《昔から今に至るまで、大名方が出合わされた場所で喧嘩口論が起こったという例はあまりないのであるが、将来とても決してあり得ないということではない。不安に思うところである。
たとえば、道中の川越え、舟渡し等の場所で大名と大名とが出合われたとき、双方の家来同士が口論を起こして言いつのり、お互いの味方が増えてきて喧嘩が始まってしまえば、その時の事情によっては、主人と主人同士の争いとなってしまうこともある。もし、双方の主人と主人との争いとなれば、必ずや大きな事件となるであろう。なぜならば、道中において大名と大名との争いとあっては、これを仲裁することのできる者はおらず、決着のつく見通しはないからである。
それであるから、災難は下から起こるということをよく心得、主君のお供をしての道中においては、とりわけ万事に慎重を期し、自分はもとより同僚たちにも注意して、下々の者が理不尽な振る舞いをすることがないよう、よくよく申しつけることが大切である。
また、江戸表において武家屋敷町や町中を主君のお供をしている際、他の大名とすれ違った時に、双方の供の小者たちが口論を起こし、喧嘩となった場合には、ただちにその様子を見て取り、道具もちの手元から主君のお槍を受け取ってお側近くに控え、ことの成り行きを見守る。いよいよ騒ぎが鎮まらず、お供の武士たちも残らず抜刀する状況に至ったならば、お駕籠の側へ御馬を引き寄せてただちにお乗せし、お鎗の鞘を外して主君にお渡しして自分も抜刀して戦うというのが正しい態度である。
次にまた、主君がどこかへご招待を受けてお越しになるというので、お供として従って行った時、お座敷の中で何か不測の事態が起こって騒がしい様子と見えた時には、刀を手に持って玄関に上がり、取次の者に向かって、「自分は誰某の家来、なに某と申す者ですが、何かお座敷の様子が騒がしいようでありますので、主人のことを心もとなく存じ参りました」というのである。これに対し、取次の者は「いや、そのようなことではありませんが、ご心配は御尤もと存じます。そちらのご主人様につきましては、何事もございませんので、一切、ご心配なさることはない旨、ご同僚の方々へもそのようにお伝え下さい」などというであろう。
そのときには、「それは喜ばしい事でございます。それでは主人をお呼び出し頂き、拙者にもお会わせ下さいますように」と要請して、主君にお目に掛かったうえで退出することが望ましいのである。》
騒動が起きた時は、最終的には闘いによって決着すると覚悟することが必要であるという。
《災難は下から起こるということをよく心得、主君のお供をしての道中においては、とりわけ万事に慎重を期し、自分はもとより同僚たちにも注意して、下々の者が理不尽な振る舞いをすることがないよう、よくよく申しつけることが大切である。》というが、家風の事なる大名同士の騒動では、他家の振る舞いが理不尽に映ることは大いにあり得る。だから騒動が始まると《大名と大名との争いとあっては、これを仲裁することのできる者はおらず、決着のつく見通しはないからである。》と闘いは必至である。
騒動が起きた時には、主の采配に従うのが基本であり、指示・命令を視認し、確認し、行動することが求められたのである。
危機管理の問題である。危機(変の時)には、家風や武士の節操が露わになる。
常に、死と隣り合わせの覚悟をすることで、武士は節操を正したといえる。
今日、我々は、いざとなったら戦う覚悟を持っているだろうか。
面倒に巻き込まれることを避けるために、保険をかけ、代替サービスを利用し、自ら事に当たることを避ける、当事者意識は重く、煩わしいと避ける傾向はないだろうか。
対人関係において相互理解、相互信頼を育むことが重要であるが、特に信頼なる者は、相手の覚悟を見極めることにあり、そこに素敵を感じればこそ、信頼が生まれるのである。
敵に相対して障害を克服した時、信頼が生まれる。信頼は、迎合によって生まれるものではない。
危機管理の問題である。危機(変の時)には、家風や武士の節操が露わになる。
常に、死と隣り合わせの覚悟をすることで、武士は節操を正したといえる。
今日、我々は、いざとなったら戦う覚悟を持っているだろうか。
面倒に巻き込まれることを避けるために、保険をかけ、代替サービスを利用し、自ら事に当たることを避ける、当事者意識は重く、煩わしいと避ける傾向はないだろうか。
対人関係において相互理解、相互信頼を育むことが重要であるが、特に信頼なる者は、相手の覚悟を見極めることにあり、そこに素敵を感じればこそ、信頼が生まれるのである。
敵に相対して障害を克服した時、信頼が生まれる。信頼は、迎合によって生まれるものではない。
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