《してみれば、武士という身分は、三民の人々に安らかな思いをさせることを任務とするものにほかならない。そうであれば、大身の武士はもちろんのこと、たとえ小身者であろうとも、武士の身分にある者は、三民の人々に対して、決して無理、非道な行為をしてはならぬ道理でである。ところが現実には少しもそうではなく、農民に対しては無理な年貢を課し、そのうえにさまざまな税を押しつけて破産させ、職人に物をあつらえてはその工事代、手間代も払わず、商人から品物を買い上げておきながら代金を放っておき、金銀を借用しても知らぬ顔をして借り取りにしてしまうなどは、すべて武士の本道を外れた大不義といわねばなるまい。
こうした点をよくよく考えるならば、領内の百姓をもいたわり、町人商人からの買い掛り金、借金などについても、一度に返済はできぬまでも、だんだんに少しずつでも返していって、迷惑をかけぬようにしてやるだけの配慮は、是非ともなくてはならない。盗賊を防ぐ役を果たすべき武士が盗賊のまねをするようなことは決してあってはならぬ、という心がけは、きわめて大切なのである。
以上、初心の武士として、よくよく肝に銘じておくべきことである。》
我々はこの章をどう受け止めるべきであろうか。この章の解釈は非常に難しい。
武家社会では、武士は国士として、国、藩、庶民を守るように定められていた。
武士は、「守られる」のではなく、「守る」のである。死命を賭して初志を貫く、それが武士であった。それは「心に道を、形に法を」で説いたところである。
功を立てる場が少なくなった武士に、心を形にして行動することを求めたのである。
余力を貯え、結集し、敵の力よりも勝る余分な力が勝ちを制したのである。余分は、余力となり、安心・余裕を生んだのであった。知足安分であったのである。是が謀議の帰結であった。
時代が変わり、余分が、余計となると排除されることになる。
余念、余心、余勢、余情が切断されるとき、世の中は貧相になる。
(余で始まることばを味わっては如何?)
身分制度が定着する過渡期においては、それぞれの世間を越えた交流・協業も成立したであろうが、制度の確立と共に、世間が固定化し、分断されると、武士階級は経済的には、孤立・困窮していくことになる。それが現実であった。
しかし、武士は、一に止まる事、本末転倒せぬこと、節操を正し、気品を保つようにと説いている。
これが後に、「勤勉革命」を生むことになったのである。
功を立てる場が少なくなった武士に、心を形にして行動することを求めたのである。
余力を貯え、結集し、敵の力よりも勝る余分な力が勝ちを制したのである。余分は、余力となり、安心・余裕を生んだのであった。知足安分であったのである。是が謀議の帰結であった。
時代が変わり、余分が、余計となると排除されることになる。
余念、余心、余勢、余情が切断されるとき、世の中は貧相になる。
(余で始まることばを味わっては如何?)
身分制度が定着する過渡期においては、それぞれの世間を越えた交流・協業も成立したであろうが、制度の確立と共に、世間が固定化し、分断されると、武士階級は経済的には、孤立・困窮していくことになる。それが現実であった。
しかし、武士は、一に止まる事、本末転倒せぬこと、節操を正し、気品を保つようにと説いている。
これが後に、「勤勉革命」を生むことになったのである。
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