2015年7月24日金曜日

武道初心集を読み終えた!

大道寺友山著『武道初心集』吉田豊訳 をなぞり終えた。写経である。
多くの言葉を学んだ。これから一つ一つ噛み締めたい。「要領を得る」とは何かを考えた。
初心とは、「一に止まる、本来を覚悟すること」と知った。
からだは宇宙のメッセージ》とはわが師の言葉である。
身体が精神である。精神と身体は、同一の現実につけられた二つの名前にほかならない。》と市川浩著『精神としての身体』は謂う。
我々の〈からだ〉には『日本のDNA』が育まれている。日本の風土に根ざし、日本語を生み出した。
日本人の深層は宇宙の進化の産物である。奇跡の産物である。奇貨である。
体感、体解、体現、体得だ!
〈数奇〉という言葉は、〈好き〉の意味であったと云う。
好奇心旺盛なのが日本人であり、そこに「数寄心」が生まれた。
また〈数奇〉は「さっき」と訓ずると、《「すうき(数奇)」に同じ》とある。
「すき」ではなく、「すうき」と訓ずる場合には《運命のめぐりあわせが悪いこと。運命に波乱の多いこと。》と否定的・消極的な意味合いを捉えているが、それを「数奇」と訓ずることで、好奇の対象として観象、観想する姿勢を生んだのだろうか?
「さっき」は〈殺気〉と同音異字である。
「数寄心とは、日本人の覚悟の観相ではないか」など、勝手よみして、同じようなことを考えた人はいないかとウェブ検索し、『徳川思想史における「心」・「気」・「物」の思想』なる論文を見つけた。これでまた、伊藤仁斎やベルグソンとつながることができた。

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