《もしも、そのような不首尾となって味方先陣の第一陣、二陣も崩れ、指揮に当たっていた武将も何人かは討死して、敵は勝ちに乗じて大将の本陣目がけて押し寄せたか、ご本陣の前の旗、指物なども揺れ動き今は大将のご安否も分らぬといった事態に立ち至った時には、もはや合戦の指揮は断念し、兜の緒を堅く締めて二度と脱がぬ決意を示し、馬からも再び降りぬ態度を見せて、たとえ味方が退却することがあっても、敵にうしろは見せぬとの覚悟を決めて出撃し、敵の鎗玉にあげられて最期を遂げるのである。これこそが、日頃、そのお家の軍師として口をきき、特にその日は戦況の判断役を仰せつかって大将に申しあげ、合戦のご相談の中心を勤めながらことを仕損じた武士の討死の姿として、古来から定められたものなのである。
かつて、信州川中島の合戦において、山本勘助入道鬼斎がこの方式を守って討死を遂げたことは、お家の軍師を勤めようとする武士にとって、末世末代までのよい手本である。古人の言葉にも、「人のために軍を謀りて破るる時は死す」といわれているとのことである。
ところが、そのような決意とてもなく、普段は、そのお家随一の軍法者などといわれて大きな口をきき、非常の際となれば、大将のお前で戦略決定に当たってはほかに人もおらぬように自分一人で喋り捲り、いざ一戦となればなおさらのこと、人の意見を聞こうともせず、自分勝手な独断で戦略の道理から外れたことばかりを大将におすすめして、誤った指揮をさせてしまい、負けるはずのない戦いを総崩れにしてしまって、大身小身の味方の武士が数多く討死を遂げる中にも、なお自分だけは死に損なってうろたえまわり、顔をふきふき大将のお側にやってきて、「十分に考えた末のことでありましたが、すっかり見通しがはずれ、このような次第となって非情な失態、まことに困却しております」などと、言い訳をしているようでは、そのお家の軍師といわれる身として、武士の一分が立つものとは思えない。》
前項の問いに対する答えがある。それは《敵の鎗玉にあげられて最期を遂げる》のである。
それが《仕損じた武士の討死の姿として、古来から定められたもの》なのである。そのよい手本を山本勘助入道鬼斎が示したといい、《「人のために軍を謀りて破るる時は死す」》と古人の言葉を挙げる。
「想定外」等との言訳は、論外で、《武士の一分が立つものとは思えない》とある。
それが《仕損じた武士の討死の姿として、古来から定められたもの》なのである。そのよい手本を山本勘助入道鬼斎が示したといい、《「人のために軍を謀りて破るる時は死す」》と古人の言葉を挙げる。
「想定外」等との言訳は、論外で、《武士の一分が立つものとは思えない》とある。
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