2015年8月6日木曜日

心得 第九十七 「定石を踏めば非難を受けぬ」

公用の旅は安全第一の一項である。
《主君をもった武士が、主君のご用のお使いを命じられて、たとえば江戸から上方へで出むく道中をするときは、大井川はいうまでもないが、その他の川についても、少しでも水勢が増しているときには、その場所の川越人足を雇って河を越すべきである。わずかな費用を惜しみ、あるいは川越上手を自慢にして自力で川を越そうとして、川の中で馬を倒す、荷物を濡らす、または従者に怪我をさせるなどというのは、非常なる失態である。
また、旅行の経路についても、距離が近いからといって(桑名―熱田の便船ではなしに)、四日市から船に乗ったり、または粟津からの便船で琵琶湖を横断したりすることは、とんでもない無分別である。なぜならば、世間一般において乗るものとされている桑名からの便船に乗っていれば、もしも風波のために日程が遅れたとしても、その言い訳が成り立つものである。それに反して、余計な算段をして失敗した場合には、一言の申し開きもできないものだからである。そこで古人の歌にも、
  もののふの矢橋のわたり近くともいそがばまわれ瀬田の長はし
といっている。
このような心掛けは、何も道中のことだけではなく、武士の身として、何事につけても忘れてはならぬことである。武士道の古い教訓にも、このことは教えられているところである。》



常に、正々堂々である。
分に応じて、定石を踏んで行動するのが、武士である。
「安全第一」を旨とする公用の場合は、定石を踏むことが肝心である。そうすれば非難されることはない。何故なら、言い訳が認められるからである。分別のある行動をとっていれば、たとえ間違いが起こったとしても、分を弁えた行動として、弁解、或いは言訳ができるのである。
定石を踏むという事は、定式、定まった作法、やり方に倣うことである。
にも拘らず、うまくやろうと、余計な算段をする事は、無分別であるという。
武士道の古い教訓にもそう教えられているのである。
ここで、「瀬田の橋を渡った人々と渡らなかった人々を見ることにより、琵琶湖の東西を巡る交通がどのように位置づけれれていたかがわかります」という面白い記事を見つけたので紹介する。

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