《そのうえ、いかに才能に恵まれた武士であっても、貪欲という病気には冒されやすいものである。主君の御勝手向きを取り仕切って人々から重んじられ、金銀のやりくりも自由自在ということであれば、やがては思い上がった心となり、幅をきかせたい気持ちが出てきて、自然と身分不相応な生活をするようになる。そうなると、いつか心にもない依怙贔屓をして、家計の辻褄が合わなくなれば私腹を肥やし、横領を働くようになる。そして、ついにはそれが露顕して恥をさらし、家をつぶして困り果てることは目に見えている。これを名付けて盜臣と呼ぶのである。
かと思えば、一方では、本人はさして欲が深いわけでもなく、依怙贔屓や横領といったことをするのではないが、ひたすら主君の御為を思ってさまざまな工夫をこらし、お家のこれまで空の仕来りとは違った新しい法令などを考え出しては、家中の大小の奉公人の迷惑となることをも考えずに、城下の商人には、重税、村々の百姓には高い年貢を吹きかけ、あるいは将来、お家の運営に支障をきたすのではないかという配慮も忘れて、ただ目前の利益だけを追った方策を編み出す。これらを実行に移すためには、思慮の足りない家老、年寄り、重臣の人々などをだまし、そそのかして承知させ、推し進めておいて、まことに立派な貢献をしたということで根拠のない加増、褒美などを頂戴しようとする。
若しも、その新政策が失敗して、やり直しのきかぬ損失を生じたときには、それは右の家老、年寄りたちの指示、命令のやり方が間違っていたためということにして、自分はその人の影に隠れ、罪を逃れて被害をこうむらぬように工夫をする・・・。こうした者を名付けて聚斂の臣と呼ぶのである。》
貪欲が聚斂の臣を生むという。今、世上は「新国立競技場」問題でにぎわっている。
日本という国が「貪欲」をいう病気に冒されていると言える。
爰にいう「聚斂の臣」がなんと多いことであろうか。スポーツの祭典が、芸術の彩りを添え、華やかな「おもてなし」を演出する。しかし、すべてが「経済力」に絡め取られ、貪欲へと収束する。
具体例は「現代の聚斂の臣たち 貪欲という病」にまとめることにした。
「貪欲 ⇒ 過分 ⇒ 横領 ⇒ 盜臣」というアルゴリズムが機構として社会に組み込まれているようだ。人々はそれを「コーポラティズム」と呼んでいる。
《要領を得る》ことの意味は重要である。〈要領〉で、〈容量〉が決まり、また〈用量〉も自ずから定まる。《要領を得る》ことは、本領を発揮するうえで欠かせない。しかし、領分を越え横領に傾いてはいけない。応分に働く、「知足安分」なのである。
現代は、「拙速」の傾きがある。〈拙速〉の対義語は〈巧遅〉である。「こうち」は、〈巧緻〉、〈狡知〉とも表記する。〈狡知〉には「貪欲」が見え隠れする。「好事魔多し」、「時間」という「すき間」に「魔」がさすのである。
利巧者が便利を生み出し、人々は便利に絡め取られる。
貪欲が満たされることを好運として、幸運を喜ぶ。社会的な洗脳が行われ、社会的に認知症が創り出され、囲い込みが進んでいる。
「コンビニエンス」が「幸せ」の代名詞になったようだ。
0 件のコメント:
コメントを投稿