「むずかしい命令こそきっぱりと受けよ」の一項で「評価をさげる消極的な応対」へと続くものである。
《奉公を勤める武士として、主君から大切な上意討ちなどを仰せつけられた時には、「ご家中に多くの人々がおられる中から、私にこの度のご用を仰せ付けられましたこと、一生の名誉、武士の冥利につき、本望のいたり、かたじけなきしだいにございます。」などと、きっぱりと申し上げてお受けすることが望ましいのである。これに反して、そのような心がけもなく、煮え切らない態度をとることは、もってのほかの不都合である。
なぜならば、内心では大いに勇気を奮い起こし、見事にし遂げてお目にかけようと決意していても、勝負は時の運であるから、十分に仕とげることがあるかと思えば、また討ち損じた上に返り討ちになる場合さえもあるのである。どのような結果となっても、後日、同僚たちの間で様々な批評が出てくるであろう。
その際、お受けした時の態度がよかった場合には、首尾よく仕とげれば、「お受けしたその時から、なるほどあれなら仕とげずにはおかぬという様子に見えたが、その通りに見事仕とげたものである」と、人々からほめられるであろう。また、たとえ仕損じて返り討ちにされたとしても、「お受けした時の態度から見て、まさか仕損じることはあるまいと思われたのに、どうして打ち損じたのであろうか」と、悔やみ惜しんでくれるものである。
ところが、お受けする時に少しでも煮え切らぬような態度をとていた場合には、たとえ首尾よく仕とげても、「あれは運がよかっただけのこと」といわれて、誰もほめてもくれず、また、もしも仕損じるようなことがあれば、「どうもお受けする時から、なにやら頼りなく思われたが、はたせるかな仕損じてしまった」と、人々から非難されるものである。それであるから、お受けする時には、何としてもきっぱりとした態度を示せというのである。》
その成行きは時の運に左右される。首尾よく事が成就することもあれば、運悪く、不首尾に終わる事もある。致し方のないことである。
武士道は、運命に左右されない「至誠一貫」した心のあり方に実を求めた。
難しい命令は、忝き誉である。何故か、頼り甲斐があると見込まれたという事である。
その信頼に応えるかどうかが評価の基準となったと考えられる。
事の成就はその成行きによって決まる。時々の運によるのである。
事の正否、勝負の結果は大事であったが、それより大事なものは、受命者の態度である。
その評価は、成果主義ではなく、誠意主義で行われたのである。
信頼に足るものかどうか、その基準は、その時々に変わる事ではなく、常に変わらぬ心に置かれたということであろう。事の首尾ではなく、心の終始なのである。
終始一貫した誠意が問われたのである。そこに「頼もしさ」が生まれたのである。
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