2015年7月30日木曜日

心得 第八十六 「御奉公をおろそかにする妻子狂い」

小身者は妻子を持つべからずの一項である。
緊急の場合に、自分の槍を担がせて出ていく中間の一人をも召し抱える余力のないような小身の武士が、そのような状態で妻子を養うことは大きな考え違いと知るべきである。
多くの親類、友人の中にはいろいろなものもいて「人間には病気ということもあり、洗濯や勝手の仕事もある。第一、子孫を残すためにも・・・」などと、言葉巧みに進めるのをなるほどと思って、将来のことも考えずに人の娘を貰い受け、妻と定めて家に置いておけば、なるほどその当座は朝夕の支度も安心で、普段の用事も片づいて喜んでいるうちに、間もなく小さい子供たちが何人も生まれては、そのたびごとに出費がかさみ、やがて家計に穴をあけ、たった一人だけ召し抱えていた中間にも暇を出して子守女と取り替え、留守番をする男さえおらぬ始末となって、妻子が病気にでもなれば看病を理由に勤めを休んで大切なご奉公を怠り、家計はますます逼迫して、にっちもさっきもゆかず、同じような身分の同僚の真似も出来ぬようになってしまうが、それも自分の好みで不必要な妻子をもったことから起こった苦労にほかならない。ところが、その原因を考えもせず、主君の責任ででもあるかのようにお恨みし、不満を持つというのが十人のうち九人までで、世間によく見るところである。
ここのところを十分に考えて、小身の武士としては、年齢も若く気力も盛んなうちには、昼夜の別なくひたすら奉公の勤めに精を出し、主君の思し召しによって、それ相当の出世も遂げ、もうこれならば妻子を持っても養育に事欠くことはあるまいという判断をつけてから、子孫相続のことについて考えればよろしいのである。

将来の見通し、判断を付けてからことに対処せよという戒めである。
《小心者は妻子を持つべからず》とは、「人権無視である」と当世では聞える。「イエ」社会の近世においては妥当な言い分であった。それは次のように考えるからである。
小身であろうと大身であろうと奉公を第一として考えるのが武士である。
それを《将来のことも考えず》、《朝夕の支度も安心》と当座の都合だけを考え、《自分の好みで不必要な妻子をもったことから》、本来の備えができなくなるというのは恥である。
先述した様に「修身斉家治国平天下」が「イエ」社会における武士道の精神の基底にあった。
奉公し、家を立てることを第一とし、立身出世することで我が身を立てたのである。
さらに言えば、《主君の思し召しによって、それ相当の出世も遂げ》とあるように、主君の配慮により、相応の場が用意されるというのである。
主の思量により、「イエ」を中心に秩序が保たれている。だから自分の子孫相続のことについては、《もうこれならば妻子を持っても養育に事欠くことはあるまいという判断》、つまり「余裕ができてから考えろ」というのである。

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