2015年7月30日木曜日

心得 第八十五 「こらえ性のないのは憶病の証拠」

長生きも忠義のうちの一項である。
《武士として身を立てようとする者は、大身の者はもとより、たとえ小身の武士あっても、一日でも長生きをし、その身を全うして時節を待ち、いつかは立身出世を遂げて先祖から受け継いだ家を起こし、わが身の誉れを長く子孫に伝えたいと願うのが本来の念願である。まして主君に奉公してその深い御恩を受け、わが身はもとより妻子から召使までも養っていただいている者としては、自分の一身をいつかは主君のお役に立てずにはおかぬという決意を固めているようでなければ、真の武士の志ということはできない。
そうであるならば、自分の体をまず大切にすることを考えるべきである。大食、大酒、淫乱といった不摂生も、若いうちにはそれほど影響があるとも思えぬものだが、やがては、その為に脾臓や胃を痛め、貧血、内臓障害といった病気にかかって若死を遂げる連中が世間にはいくらもいるものだ。その点に気を配って、まだ年齢も若く血気盛んで、無病息災の間から保健衛生に心をかけて、大食、大酒、淫乱などをつつしむならば、七十、八十歳までも長生きをして手足も達者、壮年の者と比べても、さしてひけをとらぬようになれるのである。ところが、そのような配慮もせずに不養生を重ねる者は、四十、五十前後の寿命をようやく保つ程度で、たまにはそれ以上に生き延びても、どうにもならぬ病人となって、生きている甲斐もないという始末となる
とりわけ五十歳以上の年齢ともなれば、益々心身の健康に注意し、飲食物を自制し、もちろん色欲については大いにこれをつつしまなければならないものであるのに、まったく話にならぬほどの無分別、この上ない不始末というほかはない。これはすべて武士道の心がけが弱く、主君に奉公して忠義を尽くそうとする意志が不明確なところから生じた過ちというべきである。その本質を突きつめてみると、結局は、物事をこらえるという意志が薄弱なのである。こらえる気持ちが弱いといえば、いくらかましに聞こえるが、つまりは、臆病者の根性というべきものであって、最も警戒すべきことなのである。

「恩と奉公」で結ばれる「イエ」制度において、真の武士の志は《自分の一身をいつかは主君のお役に立てずにはおかぬという決意を固めている》ものである。だから、養生し、保健衛生に努めれば、七十、八十までも壮年のものと同じように活躍できるという。
不養生は、無分別でこの上ない不始末であるという。それは義を尽くすという意志が不明確であるから起こることで、「その本質は臆病という最も警戒すべきことにある」という。
つまり、武士の精神としての元気が欠けると身体も壊れるということであろうか。
今日、我々は、健全な生活を保障するために保険を掛けるが、保健に欠けることにならないことを祈る。

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