「乗馬のたしなみ」の一項である。
《奉公をする武士が旅行の際には、小身者は宿場の貸し馬などにも乗らねばならない。そうした時には、もし落馬などしても、大小の刀が鞘からはずれぬよう、しっかりと差してから乗らねばならない。
ところが、刀の柄を手ぬぐいなどでぐるぐる巻きにしっかりと結んだり、鎗の鞘をおさえるために太い縄でしばりつけたりするのは(万一の場合、不覚をとるもとであるから)、自分一人が不心得者と見られるだけではすまぬことである。荷物につけた印や、荷札の文字からでも、誰殿の家来かということは人々に知られるのであるから、他国の人々にお家の家風が軽薄であるかのように評判される結果となるであろう。
また、近年の習慣として、旅行中、馬子同士の相談によって馬を交換するということがある。こうした場合、相手の馬の乗り手が武士であれば、馬子のことばによって馬からおりる様子を見届けてから、こちらもおりるのがよい。なぜならば、こちらが馬子のいうとおりに馬からおりてしまったのに、もし相手が馬を替えたくないといった場合には、どうしても替えよというわけにもいかず、結局は、折角おりた馬にまた乗らねばならぬからである。また、江戸表などに滞在中、公私の用事で馬に乗って歩く場合には、たとえ老年であっても、馬に乗れる状態であるならば、自分で手綱を取って乗るようにしなければならぬ。ましてや年若い武士が、中間に両側から手綱を持たせ、自分は馬上で懐手をしているなどは、まことに見苦しく思われるものである。》
「馬に乗る」ことは目立つことであり、外聞を憚る武士としては、その振る舞いには十分注意することが求められた。なぜなら、外での振る舞いは、一個人の振る舞いではなく、その家風が評価されることになるからである。
《近年の習慣として、旅行中、馬子同士の相談によって馬を交換するということがある。こうした場合、相手の馬の乗り手が武士であれば、馬子のことばによって馬からおりる様子を見届けてから、こちらもおりるのがよい。なぜならば、こちらが馬子のいうとおりに馬からおりてしまったのに、もし相手が馬を替えたくないといった場合には、どうしても替えよというわけにもいかず、結局は、折角おりた馬にまた乗らねばならぬからである。》とあるように、新たな慣習に従うにも分相応の対応をすることを求めている。だからとくに相手が武士である場合には、「面子を大事にして対等の関係を崩さないように・・・」ということであろうか。
馬子のいう事に唯々諾々と従い、手間を掛けさせられるのは「間抜け」と映る恥ずかしいことであった。
《江戸表などに滞在中、公私の用事で馬に乗って歩く場合には、たとえ老年であっても、馬に乗れる状態であるならば、自分で手綱を取って乗るようにしなければならぬ。》とは、特に江戸のように人目につく所では、不格好は恥さらしになる。だから、臨機応変の活動が封じられた状態を公衆に晒すのは、敵に隙を見せることになり、恥じたのである。
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