「殉死にまさる大忠節とは」の一項で「お家に伝わる怨霊の手口」へと続くものである。
《以前には世間において殉死ということが数多く行われていたが、寛文年間に全国にわたって、これを禁制とする旨がおおせ出されて、それ以来、追い腹ということは世間から姿を消したのである。
現在においても諸家の多くの武士たちの中には、主君の深いご温情をいただきながら、それをお返しすることができないので、せめて殉死のお約束をしたいものと考えている人もあるであろうが、公儀のお達しが出されたからには、そのような行動をとれば、亡くなられた主君に傷をつけ、お跡継ぎのご子息も公儀より不届きと思われる結果となって、かえって非常な不忠となるのでそれもできない。それだからといって、畳の上の奉公で人並みのことをするばかりで一生を終わるだけでは残念至極というので、「よし、なにごとにせよ同僚たちの手にあまるようなご奉公はないものであろうか。身命なげうって、ぜひ一度は人並み外れた奉公をせずにはおくまい」と堅く心に決意しているという人もいるに違いない。このような決意を固めて奉公するならば、それは殉死に比べて百倍もすぐれた忠節であり、主君のおんためになるばかりでなく、家中の大小の奉公人にとっても頼もしく、忠、義、勇の三つの徳を兼ね備えた、末世の武士の手本というべき存在となるのである。》
武士道の仕来りが変わった。《寛文年間に全国にわたって、これを禁制とする旨がおおせ出されて、それ以来、追い腹ということは世間から姿を消したのである。》
殉死によって忠を現わしたいと願っても公儀から禁制とする旨が出されては、《公儀より不届きと思われる結果》が御子息に及び、反って不忠になる。
武士道の仕来りに従うことができない。こうした場合、どうすればよいのか。友山は次のように
《「よし、なにごとにせよ同僚たちの手にあまるようなご奉公はないものであろうか。身命なげうって、ぜひ一度は人並み外れた奉公をせずにはおくまい」と堅く心に決意しているという人もいるに違いない。このような決意を固めて奉公するならば、それは殉死に比べて百倍もすぐれた忠節であり、主君のおんためになるばかりでなく、家中の大小の奉公人にとっても頼もしく、忠、義、勇の三つの徳を兼ね備えた、末世の武士の手本というべき存在となるのである。》
殉死という行為に代えて、《堅く心に決意》して内面化することを勧める。それが《忠、義、勇の三つの徳を兼ね備えた、末世の武士の手本》として現れるというのである。
少し苦しい言い訳に聞こえる。
0 件のコメント:
コメントを投稿