又、戦といえば工事がつきものであって、ここの要塞、ああそこの砦、あるいは合戦の場の城、国境の出城など、昼夜兼行の急ぎの工事をせねばならず、上下共にその労苦は並大抵のものではなかった。
太平の世にあっては、戦陣ということもなく、それに伴う工事とてもない。そこで、武将に従う大小の侍に対して、警備、お供、お使い、そのほかさまざまな役を定めて、ただそこにいればよいという程度の任務を与えてあるのだ。ところが、それこそが武士の本来の役目であるかのように思い込み、最も大切な戦闘や工事といった役目については夢にも考えようとしない。時たま幕府で行われる工事のお手伝いが主君に申しつけられ、その出費がかさむために、家中の大小の侍に対しても割り当てが来て、少しずつ金を出すようなことでもあれば、何か出さないでもよいものを出すかのように口惜しがって文句をいったりするのも、結局は、武士の最大の務めは戦闘と工事にあるということを意識しないところから来た不心得である。》
戦闘者である武士は、太平の世にあって、働く場がなくなった時であっても、その本分を忘れてはならないと誡めている。〈武〉を発揮する機会が少なく、〈侍〉なり、〈侍(さぶら)う〉機会が多くなっても気を抜かず、本分を忘れてはならないという。
その本分を弁えた時、今日の太平の有り難さ、仕合わせ(幸せ)が味わえるのである。
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