吉見俊哉『「親米」と「反米」』を読んで、アンビバレントな日本人の心象(深層)を思った。
我々が、戦後復興したものは何だったのか。
我々は、今どこに行こうとしているのか、改めて道を辿ってみたい。
辿ることによって、紆余曲折しながら、ここまで「臥薪嘗胆」で来た思いがあることを知り、その心理構造の克服が、新しい時代の心理構成となるのではないだろうか。
要するに、編成替えをしなければならないのである。
和式の生活が、洋式の生活になった時、我々はそのスタイルを変えるだけでいいと思った。
意識まで、変える必要はないと考えていた。いや変わらないと思っていた。
座敷の生活が、イス・テーブルの生活になるだけだと思った。
変化に合わせ、要領よくやれば、対応できると考えた。
「占領」という一時的な体制も、時がたてば同化し、克服できると思っていた。
構造変化とは、形だけでなく、その性質も変え、構成要素に、変化を求めるものである。社会構造が変化すれば、当然のことながら、その構成要素にも変化が求められる。
不適合であれば、代替物が用意され、排除される。適合するには要素そのものの組成変化が必要になる。自然に新たな道がそこに生まれる。
しかし、今日の道は、「利」に傾くおもむきがある。
「新国立競技場」事件は、その象徴的な実態を示している。
行き過ぎた商業化、サービス経済化が生活環境を破壊する。
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