「つねに功名手柄を志すこと」の一項で「小心者でも歴史に名を残せる」から続くものである。
《このように、その姓名さえ残らぬような討死を遂げるにせよ、あるいは末代にまで名を残す名誉の討死をするにせよ、敵に首を取られる苦しみにおいては、別に相違はないはずである。ここのところをよくよく考え、どうせのことに捨てる命であるならば、人々にすぐれた働きをして討死を遂げて敵味方の耳目を驚かせ、主君にも惜しまれ、子孫にまで長くその名誉を伝えたいものと心がけてこそ、武士にふさわしい決意といえよう。
ところが、そうした判断もつかずに醜い根性をさらけ出す者は、平地での戦闘になれば攻めるときには人の後から、退くときには人より先になることばかりを考え、敵の城を責めるときに弓矢、鉄砲玉が激しければ同僚を楯のかわりにして、そのかげにかがみこんでいるが、そのようにしても運命からは逃れられず、敵の矢に当たって伏し倒れ、そのうえ、味方の人々から踏みにじられて犬死の最期を遂げ、大事な命を失うこととなる。これでは誠に残念至極、口惜しい次第で、武士としてこれ以上の不覚はあるまい。
こうした点をよくよく考えて、武士として戦場に赴き、どうせ命を捨てるからには、敵味方の見ている前で、この上ない手柄を立て、あっぱれの討死を遂げて名を後世にまで残すことを期して、朝に夕に鍛錬を重ねることこそ、武士本来の務めといえよう。》
この項の内容が意味することは既に、前項で触れた。
「取捨選択」という事について考えてみる。
武士道は、生きる上で最も大事な、命を捨てることを前提として、大事の決定・判断をするということになる。
欲に囚われることなく正しい判断ができるとするのである。
死に切っていれば、恐れなく、危険な場にも対面でき、物事の処理を的確に行えるとするのだ。
瀬戸際に立つ、危機に直面しても動ずることはなく、正々堂々と活動できるとするのである。
翻って、今日、我々は、どのように考えて、「取捨選択」をしているだろうか。
「人の命は地球よりも重い」と謂い、命を捨てることは論外であり、命は取り上げられ、「安全第一」で守られるものとされる。そのため、昨今、人口に膾炙する「利他的利己主義」を、実践する覚悟はなく、空論と化しているのではないか。こうして我々は、人に会うチャンス、人を知るチャンス、それを逃しているように思う。
人を最もよく知ることができるのは、戦場のような、危機において、その脱出のために共働する時である。そのことを、後藤健二さんは教えてくれる。その時世界は動いたのである。
危機を回避し、自分を大事にする、自分らしく生きることは当然であるが、自分に固執することによって、大事に向かうチャンスを逃していないだろうか。
自分を捨てた時、自我を超えた本来の我が顕れるという。
公正な選択・判断は、「捨てる」ことから始まるということを銘記したい。
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