《主君にお仕えしている武士が、どのような事柄にせよ、主君の御為にひときわ目立ったご奉公をし遂げて、自分の心にも、見事ひと奉公を勤めたものと考え、家中や他家の人々も、その事情を知る者は、なかなかできないことをよくも成し遂げたものだ、と感心してほめているにもかかわらず、ご主人のお気持ちとしては、さほどのことともお考えにならないのか、またはお心の中では感心して居られても、何かのお差支えがあってのことか、格別のご恩賞ということもなく、労して功なしといった結果に終わることがある。
そうした場合、さてもお情けのないなされ方よなどといって、主君をお恨みし、心の奥に不満を抱いて、口たらたらに毎日を過ごし、心のこもらぬ勤務ぶりを続けるなどという者は、もってのほかの了簡違いというものである。その理由を述べよう。》
自己評価と他者(上司)評価との違いがあることと、その場合の対応について述べている。
これは今日でも、よく職場で見られる風景である。
当然の働きに対する、当然の評価基準の問題である。
当然の持つ意味が、TPOによって異なるのである。
働きの場と、評価の場では、物事を見る視点、視野、視界が異なる。
当然、評価する目も異なってくる。
一般に、働きの場では、短期・限定的になるが、評価の場では、長期・非限定的になる。
しかし、それによって、武士の本分が変わるわけではない。
そのそも、自己評価に自信があれば、他者評価によって、気分を惑わされる必要はないのである。
気分を損なうという事は、自分の信念を疑うという事、自信がないという事なのだ。
「四知〈天知る、地知る、我知る、人知る〉」の故事がある。
事は善悪に関わらず、顕れるものなのである。
一意専心、正々堂々、我が道をゆく。
これは今日でも、よく職場で見られる風景である。
当然の働きに対する、当然の評価基準の問題である。
当然の持つ意味が、TPOによって異なるのである。
働きの場と、評価の場では、物事を見る視点、視野、視界が異なる。
当然、評価する目も異なってくる。
一般に、働きの場では、短期・限定的になるが、評価の場では、長期・非限定的になる。
しかし、それによって、武士の本分が変わるわけではない。
そのそも、自己評価に自信があれば、他者評価によって、気分を惑わされる必要はないのである。
気分を損なうという事は、自分の信念を疑うという事、自信がないという事なのだ。
「四知〈天知る、地知る、我知る、人知る〉」の故事がある。
事は善悪に関わらず、顕れるものなのである。
一意専心、正々堂々、我が道をゆく。
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