2014年4月8日火曜日

心得 第八 「孝子は逆境の主君をも捨てぬ」

《このような根性のある武士であるならば、主君に奉公する身となっても、忠義の道をもよくわきまえるものである。其の主君の威勢のさかんなときはいうまでもないが、たとえ主君のお身の上に思わぬ事態が起こり、非常な苦境に立たれたようなときにも、かえってますます真の忠節を尽くし、味方百騎が十騎となり、十騎が一騎となってまでも、主君のお側を離れることなく、幾度となく敵の矢面に立ちふさがって主君をお守りするといった忠義の武勇を勤めるに違いない。》

《それというのも、親と主、孝と忠と、その名が変わっているだけで、そのもととなる心の誠はただひとつなのだから、したがって、古人の詞にも“忠臣は孝子の門に求めよ”といわれているという。》

《たとえ親に対しては不幸ではあっても、主君への忠義はまた別のことであるなどということは、決してあり得ない道理である。自分の身の根本であるところの親に対してさえ孝行を尽くすことができぬほどにいたらない心で、自然のつながりでない主君の恩を身に感じて忠義を尽くすことができるわけはないではないか。家において親に不幸な子は、世間に出て主君に仕えるようになっても、絶えず主君の威勢を気にして、もしも落ち目になったとみれば、さっさと戦場を捨て、あるいは敵方に内通、降参などの不忠を働くというのが古今を通じての例である。誠に恥ずかしく、戒むべきことではないか。》

貞観政要』に《大事は皆小事より起こる》といっています。枝葉末節にまで心配りをし、行動を整えるということですね。利巧に働くことを戒めています。利を求めるのではなく、義を貫くことが武士道の本分です。
『大学』で、《古の明徳を天下に明らかにせんと欲する者は先ずその国を治む。その国を治めんと欲する者は先ずその家を斉う。その家を斉えんと欲する者は先ずその身を修む。その身を修めんと欲する者は先ずその心を正す。その心を正さんと欲する者は先ずその意を誠にす。その意を誠にせんと欲する者は先ずその知を致む。知を致むるは物に格るにあり。物格りて后知至まる。知至まりて后意誠なり。意誠にして后心正し。心正しくして后身修まる。身修まりて后家斉う。家斉いて后国治まる。国治まりて后天下平らかなり。》と言って居ます。個人と国家のつながりをこのように捉えていました。
武士道は、いわゆる〈システム思考〉を実践することであり、その基底はここに窺えます。

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