2015年7月27日月曜日

心得 第八十二 「中途半端な助言は大害あり」

安請け合いは身を滅ぼすの一項で、「引き受けたことには最後まで責任を」から続くものである。
《また人に対して自分の考えを述べ、または批判を加えるといったことも、親切心から起こることであって、好ましいように思われるが、これについても、よくよく考えることが必要である。なぜならば、親、師匠、兄、叔父といった立場の者が、子供、弟子、弟、甥などに対してのことならば、どのような批判や意見を述べようとも差し支えはないのが、その場合にしても、武士の口からものを言うことには慎重な配慮がなくてはならない
ましてや、友人同僚などに対して批判がましいことを言うのは、極めて重大なことだと自覚することが必要である。
ただし、親類他人に拘わらず、日頃から親密な関係にあるものが、何か判断のつかぬことができて、このことはどうしたらよかろうか・・・などと打ち明けて相談を持ちかけてきたときには、自分にもさっぱり判断がつかぬと、最初から相談に乗らなかったのならばとにかく、一旦、相談相手となったからには、たとえ相手の考えと違っていて喜ばれぬようなことであっても、少しも遠慮することなく、道理に基づいて自分の判断のすべてを残らずのべるというのが、武士としてもっとも頼もしい気性のあらわれである。
是に反して、このように行ったら感情を傷つけはしないか、気分を害しはしないかといった、つまらぬ遠慮をして、行き当たりばったりの意見を述べ、その人に言うべきでないことを言わせ、又は物事を失敗させたりして、人々から非難嘲笑されるような目に合わせるようであっては、人の相談相手になる資格もない。これは結局のところ、頼りにならぬ弱々し性格から生じた失敗である。
およそ、自分を男と見込んで相談を持ち込んで来られたからには、正しい道理に照らして相談に応ずるべきである。そうではなしに、自分の気分次第の意見を述べて、物事を失敗させるような思慮のない者とは、もはや親密に付き合うべきではないというのも当然のことである。
すでに相談に応じていながら、相手の気持ちに気を使って、物事の道理に背き、筋に外れたことまでも、それはもっとも、そのとおりなどというのは、武士の本道を外れたものである。そのうえ、あとになってから、これについては誰それも相談に乗っているなどと、人々の評判にもなるということも考えておく必要があろう。》


親切心から忠告や助言をすることも控えた方がいいという。
いずれも武士の口から出ることであるから、失言は許されないのだ。
しかしながら、止むを得ず,相談相手となった上では、道理に基づいて自分の判断のすべてを述べることが信頼に応えることになる。《自分を男と見込んで相談を持ち込んで来られた》のであるから応分の働きを以て応えるのが本筋であるというのだ。
要すれば、武士は、本分に一意専心せよという事である。
余念を捨て、余計なことはせず、余裕をもって武士道に励めという事である。

ここで、〈要領〉という事について考えてみたい。
「要領を得る」とは、ことバンクによれば、《どこが大事かどんな筋道かがはっきりしている》こととなる。これは「自分が管理すべき範囲とその方法を知っている」という事になる。
特に武士にとって領地を安堵されることが誉であり、安堵された領地を首尾よく管理することが最重要課題である。「ようりょう」は、「容量」「用量」とも表記される。安堵された土地を開墾し、その容量を拡大し、器量を高めれば、自ずとそこから産出される用量は定まってくることになる。容量を超えた、用量を期待することは分を過ぎたことになる。器量を磨き、容量を貯え、用量に合わせた配分をする。それが要領を得た振る舞いであり、応分の働きをすることになる。
このようなまとめは如何か?
1980年代、要領を得た熟練技能はエキスパートシステムとしてシステム化された。今日の人工知能ブームも、高度化、複雑化したシステムを要領よく機能させることが難しくなり、「要領を得る」ことはシステム化され、機構化された。容量を得ることがAI無しでは不可能であることの現われである。システム、機構によって「要領を得る」ことが代替された。
問題は、「要領を得る」という経験によって我々は分を弁え、「自覚」「覚悟」することができたのである。その経験がなくなった時、何を代替物として、採り入れる必要があるのだろうか?
「要領を得る」という経験を具象化し、なぞり、掘り起こすことが自立の上で重要なことではないだろうか。それは素養を磨くことになる。
我々はその制御だけをただ単に数個のボタンを押すだけで可能にする

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