「禄盗人の罪は重い」の一項で「盗人にも三分の理」から続くものである。
《その理由を述べよう。世間の盗人というものは人の物を取れば深くそれを隠し置く。また、たいていは見ず知らずの人の巾着や紙入れを盗むものである。それにひきかえ、武士の盗人とは、御恩を受けていいる主君の物を盗み取って平気でおり、身分不相応の贅沢をして勝手放題なことをするものであり、同役同僚たちを、目なし、耳なしの馬鹿者扱いにするばかりか、つまりはご主人までをも馬鹿にしている道理である。だからこそ、世間にはびこる盗人に比べて十倍もの罪人だというのだ。
ところが、このような不届き者にかぎって、悪智恵が発達しているものだから、主君に対しては気のきいたご奉公をして、そのお気に入りの家老や重臣の中から欲の深いものを一人見つけ出して鼻薬をかがせ、誰にも気づかれぬようにその者の歓心を買って自分の後ろ楯とし、その権力をかさに着て公式の決裁の場でも同僚には口もきかさない。自分の職分について自覚することもなく、何事につけても出しゃばって、自分よりほかに人はいないかのような口をきいて、ややもすれば、依怙贔屓の沙汰を行う。同僚の人々からは、まことに傍若無人の態度と見限られながらも、現在、その者の羽振りがよく、また有力な後ろ楯があることを恐れ、また自分たちにもこれに逆らうほどの力量がないため、誰一人として進み出て批判をする者とてもない。このため、後には一同の指導者のような立場となってしまい、人々はみなこの者に口を合わせるようになり、そのままの状態が続いてしまうので、それ以外の同僚たちは、あたかも有名無実の有様となり、国の政治についても大きな支障が生じてくるのである。
足利将軍家の時代に、京都所司代職に選ばれていた多賀豊後守という人は、土佐将監という絵師に命じて、かつて自分が新左衛門と名乗って江州佐々木家の平侍を勤めていたころの姿を絵に画かせ、これを居間の床に掲げて自らの戒めとし、役人たちと語り合う時にも、人は幸運な境界にある時ほど卑賤の昔を忘れぬことが大切であるとつねにいっていたとのことである。》
世間の盗人と違い、士農工商の最上位にある武士の盗人の罪は十倍深いものになるという。
《武士の盗人とは、御恩を受けていいる主君の物を盗み取って平気でおり、身分不相応の贅沢をして勝手放題なことをするものであり、同役同僚たちを、目なし、耳なしの馬鹿者扱いにするばかりか、つまりはご主人までをも馬鹿にしている道理である。だからこそ、世間にはびこる盗人に比べて十倍もの罪人だというのだ。》
その理由は、武士が盗むのは、家の物であり、それは主命、主恩に反する「イエ」制度、そのものを破壊する行為となるからだ。
世間の盗人は人目を憚るが、禄盗人は分を弁えず、領分を拡大し、大きな顔をするようになる。
それは武士道に反する大罪であるが、避けがたいものである。好事魔多しである。
《人は幸運な境界にある時ほど卑賤の昔を忘れぬことが大切である》と戒め、昔の武人の例を挙げ、賞賛している。
0 件のコメント:
コメントを投稿