《奉公を勤める武士は、主君のお考えによってさまざまなお役を仰せ付けられるのだが、この中でお勝手向き(経理・財務関係)のお役については、何としてでもこれをお受けせずにすむようにすることが望ましい。なぜならば、御勝手向き御役人として、その家中の大小の奉公人をはじめ、城下の町人、村々の百姓たちに至るまでをも少しも苦しめることなく、しかも御主人の御力になるように財政を取り仕切ることができれば、これこそお家のためになる大切なお役人と呼ばれることであろう。しかし、そのようなことは、なみたいていの能力や才能でできることではない。ひたすら主君のおんためになるようにと心がければ下々の者たちの苦労が増し、下々のものの悦ぶようにとすれば、お家の財政が苦しくなるというように、どちらか一方には必ず支障が生じるものである。それであるから、そのようなお役目には、できるだけかかわりあわないのがよろしいというのだ。》
安藤昌益や石田梅岩などが出てくるのは後の事である。
商業力は新しく興隆した力であり、その原動力は貪欲にある。
そもそも武士道では、貪欲を病とみなしている。それは避けるものであって、その成敗は武士の分にはないとする。士農工商の身分制度を設け、安分することを求めたのは、職分・気分に惑わされないことを避け、それぞれの分を尽くすことで、理を尽くすことを可能にしたと考えられる。
利を勘定する経理・財務の仕事には、理不尽な場面に遭遇することも多くなり、武士として合理的な判断が状況に陥ること、避けるべき貪欲の病に罹患する可能性が高い。
権理が権利へと変化する以前の節操である。勘定に関わる事は、感情の板挟みにあい、善悪の判断のつかない、両成敗という状況も出来する。要するに、分に過ぎた大役には就かないようにする用心することを求めている。
ここで偶然「徳 川 思 想 史 にお け る 「心 」・「気 」・「物」 の思 想」という論文を見つけた。この論文では、徳川 時代 の思想 を 「心、 「気 」、 「物」の 三つ のカテゴ リーに分 け、心 の思想 (1603~1663)・気 の思想 (1663~1717)・ (三)物 の思想(1717~1790)と理 の観念 との関係 を明 らかにしている。
この設定に従えば、大道寺友山(1639~1730)が説く武道は「気」の時代のものであり、石田梅岩(1685~1744)が石門心学を提唱した「気」・「物」の時代を経て武道も進化していく。(江戸時代の武士道の系譜を下掲した)
されど「お金」を賤しいものとして避けたことは新渡戸稲造の『武士道』も伝える処である。

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