2014年4月17日木曜日

心得 第十八 「礼法を守るのは武士の特質」

忠孝の二つの道を守らねばならないのは、別に武士だけに限ったことではない。農、工、商の身分のものにおいても、親子、主従の関係は忠孝の道を尽くすことによってのみ作られる。しかしながら、百姓、職人、町人などの場合には、日常の行儀作法は二の次でもよいと言うところが違っているのだ。

たとえば、子供なり召使なりが、親や主人と同席しているとき、胡坐を欠いたり、懐手をしたりする。あるいは座っている親や主人に対して、立ったままでものを言うといった無作法があったとしても、親や主人を粗末にしない気持ちを持って誠実に尽くしていさえすれば、農工商の身分のものは忠孝の道にかなっているのである。

しかし武士においては、たとえ心の中でどれほど忠孝の道を守っていようとも、形の上に礼儀を尽くさぬ以上、忠孝の道を全うしているとはいえない。

主君に対してはいうまでもないが、両親の前においても無作法な振る舞いなどは、武士道を行おうとする者にとって許されることではない。さらには、主君や親の目の届かぬところにおいても、少しもだらしのない態度をとらず、常に礼儀を重んじるのが、武士の忠孝というものである

たとえば、どこかに宿泊して寝るときにも、主君の居られるほうへは足を向けず、槍や長刀をかけるにも主君のほうへ切っ先が向かぬようにする。また主君のお噂を耳にしたり、自分の口から主君のお噂を口に出すときには寝転んでいれば起き上がり、座っていても居住まいを正すといった作法を守ってこそ、武士本来の心がけといえよう。それに反して、主君の居られる方と知りながら足を差し向け、寝転んだままで主君のおうわさをし、または親から届いた自筆の手紙を押し頂きもせずに受け取って、大胡坐をかいたり、寝転んだりしたまま読んでは傍に投げ捨て、さてはその手紙を使って行灯の掃除をさせるなど、これらはすべて頼りにならぬ心がけによるもので、武士の忠孝の本道を外れた振る舞いである。そのような心がけのものは、義理を知らず、身内と他人との区別がついていないのだ。

このような者は、他家の者に出会っても、自分の主君のお家のよからぬことを並べ立ててはいいふらし、また、あかの他人であっても親しそうに近づいてくれば、喜んで親兄弟の悪いうわさを洗いざらいさらけ出してはあざけったり、非難したりするものである。

そうしたわけで、いつかは主君や親の罰に当たって、何か大きな災難に会い、武士の名誉を汚すような死に方をするか、たとえ生きていても、その甲斐もないような姿となるか、いずれにせよ無事に生涯を送ることは決してできないに違いない。


人として、忠孝を尽くす事は当たり前である。しかし、武士の〈忠孝〉は他の農工商の者とは違うという。既に、「心にかたちを、形に法を」ということを学んだ。武士の忠孝は「礼」にはじまる。心に思うだけでなく、形に現わさなければ不十分である。体感、体認、体得、体現である。
だから、行住坐臥武士として振る舞うことが大切であるという。「一事が万事」と心掛けるのである。

0 件のコメント:

コメントを投稿