2015年8月4日火曜日

心得 第九十五 「主君をやりこめるのは大の非礼」

無理なおことばにも逆らうなの一項である。
《奉公を勤める武士としては、自分が仕える主君から、たとえどれほど理屈に合わぬ事を言われ、どのようなお叱りを受けようとも、ひたすら恐縮して仰せを承り、ただただ困り果てた様子でいることが、第一に大切な心掛けである。
もしも、主君の方から、「その方に誤りがないというのならば、申し開きをせよ」などといわれることがあろうとも、主君のお言葉に対して申し開きをすることは、お言葉を返す、といって主従の礼儀に反した非常な無礼の大罪であるから、そのようなことはかたくつつしむことである。しかしながら、それが武士道にもとるような性質の事柄であれば、やむを得ぬことであるから、家老、年寄、用人といった人々に対し、後刻、「主君よりお見限りを受けぬよう申し開きを致したいので、なにとぞ、お取次ぎの程を」とお願いするといったことは、当然あるべきことである。
こうした点について、主君のお言葉を無視もせず、また自分の立場をも失わぬように、見事な受け答えをした昔の武士の物語を、初心の武士への教訓として記しておこう。
慶長年間のこと、福島左衛門大夫正則の家来に佃又右衛門という大剛の武士がいた。ある出陣中のこと、夜中、正則の陣中で不意の騒動が起こり、家中の武士たちが残らず本陣に駆けつけたということがあった。その翌朝、正則は又右衛門に対して、「その方は、昨夜の騒動の際、鎗にさやをかけたままで持っていたのはどういうわけか」と尋ねられた。又右衛門は、これを承って、「お疑いは最もでございますが、昨日は夕方から空が大変曇っておりましたために、夜は鎗に雨鞘をかけ、そのまま持って出たのでございます。したがって、鞘をかけたまま持って出たものとご覧になったのは当然のことでございました」と申し上げたので、正則は、「なるほど、わかった」といわれ、ことは落着した。
その後、同僚たちが又右衛門の所へ来て、「昨夜、あなたが鎗の鞘をはずしてもって出られたことは、誰もがよく見ており、証人もあるというのに、今朝のお尋ねに対して、雨鞘をかけてあったとお答えになったことは、どうも納得がいきませんが」と尋ねた。又右衛門は、「雨鞘というものは、あなた方もご存じのように、油紙一枚のもので、実質的には抜身の鎗と同じことです。小さなことながら、大将が見間違いをなさったというのは重大なことですので、それを表沙汰にせぬため、右のようなお答えをしたものです」と答えたので、人々は又右衛門の心がけの程に感心したということである。現代においても、主君のお側近くに奉公仕る武士としては、このような心掛けが必要なのである。》


奉公を勤める武士の心掛けとして大事なことは、「イエ」社会の秩序を守ることである。
従って、主君がらどんな理不尽なことを要求されようと、武士道に悖るものでない限り、唯々諾々と従えというのである。
人権意識が高い今日では、考えにくいことであるが、当時はこうするように理を説いたのである。
それは何故か、主君に対して、意見を言うことは、主君の間違いを指摘することになり、そのことが表沙汰になれば、主君の名を汚すことになる。それは分を弁えない、間違いであり、そうすると「イエ」の秩序が崩れる、それは不忠となるというのだ。
今日の市民社会において我々は「身分制度」から解放され、「忠孝仁義」の伝統的な考え方から解放されたというが、
内聞よりも外聞を重んじ、意図的に、営為を以て行動することを是とする今日、現代的な「忠孝仁義」はどのようなものか、一考する価値はあるように思える。
新渡戸稲造著『武士道』はどのように説明しているのだろうか。


0 件のコメント:

コメントを投稿