「禄盗人の罪は重い」の一項で「悪いやつほど大きい顔」へと続くものである。
《世間にはびこる盗人というものは、人の家の家尻(家の裏の戸や壁)を切り取って中へ侵入し、あるいは人の腰にさげている巾着を切り取り、そのほかさまざまな盗みをして、それを仕事としているのであるから、不道徳なことの上ない存在といえよう。しかしながら、古人の言葉にも「恒産なければ恒心なし」(人として安定した資産がなければ、安定した思慮を持つことはできない)といわれているように、その日の生活に窮してどうすることもできず、心の弱いために「たとえ人の物を盗んででも、さしあたりの飢えと寒さをしのがなけれはならない。もしも見つけられて首を切られようともやむをえない」と覚悟を決めて盗みをするというのであれば、それは不届きなこととは言いながら、いくらかはもっとものことのように思われる。
人間の貧富貴賤というものは、すべて天命であり、これに苦しむことはない、正しくない手段で富を求めることをせず、たとえ飢えと凍えのために直ちに死のうとも、何とも思わないなどということは、口では言うものの、実際には武士以上の身分の者であってもそうそうできることではない。それであるから、盗人の仕業についても、少しはもっともだというのである。
ところで、主君を持って奉公する武士については、大身の者は言うまでもないが、たとえ小身者であろうとも、苗字を持ち、刀を差しているからには、ただの庶民とは言えない。また奉公人というからには、それ相当の俸禄をも頂いているのだから、「恒産なし」ということもできない。そうであるならば、主君のご判断によって会計出納のお役をお受けするような場合にも、少しも私欲を考えることなく、ただひたすら主君の御為になるようにと心がけ、真っ正直に勤めることが武士の正しい道である。ところが、ややもすれば、役目を利用して私欲を満たす悪事を働き、手を変え品を変えては主人の物をかすめ取って自分の手元へ持ち込む工夫を重ねる。しかも自分一人の考えだけでは自由にならないために、部下の秘書役などをはじめ、家来たちにも盗みを働かせるのである。こうして部下の批判、同僚たちの軽蔑にも恥じる心もなく、身分不相応な家の普請や道具集め、ご馳走道楽などに耽り、召使も数多く抱えて、自分と同じ身分の同僚たちにはできぬような生活をするなどは、右に述べた盗人などよりも十倍も劣った大悪人である。》
「恒産なければ恒心なし」と言われるように、「人として安定した資産がなければ、安定した思慮を持つことはできない」から止むを得ず、道から外れることはあり得る。だから「覚悟を決めて盗みをする」というのは、私欲に駆られ、悪事を働くだけでなく、他人まで巻き込んで徒党を組んで盗みを働かせ、分にすぎる暮らしをする大悪人に比べれば、三分の利があるというのである。
人間の貧富貴賤というものは、すべて天命であり、自分の裁量で左右することはできない。
「正しくない手段で富を求めることをせず」と口でいうことは易いが、武士以上の者でも中々できないことなのである。それほど当時の士分の暮らしは貧しいものであった。
《身分不相応な家の普請や道具集め、ご馳走道楽などに耽り、召使も数多く抱えて》贅沢な生活をしないように戒めているのである。
「耐乏により待望を遂げる」のが武士の習い、活路となった。
「臥薪嘗胆」の気を養ったと考えられる。
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