろう。
そもそも、武士の勤番という勤めは、仮にも主君の御座所の警固の役であるから、武士の奉公としては第一に重い勤めである。
したがって、たとえどのような事情があろうとも私用のために遅参など、あってよいものではない。
また、自分が早く出勤していても、交代の時間に代りの同僚が遅れると、もう尻が落ち着かなくなり、大あくびをし、主君のお館の中に少しでも長くいるのは嫌だと、帰宅を急ごうとするのも、極めて見苦しいことであるから、慎むべきである。》
一言すれば、「〈本末転倒〉を戒めている」のである。
急ぐ姿は見苦しい。急ぐのは「心ここに非ず」、つまり「忙しい」「急(せ)く」姿である。呼吸は速くなり、乱れ、困惑・困窮につながる姿となる。
急ぐのは火急の時、変の時である。常の時には平常心を保つことである。
〈落着〉落ち着く、あるべきところに定まることが肝要であり、〈一事が万事〉、用心して、余裕を作り出すことが求められたのである。
2014年11月8日土曜日
心得 第七十 「士気を高める”一日限り”の覚悟」
「奉公はその日限り、寸前は暗闇」の一項で、「遅刻常習武士の生態」へと続くものである。
《主君を持つ武士が、僅かな暇もない毎日の厳しいご奉公を勤めるにあたって、第一に心得ておかなければならぬことがある
それは、決していつまでも勤めていられるものとは思わぬように、その日一日だけの奉公であると心に決めるべきだということである。
この無常の世界に生きる人間として、身分の如何に拘わらず、誰一人、明日のことを知っている者はおらぬ道理であり、主従の間についても、いつどのような不測の事態が起こるか予想もつかぬものなのである。
もし、何事もなければ何年でも続くものではあるが、その保証はないのだから、奉公は今日一日だけのことと覚悟して勤めるのが宜しい。
そうすれば、勤めに飽きることもなくなり、万事をいい加減にせぬようになり、すべてはその日のうちに・・・と思うため、仕事への意欲も増し、自然とものも忘れず、失敗することもなくなるものである。
ところが、いつまでも変わることなく奉公を続けられるものと思ていると、その為に仕事に飽きがきて、心もゆるみ、急がぬ用事はもとよりのこと、たとえテキパキと相談して始末をつけねばならぬ主君のご用向きまでも、それは明日にしておけ、これは今度やれば・・・などと投げ出しておく、また同僚同士で、あちらに回し、こちらへなすりつけるといった様子で、誰一人、責任を持て処理をする者もいない状態で、すべてがますます重なり、つかえて、不都合なことだらけという結果となる。こうしたことは、すべてあてにならぬ将来の月日をあてにして、武士の奉公は一日区切りという心掛けを知らぬところから生じた油断、欠陥といえよう。武士として最も警戒せねばならぬことである。》
「今」というときは、考えるものではない。「今」を考えた時、「今」はすでに過去のものになっている。「今」は生きるものである。「今、ここ」で生きることを説いているのだ。
「生きる」とは、己を表すことである。つまり本分を発揮することである。
奉公する武士にとっては、その日その日の奉公を勤めることになる。
《主君を持つ武士が、僅かな暇もない毎日の厳しいご奉公を勤めるにあたって、第一に心得ておかなければならぬことがある
それは、決していつまでも勤めていられるものとは思わぬように、その日一日だけの奉公であると心に決めるべきだということである。
この無常の世界に生きる人間として、身分の如何に拘わらず、誰一人、明日のことを知っている者はおらぬ道理であり、主従の間についても、いつどのような不測の事態が起こるか予想もつかぬものなのである。
もし、何事もなければ何年でも続くものではあるが、その保証はないのだから、奉公は今日一日だけのことと覚悟して勤めるのが宜しい。
そうすれば、勤めに飽きることもなくなり、万事をいい加減にせぬようになり、すべてはその日のうちに・・・と思うため、仕事への意欲も増し、自然とものも忘れず、失敗することもなくなるものである。
ところが、いつまでも変わることなく奉公を続けられるものと思ていると、その為に仕事に飽きがきて、心もゆるみ、急がぬ用事はもとよりのこと、たとえテキパキと相談して始末をつけねばならぬ主君のご用向きまでも、それは明日にしておけ、これは今度やれば・・・などと投げ出しておく、また同僚同士で、あちらに回し、こちらへなすりつけるといった様子で、誰一人、責任を持て処理をする者もいない状態で、すべてがますます重なり、つかえて、不都合なことだらけという結果となる。こうしたことは、すべてあてにならぬ将来の月日をあてにして、武士の奉公は一日区切りという心掛けを知らぬところから生じた油断、欠陥といえよう。武士として最も警戒せねばならぬことである。》
「生きる」とは、己を表すことである。つまり本分を発揮することである。
奉公する武士にとっては、その日その日の奉公を勤めることになる。
当てにしないで当たることである。当ての先延ばしをすると結局、後れを取ることになる。
先の項で論じられた〈臆病〉に通じるものである。
先の項で論じられた〈臆病〉に通じるものである。
「いつか、どこかで、誰かが」を当てにするのではなく、「今、ここで、私が」と心に決め生きることを勧めている。
いわゆる《人事を尽くして天命を待つ》に通じることである。
いわゆる《人事を尽くして天命を待つ》に通じることである。
聖書にも「明日のことを思い煩うな、今日のことは今日一日にて足れり」という。
2014年11月7日金曜日
心得 第六十九 「一緒に暮らすなら睦じく」
「女房をなぐるは臆病武士」の一項である。
《武士というものは、自分の妻について、どうも気に入らぬというようなことがあれば、その道理を説き聞かせ、十分に納得するように教えてやって多少のことであれば、こちらが我慢をし、許してやるのが妥当なやり方である。
但し、いたって性格が悪く、これは到底役には立たぬと思うほどであれば、はっきりと離縁をして親元へ送り返すというのも、やむを得ないことである。
ところが、そのようなこともせず、自分の妻と定めて、他人にも奥様とか、かみさまなどと呼ばせている者に対して大声で怒鳴り、さまざまな悪口雑言をするなどというのは市井の裏長屋に住む人足、日雇いなどの風情ならばともかく、一人前の武士のすることとしては決して許されぬ所行である。ましてや腰の刀をひねくり回し、げんこつの一つでも振うなどとあっては、全く言語道断の次第であるが、これはすべて臆病武士のすることである。
およそ武士の娘と生まれ、人の妻となる程の年齢になれば、男子であれば人からげんこつで撃たれて我慢できるものではあるまい。そこを女性の悲しさ、やむなく涙を流してこらえているのである。そもそも、自分に手向かいはできぬ相手と見て取って非道な行為をするというのは、勇気ある武士の決してせぬことである。勇気ある武士が嫌ってやらぬことを喜んでするようなものを臆病者というのだ。》
「法の前に道理がある」。武家社会は自然法、道理を重んじた。
家も、主人も、その妻も道理に従って生きている。
それを暴力によって従わせようとするのは、その武士が〈臆病〉であるからだという。
《武士というものは、自分の妻について、どうも気に入らぬというようなことがあれば、その道理を説き聞かせ、十分に納得するように教えてやって多少のことであれば、こちらが我慢をし、許してやるのが妥当なやり方である。
但し、いたって性格が悪く、これは到底役には立たぬと思うほどであれば、はっきりと離縁をして親元へ送り返すというのも、やむを得ないことである。
ところが、そのようなこともせず、自分の妻と定めて、他人にも奥様とか、かみさまなどと呼ばせている者に対して大声で怒鳴り、さまざまな悪口雑言をするなどというのは市井の裏長屋に住む人足、日雇いなどの風情ならばともかく、一人前の武士のすることとしては決して許されぬ所行である。ましてや腰の刀をひねくり回し、げんこつの一つでも振うなどとあっては、全く言語道断の次第であるが、これはすべて臆病武士のすることである。
およそ武士の娘と生まれ、人の妻となる程の年齢になれば、男子であれば人からげんこつで撃たれて我慢できるものではあるまい。そこを女性の悲しさ、やむなく涙を流してこらえているのである。そもそも、自分に手向かいはできぬ相手と見て取って非道な行為をするというのは、勇気ある武士の決してせぬことである。勇気ある武士が嫌ってやらぬことを喜んでするようなものを臆病者というのだ。》
「法の前に道理がある」。武家社会は自然法、道理を重んじた。
家も、主人も、その妻も道理に従って生きている。
従って、《どうも気に入らぬというようなことがあれば、その道理を説き聞かせ、十分に納得するように教えてやって多少のことであれば、こちらが我慢をし、許してやるのが妥当なやり方である。》と道理を納得させれば、ほぼ問題は解決すると説く。
それを暴力によって従わせようとするのは、その武士が〈臆病〉であるからだという。
なぜ、〈臆病〉に繫がるのだろうか。
それは「〈勇気〉ある武士がしない行為」だからと片づけているが、果たして、それが「〈勇気〉のない武士がする行為」であるといえるか。
「〈勇気〉のない武士」の中には、「しない者」もいるだろうし、「する者」もいるだろう。
「しない者」の中にも臆病者はいるかもしれない。
〈勇気〉がなく、「〈勇気〉ある者が嫌うこと(ここでは弱い者いじめ)」をする者は〈臆病〉であるというのであるが、「〈勇気〉がある者が嫌うこと」がすべて〈臆病〉ではない。たとえば、〈卑怯〉も「〈勇気〉ある者」が嫌うことである。とすれば〈卑怯〉と〈臆病〉とは同じであるか?
〈臆病〉は、ことバンクによれば、《ちょっとしたことにも怖がったりしりごみしたりすること。また、そのような人や、そのさま。》とある。《怖がる》《しり込みする》ことであるが、この項でいう〈臆病〉は〈しり込みする〉ことを指している。「躊躇する」「二の足を踏む」ことは「出遅れること」、闘いにおいては「敗け(死)」を意味する。結果として人前で恥をさらすことになる。その根本原因として「臆病」があることを指摘しているのである。「妻をなぐる」という卑劣な行為そのものは、「臆病」というよりも「弱み」に付け込む「卑怯」な振る舞いといえるが、その背後にある「臆病」を捉え、説いているのである。〈勇気〉〈臆病〉〈覚悟〉について考えてみるのも一興である。
〈臆病〉は、ことバンクによれば、《ちょっとしたことにも怖がったりしりごみしたりすること。また、そのような人や、そのさま。》とある。《怖がる》《しり込みする》ことであるが、この項でいう〈臆病〉は〈しり込みする〉ことを指している。「躊躇する」「二の足を踏む」ことは「出遅れること」、闘いにおいては「敗け(死)」を意味する。結果として人前で恥をさらすことになる。その根本原因として「臆病」があることを指摘しているのである。「妻をなぐる」という卑劣な行為そのものは、「臆病」というよりも「弱み」に付け込む「卑怯」な振る舞いといえるが、その背後にある「臆病」を捉え、説いているのである。〈勇気〉〈臆病〉〈覚悟〉について考えてみるのも一興である。
2014年11月5日水曜日
心得 第六十八 「高笑、音曲をかたく禁ず」
「近所の不幸につつしみを忘れるな」の一項である。
《奉公を勤める武士が、わが屋敷なり、お上の長屋なりに住まっている時、近所の同僚の家に重病人ができたり、不幸でも起きたような場合には、たとえその同僚と親しい関係にはなくとも、大声で笑ったり、音曲などすることは固く慎み妻子や召使にも之を厳しく言いつけねばならない。
これは、相手の家のものへの配慮というだけではなく、他の同僚の目からも、無遠慮、不作法の至りとの軽蔑を受けぬためのつつしみである。
以上、初心の武士の心得として申すものである。》
近所に不幸が出た時には高笑、音曲を慎むことが礼儀であった。
そうでなければ、無遠慮、不作法として軽蔑を受けたのである。
思えば、昭和天皇が逝去されて大葬の礼が行われた。
閣議決定された「昭和天皇の大喪の礼当日における弔意奉表について」が文部科学省から通達され、「歌舞音曲を伴うものについては、これを差し控えること」が求められたのであった。
《奉公を勤める武士が、わが屋敷なり、お上の長屋なりに住まっている時、近所の同僚の家に重病人ができたり、不幸でも起きたような場合には、たとえその同僚と親しい関係にはなくとも、大声で笑ったり、音曲などすることは固く慎み妻子や召使にも之を厳しく言いつけねばならない。
これは、相手の家のものへの配慮というだけではなく、他の同僚の目からも、無遠慮、不作法の至りとの軽蔑を受けぬためのつつしみである。
以上、初心の武士の心得として申すものである。》
そうでなければ、無遠慮、不作法として軽蔑を受けたのである。
思えば、昭和天皇が逝去されて大葬の礼が行われた。
閣議決定された「昭和天皇の大喪の礼当日における弔意奉表について」が文部科学省から通達され、「歌舞音曲を伴うものについては、これを差し控えること」が求められたのであった。
一部に反発の声が上がったことには隔世の感があり、価値観の変化が伺えた。
周囲への配慮が欠けた時、信頼の基盤は瓦解していくように感じられる。
思量を重ねたところに、〈慎み〉が、「心に真」が生まれるのである。
2014年11月4日火曜日
心得 第六十七 「決闘の心得」
「武士ほど高くつくものはない」の一項で、「喧嘩口論は身を亡ぼす大不忠」から続くものである。
《しかしながら、家中の数多くの同僚の中には、気違い同然の馬鹿者もいる場合がある。こうした馬鹿者は、道理にもならぬことを言って、人がきかぬふりをし、相手にならないと、さては恐れているなと思い込み、ますますかさにかかって、様々な悪口を言い散らし、しまいには誰しもそのまま聞き捨てにすることができぬような雑言を言いかけてくることがあるものである。
これは武士として最大の不運、災難と言わねばならない。
万一、そのような成り行きとなってしまったならば、その雑言を受けながらも、きっぱりと決意を固め、できる限り気を落ち着け、その時と場所柄から判断して、その場で決着をつけるのは差しさわりがあると思えば、一旦宿所に帰って、公私ともに大切な用事などがあればそれぞれ始末をつけて、もはやこの世には心に残ることは何もないようにしておく。次に右の口論のいきさつを、その場に居合わせてよく事情を知っている同僚などを証人として、一通の書類に書き置くのである。
こうしておいて、機械を見て相手に挑み、従運な勝利を得て恨みを晴らしてから、直ちに自殺しようとも、あるいは検使をお招きして切腹を遂げようとも、それは各人お思いのままでよろしい。
この様にすれば、同僚たちも、まことに適切な態度と感心するであろうし、主君のお心にも、立派なやり方であったとお考えいただくことができよう。
こうして、不忠の罪のお詫びも、いくらかはできようというものである。
ところが、このような思慮にかけた若い連中は、その時の怒りに心を奪われて、馬鹿者といきなりぶつかって切り合いとなり、軽率至極な犬死同然の死に方をするものだが、これは右に述べたような、奉公する武士の身命は、既に主君に奉ったもので、我がものではないという認識が欠けているためというよりほかはない。よくよく心にとどめておくべきことである。》
《しかしながら、家中の数多くの同僚の中には、気違い同然の馬鹿者もいる場合がある。こうした馬鹿者は、道理にもならぬことを言って、人がきかぬふりをし、相手にならないと、さては恐れているなと思い込み、ますますかさにかかって、様々な悪口を言い散らし、しまいには誰しもそのまま聞き捨てにすることができぬような雑言を言いかけてくることがあるものである。
これは武士として最大の不運、災難と言わねばならない。
万一、そのような成り行きとなってしまったならば、その雑言を受けながらも、きっぱりと決意を固め、できる限り気を落ち着け、その時と場所柄から判断して、その場で決着をつけるのは差しさわりがあると思えば、一旦宿所に帰って、公私ともに大切な用事などがあればそれぞれ始末をつけて、もはやこの世には心に残ることは何もないようにしておく。次に右の口論のいきさつを、その場に居合わせてよく事情を知っている同僚などを証人として、一通の書類に書き置くのである。
こうしておいて、機械を見て相手に挑み、従運な勝利を得て恨みを晴らしてから、直ちに自殺しようとも、あるいは検使をお招きして切腹を遂げようとも、それは各人お思いのままでよろしい。
この様にすれば、同僚たちも、まことに適切な態度と感心するであろうし、主君のお心にも、立派なやり方であったとお考えいただくことができよう。
こうして、不忠の罪のお詫びも、いくらかはできようというものである。
ところが、このような思慮にかけた若い連中は、その時の怒りに心を奪われて、馬鹿者といきなりぶつかって切り合いとなり、軽率至極な犬死同然の死に方をするものだが、これは右に述べたような、奉公する武士の身命は、既に主君に奉ったもので、我がものではないという認識が欠けているためというよりほかはない。よくよく心にとどめておくべきことである。》
唐突に、決闘の心得が説かれる。「恥知らずと呼ばれるよりは死を選んだ強烈な”恥”の意識、それは内面的な信念よりも世間の目に左右されがちな他人志向のもろさをもっていたにしても、封建の世を支える筋金となっていたことは否定できない。」と吉田氏は解説で指摘する。
理不尽に対しては、見栄を張ることで、筋を通したのである。見栄、それは日本人の美意識である。この美意識によって「節操が守られた」と謂われる。ただし、あくまでも武士の作法に従って・・・
・・・。
2014年11月3日月曜日
心得 第六十六 「喧嘩口論は身を亡ぼす大不忠」
「武士ほど高くつくものはない」の一項で、「決闘の心得」へ続くものである。
《さて、このような決意を固めたからには、もはや我が身も我が命も、自分のものではない。いつなんどき、主君のご用に差し上げるか予測もつかない次第である。そう思えばこそ、ますます身命を大切にして、大食、大酒、淫乱などの不摂生をつつしみ、一日も長くこの世にとどまって、、なんとしても一度は主君のお役に立ってから命を捨てたいものと考えるべきである。
そうであれば、畳の上で病死することさえ残念に思われるのに、ましてや愚にもつかぬ喧嘩口論を起こして友人同僚を討ち果たし、自分もまた身命を失うなどということは、この上ない不忠、不義の振る舞いと知って、十分に自粛自戒しなければならない。
そのための第一の戒めといえば、まず軽々しい口をきかぬことである。
一体武士というものは、口数の多いのを嫌うものであるのに、それを心得ず、役にも立たぬ口を多くきくところから口論が起こり、それが募って喧嘩となり、喧嘩が起これば必ず雑言が飛び出してくるのである。
武士と武士との間で雑言が出てしまっては、それで無事におさまることは、万に一つもあり得ないことである。
それであるから、最初、口論になるより前に、そのことを心に決めて、わが身はかねてから主君に捧げ奉ったものであることを思い出し、怒りを押さえる者をさして、忠義の武士とも分別ある武士ともいうのである。》
「私心」でなく、「士心」つまり〈志〉を持つことが求められる。
《さて、このような決意を固めたからには、もはや我が身も我が命も、自分のものではない。いつなんどき、主君のご用に差し上げるか予測もつかない次第である。そう思えばこそ、ますます身命を大切にして、大食、大酒、淫乱などの不摂生をつつしみ、一日も長くこの世にとどまって、、なんとしても一度は主君のお役に立ってから命を捨てたいものと考えるべきである。
そうであれば、畳の上で病死することさえ残念に思われるのに、ましてや愚にもつかぬ喧嘩口論を起こして友人同僚を討ち果たし、自分もまた身命を失うなどということは、この上ない不忠、不義の振る舞いと知って、十分に自粛自戒しなければならない。
そのための第一の戒めといえば、まず軽々しい口をきかぬことである。
一体武士というものは、口数の多いのを嫌うものであるのに、それを心得ず、役にも立たぬ口を多くきくところから口論が起こり、それが募って喧嘩となり、喧嘩が起これば必ず雑言が飛び出してくるのである。
武士と武士との間で雑言が出てしまっては、それで無事におさまることは、万に一つもあり得ないことである。
それであるから、最初、口論になるより前に、そのことを心に決めて、わが身はかねてから主君に捧げ奉ったものであることを思い出し、怒りを押さえる者をさして、忠義の武士とも分別ある武士ともいうのである。》
「私心」でなく、「士心」つまり〈志〉を持つことが求められる。
それはいわゆる武士の本懐である。そして武士は何を本懐・本望としたかが問題となる。
心得とは、心を得るために必要なことであり、誰の心を得るのか、武家においては、主君の心が中心であった。そこに忠があり、その中心を体得、体現することこそ忠臣のつとめである。
心得とは、心を得るために必要なことであり、誰の心を得るのか、武家においては、主君の心が中心であった。そこに忠があり、その中心を体得、体現することこそ忠臣のつとめである。
一心同体の働きはそこに生まれる。
2014年11月2日日曜日
心得 第六十五 「いざという時の決意は日ごろから」
「武士ほど高くつくものはない」の一項で、「喧嘩口論は身を亡ぼす大不忠」へ続くものである。
《そこで、ご家来の身としても、右に述べた主君のご本心を推察し、自らも奉公人としての決意をはっきりと決めなければならない。
その決意とは何か。日頃勤めている警固、お供、お使いといった役目は、泰平の世の武士が、ただそこに体を置いているという程度のご奉公であって、世間にありふれたことであり、きわだったご奉公とは言えぬものである。
しかし、もし明日にでも不測の変事が起こったならば、そのときこそは人に勝れた武勇をあらわし忠義を尽くさずにはおかぬという決意によって、日頃から武芸の鍛錬につとめ、分相応の家来や馬をもち、武具や馬具をも整えておくのである。そして、一旦、非常の事態となったならば、自分の属する隊の中に何十人の侍がいようとも、平地の合戦ならば一番槍、城攻めならば一番乗り、もしも味方が戦い利なく退くときは殿、以上三つの働きは軍神、摩利支天もご照覧あれ、他の者には決してさせぬと人に向かってはいわなくとも、心のうちにかたく思い定めておくのが、奉公を勤める武士としての決意なのである。》
武士の本分は、変の時にある。それはいつ起きるか予測はできない。だから日頃から武芸の鍛錬を怠らず、馬具や武具もいつでも使えるように整えることを説いている。そして変の時となれば、その働きの場を獲得することが最も重要になる。その場として三つがあるという。それは最も敵の力の強い時と所にある。つまり、一番槍、一番乗りであり、退却する時には殿に敵の力は集中するのである。そうした場所において臆することなく、十分なる働きをするのが武士である。
こうしたことを日頃から心のうちに思い定めておくのが武士の決意、つまり覚悟なのである。
《そこで、ご家来の身としても、右に述べた主君のご本心を推察し、自らも奉公人としての決意をはっきりと決めなければならない。
その決意とは何か。日頃勤めている警固、お供、お使いといった役目は、泰平の世の武士が、ただそこに体を置いているという程度のご奉公であって、世間にありふれたことであり、きわだったご奉公とは言えぬものである。
しかし、もし明日にでも不測の変事が起こったならば、そのときこそは人に勝れた武勇をあらわし忠義を尽くさずにはおかぬという決意によって、日頃から武芸の鍛錬につとめ、分相応の家来や馬をもち、武具や馬具をも整えておくのである。そして、一旦、非常の事態となったならば、自分の属する隊の中に何十人の侍がいようとも、平地の合戦ならば一番槍、城攻めならば一番乗り、もしも味方が戦い利なく退くときは殿、以上三つの働きは軍神、摩利支天もご照覧あれ、他の者には決してさせぬと人に向かってはいわなくとも、心のうちにかたく思い定めておくのが、奉公を勤める武士としての決意なのである。》
武士の本分は、変の時にある。それはいつ起きるか予測はできない。だから日頃から武芸の鍛錬を怠らず、馬具や武具もいつでも使えるように整えることを説いている。そして変の時となれば、その働きの場を獲得することが最も重要になる。その場として三つがあるという。それは最も敵の力の強い時と所にある。つまり、一番槍、一番乗りであり、退却する時には殿に敵の力は集中するのである。そうした場所において臆することなく、十分なる働きをするのが武士である。
こうしたことを日頃から心のうちに思い定めておくのが武士の決意、つまり覚悟なのである。
矢面に立つ、窮地を切り抜けるなど、最も危険な場所に働きの場があるのである。
2014年11月1日土曜日
心得 第六十四 「恩に感じ、命を捧げることを期待」
「武士ほど高くつくものはない」の一項で、「家臣を養う主君の本心は?」に続くものである。
《その御本心とは何か。主君におかれても、このように家中の大小の侍に毎年の俸禄を下されることが大きな出費となっているのをご存じないわけではない。しかし、主君には、もともと戦乱に際してのお役目というものがあり、万一非常の事態が生じたときには、大将のお支度をなさり、出陣されるわけで、その際はお家柄相応の軍勢をおそろえにならねばならない。たとえば十万石の知行であればば騎馬武者百七十騎、弓足軽六十人、鉄砲足軽三百五十人、槍武者百五十人、そして大将の旗本と、これだけは公儀の定めによる軍役である。それ以上の人数については、その大将のご力量なり、お考えによって決められるのである。また、こうして既定の軍勢を引き連れて出陣された後、お城をあけておいて不慮の事態を招いてはならないから、お城を守り固める必要なだけの人数も確保しておかなければならない。
このように考えてみると、普段は家中に多くの人々がいるように思われても、いざそのような場合となると、第一に不足するのが人というものなのだ。
現在は太平の世であって、世間には数多くの浪人がいるから、もしもの時には、これを召し抱えればよいとの考えもあろう。なるほど、そうすれば人を集めることはできよう。
だが、身分の高下に拘わらず、人はなじみというものに大きく左右される。
もちろん、ひとかどの武士であれば、臨時に召し抱えられた者であっても役に立たぬということはないであろう、だが、数代、数年にわたって主君の御恩を受け、日頃のお情けを頂いて、それが骨身にしみ、一度はあっぱれな奉公を勤めて日ごろのご恩にお報いしなければ・・・と固く決意しているような武士でなければ、いざ一大事というときのお役にたつことはできないものである。
主君、大将と呼ばれる方々は、このようなお考えをもっておられるからこそ、平生はさして必要ないにもかかわらず、大身小身、数多くの侍を抱えておかれるのである。家中に多くいる先祖代々の侍の中には、話にならぬ不出来なもの、生まれながらに五体不具なもの、あるいはいくらか馬鹿のように思われるものがいても、すべて大目に見て、決まりどおりの俸禄を賜り、召し抱えておられる。一旦、非常の事態が起こった時には、家中一同が日ごろの主君のご恩とお家へのなじみによって、身命をかえりみぬ働きをしてお役にたつに違いないと、それだけを心強いことと思召しておられるために他ならない。
これが家中の侍たちに対する主君、大将のご本心というものである。》
戦場での働きは、「一気呵成に攻める」など、気合で決まる。また軍陣、隊形によってその戦力は大きく影響される。与えられた役割を遂行するには、一糸乱れぬ行動が不可欠である。それは、他人を知り、己を知ること、互いに気心を知り、家風になじむことによって達成されるのである。
《その御本心とは何か。主君におかれても、このように家中の大小の侍に毎年の俸禄を下されることが大きな出費となっているのをご存じないわけではない。しかし、主君には、もともと戦乱に際してのお役目というものがあり、万一非常の事態が生じたときには、大将のお支度をなさり、出陣されるわけで、その際はお家柄相応の軍勢をおそろえにならねばならない。たとえば十万石の知行であればば騎馬武者百七十騎、弓足軽六十人、鉄砲足軽三百五十人、槍武者百五十人、そして大将の旗本と、これだけは公儀の定めによる軍役である。それ以上の人数については、その大将のご力量なり、お考えによって決められるのである。また、こうして既定の軍勢を引き連れて出陣された後、お城をあけておいて不慮の事態を招いてはならないから、お城を守り固める必要なだけの人数も確保しておかなければならない。
このように考えてみると、普段は家中に多くの人々がいるように思われても、いざそのような場合となると、第一に不足するのが人というものなのだ。
現在は太平の世であって、世間には数多くの浪人がいるから、もしもの時には、これを召し抱えればよいとの考えもあろう。なるほど、そうすれば人を集めることはできよう。
だが、身分の高下に拘わらず、人はなじみというものに大きく左右される。
もちろん、ひとかどの武士であれば、臨時に召し抱えられた者であっても役に立たぬということはないであろう、だが、数代、数年にわたって主君の御恩を受け、日頃のお情けを頂いて、それが骨身にしみ、一度はあっぱれな奉公を勤めて日ごろのご恩にお報いしなければ・・・と固く決意しているような武士でなければ、いざ一大事というときのお役にたつことはできないものである。
主君、大将と呼ばれる方々は、このようなお考えをもっておられるからこそ、平生はさして必要ないにもかかわらず、大身小身、数多くの侍を抱えておかれるのである。家中に多くいる先祖代々の侍の中には、話にならぬ不出来なもの、生まれながらに五体不具なもの、あるいはいくらか馬鹿のように思われるものがいても、すべて大目に見て、決まりどおりの俸禄を賜り、召し抱えておられる。一旦、非常の事態が起こった時には、家中一同が日ごろの主君のご恩とお家へのなじみによって、身命をかえりみぬ働きをしてお役にたつに違いないと、それだけを心強いことと思召しておられるために他ならない。
これが家中の侍たちに対する主君、大将のご本心というものである。》
「分相応」は、当然、主君、大将にも求められる。
そして〈分〉は〈なじみ〉によって大きく左右されるという。
武家社会が人間関係によって、支えられていたことを示すものである。
そして〈分〉は〈なじみ〉によって大きく左右されるという。
武家社会が人間関係によって、支えられていたことを示すものである。
主従関係も、同様に日頃の〈なじみ〉から生まれるのである。
〈以心伝心〉、主君、大将の本心を理解できなければ「分相応の働きはできない」という。
〈以心伝心〉、主君、大将の本心を理解できなければ「分相応の働きはできない」という。
〈なじむ〉とは、「馴染む」と表記する。ことバンクによれば、《①環境などになれて違和感をもたなくなる。なれて親しむ。 ②調和する。ひとつにとけあう。》とある。
〈馴れ〉〈染む(染まる)〉ことである。
〈馴れ〉とは、《言いつけにおとなしく従う》こと、「動物の如く、私心なく、飼い主に従う」意である。
〈染む〉には、《心にしみじみと感じる》という意がある。
つまり、〈なじむ〉とは、「私心なく、言いつけに従い、真意を体感・体得する」ことである。
これは《一意専心》《一心同体》を表すものとなり、有機的な行動ができることになる。
この有機的なつながりの中で、いわゆる〈勇気なるもの〉も誘起されるのである。
〈馴れ〉〈染む(染まる)〉ことである。
〈馴れ〉とは、《言いつけにおとなしく従う》こと、「動物の如く、私心なく、飼い主に従う」意である。
〈染む〉には、《心にしみじみと感じる》という意がある。
つまり、〈なじむ〉とは、「私心なく、言いつけに従い、真意を体感・体得する」ことである。
これは《一意専心》《一心同体》を表すものとなり、有機的な行動ができることになる。
この有機的なつながりの中で、いわゆる〈勇気なるもの〉も誘起されるのである。
戦場での働きは、「一気呵成に攻める」など、気合で決まる。また軍陣、隊形によってその戦力は大きく影響される。与えられた役割を遂行するには、一糸乱れぬ行動が不可欠である。それは、他人を知り、己を知ること、互いに気心を知り、家風になじむことによって達成されるのである。
「身分、職分、気分を与えられて自分になる」と謂われるが、気分は気を分かつこと、〈なじむ〉ことによって獲得するものなのである。家風・流儀に〈なじみ〉、武家を支える働きができるのである。
そのような行動は日頃から生活を共にし、呼吸を合わせることなしには達成できないのである。
これは、現代においても、当てはまる。
社風、職場風土になじみ、雰囲気を分かつ時、気心が知れ、協働が生まれるのである。
社風、職場風土になじみ、雰囲気を分かつ時、気心が知れ、協働が生まれるのである。
《平生往生》との謂いにも思い至る。
余録:
〈家来〉とという言葉がある。
ことバンクによれば、《「家礼」を呉音(ごおん)読みにした語。「家頼」とも書く。ただし「家来」「家頼」は中世以降の用字である。本来、家において親や長上に礼を尽くし、そのように他人を敬う意であった。また、公事(くじ)の作法を習うため摂家(せっけ)などに出入りする者を称したが、中世以降、これが主従関係に転じて、公家や武家の主君に臣従すること、またその者(家臣)をさすようになり、さらに、一般に従者や手下を汎称(はんしょう)する語ともなった。》とある。
余録:
〈家来〉とという言葉がある。
ことバンクによれば、《「家礼」を呉音(ごおん)読みにした語。「家頼」とも書く。ただし「家来」「家頼」は中世以降の用字である。本来、家において親や長上に礼を尽くし、そのように他人を敬う意であった。また、公事(くじ)の作法を習うため摂家(せっけ)などに出入りする者を称したが、中世以降、これが主従関係に転じて、公家や武家の主君に臣従すること、またその者(家臣)をさすようになり、さらに、一般に従者や手下を汎称(はんしょう)する語ともなった。》とある。
「家来」が用いられるようになったのは、武家社会の興隆(中世)以降である。
また、《《吾妻鏡》1180年(治承4)の記事に〈源氏の人々は家礼とするのも憚るべきなのに服仕の家人として取り扱うのは以ての外のことだ〉とある。》というように、家来の資格は、礼式を弁えることが条件であった。
また、《《吾妻鏡》1180年(治承4)の記事に〈源氏の人々は家礼とするのも憚るべきなのに服仕の家人として取り扱うのは以ての外のことだ〉とある。》というように、家来の資格は、礼式を弁えることが条件であった。
これは、〈家来〉の〈来〉が、〈仕来り〉を表すものと考えれば、〈家来〉とは《家の仕来りに殉ずるもの》ということになる。さらに推論すれば、〈イエ〉を立てるとは、仕来り、家風、流儀を盛り立てていくこととなる。要するに「生き方の提案・提示」であったのだ。
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