2014年4月12日土曜日

心得 第十三 「まず平素の修養につとめよ」

《武士道における学問とは、内面的にはその心を道によって正しくし、外面的にはその行動を道に基づいたものとするということにつきる。
心を道によって正すとは武士道の正しいあり方に従って物事を判断し、道を踏み外す方向には毛頭も傾かぬように心がけるとの意味である。そのためには、聖人君子の書き残された書物にくわしい人について、正しい道についての詳細を学ぶことが望ましい。
また、行動を道に基づいたものとするということについては、二法、四段の内容がある。
その二法とは常法と変法であり、常法のうちには士法と兵法が、変法の内には軍法と戦法とがあって、計四段となるわけである。
まず士法とは、朝夕手足を荒い、入浴をもして身体を清潔に保ち、毎日早朝に髪を結い、時々月代をも剃り、季節に応じた礼服を身につけ刀、脇差しに心を配ることは勿論、寒中であっても腰に扇子を絶やさない。また客に応対する時は、相手の身分にふさわしい礼儀を尽くし、無用の言葉を慎み、一椀の飯、一服の茶をいただくにも、その様子が無様とならぬように心がける。奉公人の身分であれば、非番、休息の際にも無駄に過ごさず、書物を読み、手習いに励む。そのほか、武士としての故実慣例にまで心を配り、日常の立ち居振る舞いまでも、さすがは武士といわれるほどの態度をとる。これが士法ということである。

次に兵法というのは、右の士法の面においてはどれほど申し分ないとはいっても、武士であるからには、武器の取り扱いができなくては無意味である。そこで腰の刀を抜いての勝負に習熟することからはじまって、槍術、乗馬、弓、鉄砲、そのほか何によらず武芸という武芸に興味を持って鍛錬に励み、これに熟達して自信をつけること、これが兵法の修行なのである。》

『大学』に、《天命之謂性、率性之謂道、修道之謂教。(天命之を性と謂う、性に率(したが)う之を道と謂う、道を修る之を教と謂う)》とある。
武士道は天命である性に従って道を修めることであり、それは先人・君子の教えを学ぶことなのである。
修業には、常法と変法の二法があり、常法には士法と兵法があり、変法には軍法と戦法があるという。

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